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17.11.23

備前焼に再挑戦

 本日、新嘗祭(法律上は勤労感謝の日)
 早起きをして作業場へ進出。有意義な一日になりました。

 備前焼は以前トライしたのですが、焼き上がりが白っぽいものになり、あの特有の深みのある濃い茶色になりませんでした。
 西○先生に聞けば、この窯は電気窯なので酸化焼成になっているからとのこと。
 あの特有の色を出すには還元焼成でないとだめでして、この電気窯を使って還元焼成にするには工夫が必要となります。どうするかというと、壷状の入れ物に木炭と一緒に入れてふたをして焼けばよい、ということです。つまりこうして、酸欠状態にするわけです。

 そいうことで、疑問解消。
 備前焼に再挑戦することにしました。
 早速、今日は予定を変更して、備前の小物容器をいくつか挽きました。

 ・焼酎グラス…関係の方々用
 ・片口茶碗…娘その他
 ・ぐいのみ…(私含め)飲み助ども用

 あの深い濃い茶色がでるかどうか。
 乞う、ご期待。2週間後のこの日記。

 

17.11.21

木の葉天目(7)

 一応それらしいものが出来ました。
 釉薬は、蕎麦釉です。これが比較的安定的にでるようです。ただし、釉薬を薄めにする必要があります。多いと、反応しすぎてぼってりした葉っぱ模様になってしましいます。(17.3.26参照
 少しきめが粗い感じがしますが、枝などは盛り上がっておりなかなか綺麗です。(拡大写真)

 一方、黒天目釉は、やはり、はっきり出ませんでした。更に薄くするのがポイントかも知れません。(写真省略)

 左の写真は、柿天目釉のテストピースですが、葉っぱが根元と先端部分しか焼きついていません。ほぼ全部が浮いた状態になっていたので、釉薬と反応しなかったということのようです。
 すごいのは、1240℃の高温の中で葉っぱ(灰)がこうして形を残していることです。
 灰の部分に水を少々たらし器側との密着を良くさせました。
 次回、この状態でもう一度本焼きをしたいと思います。

17.10.29

○野さん御用命焼酎サーバー

←○野さんからの御用命を頂いていました焼酎サーバーの成型がやっと終わりました。
 一応成型完成の状態です。このまま自然乾燥させます。
 特徴は、
・蛇口なしで、上から柄杓で取り出すスタイルです。従って、口をやや大きくしました。
・それに伴って蓋が大きくなりましたので、取っ手をつけました。
・ついでに本体にも大きめの取っ手をつけました。柄杓の柄を差し込めると思います。
・全体が大きいくのっぺりした感じになりますので、その場の思いつきで横筋の模様をつけてみました。
 約2升は入ると思います。

当初、備前土で作ろうと思い、沖縄まで出かけて(?)研究を重ね、試作もしてみたのですが、あの渋い落ち着いた色合いのものになりませんでしたし、また焼き締めもうまくいきませんでした。それで、備前土は止めて、いつもの手馴れた土でつくることにしました。
 左の写真は、陶芸の最初の作業である菊もみの途中の状況です。菊もみの目的は、土の中に含まれる空気を外に押し出すことにあります。土塊の左側に渦巻き状の部分が出来ていますが、このように土を回転させ、ねじり込んでいくことで土の表面に空気(室)が現れてきては、それが弾け、空気が外にでるのです。わかりますでしょうか。
 また、この作業をすることで土全体が適度にやわらかくなります。

