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☆最近読んだ本
16.7.27日本国の研究/猪瀬直樹/文春文庫
 筆者は作家であるが、最近、道路関係四公団民営化推進委員会委員などとして活躍中。この分野での活動の原点となった本のようだ。内容自体は、文藝春秋に1996に連載されたもので、やや古いが、根本の問題は今も全く変わっていないのだろう。
 詳しい内容は、この本に譲るとして以下、感想。

 この荒廃を突き詰めると、公の精神の欠如ということになるのではなかろうか。
・赤字(特例)国債と建設国債の発行、運用。
・国債財政投融資の存在。
・公益法人、財団法人、特殊法人の存在と関係省庁の関係。
等など・・・、あれが悪いこれが悪いと厳しい指摘がなされているが、それらは表面の現象であって、要はこれらを運用する関係者、とりわけ所管省庁の公務員と、いわゆる族議員の精神の貧しさが第1の原因なのではないか。
 彼らによって、日本国の放漫経営がなされたのだ。そして、巧妙かつがんじがらめの悪しき制度はしっかりと存続し、上記の悪人達をしっかり保護し続けている。JRの例を除き、改革ははかばかしくない。奉公の精神が希薄で、ひたすら私を求める指導的立場の人々が多すぎた。

 その原因をなんでもかんでも、東京裁判史観に求めるのは少々乱暴かもしれないが、日本は、戦後のあの時(連合国による占領期間)を境に大きく変わってしまった。長い年月をかけて培った良き価値を弊履の如く捨て去り、誤った価値を押し戴いてしまったのだ。
 組織や制度の改革も必要だが、この根本的な課題の解決なくしては真の解決は無いと思う。

 

☆最近読んだ本
16.7.15わかりやすい文章のために/本多勝一/すずさわ書店

 「ことば」について興味があり、「わかりやすい」というテーマの捕らえ方に共感を覚え、読む事にした。この著者は、ずばり言って「国賊」なのだがそれは一応置いて我慢して読んだ。
 内容は、文章技術の解説書であり次の3点がポイントになっている。

1 文章は読む側にとってわかりやすいことが到達目標の全てである。
 全く同意。伝わらなければ意味が無いからだ。(別のところで書くつもりだが、わかりにくさを目標にしているのではないかと思えるのが大江健三郎。)

2 言葉のかかり方に留意せよ。
 (1)長いほうを先に置く
 ○;青い/透明な/古色蒼然とした「コップ」
 ×;古色蒼然とした/透明な/青い「コップ」
 コップという言葉に対する3つの装飾語の関係であるが、たしかに前者が読みやすい。
 そのほか、
 (2)句・連文節を先に置く、(3)大きな状況を先に置く、(4)親和度(なじみ)のある言葉をつなげる。
 など、を留意しなさいという。

3 テンの打ち方の原則
 (1)述語にかかる長い修飾語が2つ以上あるとき、その境界にテンを打つ。
 (2)2の原則が逆になるときにテンを打つ。
 (他は「ならぬテン」です、という。)

 私は、テンは息継ぎのしるしである(学校で習った)とか、読み間違いや読みにくさを避けるためと考えておりまして、テンを多用しておりました。テンの打ち方について意識はしていたものの、どうも自信がなくこの点勉強になりました。著者が言うように、国語の時間にこのような技術論をちゃんとならった覚えがありません。この点については著者に同意します。国語の先生方、勉強不足。

 さて、著者の本多勝一氏は朝日新聞特派員としてルポルタージュなるものを沢山書いています(この本の巻末でも対談をして、そのことをとくとくと語っております)。ただ、そのスタンスは大変に左に偏っているばかりでなく、内容もひどくでたらめなのです。その最たるものが「中国の旅」という本でありまして、日本を悪し様に言う現地中国人の発言をそのまま活字にしているのです。責任あるジャーナリストとして行うべき検証行為は一切無しです。其の点を責められると、「私には責任は一切ない、私は発言を忠実に記録しただけだ」というのです。(出典は残念ながら失念)そして、この本は相当売れ、反日日本人の育成におおいに貢献しました。
 つまり、朝日と同一線上にある国賊です。
 それで私は冒頭に記したようにこの本を読むのをためらったのですが、一応通読し、技術的部分について参考にすることにします。でも、この本の1/5を占めるだらだらした対談の部分を読むに付け、また上のような凶状を考えるに付け、全体がなんとなく信用ならないなぁ、という気持ちが拭いされません。
 一応参考にすることにします。
 そして、本は我が家からは去ってもらいます。もともとそのつもりで古本屋で買ったものですし。

