(↑に続く)

 

18.03.26

糸(弦)のメンテ

 糸を硬い撥で打つのですから、撥の当たる糸の部分はどんどん痛んできます。
 特に、1の糸(一番太い糸)の痛みが激しいようです。(写真の、撥の先が当たっている部分)
 
 1の糸(と2の糸)は、撚ってありましてその上にコーティングがしてあります。
 使っているうちに、撥が当たる部分が徐々にささくれてきまして、コーティングが取れてきて、最後は撚りが解けるようにして一気に切断に至る訳です。

 糸がささくれ始めると、音も悪くなってきます。徐々に悪くなりますからその悪さ加減は分かりにくいですが、何となくだれた音になってきます。また、1の糸に特有な「うなり」も弱くなってきます。

 その差は、糸を交換して弾いてみると歴然として分かります。
 したがって、糸はどんどん交換すれば良いのですが、もったいないのでそんなに頻繁に交換することはできません。
 そこで、裏技。
 写真のように、痛んだ部分を下の方に(写真では右方向に)ずらすのです。
 痛んだ部分が、写真の右側のほうにピョンと出ています。このあと、この部分はカットします。

 糸の交換で、もう一つの発見がありました。
 それは、「さわり」がきれいに付きやすくなるということです。
 先生の三味線できれいに聞こえるのですが、「ツーン」という澄んだ音です。

 新しいのが良いのは畳と・・だけではありませんでした。

 その他、
 ただいま稽古中の「弥三郎節」は、はかばかしくありません。
 左手の指使いが大変難しいです。
 でも、難しい分、派手な曲で、練習しがいがあります。
 だんだんと、津軽三味線みたいになってきましたよ。

 

(練習曲;弥三郎節)

18.02.18

ポジションよりもメロディ優先? そして爪を使う。

 ギターやウクレレにはフレットと称するものが着いていて、押さえれば一定の音が出せるようになっていますが、バイオリンやチェロ、そしてこの三味線には、そのフレットはありません。
 三味線では、そのフレットに相当する位置に「ツボ」という番号が割り当てられています。例えば、1のツボ、3のツボ・・と言います。そこを正しく押さえることで正しい音程の音を出す訳です。
 
 さて、メロディは、そのツボを正しく押さえていくことで出来上がるのですが、この弥三郎節では、ツボの位置にあまりこだわらずに、先生が弾くメロディで覚えなさい、という教えです。rつまり、正しい(とされる)音程(音律)にこだわらずに、先生の出す音を覚えなさい、ということなのです。(これは、「十三の砂山」でもありました。音を微妙にずらすというテクニックです。)
 通常、日本民謡も5線譜で表現できるはず(と思っているの)ですが、必ずしもそうではないということです。

 例えば、写真で言いますと、人差し指6のツボを押さえていますが、薬指は実は7のツボのすこし手前(!)を押さえています。7のツボが「ド」に当たるとしますと、本来の「ド」よりもほんの少しだけ低い音を出しているわけです。
 曲全体の傾向としては、薬指で押さえるポジションの場合はやや手前の位置を押さえる(やや低い音を出す)ようです。
 いまいち、合点が行きませんが、指導されるまま稽古を続けたいと思います。その後、私の技量が確立したら、その辺のところを調べてみたいと思います。
 
 さて、そのほかに、3の糸(高音部)のメロディをきれいな音で弾くためのテクニックについて書いておきたいと思います。
 それは、できるだけ澄んだ音を出すために弦を爪を立てて押さえる、ということです。
 人差し指で弦を押さえる場合に爪を使うのは、いわば基本的な技術なのですが、この曲については、薬指も爪を立てなさいということでした。
 写真では、人差し指、薬指ともに爪を立てて弦(3の糸)を押さえています。

 
 高音部の細かいメロディを練習していると、エレキギターをやっているような気分に、少しなります。

(練習曲;弥三郎節)

18.02.11

弥三郎節

 本日、建国記念日。紀元前660年1月1日、神武天皇は橿原で初代天皇に即位されました。
 この日を新暦に直すと本2月11日です。今から2666年前です。
 
 さて、その日を期した訳ではありませんが、本日、津軽願人節を一応卒業し、弥三郎節の稽古を開始。
 調子は三下がり。
 前奏がなんともカッコ良い。比較的長くて泣かせるフレーズが続くのです。
 先生「どうです。いいでしょう。でもそれだけ難しいですよ」と。
 そして、「簡略化した前奏もあるのですが、どっちにしますか」との先生の質問に対して、私、即「カッコ良い方を是非。」と。
 それはそうでしょう、元自衛官としての闘争心?(チャレンジ精神)が湧き上がってきました。
 
