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☆ひとりごと

19.6.23

相変わらずの偏向、NHK
沖縄集団自決に軍の命令はなかった。

 来春から、高校で使われる日本史の教科書では、大東亜戦争の末期に沖縄で起こった住民の集団自決について「軍の命令ではなかった」と改められることになりました。このことと、6月23日の「沖縄慰霊の日」をからめて、NHKが番組を組んでおりました。ごらんになった方もおられると思いますが、クローズアップ現代「“集団自決”62年目の証言」という番組です。私は残念ながら後半しか見なかったのですが、後半を見ただけでも、相変わらずのひどい番組であるという印象を持ちました。
 今年も8月15日がやってきますが、それに合わせてNHKはこれと似たようなひどい番組を作ってくれるのでしょう。
 
 さて、この番組を見ての感想を記したいと思います。ご興味のある方、御用とお急ぎでない方は、以下どうぞ。(例によって少しくどい長文になっておりますが…)

 集団自決を軍が命令したという説が世の中に広められた最初は、沖縄タイムス編の「鉄の暴風」という本が始まりだそうです。以後、それがマゴ引きされ、あのノーベル賞の大江健三郎先生もそれに乗っかって「沖縄ノート」という本を著しています。その本の中では守備隊長が沖縄の住民に対して「自決の命令を下した」としています。(なお、この本は、改訂に改訂をかさね50版近く刷られており、いまだに害悪を撒き散らしております。)

 この大江先生、この本を書くにあたっては書斎から一歩も出ずに(つまり、実地の調査などすることなく)この本を上梓したそうです。こうしたのは、大江健三郎の発想が、「事実はともかく、軍(=日本国家)を貶めればよい」ということであったからです。(大江健三郎が持っているこの心情について、丸々1冊の本で解説した本があります。「こんな日本に誰がした(谷沢永一著)」という本でして、全編に大江健三郎の悪の思想ぶりが描かれています。大変面白いので、お勧めします。)

 一方、曽野綾子さんも本件を題材にした本を書かれていますが、曽野さんの著作活動は正反対でした。現地取材を行い、綿密な聞き取り調査を元にして、軍命令はなかったのではないかという(遠慮勝ちながらきっちりした)結論を出されています。(「沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! 」(旧版;ある神話の背景))

 さらに、去年の産経新聞の記事ですが、この問題に関する決定的な報道がされております。

<引用開始>
 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。
 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。(産経新聞(平成18年8月27日))
<引用終わり>

 そのほか、桜井よし子さんの調査など、軍命令を疑問視する証拠が多数出てきているのですが、NHKなどのサヨク系メディアや沖縄の一部の人たちはそれを認めたくない訳です。その辺のところがこの番組に良く表れておりました。
 
 この問題のポイントは、「軍が『命令』をしたのか」という点ですが、そもそも民間の人たちに軍が『命令』を出せるはずはないわけでして、この時点でこの話は破綻しているのですが、あったように思わせたい勢力がそれに沿った努力をしているわけです。
 このNHK番組でも、彼らのその努力の跡が見られました。
 たとえば、住民の、あるいは一部サヨクの沖縄の活動家達の発言がテレビの中で紹介されるわけですが、「悲惨極まりない集団自決があった」「兵隊が、これを使えといって手榴弾を手渡した」「兵隊らは、アメリカ兵に捕まると、強姦されたりなぶり殺しに会う(だから死ぬべきだ)などと言った」というような証言が続くのですが、明確に「命令を与えた」という証言はありませんでした。であるのにNHKは「住民は死に追いやられて行った」という印象を実に巧妙に視聴者に対して与えているのです。
 
 当時の日本人の考えとしては、軍人、一般国民を問わず、「最後は死を」というのは極めて普通のものでした。もちろん、実際に自分の身を投げ出すまでには、相当の葛藤があったはずですが、今と比べればそのハードルは低かったと思います。その証拠が、土壇場で実際に自決された一般国民の方々が数多くおられるということです。
 つまり、ここで大事なことは、「軍人、一般国民を問わず、日本人全体がそう考えていた」ということです。上の例でいうと、兵隊が住民に手榴弾を手渡したのは、それが楽に死ねるからであって、「軍の命令として、沖縄住民よ死ね」といって渡したのではないということなのです。自分も住民も境遇は同じようなもの、と考えていたのです。同じように「アメリカ兵に捕まると、…云々」というのも、住民を死に追いやろうとして言ったのではなく、実際に国民全体がそう考えていたからであるし、それに近い仕打ちを(白色人種である欧米の兵隊が、有色人種である日本兵達に)実際にやったからでした。(アメリカの記録映画には、人道的な場面しかありませんが、実際は勿論そうではなかった。)

