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☆ひとりごと | |
18.8.5 | 靖国の喧騒はこの夏で終わり? |
あと10日で、終戦記念日(正確には停戦日)が巡ってきますが、お約束どおり朝日を始めとする左巻きのマスコミが徐々にヒートアップして参りました。 今朝の新聞で、安倍官房長官がこの4月15日に官房長官の名前で靖国を参拝していたと伝えられております。それに対して、朝日などがとやかく言っておりますし、おなじみの加藤紘一、山崎拓が「けしからん」等と申しております。しかし、かってのような世論の反応はありません。つまり、国民は既に答えを出しているのですね。「靖国参拝いいじゃないか。当たり前じゃないか。よその国にとやかく言われる筋合いはない」と。 さて、そんな中、今朝のテレビで小沢一郎が次のようなことを言っておりました。 本当に度し難い人物です。 ※ ちなみに、Cの松井岩根大将はA級(正確にはA項)「平和に対する罪」ではありませんで、BまたはC項「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」です。 | |
☆ひとりごと | |
18.7.21 | 昭和天皇 A級戦犯合祀に不快感? |
衝撃的なニュースが流れました。 元宮内庁長官の富田朝彦氏(故人)が、残したメモ(63.4.28付け)に、天皇陛下が昭和50年11月以降、靖国神社を参拝されなくなった理由が記されているということです。日経新聞のスクープでした。 | |
メモでは、 | |
☆ひとりごと | |
18.7.17 | 我が子を殺す |
秋田県の豪憲君殺しの畠山鈴香容疑者が長女の彩香ちゃんの殺害を自供したそうです。 | |
☆ひとりごと | |
18.7.6 | めぐみさんは生きている(映像の力) |
横田めぐみさんの夫とされる金英男氏家族と金氏の母・姉との面会の様子(6月28日)、金氏とヘギョンさんの記者会見の様子(6日)がテレビ放映されました。これらを見るにつけ、横田さんご夫妻をはじめとする拉致家族の皆さんへの同情の念で心が痛むとともに、金正日への憎しみの気持ちがこみあげてきまして、(この私でさえ)金正日を殺してやりたいような衝動に駆られます。 めぐみさんは、確実に生きています。そして日本の救出をまっています。 | |
☆ひとりごと | |
18.6.28 | 伊藤若冲 |
伊藤若冲(じゃくちゅう)は、江戸時代中期の画家です。1716年生まれ、1800年に85歳で没します。当時としては大変長寿でした。絵を描き始めたのは20代終わりごろからだそうですから、晩成タイプの画家だったようです。そういえば、葛飾北斎も長生きしていまして、90歳まで生きています。北斎も20歳〜90歳の間絶え間なく作品を作り続けています。 | |
☆ひとりごと | |
18.4.10 | 踏み絵としての靖国(小沢代表発言に関連) |
民主党は、小沢一郎を代表に選出しました。 さて、一般的に捉えられているA級戦犯とは、東条英機のことだと思われますが、その評価は分かれています。東條元首相には、いまも蔓延しています官僚的な側面も強かったようですが、国を想う気持ちも当然大変に強かった。あの極東国際軍事裁判での態度、陳述は見事なものでした。それを、こういう方々は、なぜ我が先人として素直な(好意の)眼で見られないのでしょうか。 私は、「靖国」は、特に国会議員に対して非常に良い踏み絵になっていると思います。 我が国は今、乱れていると総括してもよい状態になっていますが、最近、このように靖国問題がいつもマスコミの話題に登るというのは良い兆候ではないかと思っています。というのは、日本人がこの問題は非常に重要な問題であるという意識をもっているからだと思うからです。 | |
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18.3.27 | 小野田寛郎講演会 |
