最近読んだ本の感想です

読みたい本が多く、右(翼)系の本から先に読んでいます

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19.2.5

世界は腹黒い 異見自在/高山正之/高木書房

 著者の高山氏は元産経新聞記者で現在帝京大学教授です。産経新聞勤務時、1998年から三年にわたって、新聞紙上に「異見自在」を連載されておりました。また、著者はテヘラン、ロサンジェルス支局長もされていることから、この本では、主として国際社会において国家が見せる腹黒さ、そして我が官僚の腹黒さなどを筆致鮮やかに書き記されております。概ね週一ペースで400字詰め6枚程度、中身の濃いやつを書き下ろしていく訳ですから、相当の知力体力です。

 これを読むと、本当に世界は腹黒いという実感が湧きます。外務省の役人は特にこれらのことの単なる知識ではなくしっかりと腑に落とし込むべきです。

 私は思うのですが、我々日本人は2つのチャンネルを持つべきです。一つは国内モードのチャンネル、もう一つは国際モードのチャンネルです。
 私達日本人は、数千年の昔から今日にかけていわゆる「日本人の美徳」というものを培ってきました。謙譲、謙遜、惻隠、譲り合い、気遣い、気配り、優しさ、慈悲、‥‥これらを優先することで、世の中(日本国内)は最終的にうまく行っておりました。そしてこれは、江戸時代において完成され、我々日本人のDNAにもなったといってよいのではないでしょうか。
 ところが、一転、明治維新。
 これを境に、西洋標準である「腹黒い」行動の基準が渦巻く世界に否応もなく巻き込まれてしまったのです。この世界は、それまでの日本の行動基準ではとても御しきれるものではありません。そしてまた、DNAとして身に染み込んだ「日本人の美徳」はそうそう簡単に押さえ込める訳ではありませんし、また本来的にそうすべきものでもありません。
 こうして日本人の苦悩がここから始まり、そして今も続いています。(ただし、今の日本人は、それを苦悩していないから困ったものなのですが。)
 だから、私達はもう一つの国際対応用のチャンネルを持って、それを強く意識すべきなのです。国際社会を見るとき、外国を相手にする時には、このチャンネルにガチャンと切り替えて(表現が古い?)、「相手はことごとく『腹黒い』のだ」ということを、自分たちの腹の底にしっかりと入れておいて、それから対応を始めるべきなのです。
 このことが、本当に良く分かる本でした。

 中でも、面白いと思った部分を少し抜書きします。(要旨の抜書きです)
■旧約聖書と五輪1998.3.7
 旧約聖書に出てくる人間は白人のみであって、黒人やモンゴロイドを「人間と考えるのは不可能である」(モンテスキュー「法の精神」)といういのが18世紀あたりまでの欧米世界での極一般的な受け止め方であった。
白人の子孫達はまたナルシズムを特徴としていた。自分達は色も白くてきれいで格好いいと。で、それを誇示するオリンピックが復活されたが、やがて白人(人間)以外の黒人が参加してきてどんどん優勝をさらうようになった。面白くない。そこで、黒人には不利と考えられる水上競技に力が込められた。ところがこれに、モンゴロイドの日本人が出てきて優勝をさらうようになった。平泳ぎの古橋は50メートルを潜ったままで水面に顔もださない。白人は、これが強さの秘訣として潜水泳法は禁止する。背泳の、鈴木選手のバサロも同じ運命。国際水連はバサロを15メートルに制限する。
しかし、どうあがいても、夏のオリンピックは白人以外が優勢だ。そこで、考え出したのが冬季オリンピック。これなら、大丈夫と思ったら、ここにもまた日本人が出てきた。ジャンプと距離競技を合わせたノルディック複合でメダルを持って行った。国際スキー連盟は荻原健司らが得意とするジャンプの得点を低くするルール変更を行なう。そうしたら、長野ではノルウェーが得意とするジャンプで日本が金メダルをもっていってしまった。次は、国際スキー連盟は、スキー板の長さを現行「身長+80p以内」から背の低い日本人に不利な身長×1.46に変更した。

■学校はギルガメッシュ?1998.4.11
 ギルガメッシュとはバビロニアの時代の古い神話のこと。この中に、恐らく人類で初めてと思われる詳細な死後の世界の様子が描かれている。そこは天も地もみんな灰色の空間で変化も刺激もない。人々はここで永遠に続く時の流れを粘土を食べながら、ただおいおい泣いて過ごすという。
この灰色の世界は聖書に引き継がれた。死後、最後の審判を受ける日まで、つまり天国か地獄かの割り振りを受けるまでの待機場所となる煉獄である。面白いのは、この煉獄もギルガメッシュと同様、刺激のない、変化のない世界として描かれている。
 学校は、色々な規制を敷き、あらゆることで皆が平等に、そして危険や冒険を絶対にさせない安全が全ての、まさにギルガメッシュの描く死後の世界になっている。学校で問題が起こるのもむべなるかな。

