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17.5.12

日本は侵略国家ではない/勝田吉太郎/善本社
 いきなり古い話になるが、平成5年8月、細川首相は就任時の記者会見で次のように述べた。
 「私自身は、(大東亜戦争は)侵略戦争であった。間違った戦争であったと認識している」
 このような歴史観は、大同小異、多くの国民の頭の中に植えつけられている。いや、残念ながら一般の国民だけでなく、わが選良の中にも多い。
 この本は、この細川総理の発言に反応して作られたもので、8人の著名人の論文が掲載されている。なかでも、法学者佐藤和夫氏の論文「国際法上、侵略戦争をしていない」は極めて明快である。その要旨を以下に記述する。

1 「侵略戦争」という用語は東京裁判で用いられ、日本はこの名の下に断罪された。東京裁判自体、その正統性がなく、これに束縛される必要はまったくないのであるが、実際は冒頭のような状況である。
 加えて、不幸なことに、本来の意味から悪意をもって誤訳されて使用されているという事実がある。どういうことかというと、「侵略戦争」の英語部分は「war of agression」であるが、このagressionを和訳すれば「挑発を受けないのに行なう攻撃(unprovoked attack)」である。
 したがって、本来は単に「正統な理由のない攻撃」「不当と考えられる武力行使」を意味するものと理解すべきである。
 ところがである。
 このagressionを、わが国では「侵略」と訳されている事例が極めて多い。
 「侵略」の日本語としての意味は「他国に無理に押し入って、領土や財物を奪い取る」というものであり、そこには道徳的に非難さるべき「略取」「掠奪」という含意がある。
 したがって、agressionの訳語としては、「単なる攻撃」と「侵略」の間の「侵攻」が適当である。
 つまり、先の「戦争」について、アメリカが東京裁判で日本を罪に陥れるために「侵攻戦争」であるとこじつけているのだが、あろうことか、それを更に「侵略戦争」を誤訳して、それを我々は後生大事に使っているという状況なのである。
 (なお、訳語は、あの横田喜三郎らが当たったというから、そこに悪意が感じられる。)

2 では、百歩譲って「侵攻戦争」は国際法上の犯罪であったのか。東京裁判ではその法的根拠を1928年の不戦条約に求めている。しかし、実はこれとて不当である。
 不戦条約では、戦争を、侵攻戦争(「国策の手段としての戦争」、「国際紛争を解決するための戦争」という言葉で表現することが、関係諸国で了解されている)と、防衛戦争(自衛戦争)とに区別して前者を違法化することを意図したのであるが、当時も現在においても学会の論争の的となっており、違法であるとは言い切れていないのである。しかも、違法化の効果を認める立場の学説であっても、犯罪化の効果があるとまで認めるものはほとんどない。
 つまり、不戦条約においては、自衛戦争はもとより侵攻戦争であっても犯罪であるとは言えないというのである。(戦争は自衛戦争と侵攻戦争とに2区分されるものであるから、結局、戦争は犯罪にではない、という当たり前の結論である。)
 加えて、侵攻戦争であるか自衛戦争であるかの判断は各国の自主的判断に委ねられているということが保証されていることから、(自ら侵攻戦争をしたと言う国はないので、)この世の中には自衛戦争しか実際上存在しない訳であり、上のような議論すら成り立たないのである。

3 1974年に国連決議として「侵攻の定義」を行なわれている。
 大東亜戦争は、後から出来たこの定義によって是非を問われるものではないが、参考にその実体をみると、次のようである。
 本来、この定義は、安全保障理事会が「侵攻行為」を認定する場合の指針として作成されたもので、総会決議という形式の性質上、法的拘束力を持たないし、国連加盟諸国はこれを遵守する義務を負うものではない。(ただし尊重は要する。)この定義が正式の条約の形をとった場合に初めて国際犯罪行為と認められる可能性があるのであり、現在はそのような法的なものではない。
 このように、現在でもなお「侵攻」か否かを国連の安全保証理事会という政治機関が認定するという事実が明示しているように、「侵攻」概念は厳密な法的概念として確立しているとはいまだにいい難く、優れて政治的な概念であり続けていることを理解しておくことが重要である。

