(↑に続く)

18.8.26

左手の動き(2)

 今、本庄追分を習っているところです。
 前回(19日)までで、前奏を終わりまして、今日で上の句(歌の前半)を終りました。

 前奏の最後の部分は、歌の導入にあたる「キタァサァーキタサー」という掛け声の部分ですが、三味線ではこれを「3連符(ちりら)+♪、♪♪(ツーン)」というリズムで弾きます。 
 今日の稽古の最初に、この「3連符(ちりら)+♪」の♪が早いという指摘を受けました。

 どう弾くかというと、「3連符(ちりら)」を弾いたあと、左手を直ぐに次のポジションに持っていって待ち構えるようなことをせずに、「3連符(ちりら)」を確実に弾いたあと、次の「♪」を弾くタイミングの時に(おもむろに)左手をその方向へ動かす、というのです。これは、このときにきつく言われたことと同じです。

 次のポジションを直ぐに押さえられるように、早めに手を動かして、待ち構えるというのはダメなのです。あくまで、その音を鳴らす瞬間に指をサッと運んで、ングッという感じでポジションを押さえ、同時に音を出す(撥を打つ)ということなのです。

 これに対する私の理解は、ギリギリまで直前のポジションを押さえることで、その音を十分に鳴らす(響かす)ためである、というものです。仮に直前が開放弦であっても、日頃からその習性がつくように、そうするのだと思います。 これでよいのでしょうか。

練習曲;本庄追分

18.8.14

本場阿波踊りに参加(徳島)

 (今日も、三味線にはあまり関係ありません。)
 少しやりすぎかなぁとは思ったのですが、阿呆振りを発揮しまして、同期の高○君(締め太鼓担当)とともに徳島くんだりまで出かけてきました。 


 連の名前は「かもめ連」。
 徳島に所在します「海上自衛隊徳島教育航空群」の隊員とその家族から構成される連です。
 事前の練習なしでいきなり本番だったので、やや不安でしたが、奏法は厚木基地の「ちどり連」と同じでして、全くスムーズに演奏できました。
 各連の奏法には多少バリエーションがあるようですが、恐らく厚木基地「ちどり連」の方がここに教えを受けたことで同じ奏法になっているのだと思われます。
 
 写真は、ビーチクラフト社のTC-90の模型です。
 徳島基地では、これを使って学生の計器飛行訓練をやっております。

 

 
 写真は、踊りの会場。桟敷になっています。
 桟敷は、有料と無料のものがあって、これは有料桟敷席です。
 どの連も、お客さんの前で踊りたいのですが、ある程度の格があって、抽選に合格することが必要なのだそうです。今回は、幸運にもここで踊ることが出来ました。
 他の一般の連を見ていますと、人に見せて喜んで貰おうというのではなく、どちらかというと自分達が楽しむという風でした。それは、踊っている人の顔つきを見、踊りを見れば解ります。(大学生の連などはその典型でしたね。)
 ただし、いわゆる有名連はこれと違うようでして、見せるパフォーマンスがあるようです。

 全4日間(12〜15)のうち13日のみの参加でしたが、町中がうなりをあげているといった状況でした。これが4日間続くのですから、大変なものです。
 ただし、その分16日の祭りの後は、急に普通の街になって淋しくなるのだそうです。

 しかし、お祭りは良いですねぇ。特に、参加するのと見るのとでは随分違います。
 派手な衣装を着ければ、それでもう晴れがましい気持ちになります。
 演っているときの高揚感、終ったあとの充足感。
 足腰がふらふらになり、腕が痛くなっても、全く気になりません。

 また来年もやろうかなぁ…などと思いながら帰路についている自分がおりました。



 夕方6時。徳島駅前の大通り。
 最初の演舞のスタート直前の踊り手達です。
 かもめ連は家族も構成員になっておりまして、先頭は小学生の子供達です。

18.7.30

ちどり連「鳴り物」 (下の続きです)


 ちどり連の鳴り物のフォーメーションです。
 この前方に踊り手が位置しております。(写真では右側にあたりますが、写っていません。)

 先頭に鉦2丁。右寄りが先任の鉦で、総指揮官です。連長といいます。
 右翼(写真手前)が三味線。今回は7丁。
 左翼(写真右奥)が、笛10本。
 最後尾(写真左)が、太鼓。大太鼓3、締め太鼓7。
 恐らく、参加した連のうち最大の鳴り物であったと思われます。(他をみていませんので、細部不明。)
 
