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☆最近読んだ本

17.1.27

ノモンハンの夏/半藤一利/文藝春秋

 瑠璃(るり)の翼を読んだあと、関連する本書の標題が目に付いたので図書館で借りました。
 ノモンハンは、日本の大敗であったというのがこの本を始めとするこれまでの定説ですが、近年、必ずしもそうではなかった、ソ連側の損害も甚大であって、むしろ日本の勝利と言って良いのではないか、という報告があります。「瑠璃の翼」でも、陸軍航空部隊が苦しい中で奮戦している様子が描かれております。

 それはそれで、この本。
 善玉悪玉史観が強いように思われました。 悪いのは、陸大卒のエリート軍人からなる参謀本部および関東軍司令部の参謀どもである、と切り捨てられています。もちろん、辻中佐に代表されるようなヒステリックな人材も多かったでしょうが、このような一面的な見方で良いのでしょうか。 著者も、気が引けるのか、後書きにおいて「とはいえ、歴史を記述するものの心得として、原稿用紙を一字一字埋めながら、東京と新京(関東軍)の秀才参謀を罵倒し嘲笑し、そこに生まれる離隔感で己をよしとすることのないように気をつけたつもりである。」と。
 (でも、あなたしっかり罵倒・嘲笑してますから〜(ギター侍))
 
 読みながら、それを強く感じた一文がありました。それは、戦いが最も厳しくなった八月、定期人事異動が行われた、というくだりであります。著者はカッコ書きで(戦場でも(定期異動が)行われていたのである!)とビックリして見せておられます。この一行を読んで、私は読み続ける気力を無くしました(一応最後まで読むには読んだけど)。戦場でも、人事異動はあるし、状況によっては休暇も外出もある。偏った見方が、このビックリマークをつけさせたと思いました。
 しかし、総じて、帝国陸軍のもつ悪弊はこの時期の陸軍には特に強く存在していると思います。残念ながら敵の指揮官ジューコフ大将が、スターリンの質問に答えてズバリの見解を述べております。
 曰く「日本軍の下士官は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。」と。
 あらためてそれを感じた次第ですが、でも、陸軍全体をそのような筆致で描いてしまうのはどうか、と思いましたね。
 先人に対する冷たい眼差し。賛成できません、私は。

 

☆最近読んだ本

17.1.20

「反日」で生きのびる中国/鳥居民/草思社

 1994年、江沢民は「愛国主義教育実施綱要」定めた。日本の2文字はないが、「日本憎悪教育実施綱要」である。
 混迷深い中国、民主化の波が押し寄せようとする中国。このような中で中国共産党を維持していくためには、常に、党と人民の共通の敵を作っていかなければならない。そして、党と大多数を占める不満層である民衆との連帯感を高める必要があるのだ。かっては、それが「地主・富農」であった。今、それが日本になっているのである。

 この項を書くのに日が開いてしまって、本の印象がやや薄くなってるので上手く書けない。 ただ、非常に中身の濃い本であった。もう一度読んでみようと思う。

 

☆最近読んだ本

17.1.15

ユダヤ・イスラム・キリスト集中講座/井沢元彦/徳間書店

 このコメントは、読んで一月後に書いております。従って、読んだ直後のピーンとした感覚はなく、雑駁な所感を書きます。

 この三つの宗教は名は違っても同根です。すなわちいづれも唯一絶対の創造主を信奉している。唯一絶対ですから、他は認められない。従って、そこに相手を否定・排除しようとするアクションをとることになる。これが諸処で起こっているトラブルのおおもとです。
 この点わが国の多神教の考えは優れている。唯一ではなく多数、絶対ではなく相対です。もともと世の中に絶対などという存在はありません。それをある、とした点に無理があるのではないでしょうか。
 融通無碍、言葉を変えればいい加減。これが人間社会に無理がなくピッタリなのです。
 日本に生まれてよかった。

 

☆最近読んだ本

17.1.6

文革中国「林彪体系」が暗示する金王朝の行く末/正論2月号所載論文/青木直人

 北朝鮮(金体制)はまもなく崩壊する。
 これは万人の予見である。
 では、その崩壊の形態は、一体どのような形なのだろうか?

