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☆ひとりごと

18.25

山崎、加藤氏は皇室典範改正支持

 このところ、皇室典範のことを書いています。
 今朝の産経新聞記事。口をあんぐりというか、やっぱりそうかという内容でした。

<引用>
 (両氏は、山形で講演し、)
 山崎氏は「神武天皇以来の男系の歴史と伝統を守れという意見があるが、現実的にはおそろしく難しい。天皇制を守る方が大事で、現実に可能な典範改正案を本国会で成立させたがいい。・・(略)・・」・・(略)・・・
 加藤氏は「女系でも血は繋がっていることを大切に考え、皇室制度を守りたい。急がずまとめていけば、首相案に落ち着く。」
<引用終わり>

 山崎氏;「現実的に、おそろしく難し」くはありません。「天皇制を守ることが大事」であれば、仮に「恐ろしく難し」くとも、それを乗り越えて男系による伝統を守らなければならないのです。それを放棄したら、もう守るべき天皇制ではなくなります。
 どういう思惑なのでしょうか。考えて詰めてのことではないような気がします。中国向けのポーズ?


 
 加藤氏;「皇室制度を守りたい」などと格好のいいことをおっしゃっているが、「女系でも・・」とはどういうことか。少なくとも次善ののものだという程度の御認識があるようだが、絶対的な差異があるとの理解がないようです。なんとなく、いいんじゃないの、との感覚がみえみえです。本当に軽いというか、いい加減な人としか、私には思えません。

 

 更に、御両人とも、首相の靖国参拝には反対ですし、靖国神社の代替施設を(中韓へ媚売るために)作りたくてたまらないのです。
 「まこと」がないのですね。
 口があんぐりして、やっぱりね、と思った次第です。

☆ひとりごと

18.2.4

朝日の非礼、偏狭

 皇室典範問題が騒がしくなってきました。
 今朝(2.4土)の産経新聞によると国会議員の反対署名が178人になったそうです。麻生、谷垣両大臣も慎重論を表明しています。安倍官房長官は内心は反対ですが、立場上、表明できないでおられます。恐らく同様の議員は、多いものと思われますので法案成立の可能性は、以前よりは確実に低くなってきているようです。この流れは、まさにこの問題の理解が進んできたからに他なりません。
 しかし、只一人だけ大きな勘違いをしている方が居られる訳です。
 ほかならぬ小泉首相です。

 新聞によると、陛下のご意思を首相が受けているかのような空気が一部に漂っているようです。恐らく意図的に流している誰かが居るのです。そして、これを背景にして首相の強行発言があるのではないかとの観測がされております。
 寛仁殿下のコメントにもありますが、陛下が「何とかしなくてはならない」というようなことをお漏らしになった可能性はあります。しかし、「女性・女系にせよ」などと極めつけるようなことを絶対におっしゃるはずがありません。政治的発言は絶対になさるはずがありませんし、2666年125代の男系による万世一系の重みを最も強く感じておられるのは天皇陛下に他ならないからです。陛下は「ご自身の御世で、この伝統が変更されることなどあってはならない」というお考えである、と畏れ多いことですが拝察(確信)致します。
 つまり、ここには陛下のご意図は絶対にありません。

 では、なぜ小泉さんはそれを急ぐのでしょうか。
 私は、小泉さんのパーソナリティに発するものと思っています。(18.01.27「畏れをしらない小泉首相」) 
 「なんでも改革」という、いわば極めて単純な発想ではないでしょうか。これを、自民圧勝の驕り、慢心が助長しているように思えます。(小泉さんの全人格を国民が全面的に支持をしたとの勘違いがあるわけです。)
 聞く耳を持たず、女性・女系天皇の問題のありかも理解しておられません。
 本案の審議の過程で大恥をさらすことになるのではないでしょうか。

 関連して、朝日新聞があいかわらずの酷い社説を書いています。
 3日付の産経社説で知ったのですが、2日付朝日の社説では「寛仁さま 発言はもう控えては」とのタイトルで、「国民の意見が分かれている問題では、一方にくみする発言は控えたがいい。」。つまり、「寛仁殿下よ、発言するな」と言論封じをやっているのです。その理由は政治問題であるからだというのですが、つまりはこの問題を、寛仁殿下も言われている「政治を超えた問題である」との認識ができない(しない)朝日の本性といってよいでしょう。危機感を覚えた殿下が敢えて御発言されているということに思いが致っていないわけです。いや、分かっていて世論のミスリードを図ろうとしているといって良いと思います。
 それにしても、朝日のこの物の言い方。議論以前に非礼であり、言論の自由を無視した恐るべき態度であると思います。(言論の自由については、天皇陛下には極めて強い制約があります(むしろ、言論の自由はないと言い切ってよいかもしれません)が、寛仁殿下のご発言については藩屏という宮家のお立場上のやむにやまれぬ、むしろ義務に近いものであると私は理解しています。)

 3日の産経の社説は、この朝日社説を非難した訳ですが、なんと朝日は更に本日(4日)の社説で再反論をしています。(朝日-産経の論戦が始まりました。おもしろくなりました。皇室と国民の魂(心)を敵に回した朝日の醜さが際立つことになり、国民は更に問題の本質の理解を深めるでしょう。)
 社説のタイトルは「皇室典範 ここは冷静な議論を」などと大人ぶった言い方をしていますが、結論は「皇族だからこそ言論のルール」があるというもので、要は2日社説の「寛仁殿下よ。発言するな」の繰り返しです。