←ろくろ作業の最初の姿です。
 上から手で叩きながら台に密着させます。
 この辺では、心をグッと落ち着かせきれいに作っていくことが肝心です。
 なにごとにも、基礎作りは大切です。
 どうしても先に先に行きたくなり、この辺の作業がおろそかになりがちで、結局失敗ということになりかねません。今回もこの後に危機的状況が出てきましたが、この辺の基礎作りがやや不適切であったことが原因、と反省しています。
←中央にくぼみをつけます。
 拳骨で突きながら、またそのことで底を締めながら、くぼみを大きくします。
 このあとの作業は、回転の中心が土塊のと一致させるたための土殺しと称する作業になるのですが、久しぶりの作業でうまくいかず、あせってしまって写真を撮る余裕がなくなってしましました。(土殺しの写真はありありません)
←土殺しの終わった土を引き上げ、口の部分の成型まで終わった状態です。
 口の縁はもう少し厚くするつもりでしたが、技量未熟もあって、そうなりませんでした。
 蓋がしっくり納まらなければなりませんから、真円になるようにかなり慎重に作業を致しました。
 胴体部分は、この状態で適度に乾燥させたあと適度な厚さに削ります。
 この段階で大切なことは内側の形をきちんと作ることです。
 この内側の形に沿って、厚みが均一になるように外側を削りますから、内側の形がすなわち全体の形になる訳です。したがって、内側の形をきちんと作るのは大切だということになります。

 

17.8.18

瀬戸行き

 万博会場を横目で見ながら、大変厳しい残暑の中、瀬戸市内にある工芸館や郊外にある愛知県陶磁資料館を見て回りました。

 以下に、印象に残ったことを2つ3つ書き記します。
1 染付け
 瀬戸焼も、朝鮮半島および有田を経由してきた「白磁に染付け」というのが主流のように思いました。これは、私個人的に「染付け」に強い関心を持っていますので、そのように感じたのかもしれません。この名古屋地方には、瀬戸のほかに常滑などがあり、また古くは猿投(さなげ)焼きというものもあり、それぞれが大いに影響しあってきたはずですから、もちろん一概にそうとは言えません。特に、近年はそういったジャンルを越えて新しいものがたくさん出てきているようです。
 今回は、技法的なものを、工房や陶磁器資料館のビデオなどで良く見ましたので、次は磁土(磁器用の土)を使って作陶し、絵付けをしてみたいと思っています。

2 耀変天目と木の葉天目
 資料館の展示を見て回っていて、今私が関心を持っているこの2点に遭遇しまして、びっくりしました。
 耀変天目の茶碗は、日本に4客しかない茶碗のうちの一つであると説明がありまして、(清華堂では3客しかないといっているのと若干矛盾しますが、)確かに側面に細かく美しい耀変天目が見えました。ただし、清華堂のそれと比べると迫力の点で劣るようです。
 一方、木の葉天目は大変綺麗に木の葉が焼きついていました。地の黒色に黄金色の木の葉が葉脈までくっきりと現れていまして、大変珍しいものだと思います。生産地は中国だそうで、どこかの大名(名前失念)が保有していたものだそうです。良く見ると葉っぱの端が少しめくれており、工程の中での段階的な調整作業なしに一挙動で焼いたことが伺えます。また、電機窯などによる簡便作業でない訳ですから無数の試行があったはずです。この意味からも、大変誇らしげに輝いている一品でした。

3 陶磁器文化館(有田)との比較
 有田にも同様の九州陶磁器文化館がありますが、規模的には瀬戸の方が大きい(入場料も高い)のですが、内容的には有田の方に軍配が上がるように思います。例えば、有田の文化館では歴史的な流れ、有田の位置づけなどが良く分る構成になっていますが、瀬戸の方は作品そのものの展示に力が置かれているようでした。この地域に在る「『瀬戸の』資料館」であればそういう展示のされ方であったほうが良いように思いました。


 
 下の写真は、瀬戸市の街角で見かけたものです。
 道路の脇がセメントで固めてありまして、瀬戸物が埋め込まれています。
 いいですねぇ。

17.8.13

久々の作陶(で、小手試し)