 この論文では、中国の関わりを実に鋭く指摘している。
 我々は、中朝の関係と言うのは朝鮮戦争に象徴される「血の友誼(ゆうぎ)」という言葉に言い表されていると(少なくとも私は)認識していた。つまり、両者には同胞的な意識があって、それが互いを結びつけている、と。
 しかし、考えてみれば、それはあり得ない話である。特に中華思想の国である中国がそのような甘い考えを持つはずはない。中国にとっては朝鮮民族は辺境の野蛮人である。そして根幹には当然「国益」がある訳で、糞土の国のことなど利用の対象としか考えていないはずだ。今、中国にとって、その利用価値は低下するどころか逆に足を引っ張る恐れが出てきている。そこで、中国は何らかのアクションを行使するのではないか、とこの論文は言う。(そういえば、櫻井よし子さんも年末の講演で同じような予測を述べていた。ちなみに「中国が金正日を倒して国民を懐柔する。左傾化している韓国は文句は言わない。その他の国も文句を言うまい。これは日清戦争の状況と同じだ。」と。)
 
 さて、論文の主旨は次のようである。
 青木氏はその著書「北朝鮮処分」のなかで
@冷戦終了と金正日の国防委員長就任(後述)で、伝統的な「同盟関係」は幻想にすぎなくなっている。
A米中は経済をキーワードとして接近。両者は共通の利益をそこに見出している。
B従って米朝の対立は中国にとって強い懸念となっている。場合によっては中国は強行策を採ることもあり得る。
 と記した(2004.11)が、それ以後その状態が更に進行している。

 中朝の歴史を見れば、中国の利益が脅かされそうになると中国は朝鮮の指導者を「処分」してきた。今、その兆候がある。
 朝鮮への対応の変化は最近明確にでており、中朝国境への約3万人規模の人民解放軍の配備がそれである。中国の他国との国境のなかでもこれほどを勢力を割いているのはここしかない。中国がこうするのは、隣在する満州の発展を外国資本特に米国のそれを導入して振興したいからである。このためには、この地域の安定が必要である。脱北者の急増などで社会不安が大きくなっては具合が悪いのだ。ただ、実はこれは表向きの理由であって、北への侵攻の準備であるとも見られる。実際、渡河訓練が行われており、非常にホットな地域となっている。
 北朝鮮の政情は、金正日が1998に憲法を改正し、労働党による支配をやめて軍人支配の体制としたことで大きく変わった。クーデターと言っても良い。労働党は事実上消滅し(党大会は以後一回も開かれていない)、国防委員会(10人中8人が軍人)により政治が行われている状態になった。名実共に軍優先の軍事政権となっている。よって、いかにジリ貧になろうとも北朝鮮から緊張緩和策は出てこない。
 中国は、それでも今は北朝鮮を支えている。北朝鮮の最大の百貨店・平壌第1百貨店は中国資本の経営になっている。年間5-6万の中国人観光客がツアーに参加している。羊角島ホテルのカジノは中国人ツアー専用になっている。中国は、自国の1/10程度の労賃で済む北朝鮮に下請けをさせ始めている。・・・等々、事実上中朝国境は「経済特区」になり始めている。
 それでいて、中朝関係指導者間のは冷え込みは著しい。六カ国協議についても中朝はなんらの擦りあわせもしていない。今後の推移には要注意である。
 北朝鮮の危険な瀬戸際外交がピークに達したり、国内でクーデターや暴動などの有事が発生した場合、人民解放軍が国境を越え北朝鮮に進軍する可能性はある。中国は断固として朝鮮有事を座視しないだろう
 (以上、論文主旨)
 
 今、わが国では拉致問題が沸騰している。
 なんとかして同胞を救出しなけらばならない。そのためには、金正日体制を崩壊させることしか道はない、と国民には見えてきた。しかし、ただでも困難な戦いであるにもかかわらず肝心の政府は動いてくれず、絶望的な状況だ。このような中、我々は、この観点からの思考で頭の中が一杯いっぱいである。せいぜい経済制裁ぐらいしか思いつかない(というか、我々の採り得るアクションは限定されている)状況である。
 ところが、もうひとつ極めて大きな観点がここにあるのだ。
 現世利益の欲の塊り、中国である。
 これにも抗しながら、わが国はどう対応すべきか。
 当面の利益を追おうとするアメリカを押しとどめ、(こんどこそ本当の大義ともいうべき)この地域の安定につながる行動を共に採るべきだ。
 わが国は、まずその決意を明確に示すべきであり、この意味からも経済制裁から断固始めなければならない。アメリカをもっと上手に使って対応していかないと、赤化した朝鮮半島と対峙しなければならなくなる恐れがあるぞ。