 

 鳴り物を左翼側から見た写真です。
 ほとんどが自衛官ですから、比較的頻繁な転勤があるために、メンバーの入れ替わりが激しいようです。したがって、その分、新人が多いという悩みにつながります。ただし、訓練に対する順応性は抜群なので、なんとかなってしまうということのようです。それと、伝統の力ですね。(結成29年)
 三味線も3人が新人でして、今シーズン始めて三味線を持ったということでした。
 それでも、結構音が出てましてビックリしました。

 来年が楽しみです。

18.7.29

大和市阿波踊りに参戦

 29日(土)、30日(日)の両日、神奈川県大和市で阿波踊りが行なわれています。今年で30周年。関東でも老舗の阿波踊りです。
  私が参加した連は「ちどり連」といいまして、海上自衛隊厚木基地の隊員で構成されております。私はOBとしてお手伝い(押しかけ)をした訳です。
 本番の前に、コンテストが行なわれまして我が「ちどり連」は優勝しました。優勝賞金はなんと20万円。ただし、その場で、福祉に使って貰いたいと寄付致しました。

 写真は、婦人自衛官(正確には女性自衛官)によるフォーメーションです。
 躍動美、統制美、そして笠の下に見える笑顔…。
 この阿波踊りでは、写真コンテストがあわせて行なわれておりまして、撮影の的になっていました。



 開始前の、スタッフとの調整状況です。
 ちょうちんに年季が入っています。
 右側の作り物は、我が海上自衛隊の主力哨戒機P−3Cの模型です。ライトが点くようになっています。

 本日の三味は7丁。他の連にはない構成です。 鉦(かね)と太鼓と三味と笛が音楽隊になる訳ですが、これを「鳴り物」といいます。
 このうち、どうしても鉦・太鼓が主になりますが、その背後に笛、更にその背後に三味線の音が聞こえることで、鳴り物の厚みがグッと増すのですね。
 
 5時半にスタートしまして9時20分に終了。
 あっという間の4時間でした。



 参加した連によって、趣向が凝らされています。
 どんな踊りだったのでしょうか。
 残念ながら、踊っていうるところは見られませんでした。


 昨年は、東林間の阿波踊りに参加しました。
 17.8.6「阿波踊り@東林間」17.8.7「よしこの」を見てみて。

18.7.23

消音器(Mute)

 三味線の胴は皮を張った太鼓です。
 津軽三味線の場合は、撥でこれを「打つ」又は「たたく」訳ですから、とても大きな音が出ます。
 普通のお家でこれを思い切ってやれば、その昔のピアノ殺人事件ならぬ津軽三味線殺人事件になりかねません。
 そこで、写真のような消音器です。
 これは、スポンジを適当な大きさに切ったもので、アイデアはどなたかのHPに載っていたものです。
 一般に、音を小さくするためには忍び駒という特殊な駒や、皮の表面全体に板状のものを挟みこむなどのやり方があるようです。しかし、費用効果の面でいえばこれ以上の方法はないのではないでしょうか。
 費用の面で優れているのは言うまでもなく、撥で皮を打つ感触が損なわれないのが、なによりも良いと思いますね。

 左の写真は、この消音器を装着した状態です。
 写真では駒が隠れていますが、カットしたスポンジを挟み込んでいるだけです。
 音が小さくなって、ポトポトというような少し変な音になりますが、練習には十分です。
 スポンジの形を変えたり、軽く挟んだりぎゅっと挟んだりすることで、音量をとるか音質をとるか、いろいろとやってみればよろしいかと思います。


 右の写真は、スポンジの量を倍にした状態です。夜間〜深夜用です。

18.7.15

本庄追分

 本日で、越中おわらが一応完成しました。ただし自分自身としては、どうも、完成したという感じがしません。
 次々と新しい曲をひととおり弾けるようにはなっても、かってのようにあまりうれしくないのですね。一応目前の課題を乗り越えたという意味での達成感はあるのですが、それでよいはずはありません。ただメロディが弾けるということであって、音楽としてそれで良いのか、ということなのです。いわゆる「音楽性」という点で大いに疑問なのです。これで良いのかなぁ、と。