■日本財団のこと1998.4.25
 日本財団とは以前は日本船舶振興会といわれ、競艇を主宰している。要は博打のもと締めであるが、一味違う。名機二式大艇がアメリカでスクラップになりかけたとき、輸送費用、保存場所を引き受け、総額2億2900万をポンと出してくれた。当時会長はあの笹川良一氏。財団は、他にもさまざまな活動を行なっている。国連の天然痘撲滅運動に370万ドル、ハンセン氏病対策に4000万ドル、突発の事態にも、チェルノブイニの医療支援33億円、阪神大震災に際し71億円、ロシアタンカーの重油流出に106億円‥‥。
これらは、収益の一部であるが、正確に言うと協定の投票券1枚100円のうち75円が払い戻し、のこり21.7%が主催自治体へ、そして残りの3.3%が日本財団に入る。年間1兆8000億円の売り上げであるから、これは600億円に相当する。これを、適時適切に運用しているという訳である。一方、通産省の自転車振興会が主宰する競輪、また競艇の2倍の売り上げがあるという農林水産省所管の中央競馬会が主宰する競馬はどうか。これらは、同様の比率による収益を得ているが、「予め予算化して支出するので」突発事態には対応しにくいという。なにに予算化されているかというと、通産、農林の天下り用になっているのである。人員の状況を見ると曽野綾子氏率いる日本財団は89人、自転車振興会は220人、競馬会に至っては1900人の大所帯になっている。ついでに、競馬会の年間タクシー代は3億円だそうです。

■アルゼンチン海軍大佐ドメク・ガルシア1999.2.20
 大佐は日本海海戦の折の観戦武官。「三笠」を旗艦とする第1艦隊の殿鑑(最後尾の艦)「日進」に乗って観戦、「アルゼンチン観戦武官の記録」を著している。(「日進」は開戦に際してアルゼンチンから譲られた艦であった。)戦いの最中、日進は艦橋にダメージを受けた記録があるが、その後「日進」は何事もなかったように行動し戦果を挙げている。誰かが砲戦の指揮をしていたようだがその点が不明のままであった。
ところが実際は、このガルシア大佐が国際法を破って指揮をしていたようで、その証拠と思われる写真が大佐のお孫さんから届けられた。写真には明治天皇からの感謝の気持ちとして「下賜された」菊のご紋章いりの一輪挿しと金蒔絵の文箱が写っていた。(国際法違反であるから、公表されることはなかった。)
 アルゼンチンの教科書には、日進の話と日露戦争の意義「列強の世界支配にブレーキをかけ、世界の流れを変えた」などの記述がある。省みて我が教科書の悲惨。

■北部仏印進駐は円滑ではなかった1999.7.10
 1940年、パリが陥落し、ドイツ肝いりのビシー政権が誕生すると、日本はそのビシー政権に、北部仏印に軍を出したいと通告した。日本は当時、重慶の蒋介石政権にてこずっていた。重慶を落とすにはその糧道、いわゆる援蒋ルートを叩き潰すのが最も効果的で、それにはこの仏印進駐が作戦上どうしても必要だった。幸いというか、その仏印を握るフランスに同盟国の息のかかった政権ができた。友達の友達はみな友達である。当然、友好的にうけいれてくれるものと考えた。しかし、当のビシー政権を含めた欧米はそんな単純な受け止め方はしなかった。日本の仏印進駐は「15世紀、バスコ・ダ・ガマの到来で始まった白人によるアジア支配に初めて亀裂を入れる」(英歴史学者クリストファー・ソーン)おおごとであったのだ。ビシー政権は英国に置かれたドゴール仏亡命政権に泣きつき、ドゴールは米国に太助を求めた。米国はフランスに特使を派遣し、相談のうえでドイツを通じて日本に最高を促すよう働きかけた。アジアの植民地は、欧米諸国の大きな財産だ。「だれにも犯させない」という暗黙の了解があって、たとえお互い戦争していてもその点では助け合っていたわけだ。しかし日本はそういう思惑には全く鈍感で、通告どおりさっさと仏印へ向かい、ドンダンの国境にある仏軍の要塞から激しい砲火を浴びることになる。(結局、ドンダン要塞は陥落する。)

