(↑に続く)

20.2.1

撥さばき(2)

 撥の使い方がなかなかうまくなりませんが、先日の稽古でちょっとしたヒントを得ました。
 
 それは、先生の指導の中にあったのですが、「撥先が親指の延長になっているようなつもりで撥を使う」ということです。それを聞いてそのようにやってみて、なんとなく吹っ切れた気がしました。

 これまでは、撥先のどの辺を押さえたら良いのかとか、親指の当て方をどうするかとか、握り方をどうするかとか、そういうどちらかというと外周からのアプローチで考えていました。そうではなくて、親指の爪がぐっと伸びていて、その先端で糸を捉えるのだ、と考えれば、逆に持ち方も自然に決まってくるように思えます。

 いまだに他の弦へのミスヒットがあるくらいですから、「きれいな音作り」をするには程遠い状況です。
 しかし、撥先があたかも自分の爪先になっているかのように感覚を研ぎ澄ましながら練習していけば、撥の「しなり」も自分の指や爪のように感じられますし、撥と糸との微妙な触れ方も感じることができて、多少でもきれいな音に近づけるような気がします。


 撥の持ち方というのは大変難しいように思います。特に難しいのは、持つときの強さです。

 持った形は、先生のやプロの真似をすれば良いのですが、どのくらいの力で持つのか、ということになると、形をまねるよりもはるかに難しい訳です。
 (このことは、実は蕎麦打ちでもいえることでして、「切り」の段階で、小間板を押さえる左手は、どのくらいの力で蕎麦を押さえたら良いのか、なかなか感覚が掴めません。)

 また、面倒なのは、写真のように、幾分人差し指について多めに力を入れなければならないということです。通常、道具を使うスポーツなどでは、ゴルフにしろ、剣道にしろ、大工の金槌にしろほとんど小指で持ってしまうくらいの感じです。そうすることで、その道具を軽快にかつ効率良く操作できるわけです。そころが、どうも撥の場合は違います。

 持ち方は、写真のように撥の裏側から人差し指と薬指で支え、中指はほとんど添えているだけです。そして、力の比率は人差し指に多めで薬指は少なめになります。
 親指はぐっと伸ばし、上に書いたように親指の延長が撥先になるような感覚で持ちます。そして、親指の先端と撥先までの間隔は出す音に応じて広くなったり狭くなったりさせます。(しなりを使う場合とそうでない場合、と私は理解しています。)
 小指は、さい尻の面にぴったりとあわせ、その面にあたかも小指を引っ掛ける突起物があるかのように丸めます。力の掛かる方向はおのずと写真面に直角の奥手の方向になります。
 小指と薬指の角度は直角に開いた形となり、さい尻の直角を挟む2つの面にぴったりと沿わせます。撥だこができる場合がありますが、たこは薬指側にできる、そのような力の入れ方になります。

 それぞれの指に対する力の配分は上のようになりますが、総量としての力の入れ方はどうかというと、曲想に応じて按配するということになります。
 小撥の場合は、細かい動きになるわけですから、強く握りすぎてはならず、撥の重さを利用して打ち、引きあげる時は大げさに言うと糸に引きずられて、上がってくるという感じです。

 先生のよると、撥の持ち方はあれこれ試行錯誤をする部分であるとのことで、それぞれの技量に応じてそれぞれに難しさを感ずるところであるようです。



練習曲;華鼓

19.11.24

音に対する意識
 じょんから節新節などの曲で高音の部分を細かく刻むフレーズがありまして、ひとつの聞かせどころになっています。今日はそのフレーズの奏法について指摘を受けました。
 
 このフレーズの刻み方を口三味線で言いますと、チンチリ、チンチリ、チリチリチリチリ‥となるのですが、撥ではウッスハ、ウッスハ、ウハスハウハスハ‥(ウ;打つ、ス;すくう、ハ;はじく)となります。
 指摘は「このそれぞれの音がきちんと出ていない。」というものでした。
 具体的には「早くなると、すくいとはじきがほぼ同時に行われており、そのために変な音が出ている。」という指摘です。言われて弾いてみますと確かに変な音が混じっています。
 
 こうなったのは、普段、細かいところに意識を及ぼさないままに漫然と、しかも早く弾けりゃ良いてなもんで、自己満足の世界に陶酔しながら練習していたせいなのですね。これではダメです。その結果、なんとなく団子状態になった音の塊を流しているだけの状態になってしまう訳です。今日の稽古では「はじきの音を弾かずに、正しくゆっくり弾いてください。」と言われたのですが、普段、それぞれの音を意識して練習していいない訳ですから、ぜんぜん出来ませんでした。
 
 その他これと同様のことですが、先生のデモを良く聞くと、忙しい指使いの中にも振り(ビブラート)がさりげなく入っておりまして、そのことで三味線の音が非常に艶っぽくなっていることに気づきます。これも、音に対する意識の差であると言ってよいと思います。

 前回の記事にも関係しますが、「振る」といわれるから「振る」のではなくて、良い音を出すために「振る」のだということです。そのためには、良い音とは何かを強く認識しなければならない‥‥、と続くわけですね。
 