 さて、それは一応おきまして、今日から新しい曲が始まりました。秋田県の民謡「本庄追分」です。
 押し撥で始まる非常に特徴的なリズムの曲で、私の持っている解説本によると座敷唄とされています。確かに、宴会の時にぴったりかもしれません。
 私の持っているCDにも収録されていまして、気にいった歌詞がありました。

 お酒飲む人 花ならつぼみ 今日もさけさけ 明日もさけ

 七七七五の歌詞です。どどいつと一緒ですね。
 

18.7.7

越中おわら節(4)

 おわら節の4回目です。
 これまでに習った民謡では、三味線だけでも曲として成り立つようなメロディ構成になっているものが多かったのですが、この曲は、伴奏という意味あいが強いようでして、単純な繰り返しが続きます。従って、三味線だけでは曲のどの部分を弾いているのか分かり難いということになります。そこで、唄も聴きながら弾くということが必要になってきます。
 唄は、次のような歌詞からなっています。
 <前囃子>
  歌われよ わしゃはやす
 <本唄>
  きたる春風 エー氷が解ける       (上の句)
  (きたさのさー あー どっこいさのさー)
  うれしや気ままに おわら開く梅     (下の句)
 <後囃子>
  越中で立山(たてやま) 加賀では白山(はくさん)
  駿河の富士山 三国一だよ

  (再び)
 <前囃子>
  歌われよ わしゃはやす
  
  …と繰り返す

 この曲で初めて、唄を意識しながら練習しました。
 ただし、歌いながら弾くというところまではなかなか行きません。
 少しづつ練習しようと思います。

18.6.28

越中おわら節(3)

 (左の写真の出典は前回と同じです。)
 
 本日の稽古は、おわら節の3回目です。
 一応、「前奏」と「上の句」まで行きました。
 曲自体は、単純と言えば単純なのですが、ゆったりとしたメロディとそのリズムの付け方がポイントなようです。教え方も難しいようでして、先生がやや苦労されております。
 今日は、その場におられた歌の先生が実際に歌を付けて頂けました。
 こうして一応、デモをやっていただいた訳ですが、おもわず聞きほれてしまいまして、ますます「手」がついていけませんでした。

 この歌で、この踊り、これに旨い酒でもあれば…、きっとたまりませんね。酒を片手に行こうかしら、今年の風の盆。


 
 その他 「撥付け」について。
 順番を待っているときの、私の前の方の稽古の際のご指導の内容です。
 「撥付け」とは、撥を当てる場所を棹寄りと皮の中央寄りとに概ね交互に当てる動作を指しますが、これによってその曲を特徴付けるリズムを作るのです。曲に応じたこの特徴的な撥付けによって、その曲であると分かる訳でして、弾き手のメロディ・アレンジが行なわれて原曲から離れていっても、この撥付けのパターンは変わってはならない、ということでした。
 また、その曲を通じて常に撥付けをする訳ではなく、撥付けしない場所もあるということでした。(この辺は良く分かりません。今度聞いてみよう。)

18.6.22

越中おわら節(2)

 http://earth.endless.ne.jp/users/shima/16owa.htm ここに風の盆のきれいな写真とムービーがあります。

 踊り手は、男性も女性も笠をかぶっています。夜目・遠目・笠のうちという言葉がありますが、阿波踊りの場合と違って、こちらの方は妖艶さを感じますね。
 顔が笠で隠されていると、次に目が行くのは手になります。その手が、美しく妖しく動かされる訳です。そうして、私たちの関心は再び顔に移るのですが、それが隠されて見えない。そこで、その顔は手の美しさと同等であろうと、見えない顔を想像するのですね。
 たいていの場合、私達(特におじさん)は実際よりも数段と美しい顔を想像するのです。いいですねぇ、お互いにとって。(笠の中は実際も美しいけれども、それよりもさらに美しい顔を想像するということです。念のため。)

 今日は越中おわら節の2回目の稽古で、2フレーズほど進みました。
 途中、弦を左指で押さえるときに「トン」という音を出すという、大変地味なテクニックもあります。
 全般に、ゆったりとした速度で、ビブラートも適度に効かせながらしっとりと弾く、・・・という感じでしょうか。