■オランダ人は相当ひどい2001.1.29
 オランダ人の有色人種への蔑視は異常なほどであるようだ。インドネシアでの植民地政策は苛斂誅求を極めた。スマトラの農場の様子を記録した「レムレフ報告書」には現地人を「鞭打ち、平手打ちは当たり前だった」と記録する。ある農場では「粗相をした二人の女性を裸にして、オランダ人農場主が鋲を打った帯ベルトで打ち据えさらに裂けた傷口や局部に唐辛子を刷り込んで木の杭に縛り付けて見せしめにした」。刑務所で過酷な労役を課せられる囚人が、「オランダ人の農場より食べ物が良いから」と出所を拒んだ例も伝えている。夕食人種は家畜よりひどい存在だった。オランダ出身のフランクリン・ルーズベルトもそういう意識が強かった、とニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド。キャンベル公使は本国宛に書き送っている。大統領がこのとき打ちあけたのは「劣等アジア人種」を牛や豚のように品種改良しようとする計画で、「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる、というのがルーズベルト大統領の考えだった。」米大統領のアジア人蔑視の気分は、蘭領インドのオランダ人ともぴたり一致する。1941年7月、米大統領は日本人に中国大陸かた撤退して「もとの島々」に戻るよう、いわゆるハル・ノートを出し、米国にある日本資産を凍結する。オランダもそっくりならって蘭領インドの日本人資産を凍結、約6000人の在留邦人を追い出した。その結果が5ヵ月後の大東亜戦争になる。そして戦争が終った後、オランダ人は抑留中に「平手打ち」と「粗食」を食わせた旧日本軍兵士の裁判を行い、連合国の中で最多の224人を処刑した。なぜ、その程度の罪で極刑を宣告したかのかというと、平手打ちも粗食もともにオランダ人が現地の人々に与えたもので、それを日本人から与えられた屈辱の報復なのだ。

■日本の官僚と国会議員2000.6.24
 日本は戦前、巨大な国防予算を組むために随分、無茶な税制を敷いた。過剰な酒税、不動産税、印紙税、‥どれも欧米諸国が植民地に課したのと同じ方式だった。しかし戦後、軍隊も連合艦隊も何もなくなったから、植民地方式の税金は廃止されるはずだったが、官僚はそれをしなかった。彼等はそれを自分たちのために使い始めた。昔なら戦艦が建造できる費用で庁舎を一新し、その処女航海費用は公務員の海外研修費に転用した。今、米国には大使館に加えて山ほどの総領事館が置かれて大蔵、通産など各省庁から何十人も赴任している。それでもカネは余り、今では各県庁からも人が出て栄華を山分けしている。200万いた軍人の俸給分は官僚の定年後の生活補償に回した。平たく言えば特殊法人づくりだ。地方も国にならって戦前と同じ植民地政策のままだから、ここもカネ余りで、巡洋艦ぐらい造れる費用をかけて庁舎を新築し、公民館や市民ホール、美術館などを建てた。別に市民のためではなく、退職後そこの館長に天下るためにこうしたハコ物が造られる。
国会議員がこれを指をくわえてみているはずもない。例えば農水省は毎年4兆円近い予算が組まれる。「農民は907万人もいる」(農業白書)からそれくらいはかかると主張する。実はこれが真っ赤なウソで、同じ農業白書の別のページには総務庁統計として「農業人口320万人」とある。水増しなのだ。そういう嘘があっても国会議員は黙っている。なぜなら予算の分け前をもらえるからだ。どういうことかというと、4兆円の中から議員の票田を支える地区の団体へ補助金がどさっと行く。その団体で補助金が洗濯されて政治資金の名前で議員に流れていく。かくて議員は票田が確保され、カネも手に入る。もちろん補助金のいく団体には官僚が天下っている訳で、官僚と議員の双方に正しく配分されるのである。この構図はもちろんよその官庁にも当てはまる。

■日本は脅威200.8.5
 日本が国際舞台に登場した今世紀入り口を考えると、世界は欧米白人国家による分割競争がほぼ終る時期になる。残るのは、中国、朝鮮半島、そして日本だった。その総仕上げに入ったところでロシアが日本に負けた。日露戦争を間近に見た駐北京ドイツ大使は日本の勝利を日中両国民が手をとって喜ぶ姿を見、さらに東京に1万を越す中国人留学生が殺到して学ぶ姿を見て、「中国が日本化すれば我々(欧米)の権益が危うくなる」と日本・脅威論を初めて警告した。「脅威」は現実になった。それが白人国家に有色人種が初めて戦争を仕掛けた真珠湾であり、続いて日本は「バスコ・ダ・ガマ以来500年をかけた白人国家のアジア支配」(クリストファー・ソーン)を苦もなく突き崩した。

19.1.19

インテリジェンス武器なき戦争/手嶋龍一・佐藤優/幻灯社新書

 インターネットの巨大さを表す言葉に「地球と同じ大きさのものが地球の横に存在している。」というのがあります。つまり、インターネットの世界というのはもう一つの地球だというのです。
 そしてこの情報(インテリジェンス)の世界。これもまた、もう一つの地球というイメージですが、上と違うのはそこが我々が棲むのとは別の世界となって広がっているということです。
 