 さて、今日は、蕎麦打ちの稽古会の日と重なりましたので、打ったばかりの蕎麦(田舎蕎麦)を持参しました。人に差し上げるの難しい(押し付けになる恐れがある)のですが、そこそこのものができるようになりましたので、思い切ってもって行きました。
 (後日、聞けば大変おいしかった由。まんざらお世辞でもないようなので、また、持って行くことにしました。)


(練習曲;弥三郎節)

18.02.08

津軽願人節(つがるがんにんぶし)

 今日の稽古で、一応「津軽願人節(がんにんぶし)」を最後までおさらいしました。
 
 願人節の歌詞は
 《昔 蝦夷(または江戸)より 願人和尚が 寝物語に この唄を》
 というものです。
 歌の由来を調べようと思いまして、私の持っている民謡の本を開いたのですが、載っておりません。ネットで調べると、概ね次のようなことのようです。

 願人というのは、庶民に代わってお伊勢参りの代参や代願をする人(坊主)のことをいうようでして、この歌はその辺のいきさつを歌ったもののようです。

 この歌を作ったのは、戦後、津軽民謡の神様と言われた成田雲竹とその伴奏者である高橋竹山の二人だそうです。全く新しく作ったのか、当時願人たちによって全国に広まった伊勢音頭をもとにして作ったのか(調べた範囲では)良く分かりません。ただ、伊勢音頭とはかなり強いつながりがあるようです。

 坊主といっても、我々の持つイメージと異なり、ネットの記事によると「大道芸を生業とする下層の被差別民です。乞胸(ごうむね)とほとんど同じ生業をしていますし、生活圏もほぼ重なっています。しかしその成り立ちは少し違っていました。記録によれば願人たちは、京都の鞍馬寺の僧侶のたく鉢での行いが始まりとされる大道芸を行う芸人でした。」ということです。

 おもしろい曲ですが、受ける印象が薄く、感情を込めるなどする余地の少ない曲のように思えます。その割にはテクニックが要求されます。

 ちなみに、合いの手を入れると次のようになります。
 ♪昔ナー蝦夷より 願人和尚が (ハア ヨイヨイ) 寝物語にヤンレー この唄を (ササーヤートコセー ヨーイヤナ アリャリャンコレワイセー コノナンデモセー)♪

 

(練習曲;津軽願人節)

17.11.19

わざと音をずらして表情を付ける

 現在稽古中の曲は、十三の砂山と言う哀調を帯びた盆踊り唄です。 津軽三味線というと、晴れやかな曲調をすぐに思い浮かべますが、このような深い哀調の曲もたくさんあるようです。
 静かな曲は、ごまかしが効きませんから逆に難しいと言えます。
 
 今日は、この曲の最終仕上げということで、音を微妙にずらすという泣ける技法を習いました。
 
  曲中、2の糸の1のツボを使いますが、この正しい位置はネック部分(首の付け根)です。ところがそれを写真のように少し上の方(左人差し指の位置)にずらして弾きます。つまり、少し低い方にずれた音を出すのです。

 弾き比べると、確かによりしんみりした曲調になります。
 これは、西洋音楽ではまず考えられないことです。

 日本人は鷹揚であまり物事にこだわらない、という見方もできますが、音律を変更してまでも、ひたすら美を追求するという探究心が旺盛ということではないかと、私は思います。

 それにしても今日は目からうろこがバサリと音を立てて落ちました。

(なお、倍音相当にあたる、2の糸、3の糸の7のツボも微妙に下げます。
また、これらの技法による音を表情音というそうです。)
 
(練習曲;十三の砂山)

17.11.12

左手の動き(音を追うように)

 左手の役割は、主として音の高低を決めることなのですが、本日新しい考え方を習いました。
 
 左手(の指)は、音符で指示されたその時に動かして、ピタリピタリと所要の位置に持っていくものだと考えるのが普通です。むしろ出来るならば早めにその位置に指を持って行き、待ち構えておいてポンと音を出すのがスマートのように思えます。ところが、それではいけないと言われるのです。そういう弾き方は、アマチュアさんであって、プロはそうしませんとのことでした。