 結局、朝日は、事(こと)の軽重を理解していない(もしくはわざと無視している)ということなのですね。
 今は、朝日が言う「言論のルール」なるものをはずしてでも国民の啓蒙をしなければならない大切なときなのに、です。
 だのに、朝日はその「ルール」なるものが至上のものと思っているわけです。
 このことは、例えば「憲法9条が至上のものだから、軍事による国防という観念は許されない」というのに似ていますし、「法が至上のものだから、その法に触れさえしなければ商道徳に反しても金儲けをして良い。(ホリエモン)」、「誰にも迷惑をかけていないのだから援助交際の何が悪い?」・・・・・・に似ています。
 これは現下の日本に蔓延する諸悪に通底する思想です。
 小泉首相だけでなく、多くの人が「畏れ」を忘れてしまったということではないでしょうか。

 朝日は、幾度も嘘を流しています。きちんとした謝罪をすることもありません。
 教科書誤報問題(※)で渦中の人となった小掘桂一郎先生がよくおっしゃっています。
 「(朝日新聞は)触れるのもけがらわしい。」
 全く同感です。

 (※)昭和58年、歴史教科書の検定の際、文部省が「侵略」を「進出」と書き直させた、という誤報問題。以後、支那朝鮮を巻き込んだ教科書問題に燃え上がった。朝日新聞はみずから火をつけて回り、完全な誤報と分かったのに謝罪をしていない。(産経新聞だけが、新聞上で謝罪をした。)

☆ひとりごと

18.01.28

小泉首相は分かっていない?(女系天皇)

 本日の産経新聞によると、首相は、
 「今国会での改正に自信」を持っており、「自民内の慎重論批判」をし、次のように述べたそうです。

<引用>
 小泉純一郎首相は、27日、皇室典範改正をめぐり、自民党内で慎重論が高まっていることについて「女系天皇を認めないと仮に愛子さまがが天皇になられたとき、そのお子さまが男子でも(皇位継承権を)認めないことになる。それを分かって反対しているのか。」と激しく批判。
<引用終わり>
 
 首相、その通りなのですよ。
 
反対者は、そのお子さまは男子であろうが女子であろうが、女系(天皇)になるので認められないのだ、と言っているのです。
 分かって言っているのです。
 更には、そういう問題を発生させ得る愛子(女性)天皇をも認めるのは良くない、と考えているのです。
 

 これで、首相は、反対者がそれを分かって反対しているのだというこことを理解できておいででないということがはっきり分かりましたね。しかも、男系と女系の差が、ひょっとするとよく分かっておいででない。
 それでいて、あくまで改正するとおっしゃっている。どういうことでしょうか??

 以下にこの問題について説明を加えます。
 男系とは、父方をたどっていくと神武天皇に繋がることをいい、それができない場合を女系(男系でない)といいます。
 したがって愛子様が天皇になられた場合には「男系の女性天皇」ということになります。
 これは、望ましくありませんが、過去にも例のあることです(8人)。
 つぎに、愛子天皇にお子様がお生まれになった場合を考えてみます。このお子様の父方をたどろうとするとすぐに御結婚相手方の家系に入っていってしまって、神武天皇には繋がりません。これを女系といいます。(女性天皇を経た系統になる、または男系ではなくなる、ということです。)こうなると「125代、2600年にわたって男系で繋いできた、比類のない、貴重な万世1系の伝統」でなくなるのです。だから駄目なのです。(男だから女だからと言うのではなく、男の系統で繋いできたという事実に着目しているのです。(遠慮気味に言って、です。))
 
 ここのところが、この問題の基本中の基本なのですが、首相をはじめ国民の大方は、この辺のことを知らずに、気軽にコメントしています。更には、愛子様がおかわいそうとか、男女同権だとかいう只今(ただいま)今日(こんにち)の価値観で判断しているのですね。

 もう少し、実際的に言いますと、愛子さまが例えばどっかの田中さんの息子さんと結婚されるということになる訳ですが、私達日本人の感覚からすると、これは田中家の家系になったと見える訳です。いや天皇家の場合は特別だ、といくら言っても、感覚的にはそうなります。
 そして、さらに愛子様御夫妻の第1子として女のお子さんがお生まれなったとします。そうしますと、そのお子さんが(女性)天皇になられて、例えば鈴木さんの坊ちゃんと結婚なさる訳ですが、ここで家系は鈴木さんになります。
 これをどんどん繰り返していきますと、ついには普通の国民の家庭と全く一緒になる訳です。これはもう、皇室では無いといえます。
 日本には、天皇制反対の勢力があり、彼らは声を励まして言うでしょう。
 この天皇は正統ではない、天皇制反対、天皇制打倒・・・・。
 ・・・混乱の日本へ。
 彼らの思う壺です。
 
 また、上で述べた天皇は、いわば(改正された)法律に基づく天皇なのですが、一方で昭和22年臣籍降下された(皇族の身分を強制的に剥奪された)旧皇族という方々おられ、この中に正真正銘の男系天皇になり得る方が存在します。つまり法律上の天皇に対して伝統上の天皇並存する訳です。
 更に、日本の混乱・・・。