 上のHPは、他県から見物に行った方の写真集になっています。私も一度見に行きたいものです。

 

18.6.15

越中おわら節

 越中おわら節は富山県八尾(やつお)で、9月1日から3日間行なわれる、風の盆という名前で知られる行事のなかで歌われ踊られる歌です。
 私も以前、その様子をテレビで見ましたが、メインとなるのは夜を徹してひっそりと踊られる大変優雅な踊りです。
 その番組では、日中に行なわれた踊りがひと段落ついて観光客もいなくなり、町が少しおちついた夜遅く、家の中に居た浴衣がけの夫婦が、静かに「そろそろ踊りにでようか。」などという言葉を交わして、おもむろに通りにでるのですね。
 そして、確か旦那が胡弓を弾きながら歌を歌い、奥さんが踊るのです。奥さんは通りの端を踊りながらゆっくりと進み、その斜め後を旦那が胡弓を弾き、そして歌いながらついて行く・・。そんな風景だったと思います。

 歌の伴奏は、本来は三味線と胡弓でやるようですが、番組では胡弓だけだったように思います。
 そして今回は、三味線だけの越中おわらです。にぎやかな津軽三味線と違って、大変物静かな曲です。

 さて、この歌に限りませんが、先生は良く「独特のリズム」という言葉を使われます。最近その意味が分かったのですが、その曲の基本メロディ(基本リズムの方が良いかもしれません。)に対して特有の「タメ」をつけるということです。演歌などで、伴奏から少し遅れ目にずらして歌うあれです。
 このタメが基本リズムに加味されて、その曲特有の曲想が作られるということです。これは、楽譜には表現できませんから先生やCDから学びとる必要があります。

 このタメによる特有のリズムは、なにかその地方の方言のイントネーションのようでもあります。津軽民謡であれば、津軽弁のあの口ごもったような喋り方と独特のイントネーション、あれがいわゆる「独特のリズム」と言われるもの相当するように思います。

 越中おわら節のこの「タメ」は、富山弁なのでしょうか。

 

(練習曲;越中おわら節)

18.4.20

安里屋ユンタ(沖縄民謡です)

 弥三郎節を稽古中ですが、本日一応完成。

 一部、完璧といえない部分がありますが、あとは繰り返し練習しだいです。と、いう判断だろうと思いますが、師匠からは「よいでしょう」との御宣託でした。

 「さて、なにをやりましょうか。」ということで、師匠の脳裏ににひらめいたのが、沖縄民謡「安里屋ユンタ」です。
 沖縄といえば、私も丁度1年間勤務をしたことがあります。
 その1年、飲み屋さんでカラオケを相当やりました。沖縄の飲み屋さんのカラオケには、沖縄民謡がたくさん置いてあって、それがまた良く歌われているのですね。ウチナンチュウ(地元の方)はもちろん、内地から来ている方々も競って歌うのです。私もおかげで内地の皆さんが知らない民謡をいくつか覚えましたよ。

 安里屋ユンタは「八重山群島民謡」とされていて、竹富島の民謡であるようです。もともとの歌は、ウチナーグチ(沖縄弁)の歌ですが、現在歌われている歌詞は、昭和15年ごろ東宝舞踊団が沖縄民謡をいくつか紹介するときに、まったく改作したものだそうです。

 サァ 君は野中のいばらの花よ
 暮れて帰れば ヤレホンニ引き止める
 マタ ハーリヌ チンダラカムシャマヨ

 三味線のメロディは、ほぼ歌のとおりに弾けばよいようで、特段の難しさはない様に思われます。今回は、きれいな音を出すことを目標に練習しようと思います。

 調弦は、本調子です。
 三線もこの調弦なのでしょうか。

(練習曲;安里屋ユンタ)

18.4.10

「歌う」ということ(ちあきなおみ)

 最近、「ちあきなおみ全集〜黄昏のビギン〜」というCDをしょっちゅう聞いています。

 本当に歌がうまい。
 どこがうまいかというと、
@ 発 声
  特筆すべきは、余裕のある低音が良く響いて出ているということです。美空ひばりの艶のある低音も良いのですが、ちあきなおみの低音は、ややかすれぎみですが伸びがあってビブラートが効いた渋いいい声です。ぐっときますね。美空ひばりより音域は広いのかもしれません。
  そして、一音一音が大切に発声されています。普通の歌手ですと、歌いだしの音が不安定なのですが、ちあきなおみの場合、歌い出しに限らず、常にいい音になっていますね。