 では、どうするかといいますと、ぎりぎりまで動かすのを待って指を持って行くのだそうです。そうすると、指が弦の上を(所定の位置に向かって)滑り込んでいくような格好になりますから、若干スライドした音になります。波形的には、パルス状の波形ではなく、パルスの前縁がややなだらかになった波形になります。
 「こうすることで、柔らかい音になる」という教えなのです。

 確かに、先生の左手の動きを見ておりますと、音符の動きよりもすこしづづ遅れたような感じの動き方をしています。当初、かっこよさを狙ったものかな、と思っていましたが、さにあらず「柔らかい音」を出すためのテクニックでありました。
 また、こうすることで、その直前のポジションをぎりぎりまで押さえることになるので(開放弦の場合を除く)、その音を十分に伸ばす(響かせる)ことが出来ます。その意味あいも大きいのかもしれません。

 左の写真は、左手の動きのイメージです。
 左手は、写真左下方向から右上上方に向かって動いて行き、所要のポジションを「ングッ」と押さえるのです。
 先生の手の動きを見ていますと、このように流れれるよな手先になっています。
 これをしっかりマネをするのです、との御指導でした。

 一応、十三の砂山は本日で出来上がりです。
 実際に、十三湊の盆踊りに行ってみたくなりました。来年の夏あたり、行こうかなぁ。
 
(練習曲;十三の砂山)

17.10.29

撥の改造(2)

 撥の片側を削って試行中でしたが、比較的具合が良いので残りの片面を削りました。
 この撥は、三味線屋で実際に弾き比べて最も厚手のものを選んだものです。薄手の撥だと、ぴちゃぴちゃという感じが強いように思ったからです。
 しかし、最近ほかの撥(適度の厚さ?)と弾き比べてみて、厚いと音が硬い感じがし、しなりを利用した撥さばきが出来ないように感じました。
 全部、・・・感じ、・・・感じなのですが、まぁそんな感じなのです。
 出来上がりは、写真のように根元がややくびれた状態になっているのですが、・・・・判りますでしょうか。
 弾くときのしなりの感触はまぁまぁになりました。
 音はやや薄っぺらになったような気もします?(腕のせい?)

 シートが2枚写っていますが、これは「やすり」です。
 名称は「精密仕上げ用研磨フィルム」といいます。茶色のシートが3000番(粒度5ミクロン)、白色のシートが15000番(粒度0.3ミクロン)。木工の場合、1000番くらいでつるつるになりますから、これで磨くとピカピカです。
 白色(15000番)は売り場にあったなかで最も目の細かいものを試しに買って見ました。相手が鼈甲(べっこう)ですので、これでも非常に細かい摺り傷ができます。やはり、専用の布製の磨き用の器材を用いる必要があるようです。

(練習曲;十三の砂山)

17.10.17

国本武春の世界

 国本武春は、浪曲師です。
 あわせて、三味線でロック、バラード、ブルーグラスを弾き、歌う。ばかりでなく、落語のような浪曲のような語り口で語るのです。
 中でも、津軽三味線をギターのピックを使ってバンジョーのような感じで、ばりばりと弾くブルーグラスには圧倒されます。
 津軽三味線で、民謡以外の曲を弾く奏者は多いですが、津軽三味線を全く感じさせない弾き方をするのは、この国本武春をおいてはいないのではないでしょうか。

 今夜は、「観客養成講座てりんぐ2005〜むかし話 おとぎ話 つくり話」というステージを聞きに行ってきました。
 トーク(てりんぐ;telling)に歌と演奏を絡めながら、はたまた浪曲を交えながら観客を盛り上げていくのです。そして、そういうなかで世界一の(浪曲の)観客を養成するのだということで、掛け声の方などの指導が行なわれます。

 ステージの構成の仕方、話術の巧みさ、三味線演奏のうまさ・・・楽しいひと時でした。

 

(練習曲;十三の砂山)

17.10.09

撥の改造(1)

 三味線の音が全般に甲高い感じがしておりまして、もう少しねっとりした感じにならないかということで、前回は駒を変えてみました。
 比較的イメージに近くなりましたが、いまいちの感じです。
 前回、駒をいろいろ代えてみたときに、撥も色々な種類を試して見ました。その中に、水牛の角を台にした撥で良い感じのものがありました。よく見ると、鼈甲の部分が私の使っているものよりやや薄めになっており、かつあまりテーパーをつけずに一様な厚さになるように作ってあります。そして聞けば、店の主人の持ち物も、自分で削って厚さを調整したのだと言います。
 すぐに私の「モノ作りの心」に火が付きました。よし、僕もやってみよう、と。