 きれいに澄んで、はっきりした音。
 小さな音にも、短い音にも、これを意識して練習することが大切です。
 ひとつの大事な目標にしようと思います。

 

練習曲;華鼓

19.11.3

いろいろと先生に質問
 今日は土曜日。
 午後から稽古に行きました。私のあとに生徒さんが居なかったので、普段思っていることなどについていろいろ先生に質問しました。

1撥の持ち方
 撥の持ち方については、相変わらずいろいろと試しているのですが、こうだというのが未だ掴めていません。しかし、最近手首を右方向に少し回した形(*)で弾くと具合が良いように思います。((*)さよならと言って手を振るとき、手首を左右に振りますが、その時の手首の回す方向のことです。右に捻るような格好です。)
 それで、そのことを先生に聞いてみたのですが、手首の形がどうこうというのではなく、やはり、「出したい『音』が優先」という答えでした。つまり、出したい音を出すために糸と撥先の関係をどうするか、ということなのですね。
 ただ、あえていうならば撥先と糸との関係として、「撥の開きの線が基本的には糸に直角になるようにする。なぜなら、太鼓などでもそうだが、皮の面に対して撥が直角であるほうが本来の音がするから。」というようなことでした。
 また、「その人の手の形や体格などで、持ち方はそれぞれに異なる」ということも言われました。
 要は、その曲のその音に適した音を出すにはどうするか、というようなことです。原則的な持ち方はあっても、それ以外に更に細かく一律に規定するようないいかたはできないということです。
 上に書いた私の場合で、手首を少し右に回した方が良い音になるというのは、どうも、そうすることで糸に対して撥の開きの線が直角になるからのように思えます。(こうすると細かい音符の場合も撥先が上手く糸にひっかかって、弾き易いようです。)
 また、「演奏最中でも、撥の持ち方は変える」ということも言われました。私も最近、もぞもぞという感じで持ち方を変える時があります。これは、緩んだ持ち方を元に戻したりしているからでして、曲に応じて変えているのではありません。でも、それだけ撥の操作などに余裕は出てきているということかもしれませんが、これを、出したい音に対応させて動かせるようになると良いのですがね。

2糸の押さえ方
 今練習中の曲で、3の糸の10と9のツボを使って細かい音符を打つ部分があります。これまでは、糸を撥で単に上から押さえるという感じで弾いていましたが、これを、糸を押さえた後に、撥をそのまま下のほうに少しずらすという感じ(押し撥の感じ)にすると、音が良くなるような気がします。つまり、早い音符でも、できるだけ長く皮を押さえるようにして、撥を皮からパッと離さないということです。これは、良く言われる「皮を押さえる」ことによる効果ではないか、と思った訳です。
 そこで、今日は先生にその旨を聞いて見ました。
 「やって見せてください」とのことでしたので、やりましたが、緊張のために上手くいかず、正しく伝えることができませんでした。
 先生からは、やはり、「出したい音次第の奏法」というような結論付けでしたが、私としては、きちんとやれれば、音がよくなっているということを示せるのになぁ、と思っています。 

3 撥の当て方
  撥を当てた後にぐっと皮を押さえることでよい音か出る。これは基本奏法である、と今まで思っておりましたが、全てに当てはまると言うわけではありません。それを可とする場合もあるし、そうでない場合もある、ということでして、くどいですがあくまで「出したい音次第」なのです。
 (上の2項の場合は、この基本奏法が当てはまる場合であるかも知れないということです。)
 この話の延長で、こういう弾き方もあるというデモをしてもらったのが、次のようなことでした。
 手首や握りに力を入れず手首のスナップを効かせて、ポンと打って、直ちに力を抜く。皮から反射したその時の撥の位置は、糸から数センチの位置にあって、撥は皮に概ね平行になっている。撥が、皮から大きく離れて行かない、というのが見た目のポイントです。
 皮から大きく離れる場合との弾き比べをして貰いましたが、確かに音が違いました。
 この時は、力は入っておらず、スナップを効かせるのがポイントであるということでした。

4 音の調整(楽器側の調整)
  私の三味線は、なんとなく甲高い音が卓越しているように思えて気になっていました。そこで、先生にその旨を言って、実際に弾いて貰いましたが、甲高いというよりも三味線固有の音色のように思えました。
 そのとき、撥は私の撥と先生の撥(高価)の両方を使ってもらったのですが、先生の撥のほうが良い音でした。やはり、撥が相当影響しているようです。三味線自体の良否についての先生のコメントはなかったのですが、先生は、撥が一番影響していると思います、とのことでした。(ひょっとして三味線も、撥も良くないということなのでしょうか?)
  音の調整をしていく方法としては、いろいろと楽器側の状態を変えながら試行錯誤的にやっていくしか無いようです。最初に変える条件は糸、次に駒、最後に皮を‥という風にして実際の音を試してみるしかない、ということだそうです。(ちなみに、この順序は値段の順です。)