 まだまだ、心配の種があります。
 例えば、上の例で述べた田中家や鈴木家の方々が立派なお方だったら良いのですが、ある種社会的に特別な地位を得るわけですから、よからぬことを画策する田中家や鈴木家の関係者が出てくるかもしれません。俗世界の人間が、ある日から突然、特別な地位を得る訳ですから、その地位を「私」に利用しようと考え出しても不思議ではない訳です。○○家のお家大事との画策が行なわれないとも限りません。
 (男系でない)女系にすると、このようなことが大いにあり得ると思います。
 更に更に、日本混乱の種・・・。

 
 この話は、愛子様がどうとか、雅子様がどうとかいう話のレベルではないのです。
 日本の背骨である、過去現在未来にわたる私たち日本人の共有財産であるところの皇室の問題なのです。
 占領軍が決めた皇室典範を破棄して、旧皇族に復帰していただき、2600年、125代にわたって大切に大切に守られてきた、伝統ある方式に戻せばよいだけの話です。私はそう思います。

☆ひとりごと

18.01.27

畏れを知らない小泉首相

 皇室典範改正(悪)問題がまともに論議され始めた。
 改正(悪)派が押し切ろうとする流れにやっと歯止めがかかろうとしている。
 そんな中で、小泉首相は相変わらず有識者会が出した不適切な答申をそのまま採用したい考えのようだ。
 なぜそんなに固執するのか、これまで私には理解できなかったが、本日27日の産経新聞の記事でその疑問が氷解した。

<引用>
 首相の宮中行事に対する言動を目撃した複数の関係者は、次のようなエピソードを紹介する。首相は、天皇が神々に新米を供え自身でも召し上がる新嘗祭に参列した際、「暗いから見えない。電気をつければいいじゃないか」と主張。周囲に「だから皇室はもっと開かれなければならないんだ」と話したという。
 また、歴代天皇、皇后らの神霊を祭る皇霊祭に参列したときには、宮内庁長官に「中で何をやっているのか」と質問。天皇、皇后両陛下に三権の長らが祝賀を述べる国事行為である新年祝賀の儀では、燕尾服着用を求める宮内庁側の要請に応じず、儀礼上ふさわしくない紋付はかまで通し「皇室ももっと改革が必要だ」と主張したという。
 関係者の一人は「首相は皇室の神秘的な伝統などは、不合理だとしか感じないのではないか」と危惧を示している。
<引用終わり>

 小泉首相は、「畏れ」を感じるアンテナを持っておられないようだ。「合理的」というごく狭い一つの側面だけで物事を判断しようとされている。そして、首相に与えられている権力が、只今現在の仕組みの中でのものに過ぎないのに、更には限度を超えて行使しようとしているのがお分かりでない。
 傲慢であると思う。

 皇室典範改正(悪)に対する首相のお考えは、
 「男系とか女系とかこだわるから、皇統が途絶える。血が繋がっていれば男子でも女子でも良いではないか。」というものであろう。

 2千年以上にわたって先人達が苦労をして繋いできた男系による継承を上記のような感覚でばっさり断ち切ろうとうとしているのだ。
 今の皇室の状況を目先でしか見ていないからそういう判断になる。そうではなく、2千年以上の長い歴史の中で築き上げられた、我々日本人の共通財産であるという観点で判断すべきことなのである。
 実は、首相は過去の歴史の重みを感じ取れず、未来への責任についての想像を欠いた短絡思考の方なのである。

 皇室は、開かれる必要はない。伝統を守って頂けば良いのであって、抜本的改革などあってはならない。
 畏れ多いという存在であり続けなければならない。国民のレベルと同じになったら、それはもう皇室ではないのである。

 
 早く政権交代の秋が来て欲しい。

☆ひとりごと

18.01.20

新幹線つばめ号

 18日に、八代から鹿児島中央までの間を新幹線つばめ号に乗りました。
 乗り物で旅をすることは、誰しも心躍るところがありますが、なかでも新幹線はいいですねぇ。遅くもなく早くもなく、旅を感じながら移動できますし、ビールを飲みながら駅弁を食べれば、このまま事故にあって死んでもいい・・・は、言いすぎですが、そんな気分になります。
 「つばめ」のロゴも良いですねぇ。
 
 つばめ号に乗り込んでビックリしたのは、座席が木製であったこと。JRもしゃれたことやります。テーブルがついていませんが、そんなこたぁたいしたことはありません。
 新幹線がますます好きになりました。


 ただし、一つだけ全く気に食わないことがありました。
 それは車内放送。
 まず「日本語」で放送、ついで「英語」。
 ここまでは許せます。
 ところが、次に来たのが「韓国語」、そして最後に「中国語」。

 まず、私は、なにかと迷惑なこれら隣人の言葉なぞ、強制的に聴かせられたくありません。また、中国韓国の列車では同じように日本語の放送をしているのでしょうか。少なくとも相互主義のもと、両国が同時に実施するのであれば良しとしましょう。しかし、おそらくそうではありますまい。日本でだけやっているのです。日本人の優しさというか、うぶさというか、(言い過ぎかも知れませんが)アホさというか、それを思うと更に無念さが増します。
 多分、冬の雨の平日につばめ号に乗って八代から鹿児島に行く韓国人・中国人など乗り合わせていなかったと思うのですが、それを思うと更に腹が立ってきます。
 ついでに言うと、最近、駅などに中韓の言葉が併記されるようになりました。植民地じゃないぞ、と言いたくなります。

 対外的な行為については、私たち日本人はもう少し大人にならなければならないと思います。(物分りの良い大人という意味ではなく、国際社会の現実をわきまえた大人という意味です。)中韓の笑い声が聞こえませんか?