 それなのに、NHKと一部沖縄の活動家(といっても相当の年配のおっさんですが)は、どうしても軍(日本国)を悪者にしたいのです。
 確信犯のNHKはひとまず措きまして、沖縄の一部の活動家側に立っている方々はもういい加減に考えを改めてもらいたい、と私は思いますね。
 昨日の新聞報道によると「沖縄の41市町村議会が、沖縄戦・集団自決に関する教科書検定意見の撤回要求を可決」したそうです。上に掲げた調査や証言などに耳を傾けることなく、また、当時の国民の心情に深く静かに思いを致すことなく「自分達沖縄県人は被害者だ」という意識だけが異常に強すぎるのではないでしょうか。そこまで、言うのなら、原爆や空襲で焼き殺された数十万の内地国民はどう位置づけられるのかと、言いたくない皮肉のひとつも言ってみたい気がします。こちらの方は沖縄の場合のように投降という選択すらなく、殺されてしまったのです。

 テレビ番組の最後にNHKの国谷アナと沖縄の活動家が、平和の礎(いしじ)をバックにして話をする場面がありまして、沖縄の活動家が例によって、したり顔で最後にこう言うのです。
 「『命(ぬち)どぅ宝』です。」と。
 これは、沖縄の言葉で「命がもっとも大切だ。なにものにも代えがたいものだ。だから戦争はしてはいけない…。」という文脈でよく使用されます。
 これについても、もういいかげんして貰いたいと思います。
 これでは、話が前に進みません。思考停止、議論無用、ということなのです。そして、その「命」を奪われた(身内を持つ)我々は最大の被害者だ、と…。
 うんざり、という気持ちにもなるではありませんか。

 私は、沖縄勤務がありまして、沖縄も沖縄の人も好きですから、沖縄の方々に向かってあえて苦言を呈したい気持ちです。(ただ、沖縄では、反軍、反日本国というポーズをしておかないと生活しにくい空気があることも事実のようです。)
 一方のNHK。
 日本放送協会という名のとおり、本来は日本国寄りの放送であるべきと思うのですが、百歩譲って中道の立場を堅持するならまだしも、中国、韓国のお先棒を担ぐなどの左よりの放送姿勢は許せません。たぶん、8月15日に向けて、数回は腹の立つことがあると思います。


☆ひとりごと

19.2.16

美しい日本へ(櫻井よしこ講演)
靖国神社崇敬奉賛会主催第8回シンポジウム

 靖国神社崇敬奉賛会の主催によるシンポジウムを聞きに行きました。
 櫻井よしこさんが「美しい日本へ」という演題で基調講演をされるというので、どのようなお話をされるのか大変興味があって、土曜日の午後、九段会館に参じました。
 講演は約50分、分かり易く、ゆったりと語りかけるような口調で、それでいて適度な緊張感を持たせながらの見事な講演でした。
 櫻井さんの語りの特徴は第一に、「えー」とか「あのー」とかいう言葉を一切入れることなく、さらさら、さらさらという感じで言葉が流れていくことを挙げることができます。また当然のことですが、一つのテーマに向かって聴衆を確実に導いていかれますし、問いかける話法を処々に使うことで聴衆に緊張感を持たせるなどの技術は大変なものです。聴いていまして、一編の美しい絵物語を見る思いが致しました。
 さて、その内容です。
<以下要約>
 「美しい日本であること」とは「一人一人が美しい日本人であること」です。己は何者であるかを知ることが人間たるの極めて重要なことであって、これが無ければ犬猫と同じです。このことは、何から得ることができるかというと、歴史からです。すなわち歴史を知らない人間は犬や猫と同じなのです。
 では、我が日本国は、その歴史をどのように扱っているのでしょうか。未履修問題というのがありました。高校では、日本史は選択とされており、選らばなくとも良いということになっています。さらに世界史は履修すべきとされていたのですが、それが実態としては教えられておらず他の受験科目の時間に充当されておりました。小学校では、歴史という課目自体がありません。社会科のなかに含まれているだけです。こうして日本人は、結局は、歴史をきちんと教えられることなく、社会にでているのです。
 これで、美しい日本人になれるのでしょうか。なれるわけがありません。
 かって、日本には素晴らしい人たちがおりました。そのことを外国の人たちが実に良く見ていました。ハリスの「日本滞在記」をはじめ、江戸末期から明治初期における多くの外国人の記録があります。ハリスもぺリーも日本人を教え導こうという気持ちで来日した訳なのですが、その考えは完全にひっくり返されてしまいました。当時の日本人達を見て「質素と満足の世界」「日本人こそ人間だ」との感慨を持ったのでした。(当時欧州などでは絶望的な貧困がありました。例えば、炭鉱で5歳の子供を働かすなどのこと。)
 五か条のご誓文というものがあります。(これを読み上げて)なんと近代的なことでしょうか。民主主義、公正、世界に開いた目‥等々が誇らしく謳われている。そして大事な点は、これがいきなり出来たのではないということなのです。そこに至る十分な素地があった(歴史の積み上げがあった)からこそできたのです。実は十七条の憲法に重なっているのです。
 江戸時代、孝義伝という書物が在ります。幕府が庶民を表彰しているのですがが、それを読むと当時の価値観が良く分かります。
 すなわち、かっての日本は素晴らしい日本人で満ちていた
 かっての日本は素晴らしい国であったということです。
<以上>