5 撥自体の形など
  撥は、確かに音の決め手のようです。
  私の撥は、比較的厚みがあって、値段の割りには良い撥だ、と思っていたのですが、どうもそうではないようです。撥の厚みについて前にも書きましたが、私は、鼈甲部分の根元から先にかけてテーパーの無い、厚みが一定のものが良いと思っていました。しかし、先生によるとそれはダメのようです。先生の撥を見せていただくと、鼈甲部分の根元から先にかけてテーパーがかかっており、根元部分の鼈甲の厚さは私の撥の3倍位ありました。
  撥の形も、開きが大きくてなっています。これは、大きい音から繊細な音まで幅広く音量をコントロールする必要があるからである、とのことでした。

 
 以上、本日の総括をすると、
 ・本物を聴くのが大切で、
 ・それを頭にしっかり入れて
 ・その音に近づくように工夫をしながら
 ・練磨する
 ということのようです。

 先生も、先人の演奏家のCDなどを聞いて勉強しているそうです。

 

練習曲;華鼓

19.10.14

第67回舞台芸術講座
  第67回舞台芸術講座「シリーズ日本の伝統@三味線」という企画に参加しました。
 今回のこの企画は、古典空間という会社の小野木さんという方の手になるもので、副題は「聴いて納得、見て納得、これであなたも三味線通」というものでした。

 その内容は、@三味線概説、A3人の三味線演奏家による実演と解説、というものでして、非常に面白いものでした。三味線の伝来発展の歴史、3種類の三味線の形状、音色、奏法の相違などなどが良く分かりました。

 3人の演奏家は、若手ではありますが、第一線のバリバリでして、特にそのうちの一人、杵屋勝十郎氏は年少の頃から津軽、長唄について学び、東京藝術大学音楽部邦楽科にて実技と理論を深く極めた方です。非常に若い方ですが、経歴からその発言にも重みがあり、安心して聴けました。

 以下、この講座を通じて感じたことなどを書き連ねます。

@三味線の歴史など

 三味線は中国から伝来した、とあっさりと結論付けられるのが通常ですが、中国嫌いの私ならずともそれはちょっと短絡的に思いますね。また、あたかも中国が発祥の地であるかのようなニュアンスが含まれているのが頂けません(かなり偏見かもしれませんが)。講師の小野木氏も触れていましたが、音楽の原点は、大地を足で打ち鳴らすなどのことから始まり、それが太鼓に置き換えられ、次いでメロディの欲求から太鼓に棹をつけ糸をつけられて弦楽器が出来た、という捉え方が実際に近いように思えます。つまり、中国からというよりもユーラシア大陸のそこかしこに同時自然発生的に生まれてきた、ということではないでしょうか。
 中国では、その弦楽器に大きさのバリエーションが出来て、実際に「大三弦」「中三弦」「小三弦」等になったようです。当日会場にはその「大三弦」が展示してありまして、実際の奏法もビデオで紹介されました。それをみますと、指に付け爪をして、またはピックを使ってギターかマンドリンのようにかき鳴らされておりました。弦はスチールが使われていまして、演奏音を聞く限りではマンドリンのようでした。
 日本への伝来については、この三弦がまず琉球に渡来し、三線(さんしん)として沖縄に残ります。
 本土へは、大阪の堺に渡ったのが最初であったといわれております。
 中国の三弦や沖縄の三線の演奏では、撥は使われておりませんが、三味線では撥が使われます。これは、日本で最初に演奏したのが琵琶法師であったことから、ということだそうです。なるほど、ですね。
 さて、その三弦は日本では細棹、中棹、太棹に分化し、講座の説明ではありませんでしたが「さわり」という機構が付加されるのです。(展示されていた中国の大三弦にはついていませんでした。)

 写真は、左から
・ネパールの三味線? 構造的には同じです。胴は、木製でした。
・大三弦 胴皮は蛇の模様の合成樹脂でしたので、本来は蛇皮のようです。
・沖縄の三線
・以下、細、民謡、津軽の各三味線


 これらの三味線は、物語のかたりや唄の伴奏楽器として使われるようになります。
 私は、まだその定義や区別がよく分からないのですが、
細棹‥長唄、小唄、端唄、河東節(かとうぶし)、山田流筝曲の三弦などのジャンル
中棹‥地唄、常盤津、清元節、新内節、一中節(いっちゅうぶし)などのジャンル
太棹‥義太夫津軽三味線などのジャンル
 と区分されています。
 当日は、上の太字のものがそれぞれの奏者によって演奏されました。

A実演と解説
a 長 唄
  歌舞伎の伴奏などに使用されており、舞台の幕開きなどの際にその情景を音で表現する場合などに使われ、これを「合方(あいかた)」といういうそうで、次のような代表的な曲があります。
 「隅田の合方」;隅田川の情景、「雪の合方」;雪が降っている情景、「千鳥の合方」;立ち回り(チャンバラ)の伴奏‥といった具合です。演奏の際の撥使いは、細棹から想像するようなちまちましたものでなく、小さい音を出す場合でも大きく振ってスナップを効かせたような使い方がされているのが印象的でした。