 

☆最近読んだ本

17.1.4

北朝鮮に翻弄される日本の”異常”/正論2月号所載論文/荒木和博

 私は、北朝鮮問題に関して、大変に納得いかないことがある。
 それは、小泉首相を中心とする官邸の対応についてである。
 国民のこれほどの怒りにもかかわらず、あのパフォマーの首相が腰を引いているのである。そして、極めて気弱な声で「対話とアツリョクを・・」とおっしゃる。
 これはいったい何なんだろうか。

 この論文も、それを明らかにはしてくれないが、首相が圧力をかけるつもりがないことについては明らかにしてくれている。(以下、荒木氏の論説のまとめ)
1 死亡した証拠と言われるものを精査するとか、北の暴言に対して真意を見極めたいとか言いつつこちらの取るべきアクション(直接救出、経済発動)を先延ばしにしている。
2 政府認定の拉致被害者「10件15人」をこの2年間、一人も増やしていない。
3 政府機関が独自で拉致を捜査して、国民に明らかにしたケースは事実上存在しない。全て民間の活動によるか北が自発的に?示したものである(曽我さんの例)。
4 「首相は5人の救出をした」というが、首相は被害者が15人で済む話ではない事を当然認識している。にも関わらず、いたづらに時間を費やしている。
 首相は、今帰国している5人とその家族を救ったというパフォーマンスをしてその他の被害者を見殺しにしようとしているのではないか。
5 板倉公館では、北の情報を確度の高いものであるが如く見せかけて「政府は明らかに拉致問題を終結させようとした」。そのような作為をした。
6 山本美保さんをめぐる疑惑、というのもあって、警察はこれをあくまで自殺としているが、常識的に見てそうはいえない、という。そこには、はるかに大きな(政府の)力が働いている。
 そして、荒木氏は次のように喝破する。
 拉致は、北朝鮮と日本という二つの異常な国家の、異常さがかみ合ってしまったことによって行われた。そしてその二つの異常のうち、より深刻なのは日本の問題である。

 西村真吾議員が彼のHPでも述べていたが、「小泉首相はその気が全くない。17年度予算において、拉致問題解決を念頭に置いた予算を何ひとつ作っていない点に明確に現れている。」(主旨)と。
 なぜだか解らないが、小泉首相は拉致問題をなんとかする気は全くない冷血の人だ。
 実は、これが我々が選んだ政府なのである。
 私も、早く交代したが良いと思うが、それが多数の声にならない我が日本の今の不幸。
 石原さん、安倍さん・・。なんとかしてくれないだろうか。

 

☆最近読んだ本

16.12.25

日本帝国の申し子/カーター・J・エッカート/草思社

 日韓併合時代の朝鮮にける状況を、経済の観点から記述したもので、アメリカの研究者が書いている点でユニーク。第3者が日本は良いことをしたと述べている。
 当時の朝鮮の実業家の活動を軸として描かれており小説風となってはいるが、研究は詳細を極めており、論文としても十二分に耐えうる。巻末の根拠資料もすごい。(その分、読むのに大変だった)
 
