18.8.15 | 落日燃ゆ(広田弘毅)/城山三郎/新潮文庫 | |
戦後61年を経過した今年もまたいわゆる靖国問題について、テレビをはじめとするマスコミが騒ぎを煽(あお)り立てています。そのテレビ番組の一つを見ておりましたら、A級戦犯とされ絞首刑にされた広田弘毅元首相のお孫さんが靖国神社への広田元首相の合祀(ごうし)について、「靖国から事前に合祀の連絡はなかった。聞かれていれば断った」また「靖国は軍人や戦没者を祭るところ」であり、事前に合祀を打診されていれば「祖父は軍人でも戦没者でもない。福岡や鎌倉のお墓をお参りすれば十分だからやめてください、と断っただろう」と語っておられました。 そういう背景の下に、広田弘毅は、靖国に合祀されることをどう考えたであろうか、ということを念頭においてこの本を読んでみました。以下、所感です。(広田弘毅を以下広田と記します。) 広田は石屋の倅として生まれ、いわゆる名門の出ではありません。外務官僚から一国の宰相にまで上り詰めますが、自分自身を「事務方」であると位置づけ、「背広の首相」として淡々と非常時における大変に困難な職務を遂行していくのです。政治的諸問題への対応方針については、外交努力を優先したのは勿論のことですが、自己に関することについては、「自ら計らわぬ」を座右の銘とし、自分から策を弄するのではなくあるがままの生き方をするということであった、と私は理解しました。この「自ら計らわぬ」という言葉は、作品中何度も出てきます。 さて、合祀されたことに関して広田がどう考えるだろうかという点ですが、この「自ら計らわぬ」ということではないかと私には思えます。つまり、あるがままを受け入れるだろう、というものです。ただ、実際問題として広田本人の心が不明ですから、次にはご遺族の心を尊重しなければならないのは当然ですが、以下述べるように、ご遺族のお考えを素直に受け止められない部分があります。 この本では、大東亜戦争開戦直前の段階から敗戦・被占領・東京裁判の段階まで、いわゆる戦争指導者たちの動きが広田を軸として描かれております。当然、そこには軍部指導者も大勢描かれているのですが、作者の城山三郎は、なんとその全てを「悪」として描いているのです。軍人達はいかにも頑固で短絡的で好戦的で、戦争を止めようとする広田の努力をことごとく潰す、そんな悪人に描いてあるのです。驚くべきことに、ほとんど全ての記述がそうなのです。 さて、この本は、(気持ちの悪いくらい)広田を目一杯に持ち上げた内容になっているのですが、果たしてそう言えるのでしょうか。著者が何度も取り上げている「自ら計らわぬ」というのが、そんなに素晴らしいことなのでしょうか。 でも考えてみれば、この本は歴史小説です。 この作品は総括すると、東京裁判史観をもって描かれた作品で、文民=善、軍(人)=悪に色分けの濃い、大変にバランスを欠いた歴史小説風の小説といえると思います。私の評価は45点です。
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18.7.20 | 人間魚雷回天/小灘利春/ザメディアジョン | |
最初に写真の紹介です。左の写真は出撃前、桜の枝を手に持って、見送りに答えている風景です。笑みが見えます。 | ||
私の仕事場の上司にあたる田○部長が、広島県呉市の大和ミュージアムを見学した際に、感激のあまりそこで売っていたこの本を購入し、右翼である私にさっそく貸してくれたものです。 この本は、全国回天会の会長(海兵72期、回天隊隊長(待機中に終戦))ほかの関係者の方々の監修によって作成された回天に関する写真記録集です。 内容の構成は、回天そのものの解説、基地及び訓練、攻撃隊ごとの戦闘状況、遺書、1人ひとりの搭乗員の顔写真となっています。 回天は簡単に言えば、93式魚雷(炸薬1.5d)をベースにして、これに人間という誘導装置を搭載するための操縦席を取り付けたものです。誘導は基本的に自動操縦で、これに手動による操縦がオーバーライドできるというもののようです。針路は、ジャイロによって調停された方位が維持され、深度も調停された深度に自動で制御されるようです。 