 4月末に作業をして以来、機会がなくて3ヶ月が経ってしまいました。
 本日は、大○さんから依頼されている焼酎サーバーに取り掛かるために作業場へ。備前の土を持参して行きましたが、当日、来られていた西○さんと話をしたら、備前の土は低めの温度で焼かないとうまくいかないとの御宣託。したがって、本日備前の土による作陶については、大物を作るのはは止めて小物で試行をすることにしました。(大○さん、もうちょっと待ってくださいね。)
 そういうことで、今日は久々の作陶ということもありましたし、小手試しをすることにしました。
 作ったものは、
 ・備前土でグラスを2個(うまくいけば焼酎サーバーのセット用)
 ・梅干入れの壷
 ・大き目の鉢
 ・(得意の)アジサイの葉型の皿6枚
 写真を撮り忘れましたが、概ね思い通りに作れました。
 3ヶ月のブランクがありましたが、体が覚えていてくれました。
 体君ありがとう。

17.7.5

やちむんの里(読谷/沖縄)



 「やちむん」というのは「やきもの」のうちなーぐち(沖縄弁)です。
 沖縄の焼き物は、那覇市内にある壷屋地区がその中心ですが、公害問題があって、ある時期に読谷村へ窯を移動したということだそうです。現在も壷屋には作陶の作業場と電気窯などの小型の窯を使った作業場は残っておりますが、登り窯などの大作業を必要とするものが読谷村に移ったということです。

そういうことで、このやちむんの里には登り窯が3〜4基、作業場が10軒近くあります。
 エリアの中央付近に共同で使用する登り窯があり、その周囲を囲むようにして作陶場が建てられています。真上から射しつける日光を薄くなった頭に受けながら一軒づつ見て回りました。

 
 沖縄の焼き物は、赤い土に白化粧土を掛け、掻き落としで模様を描くというのが基本になっています。例のおさかなの絵柄の器、あれです。
 まず、白化粧土の掛け方ですが、思ったよりたっぷりと掛けています。茶碗などの器の場合、バケツに入れた化粧土を時々篩(ふるい)でかき混ぜながら、生乾きの器にひしゃくで入れ、器を回しながら化粧土をバケツに落とす、という作業です。化粧土は、これまでも使ったことがありますが、私の感覚ではあれほどたっぷりかけると、水分で崩れてしまいます。聞けば、やはり化粧土を掛ける時期が肝心であるということです。かって、私の先生から教えていただいたのですが、表面の一部(器の縁など)がうっすらと白くなる頃がその適した時期だそうです。また、器も薄くてはだめで厚さもそこそこないといけません。それと、作業場を見て感じたのですが、沖縄の気候を利用して一気に乾燥させているというのもポイントかもしれません。
 
 もうひとつ、これは登り窯の場合は概ねそうかもしれませんが、素焼きをせず釉薬掛け(生掛け)し、すぐに焼成作業に入るという点です。かって、シーサーを作った時に、素焼きをしないと教えられ、一応言われるままにそうしたのですが、特に凝った釉薬の作業をしなければこれで良い訳です。
 登り窯で焼く場合はもう一つの意味があって、経費(時間も含む)の問題がある訳です。1回のオペレーションで数トンの薪と、準備・後片付け・補修整備等を含めると数週間の作業時間が必要となります。したがって、できればこれを一回でやってしまおうということなのです。話を聞いて、うーんなるほど、でした。(やちむんの里で、一人で窯を運営している方(知花さん)がおられまして、窯をオペレートするのは、年に2回だそうです。経費も大変でしょうが、一発勝負という点で精神的にも大変でしょうなぁ。)

 今、焼酎サーバーをいくつか作っている最中ですが、泡盛の甕についてあちこちで聞いたり触ったりしてきました。
 泡盛の甕に使用する土は、備前系の南部(沖縄)の土だそうです。そして、焼成は還元で行なう必要があり、酸化で焼くと漏れる、そうです。(これは、先の知花さんに聞きました)
 実際の物を売っているところ(壷屋)で、甕の中を触ってみると釉薬が掛かっているものと掛かっていないものがあります。店の方の話では、出荷の際に、水漏れ試験を行なうそうですが、そこの店頭でもおこなっているようでして、店の方が甕を手にして「これは、漏るようですから(工場に)持っていきます」などと言っておられました。甕は、漏らない事が最低限の性能ですから、内部に釉薬を掛けたりなどのこともあるようです。
 なかで、気に入ったのは、表面にうっすらと光沢のある甕でした。聞けば、マンガンを吹き付けてあるとのことでした。マンガンを溶いて、霧吹きで吹き付けるのでしょうか。

