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☆最近読んだ本

16.11.19

日本の一番長い日/半藤一利/文藝春秋

 昭和20年8月14日正午から15日正午までの一日の動きを一時間毎に区切って、それぞれ概ね一つのトピックを取り上げて記述するという構成である。
 日本の歴史上の一大転換点である停戦交渉とこれに呼応した政府、軍部の対応の状況が大変生々しく描かれている。
 本書の初版は昭和40年。当時の関係者は未だ生存しており聞き取り調査などをして正確を期したとされている。
 プロローグの章にある、原爆投下およびソ連の参戦の報を受けた政府の驚き、混乱・・・などは大変興味深い。
 全般的には、陸軍の動き(息子の阿南中国大使と違って阿南陸相は立派だった。近衛師団の反乱に代表される中堅の陸軍将校の苦悩は解るが、結果的にも狭視野だ。各地における反乱等など、兵士は已むを得ないとしても中堅将校の唯我独尊的な判断は不適当だ。)を中心にして割りと好意的に語られており、軍部が最大の悪であったという東京裁判史観に対する反論の意図もあるように感ぜられる。
 ただ、事実を良くふまえてあるのだが、語り口が小説調であるので、幾分安心して読めないなという気持ちを抱いてしまう。(悲憤調、絶叫調の表現になると、これほんまかいな?となってしまう。)
 結局、「これは、かくかく故に事実と思われる。これは、私の意見である。」などなどが明らかにされているかいないかの差である、と思う。
 従って、この本は小説として読むならば、よいかもしれない。
 この点、小堀桂一郎氏の宰相鈴木貫太郎は読み応えがあったし、安心して読める。私は、こちらが好き。

 

☆最近読んだ本

16.11.16

国を守るとはどういうことか/森野軍治研究所/TBSブリタニカ

 本書は、国防について広くかつポイントを深く、解りやすく書かれている。ただし、内容が内容だけに平易な筆致ながらすっと理解のし難い部分もある。
 しかし、わが先輩(某大1,3,5,6期)、大変良い本を書かれました。
 タイトルからして、通勤の1往復位でさっと読み流そうと思ったのですが、読みごたえがありまして、数往復を要しました。若い幹部自衛官のみでなく中級・上級の幹部自衛官にとっても考えを整理するうえでの好書と思います。

 憲法、有事法制、防衛計画の大綱、領域警備・・
 大変参考になりました。

 

☆最近読んだ本
16.11.8昭和天皇独白録//文春文庫

 本書は、大東亜戦争の遠因、近因、経過及び終戦の事情などについて昭和天皇の話された内容を記録したものである。

 天皇陛下は、基本的には立憲君主主義の国家の君主として振舞われている。しかし、事実上は、当然ながら相当の影響を政治に対して与えられていると感じた。もちろん立憲君主制であるので、天皇が意見を言われても、結果的にはそれが無視されると言う事も起こっているが、概ね指導力を発揮されている、というのが私の受けた印象。
 「国務大臣の輔弼(ほひつ)によって、国家の意思は初めて完成するので、輔弼とともに御裁可はある。・・・陛下としてはいろいろ(事前には)ご注意とかご戒告とか遊ばすが、一度政府で決して参ったものは、これをご拒否にならないというのが、明治以来の日本の天皇の態度である。・・・(木戸幸一、東京裁判証言)」
 ということであるが、私はこの「ご注意とかご戒告」が様々な局面で効いていると思う。

 こう書くと、天皇の戦争責任ということが出てくるが、短絡的に判断してはならない。
 戦争責任には、始めた責任と負けた責任があろう。
 
 始めた責任については、私は誰にも負わせることは出来ないと思う。戦争は社会的現象であるが、実体は自然的現象ともいえるほど管制は難しい。動き出したら誰にも止められない。しないほうが良いと解っていても止められない。まして、大東亜戦争には、させられた戦争と言う側面が強いのだ。
 
 次に、負けた責任。
 これは、もともとその責を負わされている軍隊にある。時の陸海軍首脳である。
 このことについては東条大将も東京裁判の被告席でその趣旨を述べておられるが、そのとおりだと思う。

 当時の日本には、このような極めて優れた指導者が居られ、少し距離を置いたところから大局を見ながら、適切な判断処置をとっておられたということである。
 また、それが心霊的なものではなく、極めて人間臭いところも大変興味深かった。