 内容は、韓国が李朝旧体制*を脱し、現在資本主義国として大発展を遂げている(漢江の奇跡)のは、日本による併合(植民地)の時代があったからで、日本(総督府)がそれを教え導いたのだ、というもの。つまり朝鮮資本主義を帝国資本主義(日本)が育てたのだ。その関係は極めて濃密なものであった。つまり、相互に利があったのである。この本では、朝鮮実業家が(総督府の枠内ではあるものの)、比較的自由な活動をしている状況がいたるところで書かれており、今の日本における企業であるがごとくである。事実、次のような話がある。
 1946夏、米国は奉天の近くのある焼け跡が、織機1000台工員3000人の真新しい大紡績工場であったことを知る。同工場は、ソ連軍が4500万ドル相当の原綿を奪った後火をつけたのだという。そして、その向上が日本や満州国の資本ではなく朝鮮資本によって建設されたと聞いて米担当官は驚いたという(213p)。
 まこと、このような状況にあったのである。
 韓国人からみれば、とんでもない、というのであろうがこの本を読めばぐうのねもでまい。
 過去の歴史のひとコマである植民地政策。功罪は多様である。であるが、かように良いことをしているという面がもっと広く認識されて良い。本来、日本人としてはこの面をのみ述べたてても良いのだが、百歩譲って功も罪もあった、と我々は言おう。韓国側も、罪のみだというのはいい加減にしたらどうだろうか。この本を、韓国で読んでもらいたいものだ。(でも、しばらくだめだろうなぁ)

 この本の主人公である金高敞(コチャン)は日本に留学をしている。高敞一族は、京城紡織株式会社を起こし、一大企業として朝鮮の資本主義経済発展の基幹となっていくのだが、そのモチベーションを高めたのが日本の明治維新以後の発展の状況を実地に見聞したことにあったようだ。(64p)
 併合の時代は、まさに帝国主義華やかな時代であった。したがって、日韓併合といってもその根本部分は、もちろん日本による朝鮮の搾取である。しかし、それを後の時代の我々が、不当であるとか許されざる事とか言う事はできまい。当時は、それが当たり前であったのだ。それでも、日本のスタンスは欧米のそれと比較すれば非常に穏やかなものであったと言って良い。金完燮(キムワンソプ)は、その著書「親日派の弁明(草思社)」のなかで、次のような適切な表現をしている。
 すなわち「欧米の植民地政策は、『牧場主が牧場を遠隔地に所有し、その収益をのみひたすら追求する』というものだが、日本のそれは『商店主が店舗拡張のために隣の家を買い求め、それを改築し商売を拡大する』というものである」と。極めて言い得て妙であると私は思うのだがどうだろうか。少なくとも韓国では、そう思っておらず政府は当該本を発禁本としているのだ。
 ただ、今回この本を読んで私は次のような新たな認識をした。
 日本とて、博愛主義ではない。朝鮮を単に育てようとしたのではなく、国益を基準として各種の施策をとった。上の例を踏まえれば、つまりは、商家としての利益をより大きくするために、(瘴癘の地であった)朝鮮にインフラを整備し、治安を安定化させ、国民に教育を与え、生活を向上せしめた。
 ただし、目的は、あくまでわが国益の増進である。したがって、我に優る生活環境になったり我を超えるほどの能力を持つことは許されなかった。例えば、後進地向けの安価な綿を作らせるが、より高級な付加価値の高い繊維製品は日本(内地)が担当する・・・などである。(これは、当時日本の紡績技術が極めて高度な英国を凌駕するほどの状態にあった(192p)ことからくる余裕であったかもしれない。この意味では、朝鮮は大変に幸運であった。)
 国益最優先というのは考えてみれば当然ではある。
 そしてその構図は今の世界にも当てはまる。
 国家のせめぎあいから成り立つこの国際社会。我が国益を追求することが当然であり、そうしなければ国が滅び、わが身が滅びるのだ。
 これまで、私は日韓関係を、どちらかというと善悪論(日=善、韓=悪)で捕らえがちであったが、そうではない。要は程度問題であるのだ。朝鮮を完全搾取の対象としていたのではなく、従属関係がとられていたのだ、とこの本は述べている。この点、金完燮(キムワンソプ)の比喩と一致している。

 「本書は米国で、アジア学会、歴史学会からそれぞれ権威ある賞を受賞し、高い評価を確立した(あとがき446p)」という。確かに、読むのが大変であるが、好著である「しかし、本書の完全な韓国語版は今まで現れていない(同)」という。さもありなん、それはこの本が好著であるからであり、それを韓国政府は認めているのだ。悲しいことだが。


 *当時の朝鮮を訪れた旅行家イザべラ・バードは「ソウルのみすぼらしさは言葉では言い表せない」と述べた。それほどの惨状であった。

 