 普通、情報といいますと情報収集の分野を思い浮かべますが、それをいかに適切に鮮度の高いうちに使用するかということが大切であると強調されています。集めるだけでは、子供の切手収集となんら変わることがないと言うわけです。
 アメリカ軍では、今、「情報優位」ということを盛んに言っております。先んじて知り先んじて対応処置を講ずる。こうして様々な局面で優位に立ち、ますますの国益増進を図っているのですね。
 つまり、それをユーザーがどう使うかが大事ということなのですが、その悪い例として昨年の民主党の「ガセメール」事件が例示されていまして、前原前民主党代表は「カラオケ屋で音痴の人が自分の音がずれているのにそれに気がつかないままに歌っているようなもの」で「あのミスは決定的。もう二度とインテリジェンスや安全保障いんは触らない方が良い。これは資質の問題なので訓練しても直りません。」とまで言っています。
 
 では、どんな資質がいるのか。
 英国は色々なところで「撒き餌」をしている、という。対外情報機関SISが最近アラビア語とロシア語のHPを立ち上げました。表向きはリクルートのためということになっているが、情報機関が「自らスパイにしてくれ」という人間を採用するはずがない。目的は、ここにアクセスしてくるアドレスに目を光らせている? ふーむ。
 これなどはまだ可愛い例で、その他にへーッというような話が載っておりまして、そういう裏を読めるというよりも、真の姿をしっかりと読み取れる資質が必要なのです。

 では、そういう資質はどうやって養うのか。
 佐藤氏の提言では、手嶋氏を校長とする学校が必要といっていますが、そうでなくとも今でも適用できそうなコメントがありました。
 それはイスラエルが行なっているやり方ですが、「彼らは常に人員の三分の一を大学や政府の研修期間などに出している。そうやって常に知識をつけていくので、大学の教員としても十分通用するくらいのレベルになっている。」ということです。一方、わが外務省などは、入省時に2年ほど研修が終ればそのポテンシャルで以後の40年近くを闘わねばならない。これを「焼畑農業」というのだそうです。教育投資の重要性の認識差が如実にでています。

 それにしてもご両人の対談、間接話法というのでしょうか、遠まわしの言い方が多くてぼんやり読んでいると分からなくなってしまいます。良く言えば知的な会話で埋まっている本です。

 

19.1.16

テポドンを抱いた金正日/鈴木琢磨/文春新書

 なにかの書評で推薦されていたので読んでみました。 著者は毎日新聞編集委員でTBSテレビのコメンテーターとしても時々顔を見る方。大阪外国語大学朝鮮語学科卒業で北朝鮮ウォッチャーということのようです。
 この本は18年7月5日のテポドン発射に合わせて書かれたということのようで、売らんかなの急造でした。ご本人もあとがきの中でそのように述べています。

 内容は、北朝鮮(金正日)が発行した書籍をベースにして、そのなかに記述されていることを改めて精査し、金正日の考えや心境に迫ろうとしたものです。しかし、ベースとなっている書籍の全てが嘘八百なのですから、労多くして益少なしの感が強く残ります。著者もそれは認識した上でのアプローチなのですが、なにかの傍証としてこれを使用するのならともかく、これを一冊の本にするのはちょっとキツイところがあると私は思いました。
いずれにしろ、金正日の今の状態を一言で言えば「既得の権益を嘘で塗り固めながら必死で守ろうとしている」ということであって、それは誰がどう見ても同じなのだなぁ、ということが分かった、というそれだけの本でした。

19.1.9

南京事件 国民党極秘文書から読み解く/東中野修道/草志社

 いわゆる「南京大虐殺」はありませんでした。それは、中国国民党中央宣伝部による一大プロパガンダであったのです。
(‥中央宣伝部。そう、中国には今現在も同じ名前の組織があります。中国共産党中央宣伝部です。今なおプロパガンダを流し続けています。)

 さて、東中野教授は、いわゆる南京大虐殺について長く研究をされており、今回台湾にあります国民党党史館において決定的な極秘資料「党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」を発掘し、それをもとにいわゆる大虐殺といわれている事件はこの部署による工作の成果であったということを論証しています。

 南京大虐殺があったことの根拠とされている「戦争とは何か」という本があります。結論を先に言えばこの本は、実は、中央宣伝部が宣伝本として発刊したものでした。

 表面上は、英国のマンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員ハロルド・ティンパーリ記者が南京在住の欧米人(当初は匿名)の原稿を編集して、昭和13年(1938)7月にニューヨークやロンドンで出版したものです。  内容は、衆知の「日本軍の暴行」を取り上げたものでして、この本の評価が高まったのは、匿名であった執筆者がマイナー・ベイツ教授と宣教師のジョージ・フィッチであることが判明したからでした。つまり第3者の欧米人による記録であるということであったからです。