 沖縄の焼き物は、基本的には益子焼きと同様、生活雑器です。よく言えば気の置けない奔放な作品になっています。この点、有田焼きなどと好対照です。
 こうして現場を見て回ると、相当なエネルギーを投じての作業なのですが、物の出来上がりが(私には)残念ながら少し雑に見えます。それがいいという見方も出来る訳ですから、私は良くないというつもりではなく、惜しいと思うのです。どうも、なんとなく大量生産をしているような気がしました。
 というのが、このやちむんの里の中にギャラリーと喫茶を兼ねた店がありまして、休憩がてら作品をみたのですが、品のあるすばらしいものがたくさん展示してあったからです。店の方に聞けば、やはり、沖縄の各地を見て回ってよいものを厳選しているそうです。そしてこれらを作った陶工の大体の方が、すぐにOKしてくれないのだそうです。つまり、売り手市場になっている。自信作を読谷の田舎になんか置きたくないということではないでしょうか。いずれにせよ、このように沖縄風の良い作品が相当あるということです。
 以上、やちむんの里もこういう方向に進めばよいのになぁ、というおせっかいでした。
 なお、このギャラリーの店主さんもなかなか品のあるおばぁでしたよ。

 
 左は、ギャラリーで頂いた「シークァーサー」のジュース。お花付き。
 右は、咲いていた花(名前不詳)

 

17.6.14

清嘉堂文庫美術館 

 世界に三客しかないという耀変天目の茶碗を見たいと思い、出かけて参りました。
 しかし残念ながら、その茶碗をみることは出来ませんでした。係の方に聞けば「展示は昨年秋に終わりました。今年の予定はありません」とのこと。年中展示してあるのかと思っていたら、テーマを決めて収蔵品の中からいくつかを展示する、ということだそうです。つまり、一度に展示できないほどの美術品が収蔵されているということなのです。
 (ちなみに、この美術館は、三菱の第二代社長岩崎彌之助と第四代社長の小彌太が設立したもので、現在、国宝7点、重文82点を含む20万冊の古典籍と5000点の東洋古美術品が収蔵されている、そうです。(パンフより))

 当日は、「京の焼き物」というテーマで、主として江戸時代に京都で作られた作品が展示されておりました。
 耀変天目の茶碗は見ることが出来ませんでしたが、作品を見ながら感じたことを3点ほど記します。
1 展示品「白鷺茶香炉」(野々村仁清)
 今回の展示の象徴的な作品であり、最も目立つところに展示されておりました。
大きさは高さ30センチほどで、白鷺が座ったような姿で首とくちばしを天に向かってスーッと伸ばしています。胴体の部分が香炉になっております。
 基調の色は、ややくすんだ白です。くちばしがこれまたくすんだエンジ系の紅、目は茶系の黒に見えました。(正しくはどう表現すればよいのでしょうか。)
 姿も美しいし、色合いも全体に控えめなで、大変美しいものでした。また、目がぽってりとした点で画いてあり、なんだか埴輪の顔を思い起こさせるものでした。
 普通、専門家が良いものだと言うから、あるいはお金に換算して高い値がついているから、良いものだろうというような思考になるのですが、この作品はただ見ただけで、いいなあ、と思いました。思わず、しばしの間ためしすかしつ見入ってしまいました。

2 その他の香炉の展示品
 香炉といっても様々なものがありました。
 特に引き込まれたのが、コタツをかたどった香炉。
 人がコタツに入っていて肩から上付近を出してこちらを見ているという情景が形作られています。コタツの上におかれたお盆と茶器が蓋になっていて、そこから香を出し入れするようになっています。コタツ布団もそれらしく作られており、布団の柄も布団のしわに合わせて丁寧に画いてあります。
 感じたのは、職人の遊び心とそれを期待し、評価した当時の人たちのこれまた遊び心。根付、刀の鍔、紋章、着物の柄、兜の飾り・・・江戸時代のこういうものには、遊び心が満ち満ちています。物的な生活環境自体は、今と比べると様々な面で劣りますが、こういう精神生活では今と比べるとものすごく優れていたように思います。時間もゆったりと流れ、ゆとりに満ちていたのだと思います。
 当時の人と今の人とどちらが幸せなのだろうか。
 つい考えてしまいました。