 
 なお、この記録自体は寺崎英成(ひでなり)御用掛が他4人の側近とともに陛下に直接聞いた全内容を寺崎氏が記録として保管していたもので、後年その娘マリコ・テラサキ・ミラーにより発見され、平成2年12月に文藝春秋において世に発表された。
 寺崎英成氏は東大法学部卒後昭和2年外務省入り。ワシントン、北京、上海での勤務を経て昭和16年2月11日から野村大使とともにワシントン勤務となる。日米破局まで野村大使とともに対米折衝に当たるわけである。なお、夫人とは最初のワシントン勤務の際に結婚。米国人である。

 問題の12月6日夜(7日は真珠湾攻撃)の日本最後通牒遅れの場面では、既に(4日に)職を解かれており、ブラジル赴任の直前であってこの寺崎氏と他2名の内輪の送別会が行われている。寺崎氏の弁護をここでするつもりは無いが、建前的には彼に責任は無かった。ただし、実質は、彼の属するワシントン大使館としてはその判断ミスと怠慢があった事は間違いない。外務省としてのミスであり、その構成員としての寺崎氏の責任は、その意味でその分を免れ得ない。
 終戦時は、知米の元外交官として日本側(特に皇室)とGHQとの間に立って相当の働きをされている。この独白録作成に関しても天皇の信頼できる側近としての仕事振りに信頼が置かれていたことによる。

 

☆最近読んだ本
16.11.1拒否できない日本/関岡英之/文春新書

 先日、どこかの講演会でハマコーがこの本片手に吼えたそうだ。
 「皆さん、未だにアメリカの占領政策が続いている。知っていますか?」
 と。

 我々は「ナイーブ」というと、「純真な」と訳する。
 しかし、辞書を見ると第2義として、「愚直な、人を信じやすい」などの言葉が掲げられている。
 日本人は本当にナイーブだ。つまり、自分は純真だと思い込んでいる他からは愚直だ、つまり「愚」と思われているのだ
 このことは、大東亜戦争停戦後の占領期に強化された。そしてそれが今でも国際政治の場で現れている。対中韓朝の諸問題も、これが根底にある。
 
 そればかりか、米国(連合国)にによる占領の後も、引き続き占領政策が行われているということを例証したのがこの本である。

 本カバーに書かれているコメント。
 
 「建築基準法の改正や半世紀ぶりの商法大改正、公正取引委員会の規制強化、弁護士業の自由化や様々な司法改革・・・。
 これらは全てアメリカ政府が彼らの国益のために日本政府に要求して実現させたもので、アメリカの公文書には実に率直にそう明記されている。 ・・・・」

 様々な要求が「年次改革要望書」として実際出されている。(アメリカ大使館のHPで見れる!)それはまさにアメリカの国益の実現のための文書であるのだが、それをナイーブな日本は愚直に実行に移しているのである!!
 
 日本はもっと図太くならなければならない。
 白人にまけないような図太さを持たねばならない。
 この意味での「国際人」にならなければならないのだ。

 そのために、どうするか。
 私は、日本の誇るべき歴史を知り、世界を牛耳るアングロサクソンの所業を知ることが必要と思う。
 そのためには、教育である。特に歴史教育。
 扶桑社の「新しい歴史教科書」あたりから始めるのが適当だろう。

 

☆最近読んだ本
16.9.16再審「南京大虐殺」/竹本忠雄・大原康夫/明成社

 中国共産党政府は「レイプオブ南京(アイリスチャン著)」をバックアップしているらしい。国家ぐるみでの煽動が行われている。
 この本は、1997年7月にアメリカで出版され相当売れた。内容は、プロパガンダである。これにより、なだしお事件の時のようなミスリードが行われたのだ。そして、ついには「カルフォルニア州議会では1999年8月、南京大虐殺を中心とする日本軍の「残忍非道な罪」に対して非を鳴らし、謝罪と賠償を求める決議を採択するに至った」という。こと、ここに至った。トンデモ本でも、うまくやればここまで来る。
 昭和12年12月の南京攻略の際に「虐殺30万、強姦2万」が行われたという。
 しかし、すでにさまざまな本で大虐殺など無かったことが立証されている(南京虐殺の徹底検証/東中野修道は極めて好著)。
 そのような中で、この本は日本語と英語で書かれている点がユニークである。対欧米を意識したものである。
 内容も、「刑事訴訟の手法を用いて、告発側に挙証責任があるとの前提で「犯罪」としての立証がなされ得ているか否かを検証」している。
 つまり、「大虐殺がなかった」ことを論証するのが目的なのではなく「大虐殺があった」との立証が全然なされていないという事実を明示しようとする」ものである。
 これを読むと、ウソで固められていることが良く解る。