 しかし、後年、第3者ではないということが判明します。
 編者のティンパーリ記者は、『近代来華外国人名辞典』によれば「中央宣伝部顧問」であり、曽虚白(南京大学教授、中央宣伝部国際宣伝部長)の自伝には「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版」した、とあるそうです。
 執筆者であるベイツ教授は中華民国政府顧問(イェール大所蔵南京関連文書)、同じくフィッチ師は彼の妻が蒋介石夫人の宋美齢と「親友」の間柄であった(チャイナマンスリー1940-1)ということです。
 つまり第3者が発刊した公正な記録ではないのです。
 決定的なのは、東中野教授が発掘したこの「党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」の中に、『本処(党中央宣伝部国際宣伝処)が、編集印刷した対的宣伝書籍は次の2種類である。A『外人目睹中之日軍暴行』(戦争とは何か);この本は‥(略)。B‥(略)』という記述です。

 ここまでの記述で既に南京大虐殺のいかがわしさについての十分な答えが出ていると私は思うのですが、東中野教授は「宣伝本ではあるが、その記述内容は本当かもしれない(大虐殺はあったかもしれない)という態度で、更に調査を深めるます。なんと誠実な態度でありましょうか。そして、関連資料の矛盾点などを丁寧に洗い出しながら、いわゆる「大虐殺」はなかったことを論証します。
 全ては、中央宣伝部の工作の成果だったのです。

 いわゆる南京大虐殺は無かったというのは、これまでにほぼ立証されていると思いますが、それを更に強固なものにする研究成果が新たに世に問われたということです。

 大事なことは、国民の一人一人がこの悪質な工作結果ら目覚めること、そして外務省などは既にそれに染まりつつある世界の目(「レイプオブ南京」などの影響)を変える努力を払うこと、です。
 そして更に更に大事なことは、この蒋介石の時代から現代に至るまで全く変わることなく、いわゆる「宣伝」を重視して工作活動を続けている中国の真の姿を強く認識することです。
 お人よしで心優しい日本人にとって大変不得手な分野ですが、心すべきことです。でないと、日本が中国に飲み込まれてしまいます。

18.12.31

パチンコ「30兆円の闇」/溝口敦/小学館

 なにかのブログでこの本が推薦されていましたので読んでみました。
 
 パチンコの市場規模は年間30兆円。この額がいかに凄いことかというと、中央競馬が3兆円、競輪が1兆円、競艇が1兆1千億円、宝くじが1兆円だそうですから、大変なものです。

 この額が、違法でありながら(刑法185、186条)白昼堂々の賭博でやりとりされているのです。さらには、それが著者の言う「闇」のなかでて、なんとなくうやむやにされている訳です。
 例えば、換金のシステムについては、警察はこれを公然と見逃しています。実はそこには、関係業者と警察の癒着があるからです。よく言えば、警察も身動きが取れないほどに絡めとられているのですが、これは許されて言い訳はありません。なんという恐ろしい状況でしょうか。
 「裏ロム」と称する不正行為などについても、なにしろ30兆円の金が闇の中で転がされている世界ですから、蟻が砂糖に群がるような得体の知れない動きがある訳です。そして、それを取り締まる側(警察側)はどうも見て見ぬ振りをしているということのようです。(この本を読んで警察に対する怒りを新たにしました。)

 基本的にこれは博打ですから、本来は胴元(店)とばくち打ち(客)が好きなようにやればよいのですが、なにしろ30兆円。最近は度が過ぎて、異常の世界となっているようです。
 その例が、警察との癒着ですが、も一つ見逃せないのが北朝鮮との関係です。よく言われているように、経営者には朝鮮半島の人が少なからず居り、これが北朝鮮へ多額の献金をしています(もっとも最近は減っているそうですが)。

 この本にはその他、不正の手口などが書き連ねられていますが、「闇」のままに許されている状態をこそ改めるべきだと思いますね。

 私も若い頃の一時期、パチンコは相当やりましたが、今思えば本当に可愛いものでした。今は、全国に1万6000店舗の大規模賭博場が公然と設置され、それが平日の昼日中から大繁盛をしている訳です。これを異常と言わずになんと言えば良いのでしょうか。
 
 今のようなパチンコ産業は「美しい日本」に不向きであるばかりでなく国益にも大いに反しています。
 安倍さん、お願いしますヨ。
 

18.12.26

伽羅の香(きゃらのかおり)/宮尾登美子/中公文庫

 同僚に勧められまして、読みました。
普段、小説はあまり読みません。最近、人に勧められたものを読み始めています。

 私の心の中では、「小説は作り事(うそ)、だからノンフィクションに劣る」という価値付けがありまして、読書に同じ時間を費やすのであればと、ノンフィクションの方に手が伸びるのです。しかし、その価値付けは誤りだということを恥ずかしながら最近実感じています。
 