3 分限者(ぶげんしゃ)の必要性
 金持ちは必要です。
 私たちは、「平等」という観念に毒されています。戦後、特にそれが強くなりました。この結果、金持ちであることも許せないというわけで、累進課税や相続税という税制を編み出しました。金持ちの輩出を防止する、ねたみとひがみの税制であるばかりでなく、こうすることで乱暴な言い方ですが、突出した金持ちがいなくなり、皆が等しく貧乏になるわけです。
 一方金持ちの存在は、それを目標にした競争が生まれ、したがって活性化した社会となります。
 そして、もうひとつ大事なこと。
 このような美術品を収集し保存するような良いことをやってくれるわけです。(そういえば、下関の料亭「みもすそ川別館」にも私的に収集された美術品がうなっておりました。)
 その他の文化、芸術などの分野でもそうですが、こういうことは大金持ちや権力者でないとなかなかできません。ややもすると、これらは悪であるという誤った捉え方がされますが、結果として、冒頭の白鷺香炉のような名品が生まれ、大切に伝えられ、そして当時も後世も私たちの精神生活が豊かなものにするわけです。
 もちろんがめついだけの金持ちでは困りますが、金持ちに対してこのような評価をすれば、金持ちだってひたすらがめつくなろうなんて思わなくなるはずです。
 金持ちを大切に高く評価しましょう。
 できれば、このように評価されるような金持ちになりたいものですけど。

17.5.27

有田行 

 海軍記念日、有田町に参りました。
 本当は、対馬沖の海上自衛隊艦艇の上にいたかったのですが、こちらは果たせぬ夢でした。
 それは置いて、有田。出張の途次でした。

 有田は、毎年連休には陶器祭りというのが行なわれ大変な人出になるそうですが、当日駅に降り立つと閑散とした田舎の町でした。
 まず、駅の近くの博物館(佐賀県立九州陶磁器文化館)であらましの知識を得ることにして、次に窯元を2軒(しん窯、源右衛門窯)尋ねることにしました。

1 九州陶磁器文化館
 土器、陶器、磁器の違いの説明から始まって、有田の歴史や最近の陶芸家の作品の展示などがされております。
 有田の陶磁器は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に、これに従軍した鍋島藩が朝鮮の陶工「李参平」らを日本に連れ帰り、これがその発展の基となったそうです。李参平は磁器に適した土を探し回り、有田にそれを見つけ出し、有田の発展が始まります。
 この会館には、初期の有田焼、欧州へ盛んに輸出されていたころの有田焼、そして、最近の九州の陶工による作品が展示されておりました。
 いうなれば、過去から現在に至るまでのいわゆる有田の作風の流れを示す作品、現代におけるさまざまな作風の作品、大変勉強になりました。
 有田焼を総括すれば、白磁に青の染付け、これに加えて赤の上絵、そして極めて繊細な模様ということになるでしょうか。特に私は、その繊細さに改めて心を打たれました。

2 窯元の見学(しん窯、源太郎窯)
 この2軒の窯元は、駅の観光案内で聞いて行きました。この2軒が作業場がOPENになっているそうです。
 しん窯では、取締役工房長の橋○さんという方が、突然にお邪魔した私一人のために、工場内を案内してくれました。
 染付け作業の状況、皿、器(そば猪口)の機械による成形工程、窯だし直後の失敗作の説明、古い登り窯跡の説明・・・等々懇切な案内をしていただきました。中でも、染付けのやり方を実際に見聞できて、大変ためになりました。

 橋○さんとの会話の中で、観光客の中には「日本は李参平をさらって来た。北朝鮮の拉致を一方的に攻める訳には行かない」ということを言われ、残念だというようなことを云われました。
 ここにも混迷の日本のひとつの事例があります。