 ※九州圏内の交通機関の多くは、中国韓国語の放送をしているようです。
  鹿屋から鹿児島空港に行くバスでもやっていました。ああ。

☆ひとりごと

18.01.19

吾平山陵(あいらさんりょう)参拝

 この日、鹿児島県鹿屋市吾平町(あいらちょう)にあります神武天皇の父君母君の陵墓「吾平山陵」に参拝する機会がありました。
 境内は伊勢神宮を思わせる風景で、その中を奥へ進み、折からの雨もあってまことに荘厳な雰囲気の中での参拝でした。
 神武天皇は、ここ吾平山陵でお生まれになったとのことで、天皇家の原点=日本の原点に触れた感じがいたしました。

 伊勢神宮で西行法師は、
 「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」
 と詠みました。

 涙がこぼれるまでは行きませんでしたが、なんとはなしに大変厳粛な気持ちになり、心洗われるひと時でありました。

 そういえば「静謐(せいひつ)」という言葉が頭に浮かびました。
 こういう空間がもっと欲しいものです。

 

 参拝ではこの陵墓を守っておられる宮内庁の御担当に案内をして頂き、帰りには皇室の写真集と恩賜のタバコを頂きました。
 恩賜のタバコというと、ある軍歌が口をついて出てきます。
 防大時代に先輩から教えてもらったもので、多分、ノモンハン事件のころの歌ではないかと思いますが、妙に覚えています。
 戦闘機乗りが出撃を前にした夜、星を見ながらタバコをくゆらしている様が、若い防大生の気分に合ったのかもしれません。

 歌詞は、次の様です。
 
 恩賜のタバコを頂きて
 明日は死ぬぞと決めた夜は
 荒野の風も生臭く
 ぐっと睨んだ敵空に
 星がまたたく二つ三つ

☆ひとりごと

18.01.18

知覧特攻平和記念館

 鹿児島県知覧町にある知覧特攻平和記念館を訪れました。
 新幹線鹿児島中央駅から、冷たい雨の降る中をバスで約1時間20分。往復で約3時間の長旅でありました。
 雨が降っていたこともあり、周囲にはほとんど人影は見えなかったのですが、館内に入ると思ったよりもたくさんの人が観覧されていました。

 入り口を入って、見る人をまず圧倒するのは壁に掲げられた1036枚の顔写真です。写真は、特攻の出撃日付順に並べられています。
 一つ一つの写真を見ていると、特別の方々ではなく本当に身近な普通の人達なのだという感じを持ちました。知人友人の誰かに似ている写真がたくさんあるのです。そういう人達が淡々と出撃して行かれた訳でして、穏やかな顔つきとは逆に凄さを感じました。

 私の隣で写真を見ていたおばさんが、しきりに「かわいそうに、かわいそうに」とおっしゃっていました。時代や環境がそうさせたのだとも言えますが、命を捧げる対象があったという点で、ある意味幸せであったかもしれません。実は、本当にかわいそうなのはそういうものが無い今の我々かも知れませんね。

 団体客の一人の男性が「皆、天皇陛下万歳と言って死んでいった。そして、天ちゃんはぬくぬくとしている」と大きな声で喋っていました。思わず、彼の顔をじーっと見つめてしまいました。
 彼の言ったことは2つとも間違っています。
 館内での解説によると、展示された手紙や遺言を分析するとその中心的なことのほとんどは「母親」についてのものだそうです。このような部分にまで、国家や軍は介入できませんし、わが軍はそこまで品位を欠いてはいなかったということでしょう。
 天皇陛下の国民を思われている気持ちについては説明を要しないでしょう。(ここ「一般参賀/大御心」を読んでください。)

 沖縄にも似たような記念館があり、同じように「死」を扱っていますが、趣(おもむき)が全く違っています。
 知覧は、国家を背負って自分達なりに心の整理をした上でのいわば積極的な「死」、片や沖縄は、理不尽でいわば国家から押し付けられた「死」。おのずと語られる内容は異なってきます。
 沖縄にも、この知覧にも子供たちが沢山訪れているようですが、今、どちらを学ばせるべきでしょうか。
 この日も、高校生が語り部の方の話に聞き入っていました。
 危機に立ち向かう姿勢を養うべきか、危機から逃げる姿勢を養うべきか。
 誇るべき先人達の歴史を教えるのか、唾棄すべき対象として歴史を教えるのか。
 答えは、はっきりしていると私は思います。

 

 出撃直前の搭乗員のスナップ。
 朝日新聞の記者が撮影したものだそうです。
 犬を抱いた少年は17歳数ヶ月。
 周囲の少年達もほぼ同年。
 17歳と言えば高校2年生です。

 数時間後に彼らは鬼神となって敵艦に突撃していく訳ですが、この明るさはなんなのでしょうか。
 
 
 

 

 
☆ひとりごと

18.01.02

男たちの大和/YAMATO


 
 内容、構成ともに大変良くできた映画だと思いました。
 いわゆるメッセージ性が高いというのでしょうか、今の日本に対する大きな警鐘を鳴らしているように思えました。
 私が感じた取ったメッセージは「我々は、先人の作り上げたもの(歴史)を子孫にしっかりと渡さなければならない。この日本は、今の自分達だけのものではないのだ。」というものです。
 「日本」という言葉を「社会」とか「世の中」いう言葉に代えても良いと思います。