b 太棹
  形状の特徴として、駒が高いのと、撥が厚くて大きいという点がありまして、これが津軽と大きく違う点です。(駒には鉛が仕込んであるそうです。)駒が高いのは、表現の幅を大きくするためということでしたが、私にはこもった感じの音が気になって、これはいい、とまでは感じられませんでした(あのベンベンベーンという音です)。用途としては義太夫で語られる物語の展開を助ける(ある場合には主体にもなる)という位置づけのようでした。「唄」ではなく「語り」なのだということが強調されました。
  息の吐き方、止め方も語り手とあわせたりするそうでして、演奏デモでは、真剣な形相で前方を睨み、時に「ウッ」という声で息を止めての演奏で、プロの気迫といったものを感じました。

c 中棹
  地唄の紹介がありました。
  長唄が劇場用であるのに対して地歌はお座敷用と言ってよいのかもしれません。
  地唄は文字通り土地の唄、庶民の唄ともいえるもので、これを支えたのは当道(とうどう)といわれる盲人の組合であったそうです。(ちなみにこの盲人組合の最上位を「検校」、何番目かを「座頭」という。)地歌は上方を中心に発達し、唄が主体の音楽といえるようです。
  この日は大変美しい女性奏者によって男女の機微をうたった地唄の一つが紹介されましたが、まさにお座敷にすわって聴いているようでうっとりとしました。
  音は、細棹に比べてやや低く、それが甘く耳に触れました。

d 太棹(津軽三味線)
  言われてみれば確かにそうでしたが、津軽三味線は比較的新しい楽器であって、100年か120年くらいしか経っていません。明治時代以降に発達した楽器であるともいえます。用途は門付けのためであって、そのために出来るだけ大きな音が出せて派手な演奏が出来るものということで、太棹が選ばれました。また、高音が出せるように棹も胴のそばまでぎりぎりに伸ばされました。
また、単なる伴奏楽器ではなく、民謡の前奏部分を別枠にして弾くための独奏楽器として使用されるようになりました。この前奏部分はご存知のように、大変技巧が凝らされたものとして発達していくのですが、これを後押ししたのが、津軽地方に伝わる「えーふりこき(ええかっこしい)」と「じょっぱり(強情)」の気風でした。こうして、即興で競い合うような演奏が形作られていったのです。
  そして、これを東京にもって来たのが三橋美智也だそうです。高橋竹山をプロデュースしたということのようでした。
  当日、デモとして演奏された曲は、じょんから節(旧節)と曲弾きでしたが、大変素晴らしいものでした。
  テクニックもさることながら、音の一つ一つがとてもきれいで粒だっていました。また、強弱の付け方、撥の当て方など、「出したい音にあわせてのテクニックを使う」ということが良く分かりました。
  ついでにもうひとつ付け加えると、棹に付いた指のあとが極めて細かったのがものすごく印象的でした。つまり、調弦が常に正しく、ツボの押さえが極めて正確、ということなのですね。


 大変勉強になりました。
 同じ機会があれば、もう一度参加したいと思います。



(参考)

 豪弦と名前のつけられた三味線。弓でも弾けるようになっています。コントラバスと同じような使い方をするそうです。
 日本には、これ1台だそうです。
 皮は土佐犬の皮だそうです。

19.10.6

テンポ

 今、稽古中の曲は華鼓という曲で、太鼓との競演のために作られた曲だそうです。
 合奏ですから、テンポについては絶対的に協調されなければなりません。

 しかし、一般的に曲のテンポはだんだんと早くなってきます。(浅野梅若さんの、秋田荷方節を聴いていましても、明らかに最初と最後はテンポが違っています。あの大名人でさえそうなのですから、まして私達素人は‥‥、なのです。)

 まだ梅若さんの場合のように徐々に徐々に早くなっていくのなら良いのですが、私達の場合は、部分的に早くなってしまうというのが多いと思います。いわゆる「走る」というやつです。
本日、先生から指摘されたのは、一つのフレーズ、特に手が混んでいたり、単一音をいくつか続けて弾く場合に慌てたようにして早くなってしまう、という点でした。このような場合というのは、早く先へ行こうという気持ちが強く出てくるようですね。というよりも、音楽を弾いて楽しむという気持ちが無くて、とにかく弾き終わろうとする気持ちになっているということかもしれません。

 演奏が間延びして遅くなるというのはあまり無いようですから、早くならないように「意識をして冷静を保つ」ということが必要のようです。
 これも、ゴルフと同じですね。気がはやって、早打ちに行くと、だふったり、ちょろしたり、ということになります。ゆったりした気持ちで鷹揚にクラブを振るのが大切です。(なかなか難しいですが‥。)

 

練習曲;華鼓

19.9.21

 炭鉱節を終わって新しい曲に入りました。
 「なにか希望はありますか?」ということでしたから、先生の創作である「華鼓」を希望しました。
 民謡の単なる合奏(斉奏?)ではなく、掛け合い(オブリガード?)の入った、曲としても面白い曲です。
 先生の話に拠れば、この曲は太鼓などとの競演も想定されているようで、16小節づつにフレーズが区切ってあるそうです。この点、西洋音楽が取り込んである訳です。
 私の理解では、一般的に民謡では歌詞(歌い手)に重きがあることから、歌詞の都合で小節が構成されており、ひどい場合はいきなり変調子したり、半間(はんま)と称して1小節の半分が無くなるというものまであります。
 この点、この曲はいわば演奏用の曲ということで、これまでと違って私にとって受け入れ易いように思えます。