基本的な運用は、次のようです。 潜水艦に取り付けられた状態で作戦海域に進出し、潜水艦艦長が攻撃を決心した後、搭乗員が連接された通路(交通筒)を通って回天に移乗します。所要の距離になったところで、エンジン始動、ジャイロ調停(これはもっと早い時期かもしれない)、固定バンドの開放、その直後、それまでに連絡用に使用していた電話線を引きちぎりながら発進していきます。 途中、目標を自らの潜望鏡で確認して、最終の突入となります。敵艦に衝突する直前に、搭乗員は信管に繋がったハンドルに手を添え、衝突の衝撃で体重がそれに掛かるような姿勢をとります。そして、…。 最後は、自らが信管となるのですね。 訓練は、困難を極めたようです。回天はもともとが魚雷ですから、一回しか使用しないことを前提に設計してあります。エンジンなども、一回限りきちんと動けばよい訳です。ところが、訓練を行なうに際しては、繰り返し使用しなければなりません。このために毎回、分解して検査・手入れを行なったそうです。現在のような品質管理が十分でなかった当時、整備担当の将兵の苦労は相当なものであったようです。そして、事故による殉職も何回か起こっています。実戦はもちろんのこと訓練も決死であったわけです。 エンジンは純酸素とケロシン(白灯油)を燃料とし、両者を燃焼室で一気に燃焼させ、そこに海水を噴霧し、膨大な高圧高温蒸気を発生させ、これで2気筒ピストンエンジンを駆動するというものです。排ガスは蒸気ですから、航跡も出にくいという訳です。 その他にも種々の工夫が施されており、なかなかのものであったようです。ゼロ戦にしてもそうですが、こういう分野の技術力はたいしたものでした。 基地は周防灘を囲むようにして何箇所か設けてありました。訓練に主眼がおかれたのでしょう。 回天作戦(9ヶ月)で戦没された隊員は1229名。そのうち回天搭乗員106名、回天を搭載して出撃の潜水艦乗り組員812名、その他基地関係員等々、です。潜水艦乗組員の戦死者が一番多かったのですね。 辞世の句がいくつか紹介してあります。 そのなかで私の心に残った句。 「敵の前五十でざまあみやがれと 叫んだその声聞かせたい」 海軍少尉 今西太一(25) 1944.11.20 ウルシー海域にて突入 慶応出身予備学生 下に載せた写真からも伺えるのですが、実にさばさばとしています。ここに至るまでには、あるいはその後でも、大変な苦悩を味わったはずです。そして、自分達なりに気持ちの整理をして、心のほぞを決めた訳です。 以下、写真を載せます。いずれも、上司などが入った、かしこまった記念写真ではありません。仲間で撮った記念写真です。皆、実ににこやかな顔です。知覧の特攻記念館でも同様な写真がありました。 今も昔も変わらない、青年たちの底抜けの明るさが感じられます。 死が確約されているのですが、こうしてふっきれられるということなのですね。 分かるような分からないような、そんな気持ちです。 私達は、こういう人たちが居たのだということを少なくとも知ってあげなければならないし、あわせて感謝の気持ちを持たなければならないと思います。 | ||
18.7.4 | 逝きし世の面影/渡辺京二/平凡社ライブラリー | |
以前、イザベラバードの「朝鮮紀行」という本を大変興味深く読みました。大変優れたドキュメンタリーであるとともに、日本人の優れた特性が支那朝鮮との比較において活写されている点に興味を覚えたのでした。 この「逝きし世の面影」も、ジャンル的にはこの「朝鮮紀行」と同様の本でありまして、当時の非常に多くの外国人による日本についてのコメント集といってよいと思います。 以下に記しますが、かって「豊かなバラ色の日本」は確かにあったのです。私達は、日本人にもっと自信を持つべきです。そして、それを取り戻さなければなりません。 | ||