 橋○さんには、次のような主旨のことを申し上げました。
1 当時のことを現在の価値で判断してはならない。当時は、戦争に略奪はつきものだった。いわば、現在における不可抗力の事故に近い感覚ではなかろうか。
2 一方、北朝鮮の拉致は、現在の事象であり明らかな犯罪である。両者を同じ価値基準で判断すことは誤りである。
3 李参平は、果たして不幸であったろうか。陶祖とあがめられ、世界に冠たる有田焼を完成させ、世界中の食卓や博物館に飾られるようなものを作っていたのだ。陶工としてこれほどの幸せはないのではなかろうか。また、実際に優遇された生活をおくっていたのではないか。

 つい、熱が入ってしまったのでひょっとしたらびっくりされたかもしれません。
 観光客に応対するときの言い方はこれまでどおりでも、このことは心にとどめて貰いたいと思ったのです。

 今回は、本場の有田で、名品を多数見ることができました。特に現代の陶工の作品などは、まるで絵画を見るようです。具象画あり抽象画あり、まことに多彩で、美しい。繊細な筆使いの染付けもすばらしかった。

 ということで、東郷元帥以下、百年前の連合艦隊将兵の皆様には少し申し訳のない気が致しますが、大変有意義な海軍記念日でありました。

17.4.23

景 色

 景色というのは、釉薬などの掛かり具合が異なることによって抹茶茶碗の側面などに出た模様のことです。
 福○さんのリクエストで抹茶茶碗を作っていますが、白系がお好きだというので、白系の釉薬をいろいろ試してみました。現在使っている土(白の水漉土)では、結局「藁灰白萩」が淡い色あいが出るのでこれにすることにしました。
 ただ、釉薬が薄いと全体にのっぺらぼうな感じになります。ほんのりと、模様が出ているのですが、もの足りません。そこで、少し長めに釉薬に浸すことにしましたが、あまりぼってりしすぎると、釉薬が縮んだようになったり、変な流れ方になって変な模様になったり・・・と、注意しないと、通常はろくなことがありません。
 また、私は、もともとあまり意味の無い模様というのは好きではありません。そこには必ず何か意味がないと気がすまないのですね。理屈っぽいというか、岡本太郎さんのような思い切った芸術家になりきれない、というところがあります。
 ただ、今回、いろいろとやってみて、景色が弱いのは良くない。そこには、いわゆるワンポイント、アクセントというのが大切だというのが良く分かりました。
 芸術の域に行くには、精神の鍛錬がいるのだろうか。特に私のような性格の場合。
 写真は、織部を使ったものです。
 もっと、濃い緑になるかと思ったのですが、意外とそうなりませんでした。(実際はちゃんと緑色がでています。)量的にはたっぷりだったので、釉薬自体が薄かったのではないか思っています(根拠はあるのですが、説明省略)。 

17.4.23

木の葉天目に接近(6

今回は、柿天目という釉薬を使用しました。
くっきりと模様が出ましたが、葉肉にも強く反応しており、葉脈の繊細な線が見えにくくなっております。釉薬部分を見ても分かりますように、霧吹きでできるだけ薄く掛けたのですが、ひょっとしたら釉薬が薄すぎたのかもしれません。
 また、虫が食ったようになっている部分は、葉肉はあったのに釉薬に密着していなかったためにまったく反応していない状況でした。(葉が残っていた)
 したがって、釉薬と葉が接しているかどうか、良く確認する必要があるようです。
 次回は、もう少し釉薬を厚くしてみようと思います。
 また、土はこのところ、白の水漉を使用していますが、土についても組み合わせをトライしてみる必要があります。


 全体写真です。

17.4.9

木の葉天目に接近(5)

 なんとなくそれらしいものができました。
 紅葉のような赤色がでました。
 ポイントはやはり、薄めの釉薬ということのようです。
 今回、霧吹きでうすめに掛けたのですが、そのためにバックが少しまだらになってしまいました。最初から水で薄めた釉薬を使用すればよいのかもしれません。