小野田寛郎陸軍少尉は、昭和17年12月兵として入隊。18年9月幹部候補生。昭和19年9月陸軍中野学校に入校され、同年12月にはルバング島に派遣されています。 小野田さんの話によると、任務として与えられたのは「後方撹乱」だったそうです。日本は中国大陸で戦闘を続け、米国の厭戦を誘う。これに呼応するようにして小野田少尉はフィリッピン方面(ルバング)で活動し後方の撹乱に当たれ、というものです。そのために「とにかく生きよ」ということであったそうです。 小野田さんがルバング島上陸直後第1に考えたことは、補給のない長期作戦ですから、この間に食料を安定的確保できるようにすることでした。放牧中の牛を射殺して乾燥肉を作り、島内に分散して隠しておくということを繰り返したそうです。食料に限らず物を分散したのは、拠点を作らないということだそうでして、それは攻撃されにくくするためです。従って、常に移動する生活を続けたわけです。 次の大きな問題は被服でした。5,6年経つと服も腐ってくるのだそうです。そこで被服を、(林業?)作業員から取ることにしました。銃撃で脅して、逃げたところで着替えを奪ったそうです。そしてその奪った被服を活動し易くするために改造します。裁縫用の針は持っていたそうですが、錆びて腐ってしまって使い物にならず、新しく作ることにしました。まず、たがねを作ることから始めました。また、焼きの入れ方も難しくて何本か失敗した後、その加減を把握することが出来、やっとの思いで1本出来ました。そして、この習熟した技術をもって、一気に9本の針を作成しました。 フィリッピン軍の記録によると、軍(討伐隊)の出動(交戦)回数は133回。これを30年で割ると年4回にあたります。3ヶ月に1回の割りで銃撃戦をやっていたのです。 そこで、任務を全うするのに銃弾の数量が極めて重要になってきます。大事に使わなければなりません。では、年間どのくらいの使用量にすべきか。小野田さんは、食料の確保の際の肉塊の運搬などの負荷から考えて、この任務は60歳が限度と考えました。従って、銃弾数を60歳までの年数で割って、1年の使用量を50発と定めました。ただし、弾薬の長期保存は湿気などでだめになりますから、時に炸薬を乾燥させるなどの作業を行ないました。好天の日の数日をかけて、約2000発の弾丸からひとつひとつ炸薬を抜き出し、これを天日に乾燥させるという気の遠くなるような作業です。しかも、作業中を軍に襲われると大変なことになりますので神経も普通以上に使います。 小野田さんの任務は後方撹乱です。この任務の達成のために、自分たちが存在しているということを示す必要がありますので、そのために銃撃戦をしたということのようです。この際、定期的に同じような場所で行動することのないように、不規則さを維持するようにした。このため、暦を頭の中でつけたそうです。頭の中に記憶させたのは、記録を残さないようにするスパイの常識です。そして、これを30年間続けて、誤差は6日だったそうです。 また自分達の安全をより高める為に、自分達が活動するエリアに入って来る者に危険を感じさせるようにしたそうです。この結果、民間の住民などはこのエリアに入ってくる際には大声を出しながら入って来て、不時の遭遇を避けるようになったそうです。一方、討伐に来る軍隊などは、静かに入ってくるのでこれは要注意ということになります。 以上のように、小野田さんは、自分に与えられた使命を元にして、具体的になにをどうすべきかを合理的に導き出しているのですね。その思考力と実行力がすごいと思いますね。たいしたものです。
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☆ひとりごと | |
18.3.15 | 九州国立博物館 |
大宰府に昨年10月に開館した博物館です。 | |
☆ひとりごと | |
18.3.13 | 長崎歴史文化博物館 |
長崎という地域的特性を活かした大変良くできた博物館でした。 | |