 なお、この本と全くおなじ内容がweb上にある。「再審 南京大虐殺」 
 欧米の読者を狙ったものである。
 皆さんもどうぞ読んでください。

 

☆最近読んだ本
16.9.14抹殺された日本人の現代史/田上憲治他/小日本社
 最近この手の本ばかり読んでいますが、ある必要があってのことでありまして、この本を読むのは2度目になります。
 
 雑誌正論に「ハイ正論調査室」というコーナーがあって、何かに疑問を持った人が質問という形でその事を投稿し、それを読んだ別の人がそれに答える形で投稿するというものです。
 今月10月号に、次のような質問が載りました。
 イランで米軍による捕虜虐待が行われたが、これは始めてのことなのか。我が日本軍はどうだったのか。民主主義国家である西欧の軍ではそんなことは無かったであろう。その辺のことを知りたい、という趣旨でした。
 それで早速、回答を投稿すべくこの本を読み直したわけです。
 先に書くと、回答の趣旨は「待ったく逆です。西欧残虐、日本寛容(ただし下手だった)。」です
 この本の初版は昭和48年、今回平成7年に概ね内容を変えずに再版されたものです。確かに今読んでも不自然は感じませんが、一部「南京大虐殺」を肯定するようなニュアンスがある点が非常に気になりました。(南京大虐殺は事実ではありません。これは、別途紹介しましょう。)

 この本は5つの章からなっておりますが、白眉と思いますのは
第1章日本人が虐殺された現代史
第3章世界大戦を誘発したルーズベルトの外交謀略(今回これには触れません)
です。
 とりわけ興味深いのは第1章で述べられている南太平洋方面の米軍将兵による我が陸軍将兵に対する残虐非道な行為の状況です。この内容は、かのリンドバーグがこの戦域の米軍将兵から聞き取りをして日記(リンドバーグの第二次大戦日記)に記したものです。そこには、我が陸軍将兵を動物以下に扱う兵士の言動が紹介されています。捕虜を機関銃で虐殺したり、輸送機からまとめて突き落としたり、思いつき的に撃ち殺したり、ゴミの穴に遺体を投げ込みその上にゴミを捨てたり、頭蓋骨を持って帰るのに肉を蟻に食わせたり、大腿骨でペーパーナイフを作ったり(ルーズベルトも持っていたらしい)、遺体はまとめてブルトーザーで土をかけてならすだけで墓標の一つも立てない・・・この地域に捕虜が少なかったのは戦陣訓によるのではなく、捕虜は虐殺されるというのが日本側に良く知られていたからとも言われています。
 なぜ、このようなことをするのか。
 白人優位の人種差別です。
 人種差別というより、それ以前に人間として見ていないのです。つまり、相手は動物ですから、なんら痛痒を感じていないのです。リンドバーグは、これらの所業に吐き気を覚えるといっておりますので、皆が皆そうではない点が救いです。
 先般のイラクの捕虜虐待はなんら驚く事ではありません。心根は通底しているのだと思います。
 ただ、このことを良いとか悪いとか言うのではなく、そういう心を奥底に抱いた人が現実に居るということと、そういう人たちとも上手にお付き合いをしなければならないと自覚することが大事だということだと思います。
 この章には、シナ人の残虐性も触れられておりますが、こちらもまた今も変わっていないなぁと思うのは私だけでしょうか。最近、中国人留学生が世話をしてくれた日本人を簡単に殺してしまうという事件が何件か生起していますが、そこには人間性が感じられません。寒々とした不気味さをがあります。本当に困った隣人です。時には、ビシッと言ってやらないといけませんですねぇ。
 日本が、これに比較すれば残虐ではなかったということについては、次に書きます。

  

☆最近読んだ本

16.9.9

アーロン収容所/会田雄次/中公文庫

 昭和18年応召、ビルマ戦線で戦い、戦後英軍捕虜としてラングーンで捕虜生活。当時感じた事が書き記されている。執筆時(1962)京都大学教授。この本、必要があって2度目ですが、比較文化論的なところを面白く読みました。