4 以上から、
 満州事変、支那事変、大東亜戦争を通じて日本が行なった軍事行動は合法性の枠内のものであり得、政治的に賢明な政策展開であったか否かは別問題として、それらは「国際法上の犯罪行為としての侵攻戦争」ではなく、なおさらのこと日本語の意味における「侵略戦争」などではなく、わが国の自主判断(その権利は当時国際法により保証されていた)においては、まさしく「自存自衛」のための行動であったのある。
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17.5.1

米軍が記録した日本空襲/平塚柾緒/草思社
 解説つきの写真集。
 日本各地の空襲の状況を主に、米空軍の行動に関するスナップなどが収められている。

 空襲は、19.6.15に開始、20.8.15終了であるから1年3ヶ月続けられた。この間に出撃したB-29は延べ3万3千41機であり、B-29が投下した爆弾は14万7千トン(総量は16万8百トン)にのぼる。人的被害は80万6千(死者33万人)で、軍人の戦闘損害78万人を上回る。(236p)
 各写真は、それぞれ多くのことを物語っているが、圧巻は広島・長崎に関する投下前と投下後の写真である。原爆投下に際しては観測機が随伴しており、データ収集を行なっている。投下後の写真を見ると、道路の形状を残して、その他は真っ白でなにも写っていない。一瞬の高熱によって、焼き尽くされたのだ。

1 アメリカは原爆投下を「実験」として行なっている。
 当初の目標は、優先順に「1小倉、2広島、3新潟、4京都」であった。京都が選ばれたのは「原爆から生ずる損害が街全体にいきわたる程度の手ごろな大きさを持っており、これによってわれわれは原爆の破壊威力のあますところのない実証を得る確信があった(212p)」からであった。しかい、この計画は、スチムソン陸軍長官の反対によって変更され、京都の変わりに長崎が入ることになった。しかし、長崎は「大きな爆弾のためには大きさがない」、「細長くて2つの山の間にあって、爆弾の爆発効果がが発揮されない」、「これまでに数回にわたって爆撃が行なわれており、原爆の効果測定のためにもまずい」(214p)などという反対意見が述べられている。(L.ギオワニティ著「原爆投下決定」)
 なお、最終的には、長崎には捕虜収容所があることから優先度が下げられ順序は「1広島、2小倉、3長崎」とされ、結局小倉が天候不良のため、長崎に投下されている。

2 占領後の覇権獲得のため、ソ連参戦の前に投下を計画するなど、本来の目的外の意図が強かった。

3 投下は、ポッダム宣言受諾を渋る日本への警告という意味あいは無く、投下を前提に計画は早期に決定されていた。
 原爆の投下目標が最終決定され、同時にトルーマン大統領の承認を得て米戦略空軍司令官カール.A.スパーツ大将に投下命令が正式に下されたのは昭和20年7月25日の朝であった。
 この命令書には、要旨次の事項が示されている。
「・第20航空軍は1945年8月3日ごろ以降、最初の特殊爆弾を次の目標の1つに投下せよ。広島、小倉、新潟および長崎。
・諸準備完了次第、第2発目を前記目標に投下せよ。」(206p) 

 以上、ぼんやりとした知識はあったが、こう生々しい写真と記述を見ると、怒りや情けなさややりきれなさや・・・複雑な心境。
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17.4.30

日本統治下朝鮮都市計画研究/孫禎睦/柏書房
 日帝時代の朝鮮における都市計画について書かれた本。
 「日帝」という言葉使いからして、その内容がうかがい知れるますがまさにそのような本でした。私がこれを手にしたのは、巻頭のグラビアで日韓併合の前後の平城の様子がでていたので、ひょっとして併合の前後の比較において日本も良いことをやったという学術的研究書かもしれないと思ったからでした。
 ところがその内容たるや偏見に満ちていました。当時の法律やら各種の図面などが比較的豊富であるのですが、その解釈がひがみ根性でなされているのですね。(魂胆が知れたので、全般、斜め読みしました。)

 この本の基調は、「植民地政策により朝鮮人は搾取され、悲惨な状態に置かれた」というものです。
 しかし、都市計画というのは、言葉を変えればインフラ整備ということであって、その恩恵は一帯に住む住民に等しく与えられるものですから著者の考えには賛同できません。なにより、この研究書もどきの(とあえて言います)が、400頁以上をかけて記した都市整備は、いわゆる欧米が行なった植民地政策とまったく異なっており、いわば国内政治による国土開発の成果であるわけです。日本は、これを持ち出しでやったのであり、欧米とはまったく逆なのです。