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博物館の展示は、CGによる適切な説明と組み合わせられて分かりやすい内容でした。 長崎という非常に特殊な地域のことが良く分かり、それを踏まえて当時の世界の様子が分かるようになっています。(自国のことが分かれば世界が分かるという好例であると思いました。) 長崎奉行所は、いわば霞ヶ関の出先機関のようなもので、外務、通産、防衛、総務などについて強大な機能をもっていました。奉行は、1年交代で江戸から派遣されており、幕府目付け役などから充てられたようです。 主たる機能は、貿易管理、キリシタン対策、裁判などであったようです。(裁判記録など、キッチリした文書が残っています。この記録を通して、当時の人たちの生き生きとした生活(それも、悪い部分)が分かります。要は、今も昔も人間性は同じ、ということです。) 非常に面白いと思ったのは、奉行所の下部組織として長崎会所という貿易担当部署が設けられていて、対外貿易を独占的に管轄していたという点です。最高責任者は長崎奉行でしてその下に各種役職の役人が配置され、組織の末端には長崎市民(町民)が連なっていました。 つまり、イメージ的には長崎会所を中心として長崎の町全体(当時人口6万)が一つの会社のようになっていたのです。 町民は、必要の場合使役にかり出されますが、その代償として年に2回各戸に対して、その家の格などに応じて現金が渡されています。今のお金で数万円のレベルであったようです。 一応、代償として支払われているようですが、いわば貿易で得られた利益の分け前のようなニュアンスがあったような気がします。長崎では、おくんちという派手派手のお祭りがありますが、これらのお金を元手にして行なわれたそうです。すなわち町全体が潤っていたということのようですね。(坂本竜馬は長崎で海援隊という会社を設立しますが、長崎のそういう雰囲気の中に居たので、そういう発想がでやすかったのではないか、と思った次第です。) いずれにせよ、大変良くできた博物館です。 復元された奉行所は新築間もないのですが、あと5年10年すればいい雰囲気になるのではないでしょうか。(ただし、2006年に復元したという点はしっかりアピールしつづけなければなりませんよ。中韓には、その辺をあやふやにしているところがあるようです。) | |
☆ひとりごと | |
18.3.12 | ALWAYS 3丁目の夕日 |
久しぶりに映画を見に行きました。
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☆ひとりごと | |
18.3.7 | 昭和天皇の戦争責任 |
唐突な話題ですが、昭和天皇の戦争責任にについてです。 <メール引用開始> このメールを見て、私の話を真剣に聞いて貰った嬉しさと、やはりこういう状況があるのだという複雑な気持ちを味わいました。 森○さん、あなたの理解のとおり、天皇には戦争責任はありません。 終戦の御聖断は、天皇が行政権を直接行使したのではないか、という質問があるかもしれません。しかし、これはいうなれば「戦争終結か継続かの判断の全てを天皇に委ねます、という内閣の決定」に対する陛下のお答えだったのです。その証拠に実際には御聖断の後、直ちに閣議が開かれ、会議の結果(ポッダム宣言受け入れ)を政治プロセスに乗せているのです。よくある誤解ですが、陛下が絶対君主のようにしてあらゆる物事を決定していた訳ではない、ということです。 一方、開戦時の状況を見ますと、陛下は最後まで開戦に反対でしたが最終的には内閣の決定に従われました。(陛下が御前会議の席で、開戦反対の意思を明治天皇御製「四方(よも)の海 みなはらから(同胞)と思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ」を二度読み上げられたというのは有名な話です。) もし日本が専制(又は絶対)君主制だったなら、責任は君主にあるといえるのでしょうが、日本は、帝国憲法下でも立憲君主制だったのです。つまり、戦後よく言われるような"天皇絶対"といったものではありませんでした。欧米の歴史家の間では、もし「日本の天皇制が絶対君主制であったならば、対米戦争は逆に起こらなかっただろう」とさえ言われています。 なお、ここ(昭和天皇独白録を読んでの私の感想)に書いていますとおり、大事な局面で天皇陛下の御指導があったと思いますが、それは、いわゆる天皇責任論にはならないと私は考えます。
<引用開始> マッカーサーは、天皇が訪問されたとき、玄関に出迎えませんでしたが会談後は抱きかかえるようにして玄関までお送りし、お見送りをしたそうです。