 この基調講演を受けて、後半は明星大学教授の高橋史朗氏、ジャーナリストの打越和子氏を加えてのトークセッションとなりますがが、教育問題を中心に子供・親の現状がいかにダメになっているかが語られました。トーンとしては教育を立て直さなければならない、ひとりひとりががんばりましょう、というものでした。
 この後半の、トークはあまりいただけませんでした。結局、こういうことしかいえないということにむなしさを感じます。かといって、特に私たち庶民は絶大な権力を持っているわけでありませんし、少しずつでも自分が出来る範囲で努力するしかないのでしょうか。
 パネリストの方々は、ある種の「力」を持っておられるのですからもう少し具体性、実効性のある話をしてもらいたいと思いました。そういう意味での物足らなさを感じた訳です。


☆ひとりごと

19.2.8

核兵器を保有するということ
中川政務会長が切り出した核武装の話題があっという間に消えてしまって、昨今は柳沢発言で世間(というか、国会とメディアだけ)が異常な盛り上がりを見せています。

 核兵器については、それが最強の兵器であるがゆえに国防に責任を持つ政府としては当然保有という判断をすべきだということを既に述べました。

 さて、この核兵器はただ単に軍事上の兵器に留まらないのだということを2月5日付の産経新聞記事「風を読む」で中静敬一郎論説副委員長が解りやすく述べています。
 今、私達が抱く実感です。

<引用開始>
 核保有国の北朝鮮とそうでない日本との力関係が大きく変化してしまったことを押さえておきたい。‥(中略)‥北が核実験に成功した昨年10月9日の前は、日朝の国力の差は隔絶したものだった。国内総生産(GDP)は日本4兆7000億jに対し北朝鮮220億jで214分の1、一人当たりGDPは日本3万6850jで北は969jで38分の1。人口は日本1億2742万人に対し、北は2291万人で6分の1弱だ。 それが核兵器によって一変してしまうことをフランスの核抑止論を確立したピエール・ガロワ将軍はかってこう予測した。「核保有国と、この兵器を持っていない国との間では、空前の不均衡が生じる。核戦力を持っていない国は、核保有国に対して全くの無防備状態にあるということと、軍事同盟に依存していても、昨日までに得られた安全保障はもはや期待することはできないという二重の不利を負う事になる」
<引用終わり>

 中国(毛沢東)はこの核兵器の威力をはっきりと理解し、一杯のスープを分け合ってでも、またズボンを履くことができなくとも、核兵器を持とうとしたのでした。そして核兵器は勿論のこと、いまや人工衛星をも打ち落とせるほどの強大な軍事力を持つに至ったのです。やがて世界の誰にも押さえ切れない怪物になるのは、もう目前のような気がします。
 北朝鮮も、このいきさつをしっかりと捉え、中国と同じく、民に食べさせることを後回しにして、なりふり構わずに核兵器の装備を最優先にしたのです。そして、いまやアメリカと対等にひざ詰め談判をする身分になってしまいました。本当に悔しいことですが、金正日の高笑いが聞こえます。
 我が国は今、安全保障上、本当に危機的な状況になっていると思います。これまでは暗示的な圧力であったのですが、軍事力を背景にした明示的な圧力がかかって来ております。
 いまや、再度核論議をすべき情勢になっているのです。
 柳沢発言(女性は産む機械)など、どうでもよろしい。

☆ひとりごと

19.2.2

暗澹(あんたん)たる思い
 最近、暗澹とする気持ちにさせられていることが2件あります。

■暗澹、その1。

 「あなたを忘れない」という韓国映画があります。数年前にJR新大久保駅でホームに落ちた日本人を救おうとして電車にはねられた韓国人青年を題材にした映画です。この試写会がこの26日に行なわれて、それに天皇皇后両陛下がご公務としてご出席になりました。

 さて、まずこの映画自体に対して、です。
 実は、あの電車事故にはもう一人の日本人が救助にかかわっておりまして、その方もこの韓国人青年と同じく電車にはねられて亡くなっているのです。当時行なわれた報道からして変だったのですが、スポットライトはこの韓国青年に対して、より多く当たっておりまして、同じ立場の日本人の方は少しかすんでおりました。(皆さんご存知でしたか?)つまり、左がかったメディアが韓国に擦り寄って韓国寄りの報道がされていたということなのです。
 そこに、今回のこの映画です。
 ポスターは韓国青年一人が線路上に立ちはだかった図柄になっております。映画の中身は見ておりませんが、概ね想像できますね。多分、もうひとりの日本人が描かれていても印象にも残らないような作りになっているはずです。相変わらずの韓国人の心根が非常に良く分かる映画になっていると思います。
 