左の写真は、とりあえず片面をサンドペーパーで削った状態です。慎重を期して1000番で削りましたが、相手がやわらかいのでこれで十分のようです。
 次は、状況を見て裏側も削る予定です。
 今はサンドペパーの跡が見えるガサガサの状態ですが、仕上げには布製のグラインダーを使って艶を出す予定です。しかし、艶なしの仕上がりでもそれなりに味があって良いような気もします。
ま、それは状況を見てきめましょう。

 

 左は、断面の状況です。左側にサンドペーパーをかけでおりまして、右側の面に比べてごく僅かですがふくらみが取れているのが分かりますでしょうか。
 
 さぁ、いい音がでるかしら。
 腕も大事ですが、道具も大変大事ですからねぇ。
(練習曲;十三の砂山)

17.9.23

駒を交換してみました

 今使っている三味線は1年ほど前に手にしたのですが音がどうも甲高い感じがしておりました。
 弾き方にもよるのだろうと思い、ずっとこれでやってきたのですが、撥皮も破れてきたので張替えの実習もかねて、楽器を持ち込み、全体の調子を見てもらうことにしました。
 
 結果的には、そこに置いてある駒を片っ端から試してみて駒を交換することで対応することになりましたが、駒によって音色がずいぶん代わります。
 当初使っていた駒は写真左、新しく使うことにしたのは写真右の駒です。
 大きな違いは、左のほうが全体の形が小さいということと白色の部分(象牙製)が多いということです(右のものも先端部分は細い象牙製になっている)。
 
 愚考ですが、左の駒が硬度が高く弦の振動が効率よく伝わる。したがって、強くかつ硬質の音がでる。かたや、右側の駒は主体は竹(煤竹?)であるので硬度が低く、振動の効率も良くない。したがって全体に弱めの音になり、音質もややファジーになる。つまり、柔らかい音になる??・・・と、こうだろうか。

 ま、いずれにしろ、音が少し柔らかくなった。
 欲を言えば、もう少しねっとりした音が出ないかと思うのだが、要調査研究だな、これは。

(練習曲;十三の砂山)

17.9.15

十三(とさ)の砂山

 本日から新しい曲の練習です。
 南部俵積み歌は、なんとか一応弾けるようになったという状態ですが、「では新しい曲をやりましょう」との先生の御宣託でした。新しい曲に次々と進むのも良いですが、もう少し確実性を増す必要があると感じています。お家での練習では、新しい曲に重点を置くので前の曲を少しづつ忘れていってしまいます。最初の頃に習った曲で、まったく思い浮かばないものもあります。
 この点、商売とはいえ先生はすごいですねぇ。ざくざくという感じで曲がでてきます。
 いったん新曲の練習をやめてこれまでに習った曲のおさらいをやってもらうのが良いのかしら・・。

 さて、その新曲。
 十三(とさ)とは、青森県の日本海側にある十三湊(とさみなと)のことです。現在、その地名はないようですが、場所は現在の十三湖(じゅうさんこ)のあたりです。かっては日本海回りの海運で大変栄えたようですが、今はその面影はほとんどないようです。

 私は以前八戸に住んでおりましたが、十三湖のすぐ北側にある小泊港には仕事の関係で行った事があります。小泊港は本当に小さな漁港で、泊まった旅館も窓の下は道路一本はさんで直ぐに海、という立地のところでした。朝食には、漁港で水揚げされたばかりの新鮮なイカが山盛りで出てきました。が、残念ながら、二日酔いのため十分に堪能することが出来ませんでした。(いつも、そう。)
 
 この辺一帯は、大体において、寂しい風情の町並みが多いですね。
 冬、大雪で閉じ込められてしまうのですが、その雰囲気を真夏になっても引きずっているという感じなのです。

 そういうところの盆踊り歌。
 阿波踊りとは大違いで、しみじみとした曲想です。越中小原節(風の盆歌)ほどではありませんが実に静かな盆踊りです。この曲でもポルタメント(三味線用語で「摺り」:弦を押さえた左指をスライドさせて音を出すテクニック)が多用されています。
 あのわびしい町並みを思い出しながら、本日は前奏部分を稽古しました。