 小説は「作り事」ではあるのですが、そこに出てくる作者の見方であるとか考え方などは、我々が学ぶべき「真実」なのです。また、作品の環境、舞台装置なども「真実」であるといって良いのでしょう。この作品の大きな舞台装置になっている「香(こう)」なども、私など全く知らない事柄でありましたが、作者はこの「香」というものをより深く知るために弟子入りするなどして取材を重ね、そして、そのいわば調査の結果を私たちに見せてくれているのです。こう考えれば、こういう部分は「真実」といって良いと思います。また、あとがきや解説文を見てみますと、この本の主人公のモデルになった方も実際に居られたようでして、「小説など所詮は作り事だ」などとはとても言えません。

 世の中には、人間と同じ数の人生があります。たいていの場合、小説で扱われる人生というのは多少特殊ではありますが、全くの作り事とはいえません。少なくともあり得る内容であると言って良いと思います。つまり、このような小説上の人物の人生を作り事とか真実とかいう区分をすることがナンセンスなことかも知れません。要は、その中に何を感じ、何を汲み取るかというようなことではないでしょうか。
 そういうことで、「小説は作り事だから」という基準で、最初からこれを排除することは止めたいと思っています。

 さて、この小説の中身ですが、読み終わって頭に浮かんだ言葉は「一大叙事詩」というものでした。
 三重県の山林王の一人娘として生まれ、恋をし、結婚をし、東京に出て幸せな生活に入るものの次々と肉親をなくし、ついには天涯孤独の身になってしいます。そういうなかで主人公は「香」に取組み始めます。香は本来は上流社会の遊びなのですが、山人(やまびと)という身分からくる負い目を完全に克服して、相当の地位を得るのですが、病を得たこともあって結局は周囲の関係者の全てから裏切られてしまいます。その根底にはやはり身分の差があったように見えます。
 そうこうして、主人公は結局、病と失意の中にある我が身を暖かく包んでくれる心優しい人々の住む故郷に中に帰っていくのです。
 簡単に言い切ってしまえば「故郷;善、都会;悪」ということでしょうか。
 善なるところで生まれ育ち、悪なるところで辛い仕打ちに会い、再び善なるところに帰っていく。このようにいわば安定した筋書きが大いに共感されるのでしょう。

 また、この筋書きに絡められているのが「香道」です。非常に高尚で典雅な遊びであるようです。今でも、どこかで行なわれているのでしょうが、我々庶民の聞き及ぶ範囲外なのかもしれません。しかし、それはそれでいいのです。財力、素養などなど、人には分限というものがあるからです。
 このような世界が日本のどこかでしっかり維持され続けて欲しいと思います。

 この本でへーっと感じたこと。
■「香を聞く」ということ
 香は、これを単に嗅ぐということだけではないようです。香りを嗅ぐことで、その香木が焚かれた古い昔の当時のことを感じ取る、ということのようです。したがって、時代背景や、関連する和歌などについての深い素養が必要とされます。だから、「香を嗅ぐ」のではなく「香(の声)を聞く」という表現をするということのようです。
■表現のうまさ
・海岸に立って眼前に広がる情景→「空も海も見事な紺碧を張り‥」
 「張る」というのは慣用なのでしょうか。私はこういう使い方を知りませんでいたが、初めて接しても不自然ではありません。うまい言い方です。
・夜が更けていく様子→「深沈として更けていく夜の音‥
 聞こえないはずの「音」を挿入する意外性。

 その他随所に表現の巧みさがちりばめられておりました。こういうところも小説の良さといってよいかもしれません。

 

18.12.24

中国の核が世界を制す/伊藤 貫/PHP

 私はこの本を読み、日本も核武装をすべきだという確信を深めました。

 著者は、米国在住の国際政治・米国金融アナリストとしてコンサルティング会社に勤務をしています。
 著者は、2020年には中国が米国に拮抗する経済大国・軍事大国になると予想しています。実際、1980年以降、中国経済は毎年平均9%の高率で成長しており、1989年から2006年までの中国の軍事予算は、毎年13〜16%の高スピードで増加しております。この軍事力の成長度合いを平たく言うと、5年で2倍、10年で4倍、15年で8倍という驚くべきペースになるのです。しかも、この数字は軍事力の実体を表してはおらず計上されていない予算がかなりの額あります。例えば、人民解放軍の衣食住のコスト、人民武装警察部隊のコスト、ミサイル戦力の兵器コスト運用コスト、輸出入する兵器のコスト、等などは公式の軍事予算に入っておりません。したがって、軍事費は発表されているよりも大きくかつ正確な数値というのは誰にもわからない!というのが実体なのです。
 この軍事力増強のモチベーションになっているのは、米国を破り米国に代わって世界の覇権を握ろうというもので、中華思想がその根源にあります。その達成時期は、経済的に十二分な成長を果たし得る2020〜30年が想定されているのです。ここに向かって中国は着々と体制を整備しています。そしてそれを担保するのが、この著書のテーマになっている核兵器なのです。