 さて、今日の練習では、「耳(=聴く)」ということについて話がありました。
 この曲では、「振る(ビブラート)」が多用されるのですが、その技術について質問をしたところ、「指をこうこう」という答えではなくて、実際に演奏して「こうです」という答えでした。そして、言われたことは「振る」に限らず、音程、音質、音量、各種の技術などずべて音で覚えなさい、ということでした。すなわち、音で覚えてその音を出すためにどうしたらよいかという観点で、まず聴き、見取り、そしてそれを繰り返し演練しなさい、ということです。
 私はこのような稽古事の一番の要素は技術だと思っていたのですが、そうではなく、出すべき音をしっかりと頭の中に入れ(=耳でよく聴き)、それから技術のことを考えるということなのです。そうしないと、技術がいくら上手くなっても、出すべき音が分かっていなければ、その音は出ない訳でして、その時点でもう音楽ではなくなってしまいます。(目的と手段の関係に似ていますね。)
 
 一方では、もう少し技術的な部分を解説しながら教えて貰いたいという気持ちもありますが、まぁ別に急ぐことはありませんし、先生の言われることが正しいように思いますので、この点を意識しながら稽古を続けていこうと思っています。

 

練習曲;華鼓

19.9.8

撥さばき

 今日の稽古で、私の前の方は始めて2回目の若い方でした。
 それで、先生は撥の持ち方、打ち方、左指の使い方など基本中の基本を指導されておりました。
 それを後ろで聞きながら、私も演奏の原点に帰ることができました。同じことを私も最初に習ったのですが、覚えておく必要のない程身に付いたのではなく、単に忘れてしまって自己流で楽なやり方になっておりました。深く反省をしたところです。

1 撥の持ち方
 ラケットやゴルフクラブと同じで、大変大事なことでまた難しいことだと思います。(なかなか自分自身できないのでその思いが強いのかもしれません。)
 形としては、左の写真のように親指と小指を大きく開くというのがポイントのようです。
 小指は伸ばすのではなく、丸める。(写真では丸め方が不足)こうするのは、撥と皮の関係が、打った時に平行に近くなるようにするためと私は理解しています。
 親指は、できるだけ伸ばして、腹全体で撥の角部分を押さえるという感じにしたほうが(なんとはなしに)音が良いようです。
 もうひとつのポイントは人差し指です。
 前回は、「添える程度」と書きましたが、心持ち強めに下から押さえるようにして、親指との間に撥を挟む(掴む)という感じにした方が、撥の操作が確実かつ楽になるようです。

2 撥の使い方
  先生が何度も言われることですが、撥の振り方の基本は扇をあおぐようにして、スナップを効かせる、ということです。
 先日、テレビを見ていましたら、武田鉄也の海援隊がでておりまして、津軽三味線を取り入れた曲を演奏しておりました。曲の中盤に武田鉄也らがじょんから節を弾き、さらに指導した先生が曲弾きのソロをとるのですが、この先生の撥さばきがいただけませんでした。手首が固定されていて、腕ごと動かして打ちに行っているのです。腕ごと動かしているので、その腕の動きに合わせて三味線も大きく動いており、また手首のスナップも効きません。音色もいまいちのように思えましたし、かつかつで弾いておられるように見えましたね。

3 左指の使いかた
  先生の言葉を借りますと、「三味線というのは、音を伸ばすことができない。したがって、できるだけ音(余韻)が残るように、左指で押さたらぎりぎりまで動かさないようにする。言い方を変えると、左指は次の音を弾くぎりぎり直前に、その音のポジションに向けて移動をさせること。このような奏法を守れば、指の移動中の不要のスライド音は発生し得ない。」
 この点は、いまだに私も注意を受ける点です。そのような奏法(スライド音を出す)をする場合以外は、意識をして守らなければいけないところです。


  

練習曲;炭坑節

19.8.16

撥の持ち方(4)

 夏休みのために、自宅練習中です。
 前にも何回か書いていますが、撥の持ち方はこうだ、というのが未だによく分かりません。
 稽古曲は、三下がりの曲(剣ばやし、弥三郎、津軽音頭、津軽三下がり)で、これらをおさらいしているのですが、大体ひとおり弾けるようになったので、撥の持ち方をあれこれ変えながら最良の方法を研究しているところです。

 これらの曲には、いろいろな奏法技術が出てくるのですが、それぞれの奏法に応じて撥の持ち方は変わるのではないか、と思い始めています(今頃遅い?)。
 
 もっとも基本的な撥の持ち方は、撥の重心付近を中指・薬指で掴み、人差し指は添える程度にし、打つ時はスナップを効かせて(先生の表現では「扇であおぐように」)撥を振るとうのが適当のように思います。
 そして、"ちりら"とか"ちりたら"などスクイが入るようなフレーズの際には、撥の下側を支えるひとさし指に力を入れて撥をしっかりと摘み、確実なスクイができるようにします。
 つまり、通常はスナップの効いたバチンとした音を出し、"ちりたら"が来るぞとなったら、撥を撥の裏表から良く挟み確実な動きをさせる、ということです。なお、左指の使い方も同様でありまして、"ちりたら"の場合には、意識してぐっと力を入れるのが適当のように思われます。