 

☆最近読んだ本
16.7.12調子っぱずれ/山岡雅義/航空自衛隊連合部会機関紙随筆
  著者は、航空自衛隊のOB。
 いわゆるなつかしのメロディのようなものに、良い意味での刺激を感じなくなったそうだ。

 最近の音楽では、不純音を上手に混ぜていると言われる。つまり濁った音の組み合わせ方がうまくなっているのだそうだ。本当は「調子っぱずれ」なのだが、上手く外してあるので心地よいということなのだそうだ。確かに、一昔前の歌もそれなりに良いのだが、刺激という点ではかなり不足しているように思える。

 ここで、エラ・フイッツジェラルドの例が出される。私も好きな歌手である。アドリブのスキャットは実際ぞくぞくする。(一説にアメリカの美空ひばりという例えを聞いたことがある。)
 そして山岡氏の説明は、ここからが良い。
 評論家の先生方は彼女は魂で歌っているなどというがそんなことはない。音楽で使われる音には厳格な約束がある。約束を外せばそれは雑音になる。そうなると、もう音楽ではない。ところが彼女は原則を外しても聴衆に理解して貰える限度を知っており、聴衆の理解度に合わせた音の外し方をしているのだ。つまり、原則から逸脱しないように注意しながら外している。
 
 実は、芸術の世界にはこれが多い。詩歌、小説、絵画・・・。いずれも常識と感じている線から少し外しているのが良いのだ。でないと心の琴線に触れない。
山岡氏は更に、この「外れ」を狂気というエネルギーの話に押し広げていく。そして、狂気と言われるくらいに「外れ」ないと、良い仕事は出来ない、と言う。

 最後の部分はちょっと横に置くとして、「原則の範囲から理解の得られるぎりぎりまで外す」という捉え方は大変に面白い。

 

☆最近読んだ本
16.7.8人生後半のための知的生活入門/板坂元/PHP文庫

 所用で電車移動をするので、本棚から薄手の文庫本を取り出したのがこれ。エッセイ集である。
 内容は、薄い。ほとんど共感を覚えなかった。
 理由は、結局、自分のことを高見から話しているという内容になっているからだ。エッセイというのは、こういう意味で難しいのかもしれない。
 ただし、少し琴線に触れたフレーズがあった。
・過去に取りすがることもタブーだが、いたずらに将来について思いわずらうことも禁物だ。ひたすら現在の生き方に全力を振り絞ることが大事。
 葉隠れに「端的ただ今の一念に候。一念々々と積みて一生に候
・チャーリーチャップリンは「あなたの作品のベストは」と問われて、「ベストは次作だ」といつも答えていたという。
 上の記述以外は、どうも、受け付けられなかった。この本も、古本屋に行ってもらうことに。

 

☆ひとりごと
16.7.22ちゃんねる/西村幸祐/正論16年8月号
 正論8月号所載の論文「『2ちゃんねる』を目の敵にし始めた朝日、岩波の焦燥」を読んで認識を新たにした。
  この論文は、例の長崎県佐世保市の女子小学生殺人事件を受けて掲載されたもの。

 ネットを使用する子供がリアルとバーチャルの使い分けにうまく適応できずに、あるいはネット上の会話に自分の生(き)の部分を包むことを忘れ、不幸な状態に入って行ってしまった。ただ、単純に全ての罪をインターネットに押し付けてはならないが、危険性をはらんでいることも見逃せない。何事もそうだが、諸刃の刃(やいば)である。危ない部分(性、暴力、など)を適当に覆いながら使わせる。最初から、便利なもの、楽なもの、応用的なものを与えないなどという配慮も必要だと思う。

 さて、2ちゃんねるは、便所の落書きもといわれる(筑紫哲也が言ったらしい)。言い得て妙、私もこのような感じをもっていた。
 しかし、この論文を読み、認識を新たにした。
 2ちゃんねる内は玉石混交、それも大量の玉と石である。この中から玉をつかみ出す見識、ウソを見抜く眼力があれば、真実(にかなり近いもの)が得られる。ということのようだ。
 このように、真実(にかなり近いもの)を、容易に取り出せるという点が、朝日、岩波などの左翼系メディアにとって大きな脅威になっている。つまり、これらの左翼系メディアは、真実でないことを流し、ある種恣意的な方向付けをしようとしている。これに対して、かってサイレントであったマジョリティがネットという拡声器よりもはるかに大きな器材を手にして声を出し始めた、ということであろう。
 たしかに、この論文に例示してある、話題や書き込みの例を読むとなかなのものがある。