 自国が植民地的地位に置かれ、それが大嫌いな日本人によって行なわれたのですから、その無念さは分かります。しかし、そうなったわが身の至らなさを反省するのでなく、原因を外に求めて相手を悪く言いつのるだけでは進歩はありません。
 臥薪嘗胆、じっと地力を蓄えて恨みを晴らす、の精神が大事です。日露戦争における日本のように、です。

 この本、「研究」と銘打ってありますが、学問ではありません。
 韓国人同士で、慰めあって憂さを晴らすための本ですね。
 「日本帝国の申し子」(既述)、「朝鮮紀行」(既述)とは、比較になりませんでした。
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17.4.24

父の文章教室/花村萬月/集英社新書
 強烈な本です。
 最後に足払いを食らって床に打ち付けられた感じです。
 年のせいで、体力の衰えが原因のような気もします。ふんふんと妙に納得しながら読み進んでいったものだから、最後の突然の足払いに耐え切れなかったいうところです。普段、ふんわりとした、気の利いた内容の本を好んで読んでいるということもあるかもしれません。(どんな足払いだったかは、読んでみてください。)

 さて、著者は小説家ですが、小学校以来学校教育をほとんど受けておりません。しかし、文章は達意。実に分かりやすく著者の考えていること(頭の中のこと)がすんなりと伝わります。それほど、良い文章だということです。学校教育を受けていないのに、何故これほどの文章が書けるのか。答えは、父親による個人教育が英才教育として行われ、それを吸収した著者の高能力という素地があったわけです。

 以下、例によってふーむと感じた部分を抜書きします。

「読者諸兄のなかで小説を書こうと考えている方がいらっしゃるならば、肝に銘じておいてください。頭の悪い者ほど物事を複雑にしてしまいます。言い換えれば悧巧と褒められる中学高校生程度に頭の良い小悧巧な者は、複雑な言い回しで得意がり、難解な言葉を用いて陳腐なはったりをかまします。手垢のついた表現なので気が引けますが、自慰に耽っているだけなのです。知性の本質は、いかに物事を純化できるかにあります(単純化とは違います)。93」

「なによりも好ましい作品は、音読するに限ります。いまでも私が音読する場合は、その作品に対する敬愛がそうさせるのです。頭の中にしずしずと言葉が響く読書の快感を、あなたは知っていますか。115」

「漢字の力を信じるとでも言えばよいのでしょうか。無数の言葉を並べあげるよりも、省略こそが日本語による描写の美の本質であると考えたのです(複雑なことをさりげなくできるだけの技巧が身についてきたせいもあり、現座の執筆は、これほど単純なものではありません)。字面という言葉があることからも分かるように、日本語はじつに絵画的で美しい言語です。かなの存在が緩衝となって漢字の存在を引き立てるのですから、まったくうなってしまうほどによくできた言語です。159」

「さて、絵を言葉で語るということ。・・・
 小説家とは、絵画という特化されたビジュアルのみならず、人の生と死という絵模様を(最小限の)言葉で表す職業であり、職人なのです。最小限という括弧がついているのは、多くの言葉を費やすことによって焦点がぼけることを自戒したものです180」

 私は「言葉」に、興味をもっています。
 言葉は、人間だけが持った不思議な道具です(言葉を持ったから人間になったということでもあります)。
 今度出典を明らかにして、書きまとめたいと思っていますが、極端には「言葉で格闘技をするのだ」と、論文を書いた格闘家がいます。頭の中で物事を考るという行為は、言葉で行われているのだというところまでは分かりますが、この方は言葉で闘う、という。そのうち、ここに書きます。

 

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17.3.26

中国の日本潰しが始まった/黄文雄/徳間書店
 今月、中国で「反国家分裂法」が制定された。
 台湾独立分子を反乱分子と規定し戒厳令を発布し、これを鎮圧できる法体制の整備である。
 これの意味は、国家行為の戦争ではなく、治安維持のための国内行為であるとしている点にある(平松教授)。また、中国はいわゆる人治国家であるから、このような法律があろうとなかろうと共産党が判断した事を実施するだけなのだが、中国も近代的な国家ですよ、と対外的な配慮をしたということであろう。
 笑止千万であるが、笑ってもいられない。
 実にマメに地歩を固めている点、そしてそれに日本が鈍感である点に留意しなければならない。
 東シナ海のガス油田問題だってそうだし、日本周辺海域を跳梁跋扈する調査船だってそうだ。「日中友好」を最大価値において、言うべきことをキチンとしてこなかったつけがまとめて回されてきているのだ。