 このような使い分けは、さまざまなケースにおいてそれぞれに応じたやり方でなければならないのでしょうが、とりあえず上の2つのケースを練習しようとしています。
 

19.8.5

東林間阿波踊りに参戦…雨

 神奈川県相模原市、小田急沿線の東林間の商店街で行われております「東林間わぁ!ニバル」というお祭りに行って来ました。お祭りのメインは、この阿波踊りです。
 私の参加する連は、ちどり連といいまして海上自衛隊厚木航空基地の隊員で作っている連です。私のほかに3人がOBとして押しかけ参加です。
 若い隊員が主力でして、躍動感と統制美がウリですが、毎年注目を集めておりまして、追っかけがいるほどです。
 今日の鳴り物は、笛4本、三味線が私1丁。いつもは5丁揃うのですが、今日はたまたま私一人になってしまいました。
 写真は、スタート前のスナップ。
 5時ころで、空は明るく、暑さのために人手もまだまだといった状況です。


 調子が乗ってきた7時半ころ、雷雨になりました。
 私は、三味線の保護のために、ビニールに包んで道路わきの軒下に避難。
 主催者のマイク放送で、一時中止し天候の状況を見るということだったのですが、観客も天気回復待ちで立ったままでしたので、我がちどり連は雨の中を踊りを再開しました。若さですねぇ。それと、自衛隊は(制服の場合、傘をさしたりせずに)雨に濡れるのをあまり気にしませんので、他の連とは感覚的に少し違うのだろうと思いました。また、雨に備えて、太鼓のビニールカバー類も準備しておりましたから、ぱらぱら雨がきた時点で、サッと雨対策は完了しておりました。(こういうところの自衛隊の手際は冴えています。)
 
 演舞が終わると、観客の大拍手。そして「さすが自衛隊だ」の声。演る側も観る側も満足のひと時でした。

19.8.4

派手さを見せる指使い

 だいぶこの日記を休んでいました。
 4ヶ月近いサボリです。
 7月8日に発表会がありましたので、この4ヶ月に稽古した曲目は、新曲は剣ばやしのみで、他は発表会用のおさらいだったのですが、これが大ごとでした。大ごとだったのは庄内追分、秋田荷方節、秋田船形節、弥三郎節、津軽音頭、津軽三下り‥など等の大物が演奏曲目としてあげられていたからです。これらのうち、二、三曲以外はあらかた記憶の外にありましたから、ほとんど最初からやり直すような状況でした。記憶の内側に確保しておくためには、だいたい毎日繰り返し練習をしないと、私の頭ではだめですね。
 それでも、なんとかかんとか(ごまかしながら)弾けるようにはなったのですが、本番の日に急な仕事が入りまして、リハーサルに出席しただけで本番には出られませんでした。
 ただし、今回はあまり情熱が湧きませんでした。
 リハーサル中に感じたのですが、三味線の合奏は、中でやっているとガチャガチャ、ガチャガチャという音が非常に強く聞こえて、あまり感動的ではないのですね。私は昔ブラスバンドをやっていましたが、その経験で行くと合奏すると本当は楽しいはずなのですが、三味線の場合はどうもそうではありません。ユニゾンだからかもしれませんね。

 さて、このところ三下がりメドレーということで、剣ばやし、弥三郎、津軽音頭、三下がりのおさらいをやっています。今日は、津軽音頭と三下がりをやったのですが、「よろしいでしょう」というお言葉をいただきました。
 ただし、1箇所、指使いの不具合を指摘されました。それは、1拍目の音が2のツボで、2拍目の音が4のツボというような場合、2のツボを1の指(人差し指)で押さえ、4のツボを3の指(薬指)で押さえていたのですが、両方ともに1の指で押さえなさいというご指導でした。こういう指使いをすると、動きが大きくなるので明らかに苦しいのですが、動きが大きくなるから逆に派手に見えて良い、ということなのだそうです。
 へー、なるほど、そういう考え方もあるのか、と思いました。
 野球などで、外野手がフライをとる場合、わざとスタートを遅らしてぎりぎりでキャッチし、ファインプレーのようにみせるというテクニックがあるそうですがそれと同じですね。

 いずれにせよ、余裕がないとなかなかできない技術でして、私としては基本的には普通にやって行こうと思っています。

19.4.19

左指の使い方―「押さえる場合」、「弾(はじ)く場合」

 「ちりたら」がいつまでたってもうまく行かず、先生のような粒のそろったきれいな音がなかなか出ません。あれこれと苦労しながら工夫をしているところですが、最近ちょっと気づいたことがあります。
 それは、表題に書きましたように、糸を弾(はじ)くときの指の使い方が通常の糸を押さえる時のものとは違うのではないか、ということです。