 しかし、実際に2ちゃんねるのページに行くと便所のらくがき風のものが多くてやや辟易する。一方、「拠点サイト」というのがあって、しっかりした人が管理しているものであれば、そういうことはないようだ。
 でも、やっぱり、若い人でないと根気よく処理していけないように思える。
 肉体と精神の衰えを感じます。

 

☆最近読んだ本
16.7.1海の邪馬台国/邦光史郎/詳伝社ノン・ポシェット

 副題「三内丸山遺跡が古代史の定説を変えた」に惹かれて読み出した。
 八戸に住んでいたとき、現地を見、関連の本(学生社刊「三内丸山遺跡の復元」大林組)を読んでいたのでこの本は期待をして読んだが、内容はほとんどパンフレット状態。
 ただし、ラグーンが生活環境の好条件になっていたという記述は目新しかった。他は×。
 この著者は、邪馬台国に関する研究をやっているようだが、そのアプローチの原点は例によって魏志倭人伝!。あかん。
 たとえば、
 176pに「そうなると、『古事記』『日本書紀』の記述がどこまで正確か怪しいものである。ところが、もし同じ出来事と人名の記録が、中国側の歴史書に書き残されていたら、これは、もう十中八九、事実だろうと認めざるを得ない」など、と言う!古事記、日本書紀に対するこの否定的な態度は一体何か。易姓革命を旨とし、東夷のことなどどうでもよいというスタンスで書きなぐられた紙切れをあがめ立てるその態度は一体何か?と、大声を上げたくなる。
 187pでは「(魏志倭人伝は)矛盾だらけのガイドブック」といいながら200pでは「いかに里数の矛盾を克服するか」とのたまう。コリャなんだ?
 この本は、古本屋に行ってもらうことにした。久々のお粗末本。
 ただし、大林組の本「三内丸山遺跡の復元」は、面白かった。こちらはお勧め。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4311202156/3w-asin-books-22/250-6446419-2821029

 

☆最近読んだ本
16.6.22
ソバ屋で憩う/杉浦日向子とソ連/新潮文庫

 杉浦女史は、NHKの「お江戸でござる」の最後のコメンテーターとして出演していた、あのお方。江戸風俗研究家、マンガ家。
 前書きで、この本はソバをあれこれいう本ではなく、大人として蕎麦屋という空間を楽しむ本なのだ、と。ゆったりと人生を楽しみましょう、という。ほんとにそうだ。
 なお、ソ連というのは、次によるとのこと。これもまた、面白いですねぇ。

 「二百年前、世界一の百万都市だった江戸の街には「連」と呼ばれる市民サークルが、泰平の華と咲き乱れた。「連」は、利害関係のない同好の士によって構成されたリベラルな集まりで、職業身分年齢性別の全てを超えて成り立つ。それは、釣り、囲碁将棋、歌舞音曲、素人芝居、盆栽、俳諧、陶芸、書画など、多種多様な道楽を、個人で楽しむための装置として機能した。1991年、ソバ屋でのリラクゼーションが自分の道楽だと気付いた時点にソバ好き連ことソ連が芽吹いた。・・云々。」(ついでに、ソバ屋で憩うは、A列車で行こう、のノリだそうです)

 この本によると、蕎麦屋でのパターンは、午後の店が空いているひと時に、焼き味噌などのつまみでお酒を一杯やりながら、そばを手繰る、・・というもの。毎日やりたー。
 また、「悦楽の名店ガイド」と称して101軒が地図入りで記載してある。私、上のパターンで踏査してみたいと思います。

以下、薀蓄を少し転載。
・もともと、もりとは「皿盛り」の略で。ソバ切りの初期の姿だった。このときソバ猪口はなく、盛った皿ソバの上からつゆをかけ回した。江戸のころのソバ屋は、小あがりだけでテーブルはない。皿を持ち上げれば、つゆがこぼれるから前かがみに突っ伏して食した。だから、若い娘はソバ好きでもなかなか注文できなかった。・・・。次にソバの水切れをよくするために、ザルに盛るかたちがあらわれる。ザルにつゆをかけられないから、つゆ専用容器(ソバ猪口)が登場する。ザルがのりかけぞばになるのは、明治10年以降のことであり、ザルに盛ったからザルなのである。
おしまいにセイロだが、当初ソバは、菓子屋の片手間につくられていたことに由来する。・・・。セイロでソバ切りを蒸した「熱盛り」が原点だが、後、冷たいソバをセイロに盛りつけたものも、セイロと称した。