1 英軍の残虐さ。
 英軍さらには英国というものに対する燃えるような憎悪を抱いて帰ってきたそうである。そのくらいの残虐さを感じじたそうだ。
 その根は白人優位の人種差別にある。非白人は動物と同じなのである。動物は人間のためにある。したがってどのように扱おうが、虐待しようが、殺そうが痛痒は感じない。更に、彼らは動物(家畜)を扱うのに非常に慣れている。家畜の管理の仕方が非常にうまい。捕虜(特に非白人の捕虜)については、家畜とほぼ同じ取り扱いでいける。従って、大量の捕虜であっても、羊飼いが羊を管理するのと同じように上手に扱えるのだ。(この辺は、かっっての植民地政策にも見られる。家畜だから教育もする必要がない。支配者側の人間にとって都合がよいか否かが問題であって、被支配者の人権の類は全く考慮する必要がないのだ。)
 一方、日本は違った。家畜といっても、それは家族と同じであった。家が小さくとも、牛馬は同じ屋根の下で養われた。捕虜に対する態度も同じ人間としてであった。ただし、白人のような大量の家畜を管理するなどの経験は全く無かった、従って、その面で取り扱いが下手であったという側面があったことは否めない。加えて、戦争の後期では給養の逼迫があった。他人どころではなかった。このあたりの状況を良く表しているのが「捕虜に木の根(ごぼう)を食べさせた」という話であろう。精一杯の事が悪意にとられたのである。
 もちろん戦争であるから、激情に駆られての行為もあったろう。戦友がやられれば復讐の気持ちが高まるのは当然である。しかし、これはお互い様。許容の範囲でろう。
 だが、白人の対応は度を越していた。人権の観点に立てば、限界がある。
 会田氏は、「残虐性の度合いや強弱などというものは、一般的な評尺のあるものではない。それは文化や社会構造の「型」の問題で、文化や道徳の高さなどという「価値」の問題ではない」と言われる。しかし、故なく人が人を平気で殺してしまう、ということをそのようにして片付けてしまってよいのだろうか。やはり、そこにはある一線があってしかるべき戸思う。人間は動物ではない、という一線。
 ただし、つぎのことはいえると思う。
 我々は、それを「型」としている民族がいるという認識をシッカリした上で生活をしなければならない。特に我々日本人は性善説に立った「うぶでお人好し」の性向がある。この点は心しておかなければならない。
 こう考えるのは、非白人を蔑視する眼に対する反感を抱くからである。
 次のビルマ人の事例ならば、会田氏の論にある程度賛同できる。まさに「型」を感じるし、同じ黄色人種としての共感があるからかもしれない。

2 あるビルマ人たちの所業
 会田氏と上司(中尉)の二人が夜間移動をしている。我が軍兵士の沢山の死体や重篤者が横たわる場所にて野営をすることになった。夜半、ものを潰す音とともに「ぎゃ」というような声が聞こえる。ビルマ人が、死体あるいは重篤者の頭を石で潰し、金歯を取り出している状況であった。
 ビルマ人も家畜を扱う。彼らは必要時、家畜(水牛など)をさばく。土の上で、全く汚すことなくきわめて手際よくさばいてしまう。部落民総出の作業であるのに、手順に全く狂いがない、という。このような場合、屠殺の経験がないと大変残酷な人たちに映るものだ、という。
 死体あるいは重篤者(ビルマ人は生存者を殺す意図は無かったのでは、と勝手に思うのだが)の頭を石で潰すビルマ人については、英国人とは区別できるような気が、私はします。

3 収容所での人間模様
 筆致鮮やか、大変面白い。人間というのは。

 

☆最近読んだ本
16.8.30宰相鈴木貫太郎/小堀桂一郎/文春文庫
 名著です。
 表記は歴史的仮名遣いで、ひとつのセンテンスも長いのですが、たいへん読みやすく解り易い。
 小堀先生のなだしお事件を扱った著作を、かって読みました。ご本人は海事については専門外なのですが、裁判資料を読み、虚と実を振り分け、真実に近いものを取り出して我々に見せてくれています。本当に見事なものです。この本も手法的にはそれと同じく、当時のさまざまな資料をもとにして、終戦の際の宰相である鈴木貫太郎を実に見事に活写されています。
 ここに書かれているのは、昭和20年4月に首相に任命され、8月15日戦争終結(戦闘終結)に持ち込むまでの首相が行った国家運営の状況です。鈴木海軍大将をお選びになった天皇陛下の慧眼、海上指揮官として培った大将のリーダーシップ、実行力、駐在武官としての見識、等々、日本は本当に天の配剤(陛下には恐れ多い言い方ですが)を得たといえるのではないでしょうか。
 この間の労苦は尋常ではありませんでした。阿南陸軍大将の振る舞い、迫水書記官長の見事な補佐官ぶり等々も含め、わが祖先に対する尊敬の念を禁じえません。