☆最近読んだ本

16.12.16

瑠璃(るり)の翼/山之口洋/文藝春秋

 昭和14年のノモンハン事件を扱った小説である。
 主人公は、著者の祖父に当たる野口雄二郎陸軍中佐。
 97式戦闘機をかって、戦闘機部隊の指揮官として満蒙国境のノモンハン上空においてソ連空軍を蹴散らす。痛快小説ともいえるかもしれないが、著者が後書きで述べているように、きちんと史実を押さえてあり現代史の副読本として好著といえよう。
 事件勃発の当初は、満州国(バックに日本)とモンゴル(バックにソ連)による領土問題に関わる小競り合いであった。それが、日本とソ連との紛争に発展していく。支那事変もあり日米との関係もきな臭くなり、日本は不拡大方針をもって対応していたが、現地(関東軍)の独走あり政府サイドの対応不明瞭もありで、ずるずると拡大してしまう。
 戦闘も、航空戦闘は圧倒的優位のうちに推移するがジリ貧となっていく。一方のソ連は、例によって圧倒的物量をもって航空陸上ともに挽回していく。この差は、悲劇というか、大きすぎて喜劇的でもあるほどだ。
 まさに大東亜戦争(日米戦)の雛形をそこに見出せる気がする。
 結局は、残念ながら分不相応な戦いであったのかもしれない。トータルとしての国力の差がそこにあったということであろう。
 私は、戦うべきでなかったと言っているのではなく、むしろ立ち上がったその気概は、賞賛できるし誇るべきことであると思う。結果はともあれ当時は当時で最善の努力がなされていたのだから。
 ただ、今も厳然として存在する(主としてハード的側面での)この国力の差ををいかに取り扱うべきかという点に考慮を要する。国力の運用法である。外交力、政治力等々だけではない、「気概」である。厳しい国際社会のなかで戦い抜いていかねばならないからである。良し悪しではなくて、それが現実であるからである。
 まさに「気合だーっ」である。

 話が飛んでしまったが、本にもどって、面白いと思ったことを少し。
 ・この本では搭乗員の事を「空中勤務者」という。確かにピッタリの語感がある。当時からそうだったのでしょうか。
 ・部隊指揮官に課せられた使命は、勝利する事に尽きる。そのためのツールが戦闘機であり空中勤務者である。
 相互に破壊し合うという戦争の中で、戦闘機を高稼動状態に維持し続ける事は極めて重要である。このために、部品を多数確保しなければならない。通常は、必要時に伝票を切って内地に要望を出すことになっているが、野口中佐は本格的戦闘が始まる前から水増し請求したり、廃機から取り外したりして部品を蓄えるなどする。違法であるが、なにを優先すべきかということであろう。
 空中勤務者についても同様である。味方については損耗を防止し、敵については、見逃すことなく殺す。不時着した敵を、低空からあるいは一旦着陸して、殺す。私情を差し挟んではならないということの極端なケースである。

 

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16.12.1

中国宣伝部を討伐せよ/焦国標/草思社

 話題作にしては、琴線に触れない作品であった。
 内容は中国における「閉ざされた言語空間」を告発する、というもの。

 日本では終戦直後、連合軍の占領期に宣伝工作及び検閲等による言論統制が大々的にかつ隠密裡に行なわれた。巧妙に行なわれたために、また敗戦の衝撃と食糧難から、我々はそれに対抗することなく、なされるがままの体にならざるを得なかった。実は、それが戦後60年に至る今現在においても、日本の社会に極めて色濃い影を落としている。
 それはさておき、中国では、このように巧妙なやり方は必要がなく、実にあからさまに言論統制と宣伝が行なわれていることが良く分かる。13億の民の中には、これをあるべからざることとの思いを持つ人々がいるし、その数は増えつつあるのだろう。だからこそ、中国政府はますます言論統制と宣伝活動を強めているのだ。
 誰であったかインターネット上にも書かれていたが、中国は数十年にして政権が交代する。これが常態なのである、と。
 従って、中国は今、崩壊あるいは分裂への航路上にオンコースであるといってよいのかもしれない。