 そして、ここまでのことでしたら、ああまたか、韓国の方は付き合いに難いねぇ、と思えば済むのですが、話はこれで終わりません。こんなゴミ映画を、こともあろうに天皇皇后両陛下に見て頂くというセットをした、変な日本人が居るのです。このことに強い怒りとやるせなさを覚えます。
 両陛下のおでましを要請したのは、あの「日本の」外務省だそうです。こんないい加減な、韓国愛国教育のために作られたような、ゴミ映画をなぜ両陛下がご覧にならねばならないのでしょうか。もし、ご覧になって頂くとすればアメリカで製作された「めぐみ−引き裂かれた家族の30年」の方ではないでしょうか。(皇后陛下は拉致事件について特にコメントもなさっています。)
 こんな品のない映画を作るのは、あの韓国がやることだからある程度仕方ないとしましょう。しかし、これを元にして我が外務省、宮内庁が、韓国の手玉にとられていることが本当に口惜しいです。更には、実は「日本の」文化庁がこの映画の製作に当たって3000万円の資金を出しているそうです。もう、云うべき言葉がありません。暗い穴の底を覗き見る思いがしませんか。

■暗澹、その2。
 産経新聞1月26日の記事によると、
<以下要旨引用>
 「南京事件(いわゆる南京大虐殺のこと)」をテーマにした米ドキュメンタリー映画「南京」が、米国サンダンス映画祭で初公開された。映画は、当時南京に滞在していた欧米人の証言、事件で生き残った中国人へのインタビュー、旧日本軍兵士へのインタビューの三つの角度から事件を描く構成になっており、中国側のインタビュー部分には、生存者が出演し、涙をながしたり、傷跡を示したりしながら、日本の残虐性を訴えている。一方、旧日本軍兵士の部分の多くには、日本国内の平和活動家によって収録されていた過去のインタビュー映像を使用。一部には、文脈は不明ながらも、笑いながら虐殺を語る映像なども挿入され、中国側との対比が強調されている。
 この映画の制作陣は産経新聞と会見し、「反戦映画ではあるが、反日映画ではない」と述べる一方、中国の国営テレビ局との共同制作の形をとっていることなど、中国との密接なかかわりも認めた。同作品は、中国中央テレビ(CCTV)の協力を受けて制作され、今後同テレビでの放送が予定されている。
<引用終わり>

 映画制作陣は否定していますが、アイリス・チャンの書いた(捏造本といってもよい)「レイプ・オブ・南京」に触発され、これを下敷きにして製作しているものと思われます。そして、更に重要なことですが、映画制作にあたって、新聞記事では共同制作と言っているものの、実態は中国の強力な経済的支援、指図があったはずです。この映画が、中国国内で放送されるだけなら、いつものことでどうと言うことはないのですが、これが世界に配信される訳ですから大変なことになります。中国によるプロパガンダが、今度は映像という非常に大衆受けする形で流され、世界の多くの人たちに刷り込まれようとしています。
 今年は、この映画のほかにも、同様に南京を題材にした映画が、中国、香港、米英中合作によって、なんと合計7本も製作が計画されているそうです。今年、このように集中しているのは、いわゆる南京大虐殺(我々から云えば「南京攻略」です。)の70年に当たるということから、中国がこれを節目にいろいろなところに手を回しているからです。
 その目的は、改めていうまでもなく、日本つぶしです。かって李鵬が「日本は10年か20年で無くなってしまう国だ。」という発言を公の場でしていますが、中国は連綿としてこの考えを保持し実行に移しているのです。
 この度の安倍首相誕生を奇禍として、靖国問題の沈静化が図られまして、よかったよかったというムードが一部にありますが、それは敵の一時的な戦術であって、その心は全く変わっていないということなのです。この例は、ほんの一例であって、中国はさまざまな分野で広く情報戦を戦っており、着実にポイントを上げているということなのです。

 以上、二つの「暗澹」を書きましたが、私たちの見えないところで実に巧妙に物事が動かされています。そして、国内国外において日本がどんどん貶められていく。本来、美しい国に泥が塗られているのです。安倍首相を心から応援します。

(なお、日本側も反撃ののろしが上がりまして、日本側の立場からの映画製作が行なわれるようです。http://www.nankinnoshinjitsu.com/# 
 もちろん、内容は、我が軍は正々堂々の南京攻略戦を闘ったのであって、言われるところの恣意的な南京大虐殺など無かった、というものです。無かった話をする訳なので映画としては作りにくいと思われますが、是非とも受けの良い解りやすい映画を作って頂きたいと思います。)

☆ひとりごと

19.1.2

一般参賀、靖国神社に初詣

 我が家の年頭恒例行事になりました一般参賀、靖国神社初詣に行って参りました。

 今年の一般参賀は新聞報道によりますと、6万8830人だそうです。去年は雨交じりでしたので少し淋しかったのですが、今年は天気も良く去年よりも人出が多かったようです。
 