A 表情の付け方
 いろいろな音色が使い分けられています。ささやくような声、甘い艶っぽい声、胸を響かせた声、シャウトもあります。 
 そして曲想によって、歌い方が変えられています。
 「秘恋」という曲の、忍び泣くような歌い方、「昭和えれじい」の胸を張ったような、宴席を楽しむような歌い方、「かもめの街」のけだるさ一杯の歌いだし・・・・・。
 ついでに「東京の花売娘」はスローテンポのジャズです。これも良い。

 つまり、基礎がしっかりできていて、適切に適用できて、「歌う」ことが出来るのですね。「歌う」というのは、譜面どおりに音を出せるというのではなく、体全体で表情をつけるられるということです。(高校時代に吹奏楽をやっておりまして、いつも、尊敬する瀧本先生から、そう教えられました。先生「(指揮棒を振りながら)もっと、歌って。もっと、歌って。」)

 実は、ちあきなおみを聞きながら、佐藤弘通のコンサートを思い出しています。
 あらゆるテクニックを使って3本の弦からさまざまな音を引き出し、三味線を大きく揺さぶるようにして弾かれる曲に圧倒されて、途中一瞬頭がくらっとしました。ちあきなおみと相通ずるところがあるように思います。

 今、私は基礎訓練中ですが、そのうちに、ちあきなおみや佐藤弘通のように「歌う」ことが出来るようになりたいと、思っています。


 参考に、好きになったちあきなおみの歌。
黄昏のビギン、かもめの街、紅い花、紅とんぼ、歳月河、昭和えれじい、男の友情、逢いたかったぜ、帰れないんだよ
 でした。


(練習曲;弥三郎節)

18.4.2

ひとかどの人上妻宏光

 テレビ番組(波乱万丈)に上妻宏光が出演していました。

 6歳の頃から三味線に関心を持ち始め、練習に励み、以来三味線一筋の人生。32歳。いま人生の半ばに立って、今でもあふれ出るほどの才能なのですが、これから先どう成長していくのでしょうか。

 私の学生時代、倫理学の教授が、我々学生に対しておっしゃった言葉が忘れられません(というか、それしか覚えていないのですが、)。
 「君たちね、なんでもよいから、ひとつのことを10年やってごらん。10年やれば、ひとかどものになれる。教授にだってなれますよ。継続は力です。」
 この言葉だけはしっかり頭に残っており、折に触れて噛み締めていたのですが、これまでになかなか実行できませんでした。

 上妻宏光に限らず、ひとがどの人というのは、それを築き上げるのに計り知れないエネルギーを費やしています。そのプロセスは通常、他の人の見えないところで行われています。上妻宏光の場合は、三味線が好きでたまらなかったということであったようですが、時には辛いこともあったと思います。しかし、それを乗り越えて25年。
 10年でひとかどの人物になれるとすれば、2.5倍ですから、「ふたかど半」の人物になっている訳です。

 ひとかどの人物というのは、「こうすればこうなれる」という見通しをはっきりしたイメージで持つことが出来、それを実行する意思の力をもった人であるということを聞いたことがありますが、テレビでの上妻宏光のやりとりを見ているとそんなことを感じさせます。
 志村けんが、お弟子だそうです。上妻宏光の志村けんに対するコメントが興味深かったのですが、「お世辞ではなく、見込みがある。稽古の勘所が良く分かっている。」という主旨でした。志村けんもその分野ではひとかどの人物ですから、共通するところがあるのでしょう。

 これまで、上の倫理学の教授の言葉を覚えてはいても、なかなか実行に移せなかった私ですが、この人生の第2ラウンドでなんとかそれをやってやろうと思っています。夏休みの宿題をぎりぎりになって手を付け出した感がありますけれども・・・。

 番組の中で、上妻宏光が何曲か演奏しましたが、そのスタンス(古典もやるが、ジャズやロックにジャンルを広げる)にも大変共感を覚えます。彼が弾いた曲の中には私にも弾けそうなものもありました。
 ガンバローっと。

(練習曲;弥三郎節)

 

 

(↓に続く)