 

17.3.26

木の葉天目に接近(4)

 木の葉天目に挑戦中ですが、なかなか上手く行きません。
 あとちょっとの一振りの薬味を入れればできそうなのですが・・。
 下のほかに鉄赤結晶、あめ釉を試してみたのですが、これはだめでしたね。

 釉薬は「柿天目」。今回はこれが一番それらしくできました。
 皿の左半分は、釉薬を一回掛け、右半分は、釉薬2回掛けです。(以下同じ)釉薬は多すぎてはいけないようです。
 釉薬は「黒天目」。
 天目系の成分とシリカが反応するということのようです。
 右の拡大写真のうち、部分的に強く反応しています。これは、なんでしょうか。そう言えば、前に、青く反応したケースがありました。なにか不純物があったのでしょうか。
 釉薬は「そば釉」
 大変強く反応しています。強く反応しすぎて葉脈の微妙な線が見えなくなっています。逆に言うと、釉薬の掛け方を薄くすればOKなのでしょうか。


 

17.3.19

作業効率

 以前、安芸の宮島に行った折に、当地の宮島焼きの作業場を見せてもらいました。2人の職人さんがろくろの前に座って作業をしておられました。
 一人は、茶碗の高台作り、お一人は片口の鉢(直径30pほど)の成形でした。高台作りの方は慎重さが要りますし成形作業の仕上げの段階ですから作業のペースはややゆっくりです。一方の片口鉢作り。作業が早い。一個当たり1分程度でしょうか。見ている間にどんどん出来上がる。そして、サイズが揃っている。さすがに商売です。こうでなくては儲けになりません。
 一方我々の作業は、というと、同じような品物でも2、30分はかけてしまうでしょう。当たり前といえば当たり前ですが、半日作業で器が7個、皿1枚ではちょっとさびしい。(疲労の中)後片付けをしながら、作ったものを振り返ると費用効果の悪さにガックリします。それでも、かっては何も出来上がらなかったということもありましたから、まだましかもしれませんが、効率については改善の余地が多分にありますね。
 私も足掛け3年、陶芸をやっております。コップならこう、蓋付きの入れ物だったらこう、などと自分のパターンを確立しても良いのではないか、とつくづく思う今日この頃です。
 当面の目標として、「手際よく所望のものを」を掲げようと思います。

 今日は、娘の要望による中型の鉢3つ、ネットを見た知人の要望による抹茶茶碗4つ、○野さん要望の(荒々しさをイメージした)皿1枚、それぞれ成形。
 しかし、満足いくものは零!でした。
 次回、再挑戦です。皆さん、もうちょっと待ってね。
 
 

17.2.25

焼酎の正しい飲み方

 大先輩の○野さんから、焼酎サーバーの注文がありました。
 要求性能としては、大まかには「容量は約2升、蛇口は不要(上からひしゃくで汲み出す)」です。釉薬は掛けるかどうか検討したい、とのこと。(釉薬のことは、別項で後日書きます)
 さて、本題。
 ○野さんは、かって私と同じ業界におりました。この業界では、初期の教育を鹿児島県鹿屋市にある航空基地で受けます(最近はそうでなくなったようです)。従って、わが業界の者は必ず焼酎の洗礼を受けていたわけです。そして、大方のものがこの時点で焼酎党に入党します。○野先輩はその後もこの航空基地の責任者として勤務されたことから、筋金入りの焼酎党員になられた訳です。
 そして、今回のご注文に際して焼酎についての薀蓄を承りましたので、ここに引きます。

 焼酎は通常お湯割りで飲みますが、お湯を入れるのは後か先かという議論があります。
 ○野さんによると、それはピントはずれの議論である、ということです。
 正しい飲み方は、
 1 焼酎と(良い)水を好みの比率で混ぜて、甕に入れる。
 2 しばらく(一昼夜?)寝かせる。
 3 飲む前に、適量を黒じょか(酒器;急須を上から押しつぶしたような形をしている)に移す。
 4 その黒じょかを、囲炉裏(適当に火があること)の灰の部分に置き、暖ためる。
 5 頃合を見て、飲む。
 だそうです。