 左の写真は、陛下ほか皇族の方々がお出ましになって、手を振っておられるときの情景です。
 群集の向かって右側と左側から「天皇陛下万歳」の声がします。私も、思い切り大きい声で唱和したいと思っているのですが、いつも私の周囲にはそういう雰囲気が残念ながらありません。

 この旗が振られている期間、陛下以下、とても丁寧に手を振っておられます。特に皇后陛下は、左から右、右から左と、お体をその方向に向けながら一人一人の顔を見るような感じで手を振られております。

 左の写真は、陛下のお言葉を頂いている情景です。

 お言葉は「新しい年をともに祝うことをうれしく思います。年頭に当たり国民の幸せと世界の平安を祈ります」というものです。簡にして明、陛下のお気持ちがこもった有り難いお言葉だと思います。

 お言葉が終ると、一瞬の間をおいて上の写真のような情景になります。静寂が破られ、小旗が打ち振られてさざなみのような音が庭一杯に広がるのです。そして、「天皇陛下万歳」の声。

 参賀をおわり、娘(20)が言いました。「旗を振っていると、自然と笑顔になっている自分がいる。とてもすがすがしい気持ちになる。また来たい。」と。
 代表的日本人の気持ちを言い表していると思いますね。


 なお、3日の産経新聞によりますと、安倍首相は、政府の「皇室典範に関する有識者会議」が答申した「女系天皇容認」を白紙に戻す方針を決定したそうです。
 最近、安倍首相のことをとやかく言う風潮にありますが(民主党の小沢代表などは「安倍政権は末期的症状だ」などと、自分のことを棚にあげた妄言を吐いておられます。)、私は、やるべきことをきちんとやっておられると思います。次は、まともな審議会が立ち上げられるはずです。応援しています。

 

 参賀を終わり、乾門から武道館前を通り、靖国神社に行って参りました。

 初詣が靖国神社というのは、ちょっとそぐわないかもしれませんが、毎年結構な人出です。
 
 我が家では、最近は、8月15日と1月2日が恒例となりました。

 
☆ひとりごと

18.12.30

「硫黄島からの手紙」観ました。

 この暮の忙しい時に、かねてから観ようと思っていました「硫黄島からの手紙」を観ました。
 
 感想を一言で言いますと、少し期待はずれでした。
 戦闘シーンが目につき過ぎて、栗林中将の辞世である「‥散るぞ悲しき」の心がうまく表されていないように思いました。

 ちなみに、栗林忠道陸軍中将の辞世は、
 国の為 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞかなしき 
 というものです。
 「(硫黄島における最後の敢闘を行なおうとするものであるが、)弾丸尽き、水も涸れ、ついに戦うための手段を失い、本土防衛の要地確保という任務を達成できないことは、これほど残念なことはない。」(こちらもどうぞ

 
 監督はクリント・イーストウッドでして、栗林中将の書簡集を読んで感動しての撮影だったようですが、その感動がメッセージとして私には伝わってきませんでした。同行した妻も「戦争映画は怖くて‥」というのが感想でしたから、同じような受け取り方をした方は多いと思います。
 イーストウッド監督もやはり娯楽映画ねらいというか、単純に受けの良い映画作りへの誘惑に勝てなかったのでしょうか。

 私に言わせれば、この映画の第1のテーマは、「一日でも長く、米軍による日本進攻を防ぐために、援軍・補給は絶対に無いという絶海の孤島という極めて過酷な環境の中で、命を捧げた私達の祖先が居たということ」でなければなりません。そして第2のテーマが、「その目的のために、従来の万歳突撃に代表されるような作戦ではなく地下トンネルを張り巡らすという合理的作戦を考え、それをまた挙隊一致で成し遂げた、和魂洋才兼備の指揮官の手腕の見事さがあった」ということではないかと思います。そして最後に「散るぞ悲しき」の想い‥。