 さて、この本。
 おしゃべりはあまり上手くないが、書くことについては凄い黄先生の著書。内容は目新しくはないが、台湾生まれだけあって、興味を引く深い部分が随所にあった。

■まず、台湾に関して。
 (主旨引用)
 中国が目指しているのは明らか領土の拡大であり、19世紀の中華帝国、覇権国家への回帰であることは明白。台湾に関しては、民意の無視だけではなく明らかな歴史的歪曲である。中国は官定正史の『明史』をはじめ、この国の100以上の古典で「台湾はいにしえより中国に属さず」としている。
 にもかかわらず、いまでは歴史を捏造し「絶対不可分の中国の固有領土だ」と吼えている。過去の一時期、台湾が清帝国に支配されたことがあってということだけを理由に「絶対不可分」といえるのなら、日本、オランダ、スペインといったかって台湾を統治した国々もそれを同様に主張することができる。
 また、中華人民共和国、さらには中華民国が成立する以前に、台湾は清国から正式に割譲された日本領になっていた。
 中国人が中国領土だといい始めたのは大東亜戦争が始まって以降のことである。蒋介石は、台湾には日本の武器弾薬、米、砂糖、黄金が在ると認識しそれに価値を見出した。蒋介石は、カイロで、ルーズベルト、チャーチルと会談した際、台湾は日本が中国から「盗取」したものだとして、対日戦勝後台湾を中国に「返還させること」を彼らに約束させた。米英首脳が、それを認めたのは蒋介石を日本との戦いに勢力を注がせるためであった。当時、蒋介石は中国共産党を真の敵として、日本軍との戦闘にエネルギーを使っていなかった。
 (取引である。それが、それぞれの利益につながったのである。)
 対日戦争後、蒋介石は戦後ドサクサにまぎれて台湾を占領し、その後共産党に敗れると、行き場を失い中央政府をこの島に移した。
 サンフランシスコ平和条約によって、日本は台湾に関する主権を放棄したが、どの国に属するかは明記されておらず、帰属先未定であった(中国に返還されたのではない)。
 中華民国は不法に台湾を占拠しつづけ、カイロでの単なる不当な取り決め(カイロ宣言は宣言と呼ばれているが実際は単なる「声明」である)を根拠に、「台湾は中国の一部」だと主張している。そして、中華民国の継承政権である中共も同じことを主張している。(引用終わり)

 ぼやぼやしていると国益の名の下にやれれてしまう、ということ。
 中国にはその権利が無いのに、なんという厚顔か、ということ。  等がよく解る。

■中華思想ということ
 中国に言わせれば、国家間の主権が対等であるという考え方など納得できない。
 相手が強力な国で在るならばやむをえないとしても、日本のように与(くみ)しやすい相手であるならば、なぜ進んでルールに則って自らの非を認めなければならないのかという考え方なのだ。

■中国人の民族性、ウソの塊り
 家庭教育でも、親が子に教えることは、「人を騙すな」ではなく、「人に騙されるな」である。また社会には顧客を騙すニセモノ商品に満ち溢れているから、「ニセモノを買うな」という教訓も子に与えられている。
 中国人に「神」という存在がないのも、ウソが氾濫する原因だろう。「倫理道徳」という外的強制はあっても、「信仰」という内的自省を知らないため、必然的に建前優先の民族性となり、本音との乖離、つまりウソ、偽善、捏造が発生する。だから、古来から中国には偽書、偽経、そして偽史が満ち溢れている。「正史」といわれる歴代王朝の公式の歴史書は、あくまで政治的に都合よくまとめられているだけのもの。現代もまったく同じ。
 中国は抗日戦争勝利という。実際は、日本は国民党政府に降伏したわけで、共産党は来るべき国共内戦に備えて戦力を温存するため、真剣に日本軍と戦っていなかった。だから、「勝利」自体がでっち上げである。

■ODA
 日本もやっと、中国に対するODAは止めるようだ。
 2000年の時点で、過去20年の日本の援助総額が、元換算で中国の国防費の1/4に相当していたという。また1992年の援助総額は同年の国防費とほぼ同額であった。しかも、近年では援助の5割弱に相当する金額を。第3国に援助している!!
 