 十三湊。小泊港。もう一度行ってみたいですねぇ。
 こんどこそ、山盛りイカを・・・。

(練習曲;十三の砂山)

17.9.3

ちりたら(2)

 前にも書きましたが、南部俵積み歌には「ちりたら」がたくさん使われます。
 これも前に書きましたが、これがなかなかきれいに弾けません。
 今日は一応、俵積み歌自体にはOKが出ましたが、この「ちりたら」がいまいち。
 
 結局、左指・左手の上手な使い方に帰着する訳ですが、指先だけの動きではなく手の使い方にも関係があるように思います。
 強い音を出すためには、所要のストロークが必要になります。したがって、手の形が、初めから弾き終わりの形になっていると良くない訳です。これだと大きなストロークが取れないわけです。
 指先だけでなく、手元もある程度利用することが必要であるようです。
 
 これも、前に撥の使い方のところで書きましたが、ゴルフのスイングと同じで体全体で打っていくことと通じます。すべからく、小手先だけではなく物事にはまごころで対応するということにも通じます、と言ったらちょっとオーバー過ぎる?

 南部俵積み歌は、一応弾けるようにはなりました。
 もう少し弾きこんで、歌も練習して、誰かの結婚式で歌ってやろかなぁ。おいやめいが年頃になってきたし・・・。

 

(練習曲;南部俵積み歌)

17.8.20

左手薬指による弾(はじ)き

 左手の指は、弦を押さえるだけでなく、引っ掛けるようにして弾(はじ)くという役割を担っています。津軽三味線では、「えーふりこき(ええかっこしい)の精神」で華やかなメロディを競うわけですから、両手両ゆびの総動員になります。
 もともと左指を思いのままに動かすには難しいものがあります。また、一応動かすことができてもパワーが出ません。先生をみると、大きな音でかつ明瞭に弾かれていますが、私の場合はその逆でして、まるで、足のゆびを使っているような感覚です。
 あのくらい綺麗な音を出せるようになるのでしょうか。
 一応私の場合、先生の弾く音を、頭の中に目標値として掲げられている点がまだ救いかもしれません。あと、そこに向かって練習あるのみですね。

 強い音を出すためのポイントとして、合っているかどうか分かりませんが、指で押さえてはじく際に指先の球面の一番高いところで押さえるのではなく、少しオーバーシュート気味に押さえると良いような気がします。こうすることで指先の球面部分をたくさん使ってはじく(弦をこする)ことが出来るのではないかと思います。極端に言うと指先の尖った部分を使って弾く感じになります。
 どうかなぁ。

(練習曲;南部俵積み歌)

17.8.14

撥さばき(2)

 今日は、お家で自習中に開眼(オーバー?)したことについて。
 
 まず撥の持ち方ですが、
 ・人差し指で下から支える感覚を意識する。平たく言えば、撥を裏表からしっくりと持つ、ということです。
 ・小指は、薬指との間を開くような感じで広げ、撥の才尻の平面にぴったりと沿わせる。
 ・親指は、ひとさし指との間を開くような感じでゆったりと広げ、親指の腹を撥の稜線に沿わせる。

 次が、開眼の部分ですが、
 ・手首の曲げ方ですが、ピッチ方向に曲げるのはもちろんのことですが、ヨー方向・右方向に少しひねりこむ感じ。(これは、ゴルフでいうリストを効かせるのと同じ?!)
 ・撥先の弦に対する動きは、弦に対して完全な直角ではなく、この直角方向を12時とすると、1時方向に動かす。表現がぴったりではないかもしれないが、弦を鉛直・下方向に覗き込む感じの動き(分からんでしょうね)。
 
 これで行くと、小撥(こばち)がうまく弾ける。
 また、先生の撥さばきもこんな感じだ。


 もう一つ、(前回の記事にも書いたことですが)
 押し撥の場合だけでなく、要所で皮をしっかり押さえる。(こうすると、親指の腹に撥が圧迫され、ここに豆が出来そう。先生は、ここに豆が出来ている。つまり、このくらいの力の入れ方が必要であるということである。)

 今日は、練習中に気がついたことですが、ちょっとインパクトあるので記録しました。

(練習曲;南部俵積み歌)

 

 

(↓に続く)