 この映画では、その基本テーマについて一応の説明はされているもののかなり不十分であった、ということです。
 
 また、その他末節においても、もうちょっと、どうにかならなかったのかという点がいくつかあります。
 ・セリフが早くて聞き取りにくい。
  軍人が主人公ですから、そういう演出かもしれません。しかし、大事なセリフが聞き手に伝わらなくては何にもなりません。もう少しゆっくりとはっきりと話すべきです。
 ・用語が変
  脚本は米国人(女性)が書いており、当然それを訳した人(日本人)が居る訳ですが、「rifle」を「銃」と訳さずにそのまま「ライフル」と言わせているのですね。これが一番耳障りでした。また、「officer」を「将校」と訳さずに、栗林中将に「士官」と言わせているのですが「士官」は海軍の用語ですので栗林中将はそういわなかったはずです。
 ・憲兵の非道?
  当時の国内における、憲兵の極端な非道ぶり挿入されています。
  その内容は、憲兵が市中見回り途中、ある家の飼い犬が吠え付いてくるのでそれを拳銃で殺すというものです。ストーリーの展開上必要なシーンとされたのですが、このこと自体はほぼありえないことです。(犬が吠えるから殺すという発想を陸軍将校が持つというのもおかしいし、一定の管理がされていたはずの銃弾を浪費するというのもおかしいです。)恐らく、浅はかな日本人スタッフの入れ知恵だと思いますね。NHKの見過ぎです。
 ・兵隊の数が少ない
  常に、分隊〜小隊単位の規模でしか写されていないのです。2万人の守備隊であったのですから、ここでこそ映像の力で、その規模を1駒でよいから見せるべきと思いました。そうしないと、陸軍中将がまるで小隊長か中隊長のように見えました。
 ・上官が部下を斬首?
  現場にたまたま居合わせた栗林中将が止めたので事なきを得るのですが、こんなことはいくらなんでも無いと思います。戦闘中に、ですよ。監督、脚本に???です。

 以上、期待が大きかったものですから、酷評になりました。
 しかし、映画作りというの難しいと思いますね。
 一般的に、映像の力というのは極めて大きいと言ってよいのですが、単純なイメージを与えるのには向いているということであって、人間の心理などという映像で表現しにくいものには当然向いていません。この点はやはり、小説の力というか言葉の力に叶わない、と最近思いますね。

 
☆ひとりごと

18.12.14

首相、自らの報酬をカット

 安倍首相は13日、政府主催のタウンミーティングにおけるやらせ質問などの不祥事があったことを受けて首相としての歳費3ヶ月分を国庫に返納することにしました。
 タウンミーティングに際しては関係スタッフに対して異常な高額の手当てが配布されていたようです(エレベータのドア担当に1万5千円?!)。  数字の上では政府の責任者たる首相がこれを弁済するという格好ですが、もちろん首相は返せば済むと考えているのではありません。このような分かりやすい形で責任の所在を明らかにして反省の意を表したということだと思います。
 少し下世話な話になりますが、新聞報道によりますと、首相の報酬は月約234万円だそうでして、既にそのうちの3割を財政再建のために自主返納しておられます。(内閣発足のときに、キッパリとそういう処置をされています。ちなみに各閣僚は1割を自主返納。)
 従って首相の報酬は約164万ということになります。このうち、議員としての歳費分約130万円については受け取られるそうですので、今回返納されるのは月34万円。3カ月分では合計約100万円となります。つまり、黙っていれば毎月234万円のところ、首相就任以降164万円に自ら減額しているその上に、向こう3ヶ月は130万円にするというわけです。これは、本来の55%、約半分の額です。
 
 さて、これをどう見たらよいのでしょうか。
1 当然だ! たくさん貰っているのだから、その位いいのではないか。
2 偉い! さすが「美しい国」を目指すリーダーだ。
 
 私は、最初直感的に抱いた印象は前者に近いものでして、悲しいかなひがみも混じって貧乏人根性が丸だしでした。でも、考えてみると、そういう見方そのものは恐らく間違っているし、またそのようにしか見られない自分の惨めさに気がつきました。
 つまり、2の見方が正しいし、そういう見方をするべきなのです。
 
 まず、報酬が高額であることについてですが、あの激務から考えればこれは当然なのです。一方で、私たちは自分たち自身が手にする報酬は低いと思いがちですが、実はそれはそれぞれの働きに相応しい額なのです。そういう理解のうえで、私達は安倍首相ののように潔く自分の報酬を自分の手で半分にカットできるでしょうか。安倍首相はそれをやっているのですね。(安倍首相の身になってみれば(当人はそこまでお考えにはなっていないと思いますが)やはり、そこそこきびしいと思います。だって、お金ですものね。)

 私は、この部分に安倍首相の決意を感じます。さらには、国民に対して、「美しい」ということをわが身をもって示すリーダーとしての凛々しさを感じます。
 安倍首相は著書「美しい国へ」のなかで、「欲と得だけで物事を考えてよいのか」と問いかけています。「美」とは「欲得」の対極あるものなのです。こういう気持ちを国民が取り戻せば日本は良くなっていく。それが首相の考えなのですね。私は大いに賛同します。

 ところが、メディアは今回の首相の今回の処置をこのような観点であまり報道していません。メディアが本来行なうべき国民教育の好機なのですが、それぞれが持っている脛(すね)の傷が気になるのか、そういう動きはありませんね。やっていることといえば、あいも変わない目を覆いたくなるような事件事故を報道することでして、このことで国民の意気を消沈させ、あわせて自己防衛と相互不信を強化させています。また、過剰な量のお笑い番組を垂れ流すことで愚民化を推進しているのです。
 