 中国にここまで、いいようにされるのは、何ゆえか。
 それは、日本人が持たされた贖罪意識、中華意識、そして日中友好の金看板。中国が恐いのである。
 これは、日本人の優しさ、協調性重視などなど、日本人に刷り込まれた民族性ともいえる。
 我々は、お母さんからよく言われた。「とにかく、謝りなさいっ。」 これなのだ。
 でも、もういいかげん、良い意味での国際人にならないと、本当に潰されてしまうぞ、ニッポン。

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17.3.23

男子の本懐/城山三郎/新潮文庫
 昭和4年7月、満州事件を機に倒れた田中内閣の後を受けて総理となった浜口雄幸(おさぢ;が正しいらしい)と大蔵大臣井上準之助の物語である。
 男子の本懐というタイトルには、信ずるところを進めるにあたり、その敵対勢力によって斃(たお)されてもそれは本望とするところである、という意味が込められている。実際、浜口は東京駅頭にて暴漢の凶弾に斃れるが、その際に「男子の本懐である」と言ったという。井上もまた都内で同じように凶弾に斃れる。即死であり、最後の言葉はなかったが、その生き方は浜口と同じであり、可能であったならおそらく同じ言葉が吐かれたであろう、と著者は言うし、この本を読めば読者もその思いを持つに違いない。

 時の政府に課せられた課題は「金解禁(※下注)」であった。
 当時、各国は一時期の金輸出禁止を解き、ほとんどの国が金解禁をしていた。日本もこれに合わせて金解禁をしなければならなかったが、既に長い経済の低迷があり、この状態で金解禁をすると不景気が更に進行する(詳しい理屈は省略)ため、なかなか実施できなかった。
 金解禁を実施するためには、体質の改善、すなわち国民の痛みを伴う改革が必要であった。
 この辺は今の小泉内閣に与えられた課題と全く同じである。
 違うのは、この浜口・井上コンビは、これを断固として行った事である。
 象徴的なのは公務員の減俸。
 これも一旦挫折するが、まさに日本中を敵に回しながら結局断行した。
 このほか、各種予算の削減など緊縮財政を断固として実行していく。人気取りの気持ちなど微塵もない。陸海軍の圧力にも屈しなかった。
 そして、2人とも凶弾に斃れる。
 
 この小説は、経済小説というジャンルだそうだ。一部理解ができない部分もあったが、日本国のために最善と信じる方策を「断固として」実行して行った2人の姿はよく理解でき感動を覚えた。
 
 公に奉じる。この気高い精神、そして実行力。
 このような日本人がかっては多かったのに、今は本当に少ない。特に、これは政治家に必須の資質であるはずなのだが、政治家に、特に少ないように思われる。
 「私」があまりにも尊重されてきた戦後の風潮のなせる業か。
 
 なお、浜口首相はその容貌から「ライオン宰相」とあだ名されていました。今も同じような呼ばれ方の総理大臣がおられますが、印象は同じでも内容が全く違うようですね。残念なことです。
 この本読んでください、など失礼な事言えませんしね。


 ※「金解禁」(以下、この本の解説部分を引用)
  金解禁とは、金の輸出禁止措置を解除し、金の国外流出を許すということ。
  もともと世界各国とも金本位制をとり、金の自由な動きを認めていたが、第1次大戦の勃発により、経済がかってない混乱に陥った際、先行きの不安に備え、各国はとりあえず金を自国内に温存しようとして輸出禁止を行った。日本も金輸出を禁止していた。
  金本位制度の下では、紙幣は兌換券でいつでも金に代えることができるし、その金貨の含有量によって各国間の交換比率(為替レート)が法定化される。
 例えば、ある国で輸出超過が続けば、決済代金として、外国から金が流れ込む。その結果、その国の金の保有量が増え、これに比例して自動的に通貨が増発される。このため今度は、国内物価が騰貴するようになり、輸出は前ほど伸びなくなり、逆に外国品の輸入が増えて、輸出入のバランスが回復する。(逆も、同様)
 各国が金本位制度をとれば、各国経済が世界経済と有機的に結ばれ、国内物価と国際物価が連動して、自動的に国際経済のバランスもとれる。
 金本位制は火の利用と並ぶ人類の英知だとたたえる声もあるほどであった。