 いうなれば、今私達が生活しているこの環境(日本という国/この社会/今の世の中)は、過去の恩恵の上にあるものであり、今生きている我々だけのものではなく、将来の子孫に伝えていかねばならない、とても大切なものなのです。
 今の日本がおかしくなっているのは、「このような過去、現在、未来を一体として私達の『日本』なのだ」という捉え方がなくなっているからだと思います。つまり、今の日本の混迷の原因は、日本人が、今の自分達だけの、つまるところ今の自分だけの利益しか考えていないことにあると思うのです。少なくともそういう人が急激に増えました。

 沖縄の言葉に「命は宝(ぬちどぅたから)」という言葉があります。それ自体をけなす訳では決してありませんが、この言葉を至上の価値として、これを楯にして他のあらゆるものを下位に置くということが行なわれているような気がします。

 この映画では、そのことを高らかに否定しています。
 命よりも大切なものがある、というのです。
 男達は死ぬことが分かっているのに、水上特攻が決まった大和に帰艦して行く。妻や子や母や恋人に背を向けて艦(ふね)に帰っていくのです。そこに、自分の命よりも大切なものがあるからなのです。
 それはなんなのでしょうか。

 ある下士官が、言います。
 「アメリカが沖縄を経て本土に迫ってくる。おれの家族は枕崎にいる。これを守らなければならない。」と。
 直接的には自分の愛する人たちのために、そしてその延長にある日本という国のために、更に言えば未来の子孫達の日本のために、自分達の命を捧げたのです。
 上官の命令、ひいては天皇の命令によって死を強要されたのだという反論があるかもしれません。私は、それを完全に否定するものではありませんが、ほとんどの兵士はこの下士官のような気持ちで、大きな運命の下、これを当然として、あるいは自分達なりに心の整理をし、今の私達のために命を捧げてくれたのです。
 
 このことを映画では、次のように示しています。
 大和乗り組み内田2兵曹(中村獅童)の娘(鈴木京香)は、父の遺言を果たすために、小さな漁船で15時間もの苦難の航海をして大和沈没地点に向かい、父の遺骨を大和とともに沈んだ仲間達のそばに戻すのです。死んでしまってこの世には居ない者との約束を果たす必要は無いとも考えられるのですが、彼女はそれを守ろうとします。たまたま、その漁船の船長(仲代達矢)はその内田2兵曹の部下であったのですが、彼は沈没地点に行くことに最初は必ずしも乗り気ではなかった。しかし、大和沈没地点に到達し、そこで「大和」と「戦死者」と「内田2兵曹の遺骨」と更には「その娘」が一体となった瞬間に、彼は何かを感じ取ったのです。それは先人(過去)と我々(現在)との間の心のつながりといったものでしょうか。我々は、過去の歴史の上に存在しているのだ、という実感を抱いたのだと思います。

 映画は、それを未来の子孫達へ伝えるべきだというメッセージを次のように表現します。
 この漁船に、「あつし」という15歳の少年が手伝いで同乗しておりました。(ちなみにこの年齢は大和に乗り組んだ最下級兵士の年齢です。)彼は、二人の話の一部始終を傍らで聞いており、その意味するところを了解するのです。そして、二人の話が全て終わったところで、指示されるまでもなく、体調を崩した船長に成り代わって、みずからエンジンを始動し漁船を操縦し帰途につくのです。

 これは最後のシーンなのですが、示唆するところが非常に大きいと思います。
 昨今、青少年に非常な問題が発生しております。
 その一因は、彼らに、拠って立つところ無いからだと私は思います。
 拠って立つところ、それは宗教ではないかと思います。日本で言えば、皆が祖先を敬い感謝の気持ちを持つことです。それによって、祖先も含めた日本人としての一体感を持つことが必要ではないか、と思うのです。
 卑近な例で言えば、堂々と内閣総理大臣が靖国神社に詣でることです。それを、国民(大人)がしっかりと支持するのです。例えばこういうことの積み重ねで、日本は変わると思います。
 あつしのように、子供たちは本来しっかりしている。
 教育が、質、量において不足しているだけだと、私は思います。

 過去・現在・未来、これを縦軸にした全体が「日本」である。そういう観念が大事だと思います。(女性、女系天皇論議で、欠けているのがこれです。特に有識者会議のメンバーは、現在の自分達しか意識していませんね。上の意味で、日本人ではありません。最低です。)

 その他
 非常に迫力のある映画でした。戦闘というのはこのようか、というのが良く分かる。普段に相当の訓練を積んでおかないと、このような混乱極まる戦闘に耐えて、耐えて、勝利を得ることはできまい。海上自衛隊員必見です。
 また、こんな戦(いくさ)を絶対に兵士にさせてはいけない。まるでなぶり殺しです。
 映画の前半に、命を捧げる精神の尊さに涙したが、後半に戦闘の悲惨さ哀れさに涙してしまった。

☆ひとりごと

17.12.27

東京ミレナリオ

 東京ミレナリオは、今年でひとまず休止するそうです。
 東京駅の大改修工事に伴い、観客を捌ききれないからだそうです。
 ほう、東京駅はそれほどの大工事をやるのかという驚きと、ミレナリオの観客が如何に多いかという2つの驚きを覚えました。(東京駅の改修の方は大変楽しみです。)

 さて、ミレナリオです。
 私の勤め先は、東京駅の前にあるのですが、たしかに例年大変な人出です。
 今夜は宴会でして、宴会場に向けて丸の内付近を抜け出るのに大変だったのですが、うまい具合にミレナリオの通り筋を横切ることになりました。