 メディアは、首相の決意を解説し賞賛すべきです。日本が、このリーダーの下で「美しい国」になっていくように、国民の心に潜在する「美の意識」を揺り動かすべきです。

 
☆ひとりごと

18.11.8

核兵器開発製造計画書

 「核保有の議論はあっていい」という中川政調会長の発言は、あっという間に波紋が広がり、百家争鳴の状態になっています。そして「論議すべきでない」などと言っている人たちも、結局、中川政調会長の高等戦術にはまった形で「論議」しちゃっているのですね。

 一昔前だと中川さんは辞めさせられていたでしょうが、そうはなっていません。今の国際情勢の中、国民の意識が大きく変わってきたということなのです。このことは、世論調査に良く現れていまして、「核保有について議論すべきだ」51%が、「議論すべきでない」43%を上回っております(報道2001世論調査)。この厳正な結果を受けて、核3原則という言葉に金縛りになったままの民主党をはじめとする「あほだら教徒(石原都知事命名)」は相当に力を落としています。

 そもそもこの問題は、議論すべきかどうかというのがその端緒であった訳ですが一挙にその段階を通り越してしまい、問題の核心ともいえる「日本は核武装をすべきか否か」という問題に突入してしまっています。つまり、問題の所在は皆さんしっかり認識できているということなんですね。結構なことです。

 さて、この問題についての私の考えは「原則、保有すべきである」というものです。
 国防は国家にとって最大の責務であり、そのためには確固とした軍事力を保有していることが必須であります。そして、その軍事力は相手国を屈服させ得る力でなくては意味がありません。従って、国はその軍事力が最強になるように常に努力を払っているわけです。そうしなければ、国家国民を守るという責任を放棄することになるからです。

 では、現時点で最強の兵器はなんでしょうか。
 それは、核兵器です。
 非人道的な兵器であるだとか、唯一の被爆国であるからだとか、非核3原則があるとかいう声が聞こえそうですが、そんな情緒的な、あるいは大甘な言葉で片付けられる問題ではありません。世界の現実は厳しいのです。実際、北朝鮮、中国の核兵器が日本に照準を合わされているのですよ。(北朝鮮は、東京を火の海にするぞ、とさえ言明しています。)
 核兵器で攻撃されれば決定的に敗北、これで攻撃すれば決定的に勝利。そのような兵器なのですから、国民の生命と財産を守る為にはこれを保有しなければならないのは当然すぎるほど当然なのです。実に簡単な理屈です。(10月9日、弾道ミサイルを打ち落とすためのミサイル(パトリオット)を米軍が沖縄に配備しようとしましたが、沖縄の市民団体はこれを岸壁で阻止しようとしたそうです。自分たちを守ってくれるものをいらないというのですから、その神経が全く理解できません。)

 しかし、と言わなければならないのが実に悩ましいのですが、今の日本が置かれた情勢では国内的にみても国際的にみても大変難しい、というのもまた現実です。
 世界唯一の被爆国であるから、という理屈にもならないハナシはさて置きまして、よく引き合いにだされる国際条約(NPT;核拡散防止条約)との関係について考えなければならないと思います。
 国際条約ですから脱退をするということは、国際社会に背を向けるということです。更にはアメリカの不快を買い、関係が悪化するという非常なデメリットも考慮しなければなりません。(実はNPTは実体としては有名無実になりつつありますから、あまり大きな考慮要件にならないのかもしれませんが、信義の国日本としてはここは絶対的に遵守すべきと思います。)

 さてこれからが本題ですが、そのNPTによって非核兵器国である日本が禁止されていることは何かというと「核兵器の製造、取得」です。つまり、完成品としての核兵器を保有してはならないといっているのです。
 そこで、です。
 私は次のようにすればどうかと思うのです。
 一言で言えば、完璧な核兵器の開発・製造計画書を完成させるという段階にとどめて実際には製造しないのです。NPTには抵触しません。そして、この完璧な計画書を策定したことと合わせて当面は製造・実験は決して行なわないと公表するのです。この際に、「工期は1ヶ月から数ヶ月であり、製造技術力が極めて高度であることから即実用に供し得ると考えられ、核実験はほぼ必要としない…」程度にかましてやればよいでしょう。
 11月8日の産経新聞によれば、日本は原爆470発分のプルトニウムを保有しているそうです。(記事によれば;平成17年末現在、原子力発電用のプルトニウムを国内に焼く5.5トン、海外(英仏)の再利用施設に焼く37.9トンの計43.8トン保有している。プルトニウム約8キロで原子爆弾が作れるとされ、国内分だけでも約470発の原爆が作れる計算だ。)この新聞記事を添付してやれば、さらに効果的ですね。