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17.3.16

一日江戸人/杉浦日向子/小学館文庫
 駅から自宅への帰路に大きな催事場がありまして時々古本市が行われています。
 30店舗ほどの古本屋が、まとまって展示会をやっているわけです。
 そこでたまたま目に留まったのがこの本。
 あの通人の杉浦日向子さん(「ソバ屋で憩う」もみてね)が独特の筆致で江戸の様子を書いております。そしてこの本では、マンガ家でもある日向子姉さんの手になるイラストが全体の2割位ありまして、とても目を楽しませてくれます。通勤の2往復ほどで読んでしまいました。楽しい本でした。

 前回紹介した本は、朝鮮紀行でした。そこにも書いていますが、李氏と徳川の治世の差の大きさをつくづく感じます。といいますか、比較にならないくらいの差ではないでしょうか。
 この本に将軍の食事風景が紹介されておりまして、食事は朝昼共に一汁二菜、たいへん質素です。この本に曰く、将軍に限らず殿様でもご飯粒をこぼしたら必ず本人が拾って食べたそうです。これは、領民の米つくリの苦労を忘れないための幼時からの躾だそうです。日本には、統治する者とされるものの間にこのような感覚がありました。寅さんのおじさんの家の裏のタコ社長の印刷会社もそんな雰囲気です。一部の特権階級とその他大勢というような構図の中国・朝鮮とは大違いです。

 江戸っ子の精神は「遊び(江戸弁で「あすび」)と仕事は夫婦みてぇなもの、互いの仲が上手く行ってなきゃいけねぇ」という言葉に良く言い表されています。仕事半分遊び半分、愉快に面白く暮らして行こう、ということのようです。

 もう一つ。キーワード「粋」。
 外見を派手派手に飾るのは野暮、見た目は渋くあっさり、でも、本当は金かかってんだぞ、というのが粋なのです。
 この、いわば屈曲した美意識は、生活全般に貫かれました。床屋に行きたて、という髪は野暮、行きたてでもわざと乱すというのが粋。
 そして町人文化の発達です。西洋風に言えば市民の文化の発達。
 町人にとって野暮の典型は武士階級のファッション。大奥の女性達の絢爛豪華な衣装、武士の格式ばった格好。これらは嘲笑の的となったようです。また、町人は武士を嘲笑するだけの自信と実力を持っていた。江戸期では町人達は経済的な実力を蓄え、その力は武士階級を凌駕するほどになった。
 経済的力は文化的な方面へ移行する「てこ」になりました。町人文化の誕生、発展です。
 そしてまた、それを許す社会体制があった。この点は重要です。江戸時代の人間は、さまざまの禁制によてがんじがらめだったように思われていますが、それは短期間のことであって、実際は抜け穴だらけのユルユルの体制の中で、のびのびと生きていたのです。

 当時、テレビもインタネットもありません。この本で認識をあらたにしましたが、随分ホコリっぽい町であったようです。夏は暑いし、冬は寒い・・・。
 でもねぇ、当時の人はそれが当たり前でしたし、その中で今よりもずっと心豊かな生活をしていたのではないでしょうか。
 当時の隣国、支那・朝鮮・露西亜などを含めた平均点からすれば、桃源郷ですよ、これは。
 今の感覚で当時をとやかく言ってはいけませんよ、あなた。

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17.2.28

朝鮮紀行/イザベラ・バード/講談社学術文庫

 副題は「英国夫人のみた李朝末期」。
 英国人の女性旅行家であるイザべラ・バードは1894〜約3年余、朝鮮を旅行した。
 当時、日清戦争、東学等の乱、閔妃(びんひ)暗殺などの歴史的事件が続発しているが、そのころの朝鮮事情について、夫人の目で見たままが記録されており非常に興味深い。
 バードは日本も旅行しているらしいが、そちらの方も朝鮮との比較において興味津々である。
 
 この本を読み、感じる事は、朝鮮半島の不幸である。
 わが日本の当時の徳川幕府による治世と比較するとその差は歴然である。
 李朝500年の停滞に対するに徳川400年の繁栄。中国のくびきの中の苦しみに対するに独立と平和の下での愉楽。底浅い高慢と卑屈に対するに静かなる謙譲と自信。(ちょっと一面的かもしれませんが、一面ではあっているということです。)