1 糸を押さえるだけのときの指使いは‥、

  音をきれいに出すことが最大の目標になりますから、ふわっと押さえてはなりません。澄んだ良い音を出す為には出来れば爪で押さえることを第1に考えなければならないと思います。そして、爪を使用しない場合、または使用できない場合には力を入れてしっかりと押さえるということになります。そのためには、指の骨の方向を棹の面に直角にするような形をとるが必要です。つまり、どちらかというと指の先で押さえることになす訳です。

 写真では、薬指がそれです。真上から”骨で”押さえている(つもり)です。

 余談ですが、私は退役自衛官ですが、若いときに受けた小銃射撃訓練を思いだします。
 小銃を撃つ姿勢にはいくつかあって、そのうちのひとつに「伏せ撃ち」というのがあります。文字通り体を地面にうつぶせにして(腹ばいになって)銃を構えるのです。その際、銃を左手で下から支えることになるのですが、そのポイントとして強く言われたのが「(腕の)”骨で”銃を支えよ」ということでした。つまり、左上腕を銃の真下に持ってきて銃の重さが腕の骨に鉛直にかかるようにするということです。こうすることで、銃がぐらつくことを防ぐ訳です。(それによって、命中率を高めることになります。)
 「銃は骨で支えよ」
 今から、40年前の言葉ですが、不思議と覚えています。

2 糸を弾(はじ)くときの指使いは‥、

  弾くときの指使いには、2つ技法が必要であるようです。
 第1は、これが今回の主題ですが、指を糸に掛ける時にややオーバーシュート気味にする、ということです。押さえるときのように指先を棹の上から直角にもってくるのではなく、指の腹側で、それも出来るだけ深く押さえます。その後に、弾(はじ)くという操作に入るわけです。こうすることで、長いストロークで糸を引っ張ることが出来ます。私の「ちりたら」の音が貧相なのは、指先で押さえて、ちょこっと弾(はじ)こうとするものですから、ストロークが短くなって強い音が出ないからではないかと思っています。
 そして、弾(はじ)きの第2のポイントは、以前にも書きましたが、糸を引っ張る方向についてです。ただ単に糸を弾こうとすると、糸と直角方向に力を加えがちですが、指導として言われますのは、「指の動きは(極端にいうと)糸と並行に、引き上げるようにして弾きなさい」ということです。実際に比べてみるとその方が音が澄んだ音になりますし、指の動きもこの方がスムーズのようです。

 写真は、少しオーバーですが、薬指の状態がそれです。
 もちろん、中指、人差し指もそのような気持ちで押さえる必要があると思います。

 以上は、指使いも一律ではないよ、というオハナシなのですが、これはあらゆる局面でもいえるように思います。習い始めの頃は(今もそういう傾向がありますが)とにかくガンガンひっぱたくという感じでしたが、そうではなく、曲想を自分で考えながらそれに最適な音作りをしなければならない、ということでしょうか。
 でも、いつも理屈先行でなかなか実行が伴なわないません。なんだかんだ言う前に繰り返し練習に努めなさい、という声が聞こえそうです。

 

19.3.31

三味線の稽古で両足捻挫

 ホームページの更新がだいぶ滞ってしまいました。(パソコンがクラッシュして、完全復旧に10日程かかってしいました。)
 スランプ(やる気の低下)を完全に脱してはいませんが、心の整理をしながらもう少し続けることにしました。
さて、今日は、三味線の稽古で両足を捻挫するという椿事についてレポートしたいと思います。

 事故当日、いつものように、先生と対座しての稽古だったのですが、この日は他に生徒さんが居なかったこともあってか、私の質問に答える形で先生の話が長くなりました。
 足の痺(しび)れがひどくなってきたので、先生に言って足を崩せばよかったのですが、もともと奥ゆかしさと我慢強さがとりえの田舎人ですので、そのままにしておりました。
 話が(やっと?)終わり、一礼した後、左手にテープレコーダを、右手に三味線を持ちまして立ち上がり、その場で回れ右をしました。そして、おもむろに前方への歩行を開始しました。足がしびれているのは分かっていましたが、以前にもこのくらいのことはありましたので、構わず右足から踏み出しました。
 その途端、その場に見事に転んでしまいました。

 その転び方をやや詳しく説明しますと、次の通りです。
 歩行のために右足を持ち上げるまでは問題なかったのですが、足首から下が全く制御不能(プラプラ状態)になっていまして、指先が畳に接地した状態になっていたようです。このために、指先が畳に引っ掛って、体が前方に倒れ始めました。恐らく、体が倒れるのを防ぐ為に、瞬間的に左足を前方に出したのだと思うのですが、悲しいかな左足も同じプラプラ状況になっておりまして、右足と同じことの繰り返しになったようです。
 こうして、全体としては、両足のつま先を畳に接する格好で前方へ倒れ始めたのです。というより、真下に崩れるような格好であったように思います。このために、両足の甲の部分をえびぞりにするような形で強く曲げてしまいました。

 両足が制御不能状態で上体が倒れると、体をカバーできるのは手しかないのですが、左手にはテープレコーダー、右手には高価な三味線という格好ですから、まずテープレコーダ側の手をついて、次に三味線には出来るだけショックがないように右手側を処理しました。ここまで、1秒程度のあっというまの出来事でありました。
 体が倒れて畳に着地する際に、先生のお宅の戸棚のガラス戸に三味線が当たり、その状況が視界に入りまして、一瞬惨事を予想したのですが、幸いなことにガチャンと言う音だけで、事は済んでしまいました。(本当に良かった)