 つまり、水で割ったものを寝かせておいて、それを灰でゆっくり暖めめるということです。
 (それで、私の焼酎サーバーにつけている蛇口は不要であるというのが解りました。やや無粋で似合わないわけです。)

 ヘーッという感じですねぇ。
 こうなると、次は黒じょかも作って、囲炉裏も作って・・・。
 ま、囲炉裏は無理として上のやり方、やって見る価値、ありそうですねぇ。
 皆さんいかがですか。

 今回は、陶芸には直接関係ありませんでした。m(..)m

 

17.1.29

焼酎サーバー(2)

 本日、久しぶりに作業場へ。
 お昼ごろからサーバー×1、グラス×4(うち2個は蓋付き、取っ手付き)。
 蓋も含めて一日で全て完成させるために、結局夜8時頃までかかりました。
 出来合いは、「可」のレベル。
 ある程度の大きさのものは、2日がかり位でゆっくりやらないと良くないですね。気が焦るし、乾燥がほどほどでない(柔らかすぎる)状態で削り始めたりするのでので、無理が来ます。例えば、芯が一応綺麗に取れていたのに、まだ柔らかいうちに削り始めるからボデイに変形が来て芯がずれてしまい、全体が微妙に歪んでくる、などです。
 せいてはことをしそんじる
 土とのお付き合いですから、ゆったりとして気持ちでゆっくりとやらんといかんですねぇ。

17.1.21

備前にて
 中国地方への出張の帰りに、岡山で途中下車しました。
 あの備前焼きを本場で沢山見ようということです。ただし、窯元に行くほどの時間がなかったので岡山市内にある県の物産センターとか陶器屋さんを見て歩きました。
 以下、所見。
 素朴な肌合いというのは良いと思うのですが、なんとなくしっくり行かない。それは、形になんとなくわざとらしさがあるように感じるからです。いわゆる民芸風というやつ。美しく作れるはずなのに下手に作ってある。手作り風を装っているように思えるのです。
 なんか、一生懸命でない。
 極端ですが、こっちを馬鹿にしている。

 
 備前のよさは、凛とした美しさを持ちながら一歩後ろに引いているというところにあるのではないかと思いますが、みなさんいかがですか。

 この点、いただき物ですが左の写真、ぐい飲みですが良いと思います。シンプルな形もよいですし、縁に薄く付いた釉もいい。

 なお、この日は、ついでに岡山城・偕楽園を外からざっと見てきました。岡山城の川べりにそびえる姿は中々立派でした。ただし、完全再建(鉄筋コンクリート)。
 お城は、やっぱり「松本城」につきる。

17.1.15

箱作り


 
 たたらで箱をつくりました。
 デザイン的には以前作ったものと同じですが、やや深めにしてモノを入れやすくしました。
 要求事項としては、サイフ、身分証、名刺入れ、携帯電話が容易にはいること、です。
 全編、作業工程を写真に撮ろうと思いましたが、例によって途中夢中になって忘れてしましました。
 たたら(板状にした粘土)は
 @良く叩いて、
 A程よく乾燥してから
 切ったり貼ったりするのが良いのですが、結果的に両方ともあまり守れませんでした。
 
 @の良く叩く理由は「空気を抜き、土の粒子の間隔をできるだけ均等に詰める」ということだと思います。これによって、乾燥中のひび割れと変形を防ぐ事ができるのだと思います。また、A程よく乾燥させてから作業を始めるというのは、作業のやりやすさもありますが乾燥中の変形を防ぐということがあると思います。
 たたら作業に限らず、粘土は土の粒子と水によって出来ていますから、この両者の状態を想像力豊かに推定して作業をするというのが肝心のように思います。

 今回は、このことは作業開始の前には考えていたのですが、実際作業に取り掛かると、寸法のことや段取りのことや形のことなどに頭が行ってしまって、肝心のことが飛んでしまいます。
 反省。

 

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