 それにしても、この本を読みつつ思ったのだが、著者であるこの助教授、中央宣伝部を口汚く罵るだけなのには辟易する。今のこの状況を非難するのみで、なぜそうなのか、だからどうしたらよいのかという視点が薄いように思われる。
 中国宣伝部の向こう側にいる中国共産党がその諸悪の根源であるのだが、そこまで踏み込んでいない。更に大きな恐怖があるのか、それとも例の指桑罵塊(しそうばかい;桑を指して塊(えんじゅ)をののしる;本命に対して直接的ではなく関係のないものを媒介にして婉曲的にその本命を攻撃すること。)の手法なのか?
 もうひとつ。
 教科書誤報事件(1982、教科書の記載について文部省が『華北への「侵略」とあったものを「進出」に書き換えさせた』というもの。朝日新聞がその火種だった。)に関して、この誤報を信じている。つまり、中国の学者までもが「文部省は、中国侵略の歴史を改竄した」と思っているのである。
 あ・き・れ・る。
 情報操作の成果、ここにあり。

 

☆最近読んだ本

16.11.26

真珠湾の真実/R.B.スティネット/文藝春秋

 大東亜戦争、日本は通信諜報に負けた。
 実はアメリカは、今も同じ考えを持って、それを実行している。
 いわゆる情報優位だ。エシュロンによって世界中を流れる通信を聞き、あるいは読んでいる。また偵察衛星や無人偵察機で常にあるいは必要時に上空から世界中を見ている。アメリカがスーパーであり続けるるゆえんはここに発する。

 この本のもう一つのキーワードは、マッカラム少佐により作成された「マッカラム覚書」という、日本を日米戦に引きこむための方策(八項目)であろう。1940年10月に作成され、開戦に至るまで着々とこれが実行に移された。つまり、最初から、アメリカは日本を真珠湾に導きいれようとしたのだ。
 ルーズベルトは、あの邪悪なドイツを叩き潰すと言う大儀を掲げていた。そのために、日本に第一撃を打たせようとの作戦を立てた訳である。そして、いわば裏口から参戦を果たす。その作戦の筋書きが「マッカラム覚書」であった。
 そしてアメリカは、通信諜報能力を駆使して、日本の外交電報および海軍電報を数時間後から数日後には解読し、日本の動きを全て読み切りながら、その筋書きを実行していったのだ。 
 ただし、これを知らされていなかった2人の高官がいた。
 太平洋艦隊司令長官のキンメル大将と米陸軍ハワイ部隊司令官ショート陸軍中将」である。
 2人はかやの外に置かれたまま日本海軍の攻撃を受け、そのあげく、降等されてしまうのである。
 そして、戦後は徹底的な隠蔽工作が行われ、以上の一連のことは隠されてしまうのである。
 
 米国民は再び戦争をしないためにルーズベルトを選んだ。アメリカの意思は不戦にあった。それを、ルーズベルトが逆に舵を切ったのだ。
 なぜ。
 悪辣なるドイツを阻止し、朋友たる英国を救い、勃興する有色人種の日本を潰し、支那に足がかりを作っていく・・ということに己の使命を見出していた?

 いずれにせよ、アメリカは日本を追い込んで行き、情報優位を確保しつつ、確実に息の根を止めて行った。これは事実である。
 今、全面的に日本が悪かったとされている。しかし、戦争において一方のみに「全責任」があるはずはない。少なくとも「過失割合」がそこにはあるはずであり、その割合の多くはアメリカにある、とこの本は言っている。

その他、興味を覚えたことなど。
・米軍はモールス符号をオシロスコープで観測し、個艦識別をやっていた!
 また、オペレーター個人の識別もやっていた!120
・ヒトカップ湾から真珠湾北方へ接近する我が連合艦隊の位置は連続的にフォローされていた。方位測定サイトは太平洋に21箇所。交差方位法が容易に行われていた。ただし、元オペレータが記憶によってプロットを再現したという図はちょっとおかしい。多分嘘ではないか。あまりにもきれいに航跡が出来上がっている。種々の問題からこうなるはずはない。
・南雲中将以下電波封止が守られていなかった。(左近じょう先生の意見と異なるが、この本の多くの例証からするとやはり守られていなかったのではないか。)
 そして、南雲艦隊のハワイ接近に伴ってハワイ北方海域への連合国艦船の通行が禁止された。ハワイ接近が容易になるようにするためである。256

 

 

 

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