 ヒリアー駐朝英国総領事(当時)が、序文で次のように書いている。
 「朝鮮についていくらかでもご存知の人々にとって、現在朝鮮が国として存続するには、大なり小なり保護状態に置かれることが絶対的に必要である事は明白であろう。日本の武力によってもたらされた名目上の独立も朝鮮には使いこなせぬ特典で、絶望的に腐敗しきって行政と言う重荷に朝鮮はあえぎ続けている。・・・最も顕著な悪弊を改革する日本の努力は、幾分乱暴に行われたものの、紳士であったことは間違いない。しかしながら、(イザベラ夫人が指摘するように)経験にかけており、また日本の外交官の一人が・・自国の大義を測り知れなく損ねてしまった(閔妃暗殺のこと)。」と。
 正鵠を得ている。
 韓国人の一部の人は、日本が手を出していなければ朝鮮はもっと進歩した、などと言う。
 その人には、この序文だけでも読んでもらえば、その不明を恥じる事になるであろう。
 
 歴史を見るとき、今の価値で判断してはならない、とは良く言われる戒めである。
 例えば、日韓併合についても当時の環境を良く踏まえて議論しなければならない。単に植民地政策は非である、という言い方は小人の口吻だ。
 では、一定の見識をもって論議するための基礎知識はどうやって得たらよいであろうか。その答えの一つがこのような本であろう。そう、しかるべき当時の人の言葉に素直に耳を傾けるのが一番です。

 バード夫人の眼差しは優しい。朝鮮の自然を褒め称える。猥雑で教養のない庶民にも同じ目を向ける。そして、国王、王妃に対しても同様である。実は、朝鮮の不幸は、この国王こそがその責を追うべきであろうのに、そうは見ていないようだ。今の制度が悪いという見方のように見える。
 私は、この朝鮮の不幸は、この国が半島国家であるということ、そしてその大陸側に最悪の国家があったということにあると思う。
 日本に生まれてよかった。と、我々はまず認識しなければならない。

 ここに、興味を覚えた部分を抜書きしました。
 律儀の日本、最低の中国、そして中国によたれかかったままで気概のない朝鮮。
 興味の在る方はどうぞ。

☆最近読んだ本

17.2.15

日本がアメリカから見捨てられる日/西尾幹二/徳間書店

 この本は、この一年に著者が書いた論説を一冊の本にまとめたもの。
 冷徹な情勢判断。大変に中身の濃い本でした。内容は、概ね次のようです。

第1章「小泉首相の危うさ」
 坊ちゃんの冷血、真心のないパフォーマー。日本危うし。
第2章「日本がアメリカから見捨てられる日」
 前動続行でくっついていると、知らないうちに切り捨てられるぞ。
第3章「やがて日本は香港化する」
 生活レベルは高いが個人主義だけが跋扈する虚栄の市。
第4章「他者としての朝鮮半島」
 困った国だ。キーワードは小中華主義と事大主義。根っから曲がっている。
第5章「教科書」
 著者は、直接の作成作業からは身をひいておられる。出版社の思惑などもあり、なかなかうまく進捗していないようだ。それにしても、行動する言論人の面目躍如。

 

☆最近読んだ本

17.2.10

志ん生艶ばなし、他/古今亭志ん生/立風書房

 「志ん生艶ばなし」、「志ん生人情ばなし」、「びんぼう自慢」の3部作。
 
 声を出して読みたい日本語という本があるが、こちらも声を出して読みたい。たしかに目でスーッと走り読みしてもなにも残らない。志ん生の声を思い浮かべながらゆっくり口の中でもごもご言いながら読むと寄席に居るような気がする。
 私の子供の頃は、ラジオが全盛であった。歌謡曲(当時は火曜日にあるから火曜曲とおもっていた)浪曲、落語などが娯楽の番組の代表でしたな。ラジオの下でよく聞きました。この志ん生の、あの舌打ちをしながら喋る独特の話し振りが耳に残っている。懐かしい。
 それにしても、単行本3冊。よくもまあ、これを頭のなかにしっかり覚えて高座で喋れるものだ。我々も、ちょっとした挨拶をしなければならない場合があるが、たかだか3分でも大変なのに、この量を頭に入れているのだ。
 そういえば、三味線の先生。民謡も教えておられるが、これもスゴイ量が頭に入っている。個人的にもすごいが、人間の脳というのもすごいのだなぁ。

 次は、CDを聞いてみたくなった。図書館で探してみよう。

 

 

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