・(小麦粉の配分について)九一外二(そとに)二八。(外二って知ってました?表現が面白い。)

 

☆最近読んだ本
16.5.26戦後歴史の真実/前野徹/経済界

 内容は、日本の様々な分野で噴出している害悪の根源がいわゆる東京裁判史観にあるとする論調で書かれたもの。
 体裁は、巻末に掲げられた参考文献の集大成。分かりやすくまとめられている。
 ただし、「中国、韓国に対しては明らかに侵略行為であった」という記述については全く同意できない。中国との間には戦争ないし事変があった。中国共産党が日本を引きずり込んだという見方が有力である。また、韓国については、植民地にして悪政を行ったとの言説もあるが、世界各国の同意のもとの併合であり、むしろ良政が行われた。確かに戦闘の場所が、両国領域内にあったことはあったが、その感覚で侵略という言葉が、世の中で安易に使われているような気がする。
 そもそも日本国民が、不用意に「侵略した」などと言ってはならない。祖先に対する愛情の不足である、と思う。また、弱肉強食の国際政治の中での油断である。

たまたま、ネットで知った次の一説を掲げる。「歴史と文学(小林秀雄)」からの抜粋。

 歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念といふものであって、決して因果の鎖といふ様なものではないと思ひます。それは、例へば、子供に死なれた母親は、子供の死といふ歴史事実に対し、どういふ風な態度をとるか、を考へてみれば、明らかな事でせう。母親にとって、歴史事実とは、子供の死といふ出来事が、幾時、何処で、どういふ原因で、どんな条件の下に起こったかといふ、単にそれだけのものではありますまい。かけ代えのない命が、取り返しがつかず失はれてしまったといふ感情がこれに伴はなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。
(以上、引用終わり)

 この本で得たこと。
・「保守」の概念について解った。本書では、次のようにいう。(232p)
 戦後、数年の間は、今でいう革新勢力は「進歩的」という表現が使われていました。進歩的な人々と保守的な人々という分け方です。日本の伝統を守ろうとする立場が「保守的」で、GHQのもと進められた労働組合運動、非軍事化などを支持する立場が「進歩的」です。しかし、この区分は・・冷戦下、微妙に変化し、マスコミによって、新米路線を取る政府与党を支持する人が「保守」で、これに反対する親ソ派を「革新」というといった定義づけをし、・・これが流布されてしまった。
 保守は、世界史的にみれば、エドマンド・バークに始まる思想です。フランス革命後の恐怖政治を嫌ったバークは、伝統的な制度のよさを残し、急激な変化を抑制して法と秩序を重んじるべきだと主張しました。これが保守の思想として伝えられ、今日では思想的自由と市場原理を守る勢力を保守と呼ぶようになりました。これが本来の保守の原理であり、頑固な守旧主義ではありません。
 戦後、マスコミは、「保守」と「革新」を取り違え、誤報し続けてきました。時代に合った政策や方法論を導入したり、正しい方向への修正を「保守」という言葉で非難し、「革新」でもなんでもない、ただ変化には反対という守旧主義者を「革新」といって、さも進歩的であるかのように称し、もてはやしてきたのです。(以上、引用終わり)
 →腑に落ちたのは、以前に読んだ、高崎大学八木秀次氏の論調と同じであったからだ。そこでは、「保守」という単語は用いられていなかったが、まさにこれであったのか。
 よき伝統、よき歴史を護り継ぐという考え、といったところか。とすれば、いわゆるアフリカ諸国の一部の新興国など守るべき伝統や歴史のないところでは、この考えは当てはまらないのだろうか。このようなところでは、単に現体制の維持ということになるのだろうか。 新たな疑問。

・「小善は大悪に通じ、大善は非情に似たり」(226p)
 目先の心地よさは、将来を誤るということ。良い言葉です。
 今のマスコミ、大方の政治家の言動がまさにこれだ。吉田茂の単独講和、岸信介の日米安保改定、・・・(政治家としての)高い見識と実行力。

 

