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 「朝鮮紀行」の興味ある部分の抜粋です

 

 日本兵に関する記述;
 「銃弾と砲弾が200人の兵士と100頭の馬により日本領事館からソウルに向けて運び出されていたが、その作業は音らしい音もたてないほどひっそりと行われていた。野営地は通りもきちんとしており、秩序があってこぎれいで静かだった。・・どの兵士も自分の任務を心得、それを全うする気でいるように見える。高慢なところは一つもない。231」

 一方、清国兵に関する記述;
 「医療設備も救急隊もなく、傷病兵は身ぐるみ剥いで置き去りにするのが清国の習慣で、「傷病兵には用がない」。兵站部は全く無能であるばかりでなくとんでもない不正を働き、物資が集められても請負人がそれを売って自分の儲けにしてしまう。従って予め用意された食料や飼料はほとんど無く、ほんのしばらくで兵士達はかってにものを盗み出し、馬や輸送用のラバを食べ始める。・・・・騒乱時には天下御免の強盗団と対して変わりない。271」

 朝鮮の官僚に関する記述;
 「堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難極まりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が2つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗み側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。344」
 「朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている。官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりではなく、政府の機構全体が悪習そのもの、底もなければ汀(みぎわ)もない腐敗の海、略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽という芽を潰してしまう。474」
 
 朝鮮に接する日本への評価;
 「わたしが朝鮮を発った時点での状況は次のようにまとめられよう。日本は朝鮮人を通して朝鮮の国政を改革する事に対し徹頭徹尾誠実であり、実に多くの改革が制定されたり検討されたりしていた。350」
 「現在行われている改革の基本路線は日本が朝鮮にあたえたのである。日本人が朝鮮の政治形態を日本のそれに同化させることを念頭においたのは当然であり、それは咎められるべきことではない。474」

 慈山(チャサン)という町の住民の清国、日本に対する評価;
 「町の人々からは、清国兵は情け容赦なくものを盗む、ほしいものは金も払わずに奪い、女性に乱暴を働くという悲痛な被害の話を聞いた。・・・・慈山でもほかと同様、人々は日本人に対して一人残らず殺してしまいたいというほど激しい反感を示していたが、やはり他のどこでもそうで在るように、日本兵の品行の良さと兵站部に物資を納めればきちんと支払いがあることについてはしぶしぶながらも認めていた。441」

 貿易、日本の面目躍如;
 「私の考える所では、日本の(貿易の)成功は、地の利はべつとして、朝鮮の津々浦々に、目はしのきく出張員を送り、その出張員から仕入れる情報の正確さ、そして朝鮮市場の好みと要求とを調べる製造業者のきめ細やかな配慮に主として起因している。497」

 朝鮮の農民;
 「・・・(ほとんどが搾取されて)働いた分だけの収入を確実に得られるあてが全くないため、農民達は家族に着せて食べさせる分だけの作物を作って満足し、いい家を建てたり身なりを良くしたりすることには恐怖を抱いている。・・・・搾りとられるのが明々白々の運命である階層が、無関心、無気力、無感動の底に沈みこんでしまうのは無理からぬことである。改革があったにも関わらず、朝鮮には階級が二つしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人(ハイン)は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。558」

 

 

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