 さて、転倒の結果ですが、
1先生のお宅への被害;なし
2三味線、テープレコーダなどの器材;損傷なし
3右足;中度の捻挫。左足;軽度の捻挫。
 事故直後は、少し休んで痺れを取って、普通に車を運転して帰宅できたのですが、自宅で少し落ち着くと、見る見る間に足の甲が腫れ上がってきまして、おまけに青い痣(あざ)になってきました。翌日も腫れは引きませんでしたが痛みはそれほどでなく、骨折はしていないようなので、自宅で湿布することで直すことにしました。

 次に、先生の対応についてです。
 倒れたとき、先生の目の前でドスン、ガチャンとやった訳ですが、先生は、まずガラス戸の方を見られまして、次に三味線を手にとり、三味線の状態を見ながら脇にどけて、それからおもむろに私に「大丈夫ですか」と問いかけられました。単にしびれを切らして転んだという判断をされたのですが、怪我の状態を考えると、結果論ですがちょっと冷たいなぁと思ってしまいました。実際上はまったくやむを得ないことなのですがね。
 
 稽古の方は、せっかくいろいろと興味あるお話(全国に在るハイヤ節の違いと関連性を実際に曲を弾きながら解説)を長時間にわたってお聞きしたのですが、それらは頭からは飛んでしまって、本日の稽古の成果として残りましたのは
痺れを切らした足で無理に歩くと両足を捻挫することがある
ということでした。

 皆さん注意しましよう。

練習曲;塩釜小原節

19.3.9

スランプ?

難曲、秋田荷方節。先生からは、一応良いでしょうということなのですが、実際のところはやっとこ弾き終われるという状態でして、私としては全くの不満足の状態です。
 それでも、「可」ということになりまして次の曲に進むことになりました。
 今日はこの瞬間、やる気が失せてしまいました。
 曲数をこなして行くのは良いのですが、ただ単に弾けるというだけで良いのか、ということです。それも、大体が中途半端。おまけに、どんどん忘れていってしまう。気に入って弾き続ける曲はそうでもないのですが、もう一度やってみようと思わなければ、概ね記憶の外に去ってしまいます。
 過去に習った曲を繰り返し練習するようにすれば良いのでしょうが、練習中の曲を優先しますから、なかなかそうも行きません。
 
 結局、自分はなにをやっているのだろう‥‥ということなのです。
 運指法を習っては忘れ、習っては忘れ‥‥。
 今は、音楽をやっていないのです。

 しばらく、休もうかしら、とも思っています。

練習曲;塩釜小原節

19.2.22

秋田荷方節概ね完成

 概ね完成といっても本当の概ねです。やっと最後までいったという感じがします。
  なんといっても一番の難関は、連続した押し撥の動です。
  本日、先生の話によると、こうすれば良いという教え方はできないそうです。そこには、一般的な弾き方というのではない、荷方節用の独特の(専用の)弾き方があるのだそうです。そして、奏者はそれぞれに試行錯誤をしてそれを感得するしかないということなのですね。
  ただし、私の奏法については明らかに指導を要するという点が2点ありました。
@撥の麺をもう少し、胴皮と並行に近くする。
 私の撥は、弾いているうちに立って来るそうです。これでは、スピードを上げて引くことが出来ないということでした。たしかに、早く弾こうとすると撥が立ってきます。これでは限界が来るということなのです。撥を寝せた状態にするには、親指で上から圧し人差し指側で下から支えるという持ち方が必要です。こういう持ち方をして、撥をしっかりと掴むということでしょうか。(しっかりと掴めれば早い撥捌きが可能となる。)
A「たかつく」(前出)の「た」は皮をしっかり押さえる。
 これは、前にも指導されました。こうすることで、メリハリがでてくるということでした。
 先生の撥の動きを見ていますと、「たか」では力が入っており「つく」(特に「く」)では力が抜けております。3の糸を撥で引き上げて音を出しているというのではなく、撥が糸にひっかかって音がでているという風情になっています。

 これまでのこととあわせて総括すると、
@撥は軽くしっかり掴む(力まない)
 親指で上から押さえ、人差し指側で下から支える
A撥先に神経を行き渡らせて撥で糸を感じ取るように

 先生の弾く荷方節では粒のそろったきれいな音が高速で繰り出されています。
 一方の私の荷方節は、その全く逆の状態です。それでも、前奏部分(曲弾き)を一応最後まで行くことが出来ました。この曲は大変難曲なので、その分基本がしっかり出来ていないとダメです。言い換えれば、基本に戻りながら作り上げていくには最適の曲かもしれません。是非、私のレパートリーにしたいと思います。また、唄付けも出来るようになりたいと思います。(先生のデモの際に唄の先生が少し歌われましたが、細かいメロディの伴奏に朗々とした唄が流れてなんともいえない良い雰囲気でした。)

練習曲;秋田荷方節

 

 

(↓に続く)