 大変美しいのですが、
 なんとなく抵抗感があります。
 これでもかこれでもかという、なにか押し付けがましさと合わせて、こんな無駄をして良いのだろうかという何かしら後ろめたさのようなものを感じるからです。
 そういえば、最近あちらこちらで樹木にイルミネーションを飾り付けている風景が増えましたが、これまた、とても無駄をしている上に植物(という生物)を痛めつけているように思えるのですね。
 これはこれで、素直に楽しめばよいのでしょうか?
 皆さんはいかがですか。


 

 

☆ひとりごと

17.12.22

霊峰富士


 広島方面へ出張の際のスナップです。
 上方は伊豆半島、左上方にかすかに大島が見えます。
 後で聞けば、飛行中に電子機器を使用することは禁止されていますが、その中にデジカメも含まれているそうです。(思わず撮った一枚ですので勘弁してください。)
 大東亜戦争中、日本に空襲に向かう爆撃機はこの富士山を目標にしたそうです。
 米軍爆撃隊には、大変心強い航空目標になっていました。
 実感しました。残念なことですが・・・。

☆ひとりごと

17.12.18

葛飾北斎


 11月30日に東京国立博物館で開催されていた北斎展を見ました。
 北斎が20歳〜90歳(!)の70年間に描き続けた作品のうち約500点が展示されており、久々に感動のときを持つことができました。決してオーバーではなく。

 圧倒されたこと。
1 観客の数
 入場数の制限がなされており、入り口で約20分待ち。館内は人でぎっしり。書画が掛けられた壁にそって数センチ刻みで歩く状態。そのかわり、目の数10センチ前を自動的にゆっくりと絵が流れていってそれを目で追って行くという感じでした。
 館内は大変込んでいましたが、逆にじっくり鑑賞できました。
2 作品の数
 点数は約500点ですが、黄表紙などの画集のようなものもあり、莫大な数です。そして当然展示されたもの以外にも作品はあるわけですから、その全体数は大変なものです。これでは、ほぼ毎日のように作品を完成させていたのではないでしょうか。加えて、その作品の内容たるや、書き殴ったようなものではありませんから(次項)、その驚きは倍化します。
3 作品の精緻さ
 描かれた作品の全てが、実に精緻なのです。例えば女性の髪の生え際などの一筋一筋が描きこまれているのです。また、着物のしわやそれに応じた着物柄の変化の状況までもがきちんと描かれています。
 これを、20歳〜90歳まで続けていたのですね。
 言葉を呑みました。

 感じたこと。
1 絵の一枚一枚を見入ってしまうほどすばらしい。
 私、絵は素人ですが、その素人が見ても良いのですね。
 構図、人物の表情、繊細さ・・・。
 当時の人は、錦絵の一枚を買ってそれを眺めて楽しんでいました。
 また、絵が主体の雑誌類をを眺めては楽しんでいました。
 そのことが、今回理解できました。見ていても飽きないのですね。本当に良くできていると思いました。
2 北斎もすごいが、その関係者もすごい。日本はすごい。
 原画(版下)が第一にすごいのは言うまでもありませんが、それを忠実に彫る職人もすごい。ここでも、髪の毛の生え際一筋一筋のレベルが彫りだされているのです。そして次には、それを微妙な色合いで印刷をする職人がいるわけです。説明によると、最初の200枚位は絵師と相談しながら色を決めるのだそうですが、それ以降は刷り師の判断で色を使うのだそうです。つまり、刷り師も芸術家な訳です。(話が飛びますが、使われている色に紺系統のものが多いように感じました。陶磁器の藍染(あいぞめ)に通じる、日本人の好みなのでしょうか。)
 
 日本文化の幅の広さというか底辺の広さを感じました。
 そういえば、和歌の世界もそうですね。古今和歌集には乞食や遊女が作った歌から天皇が作られた歌までが一冊の本に収められているのですから。
 こんな、国は他にありません。

 くどいですが、20歳〜90歳(!)までの70年間、変わらぬ上昇指向。
 私が一番感じ入ったたことは、これだったかもしれません。
 北斎を改めて知ったと思いました。

 

☆ひとりごと

17.12.02

子供を守れない社会

 長崎と栃木で幼い女の子が殺害された。
 抵抗力のない子供を大の大人が殺してしまう。なんということだろうか。

 私は社会が悪くなっていると思う。
 社会に責任があるというのではない。当然、加害者に絶対的な責任があるのはいうまでもない。
 ただ、社会が悪くなったのだ。
 過去形で書くのは、戦前と比べて、こうなったと思うからだ。
 昔は、「公」という概念があり、「私」を皆が少しづつ押さえることで、まず「公」を良くして、その結果(の恩恵)として「私」の部分が良くなるという考え方であったと思う。
 今は、全く違う。
 全面的に「私」が良くなければならないと考えられているのだ。「公」は、「私」を良くするための補助的な支援装置という位置づけなのである。