 以下、印象に残る点を少々。
1 四月七日鈴木内閣成立。六月八日第86臨時議会召集。
 空襲激しいなかを、議会開催。日本が議会尊重の近代的立憲君主制の国家であるという建前を少しも崩していない。これも、荒廃と頽落のドイツとおおいに異なる。
 そして、施政方針演説。
 「あくまで戦い抜くとの意思表明と(このまま推移すれば)日米共に天罰を受けるであろう(つまり日本も罰を受ける・・というサインを含めた)」これを小堀氏は暗号演説という。アメリカは、硫黄島、沖縄における我が軍の奮戦ぶりから以後も相当な抵抗があるものと考えている中、講和の用意もあるとのサインを受け取った訳である。
2 四月十三日のフランクリンルーズベルトの急逝に際し、米国民に弔意表明。一方、ドイツはこれと全く反対の言動。首相の真意としては弔意と対外配慮(終戦を少しでも優位に)があったのだろう。いずれにしても素晴らしい事。
3 ポッダム宣言を受諾し降伏するとの御聖断が行われた御前会議は、鈴木首相の脚本演出であったようだ。これほどの国家の一大事、きっちり決めないと軍部等の動き次第では日本は混乱の極みとなる可能性がある。老体に鞭打って、鈴木首相は不眠不休の活動をされる。
4 阿南大将は降伏に反対の強い態度を最後まで崩さない。しかし、それはぎりぎりまで軍部を抑えるための芝居であった。そして、十五日早朝自刃される。(阿南大将の息子は現中国大使の阿南氏である。随分差があるように思われる。)

 小堀先生の筆致は、正確にして謙虚です。先生の言では、
 「(各種の資料・記録などは、)十分批判的に扱って多くの付随的な夾雑物を洗ひ流し、純度の高い証言にまで精錬しなくてはならない。かうして析出した当事者の言葉の中には、歴史上の真実というもののおよその近似値が求められると見てよいのだし、というよりも、我々はいままでのところ、かうした手段によるほかに歴史の人間的真実に接近する方途を持たないのだ、と言ってよい。」(323p)
 →所要の作業を施した後でも「およその近似値が求められる」に過ぎず、そして真実に(やっと)「接近する」ことができるのだ、とおっしゃる!
 
 最後にグサリ。
 「思うに言葉の力というものは、決して居丈高なる罵詈雑言や大言壮語のなかに宿ったりしないものである。言葉がその内にひそめた寸鉄殺レ人の力を発揮するのはただ用語の的確さに於いてのみであらう。」(150p)

 先人と小堀先生にただただ敬服でありました。

 

☆最近読んだ本
16.8.20靖国と日本人の心/産経新聞社/15.8臨時増刊

 靖国神社に関する論説等が掲載されている。昨年買ったのだが、読んだのは今年。8月15日にあわせて読んだ。
 大変荒っぽく要約すると、日本人としての心に正直にあれ、ということだろうか。
 産経新聞8月○日の正論欄に小堀桂一郎さんが書かれていたが、その心とは「慰霊と感謝」であるということであろう。

 本誌のなかで、メモをしておこうと思った事3点について以下記します。

1 歴代首相参拝の状況について
  節目としては次の4点が挙げられます。昔から中韓によって問題視されていたように思われていますが、中韓のご都合主義によって最近吠え出しただけのことなのです。
50年前
 S26.10.18、吉田茂。サンフランシスコ講和条約締結の報告のために参拝。
 ただし、この時期は占領中でありGHQの指令により参拝が禁止されていた。しかし、これを押して参拝!偉いですねぇ。でもやってしまえばどうってことはないの例ではないでしょうか。
 以後、普通に公式参拝されていた。次の節目まで6人30回です(吉田5、岸2、池田5、佐藤11、田中6、三木1)。
 もちろんこの時、中韓のイチャモンは無いことに注目。要はご都合主義なのです。
25年前
 S50.8.15、三木武夫。「総理としてではなく、渋谷区住人三木武夫として参拝」と言ってしまった。閣僚の一人が別の問題で私人公人を問われる事があったからのようです(細部失念)。
 以後、約10年間公式か私的かの議論が交わされるようになる。それでも5人26回(三木2、福田4、大平3、鈴木8、中曽根9)。
 この間、S53.10に、いわゆるA級戦犯といわれる方々14名が合祀(54.4.19マスコミ報道)されたが、中韓は反応していない点に注目。尖閣問題と同じです。
15年前
 S60.8.15、中曽根康弘。公式参拝を再開したが、中韓の「東条英機ら一千余の戦犯が合祀されている」という反発に屈して、これ以後の参拝を止めてしまう。このとき、国内問題であると毅然としておれば良かった。また、中曽根首相は、このときの理由を中国の国内事情を考慮して、などと言っている(すなわち、英霊の慰霊よりも他国に配慮したのです!)
 以後、こじれたまま参拝が行われない。ただし、橋本首相の無警告参拝が1回、誕生日に行われる。しかし、中韓に言われっぱなしで、評価されず。
H13.8.13 小泉純一郎。8.15の公約を2日前倒しながら公式(?)参拝。
 以後、中韓がぐちゃぐちゃ言う中を2回(14.4.21、15.1.14)実施。訪中も蹴っており、他の総理連よりも評価できる。