☆最近読んだ本
16.5.21大本営が震えた日/吉村昭/新潮文庫

 出張の時、バッグに突っ込んで、移動の途中に読んだが、一気に読了。大変面白かった。
 今では、常に非難の対象となっている当時の陸海軍指導部ではあるが、それなりに相当の苦労をしながら、まさに薄氷を踏む思いで米英に立ち向かったのだ、ということが良く伝わる作品。
 
 内容は、大東亜戦争において、開戦決意(12.1御前会議)の前後からハワイ作戦及び南方作戦の開始までの数日間、大本営における薄氷を踏むような日々の状況がつづられている。
 緒戦の状況としてはハワイの奇襲作戦が華々しい。しかし、南方マレー方面への上陸作戦もまた奇襲大作戦であったのだ。なにしろ、上陸部隊を大船団で輸送し、宣戦布告にタイミングを合わせて上陸を開始させなければならない。このころには、イギリス等もぴりぴりしていた。宣戦布告は未だなされていなくとも、火蓋が切って落とされてもおかしくない状況であったのだ。ハワイ作戦ももちろん同じ。択捉島ヒトカップ湾に密かに終結し、密かに出航・移動、そして一気に攻撃。この間、発見されれば奇襲にならない。
 このような、緊迫の中で、開戦時の作戦命令書(の細部要領?)を書いた文書を運ぶ日華航空DC−3上海号がシナ軍の勢力圏内に墜落する。この文書が敵の手におちれば、一大奇襲作戦は水泡に帰する。このあとの、スリルとサスペンス・・・・。生存されていた当事者へのインタビューが元になっているので、真に迫った筆致、大変面白い。

 これを読むと、日本が侵略戦争をしたなどというのはウソだというのがよくわかる。基礎体力のない日本が、何とか勝つためにはこのような奇襲が必要であったのだ。やむを得ず立ち上がらずを得なかった状況の中での選択であった。こんな危ない橋を渡りながら侵略などを企画するものか。
 しかし、この作戦、よくこれだけのことをやったものだ、と思う。まさに命運をかけた計画。基礎体力の不足を智恵と犠牲的精神と天の加護で突破してしまった。緒戦、成功をしてしまったのだ。
 でも、これが逆に不運の始まりだったかもしれない。緒戦の勝利を繋いでいくことが出来なかったのだ。結局は、基礎体力の不足だったのか。
 それでも、その必死の精神には敬意を表する。

 さて、ハワイ攻略の際、南雲艦隊では無線封止がたびたび破られ、そのためにアメリカの無線局に方位測定され、その行動は逐一海図上にプロットされていたという(「真珠湾の真実」)。この辺の経緯について海上自衛隊の雑誌を舞台に論争が行われたので、早速読み返して見たい。

 

☆最近読んだ本
16.5.10日本はなぜ旅客機をつくれないか/前間孝則/草思社

 仕事の参考にということで、会社の同僚に勧められて読む。

 次期哨戒機(PX)及び次期輸送機(CX)の開発終了後に、両者の設計技師及びノウハウを生かして2003から5年間で30〜50席の小型ジェット機を、官民共同により開発、試作の計画が進みつつある、という。したがって、本書の表題の問いに対しては「つくれる」ということが筆者の(希望的)結論のようだ。(※)
 ただし、過去の航空機産業の状況というのは本書によればお寒い限りである。官側の無節操(大東亜戦争時の陸海の争いから始まる)と、実はあまり技術力のない民側、という図式である。
 また、アメリカのごり押しの強烈さも大変なものだ。ただ、技術面、経済面の一人勝ちをし続けようとするアメリカの国益上は当然といえば当然である。そのようなかで、勝ち上がっていかねばならないのだが、国益というものに対する意識の低いわが国の状況を省みれば、先は暗い。
 このことが、端的に現れたのがFSXであった。
 特に、ことは国防の尖兵である戦闘機。アメリカも過敏にならざるを得ない。だが、それ以前の問題として、わが国の軍事技術は意外と弱いのだ、と筆者は言う。でも、結局は、国益というものを意識できずに、技術力を高めていくに必要な開発工程に対して十分な予算を与えない日本国(民)の問題に帰するのではなかろうか。

(※)産業構造審議会航空宇宙産業文化会航空機委員会の下、小型旅客機開発事業推進委員会なるものが開催されており16年4月19日はその第2回であった。(航空と宇宙。2004.5月号)