 そうなるとどうなるか。
 @自分に不都合なものは排除して良いということになる。
  極端な例が、意に沿わない人を殺すことで排除するのである。
  今回の例は、一例が外国人であったが、類似の例はこれまでに「親殺し、子殺し」という実に極端な形で多発している。親が、「私」に最大の価値をおいて我が子を排除するのである。極端で悲しいことだが、これ以上分かりやすい例はあるまい。
 A自分に直接利益がなければ関与しないということになる。
  いわゆる、「みてみぬふり」である。
  関与することに正義や善があっても「みてみぬふり」・・・。
  なにが言いたいかというと、いい意味での地域の関与がなくなった。昔であれば、地域の人達が不審な人物の行動を抑制していた。そうすることで、子供たちを守っていたのだ。
  テレビを見ていると、事件の後のインタビューなどで、そういえばあの時こういうことがあったなどという発言があったりする。その人を責める訳ではないが、我々の心情を代表する声であると私には思える。結果的にみてみぬふりなのである。

  (私は、以前八戸という町に住んでいた頃、自治会長をやっていた。近隣の自治会長の会合が月1回位の割合で行なわれていたが、子供や学校に関する話題が多くを占めていたし、また、卒業式、入学式などの学校行事には自治会長などが必ず招待されるなど学校との関係も非常に深かった。
  地域が、子供に対して強く関与していた。大人たちが、常に子供たちを見ているという雰囲気があったのだ。…一般的な世間はこれと随分違う。)

  では、なぜこのような「私」中心の社会になったのだろうか。
  答えは、大東亜戦争直後の占領軍による日本弱体化政策とそれから抜けだせない日本人の精神の弱さ、という点にある。
  具体的には、個人の(権利などの絶対的)尊重を謳う憲法、それと歩調をあわせる教育基本法。そして、これらを至上のものとして生真面目な日本人が維持する法治国家、日本。こうなれば、上記のような状況にならざるを得ないではないか。

  日本は、幼い子供さえも守れない国になってしまった。
  結局は、国家それ自体も守りきれないことになるのだろう。
  そして、それはすなわち、自分の身も守れないことになるのだ。
  日本の今のあらゆる問題が同根のように思える。
  (姉歯らの建築物偽装問題もそう、拉致問題が進展しないのもそう、・・・皆同根。)
  

☆ひとりごと

17.11.12

終戦60周年記念講演会「愛する日本どこへ行く」

 (財)偕行社の主催により九段会館で行なわれた講演を聴きに行きました。
 講師は、小堀敬一郎東大名誉教授、山谷えり子参議院議員のお二人。

1 小堀教授「今こそ東京裁判の正確な認識を」
 小堀先生の話は何回か聞いたことがありますが、口述原稿を基に淡々と話されます。正確を期するというお考えなのでしょうか、時間もぴったり1時間半。大学の教室で講義を聴いているような雰囲気でした。
 内容は、東京裁判の不当性を、
 1)司法的観点から 2)政治的観点から 3)歴史的観点から
 整理、要約し、それらが今の日本に悪影響を及ぼしている状況とその理由を語られました。
 
 以下、感じたことなど。
・東京裁判は不当であるということを説明するのに、良い例を知りました。
 東京裁判の判決を受けて、弁護側は米国に再審要求をしました。米国の司法当局からの答えは「東京裁判はそもそも司法の範疇ではなく政治的なものだ」という趣旨の内容でした。つまり裁判ではない、といっているのです。事後法で裁いたから不当だとか裁判官の構成が偏っていたとか、いろいろと言うよりも強力な論拠だと思います。こんど、詳しく調べたいと思います。

・日本には「東京裁判の亡霊が未だに彷徨(さまよ)っている」。その理由には、外在的要因と内在的要因があり、前者は中国による執拗な圧力、後者は日本人が占領期に行なわれた洗脳から抜けきっていないことによる、という整理のされ方でしたが、後者の方が重視すべきことはいうまでもありません。

・このような講演活動は非常に重要ですが、効果的かというと必ずしもそうではないと思われます。聴衆に若い人が極端に少なく高齢の方が圧倒的に多いのです。この辺を考えないといけないと思うのですが・・。
 
2 山谷議員「この国のかたち」
 教育と家族をテーマに活動されております。
  反ジェンダーフリーの活動、小中学校で行なわれている過激な性教育を改める活動などなどを通じて「家族」を日本に取り戻そうという考えです。
 その下敷きになっているのは、1979年のサッチャー及び1981年のレーガンが唱えた「教育改革」「家族の価値(family value)」です。イギリスとアメリカはこれにより自虐的な国家観(イギリス)と荒れた教育から脱することができました。
 教育と家族は国家の根幹です。
 今後も、山谷議員の実証的な活動に期待したいと思います。
 
 また、安倍官房長官の後押しを受けて内閣政務官に、また猪口邦子男女共同参画担当相の暴走防止のストッパーとして担当政務官の任に就かれました。特に、後者については大変なストレスになることが予想されますが、安倍官房長官と良く計らって、頑張ってもらいたいと思います。


 九段会館は靖国神社のそばでしたので、講演が終わって参拝をしてきました。参拝を終わって境内の脇を見ると苗木を売っておりましたので、その中の1本を買ってきました。
 説明では、「この苗木は元戦車隊長吉松喜三氏が、毎朝未明、神社を詣で、落ちた実を拾い集めてみづからこれを洗い清め、境内の特別苗園において丹精込めて発芽育成し、神社に奉納されたものであります。 吉松氏は支那事変から終戦まで、中国戦線で日華両軍の戦没者のみたまを弔いつつ大陸の緑化に協力され・・・」
 