 中川政調会長が、「議論すべきだ」と言っただけで、各国は日本に対して真剣な眼差しを向けました。ライス長官が日本にすっ飛んできたくらいです。それほど、日本の核保有は可能性が高いとみなされており、かつまた保有した場合に軍事バランスが大きく変化し混乱におちいるという恐れを抱かれているのです。
 凄いカードではありませんか。
 ここで、沈黙していてはかえって疑心暗鬼を呼びます。
 そこで、「持たない」と(ただし「当面は」と付け加えて)高らかに明言し、あわせて「昨今の情勢を踏まえて十分な研究は行なう」と言うのです。
 いかがでしょうか。
 核保有国になってはいないが、準核保有国としての優位な地位が築けると思うのですが…。

 伝家の宝刀という言葉があります。
「この刀、絶対抜かないよ。
でもね、ことと次第によったら抜くかもしんないよ。
わかる?そこの人。
少し静かにしてね。」
 ということです。

 
☆ひとりごと

18.8.12

心が亡くなった(いわゆるA級戦犯の合祀)

 15日まであと3日です。
 まず私の予想から。
 メディアで大混雑する中、小泉さんは必ず参拝されます。
 翌日の朝日新聞はこれを非難する紙面になります。支那朝鮮も、悪態の限りを尽くした発言をするでしょう。NHKはじめテレビ各局は、おざなりの事実関係を報道をした上で世界の各国(といっても支那朝鮮だけ)の反発状況を流すでしょう。韓国では、またまた国旗を燃やすパフォーマンスが行なわれ、これを国民は嘆息しながら見なければならないのでしょうね。
 その一方、一般の参拝者は昨年の20万人を軽く突破するでしょう(希望的観測含み)。
 そして、この後が肝心ですが、この空騒ぎは1週間もたないのではないでしょうか。
 小泉首相が(結果的に)対中国の姿勢を鮮明にし、これが多くの日本人の心の奥底にあるものを満たし、国民は小泉さんの行動を支持するからです。支那朝鮮は、指導者層が悪いのであって国民は悪くないという分断作戦を取ってきておりましたが、ここに指導者と国民が肩を組むことになる訳ですから、もうこのカードは使えません。
 私の予想が当たるかどうか、参拝者の数に依るところが大きいのですが、いずれにしても今年の8月15日は日本にとって大変大きなエポックの日になるのではないでしょうか。

 さて、「心が亡くなった」という標題についてです。
 このところ、テレビがヒートアップして来ました。
 テレビ番組は、今最大の政治問題は「靖国参拝」である、とまで言っております。自分達で騒いでおいて、自分でそれに興奮している状況なのです。
 そして、番組の中でこれと同列に立ってコメントをする国会議員、知識人、評論家‥、皆コメントのためのコメントをしているようにしか聞こえません。次の総選挙に影響がどうのとか、公約を守ることになるとかならぬとか、中国との関係がどうこうとか、… 大事な事が完全に抜けています。
 それは、今この討論には参加できない、戦争で散華した方々の存在についてです。
 その方々の多くは、自分達が靖国に祀られ、陛下をはじめとする国民の感謝と慰霊があることを信じて逝かれたのです。そしてその方々というのは、実はテレビで口角泡を飛ばしている皆さんに繋がる先祖の方々なのです。大変に重いそのことを脇において、よくもまあ末節のことを喋れるものだ、と思うのです。

 こういうと、いやいやそうではありません、僕達が議論しているのは(いわゆる)A級戦犯のことです、と言われるかもしれません。これら指導者は責任を取るべき人たちであって、赤紙を貰って召集された人々と区別してしかるべきだ、と支那朝鮮の代弁をしているあなた! 指導者と指導された人をどう区別するのですか。トップの総理大臣から始まって各大臣、次官、局長…責任者は切れ間なく繋がっており、おまけにそういう方々は戦争期間中に何人も交代しているのです。国民が選んだ国会議員にだって大いに責任があるはずです。これを、誰がどう区分するのでしょうか。不可能です。
 いやいや、だからA級戦犯に限るのだ、というあなた!敵国アメリカによる極めて恣意的な裁判もどきで一方的に決めつけられた「戦犯」を認めるというのですか。
 最近気がついたのですが、合祀されたA級戦犯とされる14名の方々を見ると、松井岩根大将はA級(平和に対する罪)ではなく、正確には「戦争法規遵守の義務違反(訴因55項)」ですからB級です。また、松岡洋右元外相、永野修身元海相は拘禁中に死亡されており、両人に対する判決は下っていないのです。つまり容疑者ではあったが(A級)戦犯とはされていないのです。
 こういうことを配慮せず、合祀された14名をひっくるめてA級戦犯とする粗雑な把握の仕方をして議論をしているように、私には見えます。
 なぜこうなのでしょうか。
 それはこのような人達に、14名の方々を我が同胞、我が祖先とする見方が無いからです。
 つまり、そこに「心」がないからです。
 きつい言い方をすれば、今の自分達だけを中心にして世界が回っているという大いなる錯誤をしているのです。傲慢無礼、無知蒙昧。
 今日もテレビで、なにやら喋っている人たちの顔を見ていると私にはそのように見えますね。

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