2 国立戦歿者追悼施設について
  13.8.13の首相参拝時の談話「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか議論する必要がある」を受けて福田官房長官のもとに「追悼・平和祈念のための祈念碑等施設のあり方を考える懇談会(略称・追悼懇)」設置。
 福田官房長官によって2つのウソが公言されている。
 1「何人にもわだかまりなく・・」との趣旨は「あくまで国内向けである」と。
 2(施設は明らかに靖国と競合するのに)「靖国に代わる施設ではない」と。
 実態は、中韓のみを配慮して靖国の代わりを作るというものであるのに、だ。

3 英霊の言の葉(社頭掲示集から)
  掲載されたものは、短歌あり詩文あり様々ですが私は次のものが大変心に響きました。
  書かれた方は陸軍主計准尉安部正一(20.4.2 ニューギニアにて戦病死、香川県出身、41歳)。(原文はカナ)

一、昨日届いた小包に
  お前の作ったお人形
  長い旅路を遥遥(はるばる)と
  異国の土地へ唯一人
  ようこそ訪ねて来てくれた
二、丸いお顔に丸いお眼
  桃割れ髪に髪飾り
  まだ見覚えぬ着物柄
  赤いリボンの帯しめて
  白前垂れがよく似合う
三、だいじなことづて聞いて来た
  可愛い僕のお人形
  お国の為に働いて
  父さん凱旋するときは
  仲良く一緒に帰ろうね

じんときました。
子を想いながら死んでいく気持ちはいかばかりであったでしょう。

 

☆最近読んだ本
16.8.19戦争論3/小林よしのり/幻灯舎

 戦争論1、2はいわゆる保守のスタンスで書かれており、すんなりと解りやすかった。しかし、911以後のアメリカの深層心理の邪悪な部分をを見て取ったか、この「戦争論3」あたりから小林よしのりの論の張り方が変わってきた。なにしろ、難しい言い回しで、なにを言っているかよく解らないあの西部邁と対談などをし始め、急接近し、保守の本流と思える人たちを罵倒している状況だ。

  彼は、自分を真の保守という。他の、保守と言われていた人々は、ポチ保守だという。つまり、「アメリカにシッポを振る保守のようなもの」という意味であろう。私も尊敬する西尾幹二や岡本久彦、田久保さんらもポチだというからびっくりしてしまう。
 しかし、彼の議論も解らぬでは無い。アメリカの邪悪さは歴史を紐解けばよく解る。我々もやられたではないか。その同じことをイラクでむりくりやっている。アメリカはとんでもないやつらなんだぞ、と。そう見えなくもない。
 そういう意味では、彼の常套語「純粋まっすぐ君」は、まさしく彼のことではないかと思える。純粋保守君なのである。日本の伝統、文化に従い、アメリカなんぞに迎合するなと、彼は言う。

 ただ、私思うに、彼がこうして槍玉にあげている西尾幹二ほかの保守論客は、ただひたすらにアメリカ一辺倒なのではない。現実を踏まえ、今はアメリカとうまく付き合っていく。これが現実的な大人の処世なのだといっていると思うのだが。

 この本を読むまでは、小林よしのり乱心か、と思ったが、この本を読んでみると、保守の原点の部分を一生懸命照らしているんだなあということが解った。
 左に傾いた世の中、中庸に戻すには思いっきり右に引っ張るべきというのは教育効果的にはわかるが、彼は影響力のある著述家である。もう少し冷静に、と思うのだが。

 

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