 私は、国外的にはこのシナリオが成り立つものの、国内的な問題点(格差、汚職、人権問題、環境問題、暴動‥)があまりにも大きすぎるために、そう単純には推移しないのではないかと考えるものです。しかし考えてみるとると、そうではないかもしれません。仮に、国内の諸問題のために中国共産党政権が倒れて、次なる政権がいかなるものであるにせよ、世界の覇者たらんとする国家目標に変化はないでしょう。そうすると、政権崩壊時に多数国に分裂しない限り今と同様の情勢が維持される訳です。つまり、日本を属国化しようとする核大国が形を変えるにせよ将来的に隣国として存在し続けるのです。

 一方、アメリカ。
 これも、結局は自らの国益を追求する普通の国です。日本のことが大好きだからとか、米国と同じ自由と民主主義を信奉するという国だからとか、まして日米同盟があるからとか、そういう理由で自らが犠牲を払ってでも日本を守るなどということはありえないのです。つまり核の傘などというものは全く存在しません。これは、潜在的大国である日本が名実共に普通の国になることを単に防止するための、はっきり言えば日本を属領のままにしておくための方便にすぎないのです。
 この点で、米中の利益は一致しております。2者はこの点で暗に了解しあっているのです。それを了解していないのは実は日本だけなのです。
 米国民主党は、中国寄りの考えが強く(リベラル)、民主党のクリントン前大統領夫妻などは、当時(今も?)中国のエージェントと強い接触を持っており彼らの懐には、中国共産党の人民解放軍の莫大な資金が入っていたようです。従って、次のアメリカの大統領選挙の結果次第では、中国共産党にべったりのアメリカ大統領が出現するということになりかねません。そうして、米中が手を握れば、日本は最悪の状態になるでしょう。2大国にいいようにあしらわれてしまうことになるのです。著者はこのように論じ、極端には中国の属国にされる、とまで言います。

 この流れを防止するのが、「真の自主防衛」ということです。現在の日本は、日米安保の下、普通の自主防衛すらまっとうできておりません。
 「真の」とは何か。
 それは本書の大きなテーマである「核武装」ということです。
 「核」の価値については、北朝鮮の弾道ミサイル発射と核実験が世界に与えた影響をみれば良く分かります。北が強く出られるのは「核」がある(と思わせている?)からです。これによって、各国は無視できないのです。普通なら、中古の兵器しかない朽ちる寸前の最貧国など歯牙にもかけられないはずなのに、「核」のおかげで異常なほどの強い発言力がある訳です。同様に(といったら失礼にあたりますが)フランス、インドはもちろんパキスタン、イスラエル等など一目置かれている現実を見れば良く分かります。(インドの高官は、核を保有したことで一時的に国際的な制裁を受けたが、大国としての発言力が増し、最終的には核保有は良かった、と言っているそうです。)

 我が国は世界で唯一の被爆国である、というのが我が国の核不保持の理由になっていますが、これは全くのナンセンスです。、安全保障をまっとうするための合理的な判断として「単なる最強兵器」である「核」を保有するというだけの話であるはずなのです。
 日本も核武装すべきです。
 核についての論議すらしてはならない、というのは狂気とさえ言えると思います。

 非常に良い本でした。

 

18.12.9

日本とシナ/渡部昇一/PHP

 渡部節が冴える1冊です。
 真摯に生きようとする日本と邪悪なシナ。
 一言で言えば、そういう認識を持っておつきあいをすべきだ、ということでしょうか。

 (今日は、細部省略。)

 

18.11.30

日米開戦の真実/佐藤優/小学館

 副題を「大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」といいます。

 あの東京裁判の法廷で、同じ被告席に座る東條大将の頭を平手でぺたぺたと叩いたことで退廷させられ、最終的には精神病ということで裁判からはずされた人物です。
 ところが事実はそうでもないようなのです。大川周明は、一時的にそういう症状を示したのですが、回復をし裁判に耐えられるような状況になりました。しかし、連合国は彼が再び法廷に立つことを許しませんでした。彼が法廷に立って口を開けば、日本の無罪の道が開けていくからです。彼にはそれほどの力があったからです。

 東京裁判をさかのぼる約4年前の日米開戦のその直後、大川周明はラジオのマイクの前に立って国民に語り掛けます。その内容は、まさに米英による東亜(アジア)に対する侵略の歴史であり、それに立ち向かう日本の姿でありました。これを開戦直後に、全12回の連続放送として行なったのです。そして、この話の内容をそのまま本にしたのが「米英東亜侵略史」でした。当時、相当読まれたようです。

 佐藤優。鈴木宗男と行動を共にしたことによって、執行猶予付き有罪判決を受け現在控訴中の身であることから自分自身の身分を「起訴休職外務事務官」と呼称しているあの佐藤優氏です。かれは「異能の外交官」「外務省のラスプーチン」などの異名をとる程の人材で、現在は著作活動を行っていますが、本書では、大川周明この著作を現代語訳にしてそのまま掲載し、これ対して彼の解説をつけて、日米戦争の実相を浮き彫りにさせていると思います。