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☆ひとりごと | |
18.2.25 | 黄昏のビギン/ちあきなおみ |
偶然ですが、今回は、3回続けて女性にまつわる感動についてです。 今回は、「ちあきなおみ」です。 皆さんには、なんとはなしに耳に残っている歌というのがありませんか。 私は、数ヶ月か数年前・・・、黄昏(たそがれ)のビギンを耳にしまして、ずっと気になっていました。 歌っているのは「ちあきなおみ」。ある日を境にぷっつりと姿を消したあの歌手です。 今日偶然再会を果たしました。 あのNHKが特集を組んでいたのです。 番組の構成も、あのNHKにしては(失礼)憎い仕上がりになっていました。 たっぷりと彼女の魅力溢れる歌を聴かせたうえで、エンディングはこの「黄昏のビギン」です。 そして、そのあとに写し出された場面は、歌が終わったあとのステージ側から観客席を見た映像でして、鳴り止まないアンコールの拍手がこれに重ねられています。あたかも、ちあきなおみがアンコールを受けているような情景になっている訳です。 つまり、平成4年以来姿を消している「ちあきなおみ」に対する再復帰のカーテンコールなのですね。もう一度出てきて欲しいという、ちあきなおみに対するメッセージなのです。(彼女もこの番組を見ているはずですから。) 番組の中では、その喝采に答えて、ちあきなおみが再登場し、「喝采」を歌うのです。 NHKのディレクターもなかなかやるというか、放送を私物化しているというか、(ま、どちらでも良いですが、)そんな感じを抱きました。 さて、ちあきなおみのことです。 ちあきなおみというと「喝采」がすぐに思い浮かぶほどですが、あの情感溢れる歌い方は強烈なものでした。 ただものではないとは思っていましたが、この番組を見て、単に歌を歌うだけの歌手ではないことがよーく解りました。 彼女の芸歴は4歳に始まります。昭和22?年生まれだそうですから、59?歳。当初アイドルで売り出しましたが、少女時代は進駐軍のキャンプで歌っていたそうです。したがって彼女のジャンルは歌謡曲、ポップスにとどまらず、実は非常に幅広く、ジャズ、シャンソン、ポルトガルのパドなどに至っています。番組の中でも歌われましたが「朝日のあたる家(浅川マキ日本語訳)」は、圧巻でした。 本当に、単に歌をうまく歌うというのではない、表情やしぐさを含めて深い深い情感が込められているのです。歌だけではなく、まさに体全体での演技なのです。もちろん、歌のテクニックも凄い。加えてふるいつきたくなるようなパフォーマンスがあるのですから、これはもうどうしようもない・・・。 さらには、彼女は日本の(昭和の)名曲をたくさんカバーしています。 詩が美しくかつメロディも平易で美しいあの数々の名曲。 粋な別れ、星影の小経、港の見える丘、帰れないんだよ・・・・ 彼女も「歌っていても暖かい気持ちになる。こうところが好きです。」と言っていますね。 この感じ方。 私はそういうところが好きになりましたね。 日本の歌手の中で、色々な意味で1番は「美空ひばり」だと思っていましたが、私の中では「ちあきなおみ」も同じくらいになりました。 今59歳(のはず)、もしも再復帰するとすればどんな歌を聞かせてくれるのでしょうか。 私も再復帰を望みます。 | |
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18.2.24 | 荒川選手金メダルおめでとう |
主だった選手の演技をゆっくりと見ましたが、荒川選手の演技は確かに立派でした。 素人目に見ても、ひとり際立っていましたね。 演技は、指先にまで力が充溢しているが、それでいて力みはなく、動きも大変スムーズでした。 ほかの選手は、大なり小なり萎縮がありましたね。 技量的には、全員ほぼ互角だったのですが、結局は精神力の強さというか、精神をコントロールする能力のある荒川選手に軍配があがったということだったと思いました。 無心の勝利であったことは、ご本人が「思いも掛けなかった」という主旨のことを言っておられますし、高得点が出たときの、また金メダルが決まったときの荒川選手の表情からもそれが解ります。 不断の体力・技術の練成は言わずもがなですが、不断の精神力の鍛錬、というのも大きな鍵ですね、これは。 村主選手は、フリーではショートプログラムと同様ミスもなかったのですが、あの時のような「凄み」が感じられませんでしたね。ショートとフリーの内容を入れ替えたら良かったのではないかと思いましたが、どうなのでしょうか。 | |