 木の名前は「しゃりんばい」といい、花が咲くようです。
 
☆ひとりごと

17.11.6

最新鋭戦闘機F−2に搭乗

 亡国のイージスのラストシーンで、格納庫から美しい機体がスルスルと出てくるシーンがありました。
 我が航空自衛隊が誇るF−2支援戦闘機です。そのF−2に搭乗しました。
 戦闘機に乗るというのは男の夢とも言えると思いますが、その夢が叶った訳です。(世の中の大勢の男性の皆さん、すいません。)

 先月の13日、航空自衛隊三沢基地幹部会のお招きを得まして、講演を行ないました。(ちなみに、タイトルは「国家観・歴史観」。題名に似合わず中身は面白い長編物語。約3時間たっぷりと演りました。)
 そしてその翌日、三沢基地所属の戦闘機に搭乗する機会を与えられました。
 F-2にはF-2AとF-2Bの2機種がありまして、Aが単座の実戦型、Bが複座の訓練型です。もちろん、私が乗せて貰いましたのはB型でして、前席にはバリバリの戦闘機パイロットであるD3佐が乗り込みます。私は後席で、何も触らないようにという指示をしっかり守って乗っかっているだけです。
 それでも、装備は写真のように酸素マスクのつながったヘルメット、救命胴着にG-スーツという本格的なものです。
 感心しましたのは、ヘルメットの密着がとても良く、また音質が非常に良いということでした。G-スーツも初めて体験しました。機内の席に座ったら機体側とホースでつなぎます。機動飛行中に+Gが掛かったら自動的に適量のエアーがこのホースから供給される仕組みになっております。(これで、足がぎゅっと圧迫され、体の血液が足のほうに下がるのを防ぐのですね。)これらは全て、飛行前点検の際に装具をつける部屋でテストできるようになっております。写真では満身の笑みがお見せできないのが残念です。


後席に乗り込んだところです。機内は、体がすっぽりと収まる形になっております。各種の表示機をまたぐ格好で座り、両足は方向舵のペダル方向に投げ出す格好です。着座したら、前後左右への自由はほとんど利きません。実際の飛行作業では、この格好で数時間、それも緊張の時を過ごす訳です。特に、命のやり取りをする実戦の気持ちというのはどのようでしょうか。逃げ出す訳には行きません。覚悟を決めて前へ進むのみです。それも超音速の速さで!
 男の中の男ですねぇ。
 
 写真はキャノピーを締める直前の状況です。手をはさまないように内側にしっかり入れて置いてください、と指示されました。
 この後、エンジンを掛け、チョーク(車輪止め)をはずして、格納庫を出て行きます。
 あの亡国のイージスのラストシーンの再現です。
 
 
 F−2は相当の轟音を立てながらタクシーを開始しているはずですが、機内ではほとんどそれを聞くことができません。防音性の高いヘルメットと密閉されたキャノピーのおかげです。聞こえるの、D3佐のおごそかな自信に満ちたボイスだけです。

 私も、一応、海上自衛隊のP-3Cに乗っておりましたが、戦闘機乗りというのは気質が違うようです。操縦のみでなくシステムの操作も全て自分ひとりで行なわなければなりません。結果に対する全責任を一人で負う訳です。P-3Cではどちらかと言うとチームで戦いますからラグビー、サッカー型。戦闘機は剣道型でしょうか。

 秋晴れの下、航空機はランウエイに向かってタクシーを続けます。戦闘機に乗っているというより、乗用車に乗っているような感覚です。密閉されたキャノピーのなか、日差しが暑いくらいです。
 そして、管制塔からクリアランスを貰い、航空機はランウエイに進入。
 機軸をランウエイの中心に合わせて、大気の中に突き進む前の一瞬の間(ま)。
 D3佐「行きます」
 私「了解」
 震える機体。
 グーッと来る加速度。
 座席に強く押し付けられる感覚。

 そして、その数秒後、ランウエイ中央付近でパワーが引かれ減速。
 え、減速?
 はい、減速です。
 これをシミュレートテイクオフ(離陸模擬)といいます。ジェット戦闘機で大空に飛び出すには減圧訓練を受け、そこで行なわれる試験に合格していなければなりません。私の場合、もちろん、それはありません。従ってシミュレートテイクオフです。
 実際、少しでもいいから浮けッ、と思ったのですが離陸はしなかったようです。
 それでも、大変得がたい経験をさせていただきました。
 
 
 航空自衛隊は、有事にはその最初の段階で敵との交戦をすることになるのでしょう。
 戦闘機に一人っきりで乗って超音速で飛び回りながら仕事をこなさなければならないのですから、それだけで並み並みならぬ緊張を伴うものと思います。部隊の雰囲気やD3佐と接した印象などからしますと、それ以上のこととして、最初に敵と交戦しなければならないということ、またその勝ち負けの結果が以後の戦局を大きく左右することなどから、そこからくる緊張感といいますか心に秘めた覚悟というものが私には感ぜられました。うがちすぎでしょうか。
 
 小泉総理が、拉致問題に解決のために3回目の訪朝をするのではないかという噂が一時期ありましたが、代わりにこのF−2にピョンヤン上空に行って貰った方が解決に繋がるのではないかと思います。実際にそうはしないまでも、小泉さんには「拉致被害者を帰さなければ、俺の代わりにF−2に行かせるぞ」くらいのことを言って貰いたいものです。
 精鋭F−2部隊の存在を思って、彼らはビビルでしょう。また、F−2パイロットはそれに答えてくれるはずです。

 記念に頂いたF−2の模型です。
 体験搭乗の際の写真とともに、家宝にします。

 

 

(↓の項目に続く)