ペリーの浦賀来航以来、多くの西洋人が日本にやってきました。 江戸末期から明治にかけて、大使、その家族、旅行家、船員、軍人、教員、学者、画家・・・等々が大いなる好奇心をもって、日本に上陸してきたのです。そして、そういう人たちが、日本についての上質の記録を大量に残していまして、著者はその膨大な資料をベースにしてその頃の日本の姿を再現してくれているのです。 この本に繰り広げられているのは、私たちのご先祖様たちの生き方、考え方でして、単なる写真集などからは解らない、一段深い内容なのです。 さて、その頃の日本の姿なのですが、あえて一言で言えば大変「豊かな世界」であったのです。 少しその内容に触れてみたいと思います。(以下、「■記録者(その人の紹介);内容」の順になっています。) …きりがないので、ひとまず例証はおきます。 再び、例証を少し。 …そう、一種の知的傲慢なのです。今の私たちの感覚で歴史を判断しているのですね。農民も、町民も、女もひどい生活環境や低い地位に貶められていたというのは、間違いのようです。この本のほかの項目にでてくることですが、子供が非常に大切にされており、あたかも大人と同等にみなされている様子が描かれています。また、犬もまた、いわば仲間として扱われている(当時犬が溢れるほど居たようです)のです。これは、日本人の平等意識の現われだと思われます。(他の本に書いてあったのですが)日本人の平等意識というのは徹底しておりまして、草木や石ころも含めて平等だというのです。従って、犬や子供も平等であるのは当然であって、女、農民…、すべて平等なのですね。 また、大名行列などもそれが露骨でなければ実際はうまく無視していたようです。そして、大名側も「しょうがねぇなぁ」といった感じでそれをとやかくは言わなかったのでしょう。なんとなく、私たちの今の感覚と合っていると思いませんか?そうです。長年にわたって作り上げられて気質が、そんなに簡単に変わるはずはありません。私達は、すーっと繋がっているのです。 | ||
もっと、書き記したいことがたくさんあるのですが、最後は、江戸期の風景です。 左の挿絵は、「江戸近郊の茶屋」です。外国人の目にはこれが、まさに一幅の絵のように見えるのですね。もちろん今の私達の目にも、そう見えます。この雰囲気が、江戸を中心にしてグラジュエーションで、郊外まで広がっていたということです。 私が、ビックリしましたのは、屋根の一番高いところにに見える雑草のような部分ですが、これは「いちはつ」という花なのです。お家の屋根を花で飾っているのです。店先には藤棚が見えますし、庭先にも植え込みがあるようです。そして、小川との関連付け等など、相当の飾り付けがなされているのですが、その他に、この屋根の飾り。これらを、恐らく金持ちではない茶屋がやっているのですね。それも代々にわたって、です。 お金やモノではない、違う豊かさあると思うのは、ここなのですね。 | ||
左の挿絵は、「江戸郊外の農家」です。 シッドモアという人がこんな記述を残しています。 「この道路に面した百姓家は絵のように美しく、とても実利一点張りの用途を持つものとは思えない。現実のすみかというよりは、むしろ今まさに巻いて片付けようとする舞台装置の絵のようなのだ。」 このように、舞台装置のようだ、という感じ方は江戸の街中の描写の中にも多く見られます。そこには、今と違う精神的なゆとりのようなものがあった、と思わせます。 なお、、左の挿絵の屋根にも「いちはつ」が植えられています。 屋根に花が植えられていて、それが比較的一般的であるという国が他にあるでしょうか。 右は「いちはつ」の花。 | ||
18.6.23 | 東京裁判の呪ひ/小堀桂一郎/PHP | |
小堀先生の本は、本当に中身が濃いと思います。内容そのものが濃いということはもちろんですが、文章に無駄がなくまた実に適切な用語が駆使されておりまして、その意味でも濃いものになっています。 | ||
18.6.13 | 自民党「橋本派」の大罪/屋山太郎/扶桑社 | |