☆ひとりごと | |
18.2.22 | 情熱の舞姫「村主章枝」 |
トリノオリンピックは日本勢が振るわないなかで、本日(昨夜)女子フイギュアスケートが始まりました。 例の3人娘、村主、荒川、安藤がいよいよ出場。 なかでも、村主選手は抜群だと私は思いました。 審査員による点数では4位ですが、これは予め決められた細かい点数の付け方に基づくもので、どちらかというと技術偏重の採点の仕方であるからのようです。 高得点の選手を見ると、たしかにそんな感じがしますね。アメリカの選手など、ジャンプを決めた後「どうだ」といわんばかりのしぐさでしたが、なんとなく違和感というか、すこし貧しいよ君、という感じですね。品位というか奥ゆかしさの観点からは??ですね。 その点、村主は良いですね。日本人だからそう感じるというのではなく、欧米の方々もその美しさ、醸(かも)し出す雰囲気の凄さを感じ取っているのではないかと思いますね。 村主選手がすごいのは、演技を始める最初のポジションに着くまでの間も、既に雰囲気作りに入っているのです。他の選手には、それがあまりなかったように思います。したがって、彼女がリンクサイドを離れてポジションにつくまでに、観客はもう雰囲気に引き込まれていっているのです。皆さんは、感じましたか? フィギュアの採点法には、以前「芸術点」というものがあったと思いますが、これでいけば、絶対「村主」でしたね。 しかし、1位になったコーエンも確かに素晴らしかった。 高度の技術を猛訓練によって身に付け、その中でも自己の能力のギリギリの技を、世界の大舞台で堂々と披露するわけですから、これはもうたいしたものです。 フリーは、明後日だそうですが、猛訓練の成果を思い切り発揮して貰いたいものです。 私は、村主選手を応援します。 本日は、「竹島の日」。 本当は、こちらについて書くべきでしたが、つい、美人に負けました。 竹島については、いずれ別途。 | |
☆ひとりごと | |
18.2.10 | Something Great |
小泉さんは、皇室典範改悪案の今国会提出をやっとあきらめたようです。 皇室典範改悪問題の本質に国民と国会議員が気づき、徐々に形勢不利になって来たところに、紀子様ご懐妊という決定打によるものです。 これで日本にとっても、小泉さんにとっても?一安心です。 結局、その小泉さん、天皇家をつぶそうとした訳ですが、大御心(おおみごころ)のおかげで、その天皇家に助けられたと私には思えます。 「Something
Great」という言葉があります。もともとの意味は良く知りませんが、「万物を律するなにか偉大なもの」というような意味だと思います。 天皇はまさにこのような存在であられる、と私は思っています。 私達は、普段、天皇を意識することは全くありません。 小泉さんが、このことに気づき、天皇陛下に対してそのような感覚「偉大なる空=Samething
Great」を抱いたかどうか聞いて見たい気がします。
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2月8日読売新聞によると、
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9月24日、兵庫県豊岡市の「県立コウノトリの郷公園」で、自然界への復帰を目指し人工飼育した国の特別天然記念物コウノトリ5羽が、世界で初めて放鳥されたそうです。 放鳥されたのは、秋篠宮ご夫妻(写真)。 「鶴の恩返し」ならぬ「コウノトリの恩返し」があるのではないでしょうか。 秋には、元気な男児御出産ということになると思います。 そしてこの後に、安倍新総理によって皇室典範の本当の改正に手が付けられるでしょう。 そうなれば、めでたしめでたしですね。 | |