橋本元総理には日本歯科医師連盟からの1億円献金疑惑があり、限りなく黒に近い印象がありましたが、それは結局うやむやになってしまいました。しかし、ご本人は(当然のことですが)一応はみずからのご判断で政界を去られました。しかし、このことは、「実は1億円の献金を受けたのだ」ということをギリギリの形でお認めになったのだと私は思っています。 橋本元総理というと、剣道6段の腕前も持っておられることや、比較的端正なマスクであることや、日米交渉、日露交渉などの外交面でもタフネゴシエータと評されたり、ということから好印象を受けるのですが、実際はかなり違うようです。 それをひとことで言えば、一国の総理大臣として必須のものである強固な国家観・公的精神に欠けているということであります。(もっとも、我が国ではこの面で太鼓判が押せる国会議員を探すことが難しいという、悲しい状況にある訳ですが・・・。) この本を読みますと、橋本さんはあの田中角栄をルーツとする金権政治をしっかりと引き継いでおり、「金」を媒介にして、自分たちの利を追い求めるという心根があることを見て取ることが出来ます。 そういう観点から歴代総理大臣の顔ぶれを、田中角栄以前と以後とに分けて見ると、両者には大変大きな違いがあることが分かります。 田中角栄以前を遡ると、佐藤栄作、池田勇人、岸信介、石橋湛山、鳩山一郎、吉田茂・・・となるのですが、これらの方には、それぞれに苦難の中をある種の覚悟を持って国家の舵取りをしたという印象を受けます。例えば、日米安保条約に関わった吉田、岸両首相の判断力と実行力には深い尊敬を覚えるほどです。 ところが田中角栄以後を見ると、三木、福田、大平、鈴木、中曽根、竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山、橋本・・となるのですが、大平さんを除いてそれぞれの経歴について最初に思い浮かぶのは、まず汚点なのですね。 この両者の差異というのは、国家の運営に求められる「公」を最優先にした判断基準のセンスの良し悪しであると思いますが、田中角栄以後の方々にはそれが薄いというか極端には欠如しているとように感じます。 橋本さんについて言えば、火達磨(ひだるま)になって行財政改革をやるという大看板をすぐに思い起こしますが、結局は議員(自分も含む)や官僚のエゴに負けてしまって何も出来ませんでした。もっとも、そもそもがあまりにもお金にまみれてしまっているから、その体質を変えることなど出来るはずもなかったと言って良いのでしょう。 また、外交の面でも(その端正な外見に反して)凛としたところはありませんでした。ペルー大使館人質事件ではアンパンを運ぶ位のことしかしなかったし(フジモリ大統領との差は月とすっぽんでした)、中国の女性公安には絡めとられてしまうし、足元総理と揶揄されるような謝罪外交しか出来なかったし、・・・まったく失望の限りです。 もちろん、橋本さんひとりが悪いのではなく、その器量に不釣合いな権力の座についてしまった国会議員や官僚達からなる利己追求集団の存在がその元凶と言えるでしょう。(もちろん、だからといって総理という地位についた者がその責任はまぬがれ得るものではありません。)この利己追求集団の跳梁跋扈というのはやはり田中角栄を分岐点として生じた戦後日本の典型的な姿なのかも知れません。 各々の幸せの追求は庶民のレベルであれば問題は小さいのですが、国家運営に任ずる人たちがそうであるのは誠に残念なことです。 藤原正彦氏が言う「真のエリート」の出現が本当に望まれます。 (この点、前回の「白洲次郎」などは真のエリートといって良いですね。) | ||
18.6.6 | 白洲次郎 占領を背負った男/北康利/講談社 | |
私はこれまで、白洲次郎という名前と彼の言葉『「今に見ていろ」トイフ気持抑へ切レス』しか知りませんでした。この本を読んで、凄い日本人がいたということ、占領期当時のGHQの横暴とそれに立ち向かう日本があったことを知りました。 | ||
18.4.1 | 教室から消えた「物を見る目」、「歴史を見る目」/小柳陽太郎/草思社 | |
著者は大正12年(1923)生まれ。 「言葉」というのは、本当に不思議な存在です。まさに「言霊」という言葉がそれをぴったり表しています。 以上のほかの部分でも、大変内容の濃い本でありました。 | ||
18.3.22 | 祖国とは国語/藤原正彦/講談社 | |
藤原先生の随筆集です。今ベストセラーの「国家の品格」の原型にあたる本のようです。 |