 いわゆる東京裁判史観でない、いうなれば大東亜戦争肯定論といってよいと思います。
 佐藤氏の解説もさることながら、大川周明の著述も大変すっきりとわかりやすい内容になっております。アメリカが恐れた理由に納得がいきます。彼が、そのまま法廷に立ち続けていたら展開が変わっていたかも知れません。

 現代の我々が強く認識すべき内容です。

18.11.01

昭和天皇の御巡幸/鈴木正男/展転社

 私は、日本というのは「天皇陛下をその総本家の長とする、一大親戚集団である」という捉え方をしております。他国のような統治する側と統治される側という関係ではありません。陛下(皇室)と国民はともにお互いを身内と感じているのです。そのひとつの証拠が、皇室の慶事に際しての私達の感情です。この度の悠仁親王殿下のご生誕に際して、街頭でマイクを向けられた国民はまるで自分の家に、または親戚の家に子供が生まれたような感想を心からの喜びの表情で語っております。
 この本を読みましてそういう感慨をあらためて強めた次第です。

 さて、ご巡幸を始めるにあたって、GHQはむしろこれを歓迎しました。
 これまでは神とあがめていた天皇陛下が、実は「やや猫背で眼鏡をかけた小男」であるに過ぎないと分かれば、天皇に対する忠誠心などは吹き飛ぶであろう。石でも投げつけられれば良い。と、いうことだったようです。
 ところが、21年2月の神奈川県から始められて沖縄県を除く全国各地に対して8年半にわたって行なわれたご巡幸では、全くの例外なく今では想像できないような大歓迎の情景が繰り広げられました。
 奉迎場が設けられた場所では、近在の(といっても相当遠くからも)人々がそれこそ雲霞のように集まり、陛下との交流を図るのです。この本では君臣一体という表現が使われておりますが、私は親戚の総本家の長に対する尊崇の念の現れのように思います。

 この御巡幸というのは、私は、敗戦に打ちひしがれた国民全体を激励されるということであったと漠然と思っていたのですが、実はそうではなく、まず遺族、引揚者、戦災者を激励するということを大前提に考えられたということでした。したがって、各地ではそれぞれの席が設けられており、陛下はそこにいる方々をまずお慰めになり、お励ましになりました。実際にそういう方々に細やかに言葉をお掛けになっています。
 また、御移動については、終戦間もないということもあって大変困難な状況でありました。長時間列車に揺られ、砂利道の中を車に揺られ、それでいて車外に奉迎する国民に休むことなく手を振られ、場合によってその夜は停車中の列車内や学校の教室などに宿泊されるという本当に大変な旅でありました。このような強行軍であっても、遺族、引揚者、戦災者を激励したいという気持ちが非常にお強かったのです。それは、まさに国民を親戚の一員として考えておられるからであるという思いを私は強めました。

 盲学校なども度々ご訪問になっています。
 その際は、陛下以外の側近や新聞記者など全員が靴を脱ぎ、陛下のみの靴音で御出ましを知らせるという方法をとったそうです。その場面を想像するだけで感動を覚えます。

 このようにして、昭和21年2月18日に神奈川県から始められた昭和天皇の全国御巡幸は、沖縄県を残し、昭和29年8月23日北海道を最後として完了しました。この間8年6ヶ月。長い巡礼のような旅でした。なお沖縄については、ご病気でお倒れになったときも最後まで気にかけておられました。沖縄の被災者に直接お声をお掛けになりたかったのです。

 冒頭に書きましたように、陛下と国民が互いに親戚であるかのような感情をもっているという大変に幸せな国に我々は住んでいます。この感情が広く深く国民に行き渡っていれば、もっと住みやすい、もっと潤いのある国に、容易になるのではないかと思います。誠に惜しいことです。



 以上の本旨とは直接関係がありませんが、興味ある記事がありました。
 先だって現れたあの怪しげな富田メモなるものによって、陛下がいわゆるA級戦犯に不快の念を抱いておられるなどという憶測が広がりました。私は、そんなことはないと考えるものですが、このことに関して次のような記述があります。(236p) 
<引用開始>
 (昭和23年)11月12日午後、陛下は表御座所より御徒歩で御文庫に赴かれ、御自分でラジオのスイッチを入れられた。ラジオからは間もなく東京裁判の判決断罪の実況放送が流れてきた。この間、陛下は静かに眼を閉じて放送に聞き入っておられた。そして夕食後は、側近者も遠ざけられ、一人部屋にこもって、夜の更けるまでお過ごしになった由である。
 この日から39日の12月23日、東条元首相以下七士の絞首刑が執行された。この似は皇太子殿下(当時)のお誕生日である。例年この日、皇室ご一家は夕食をともにされるのが常であったが、陛下は一切の行事を取り止め、終日、御文庫に御籠り遊ばされていた。陛下の御心中いかばかりであらせられたであろうか。
 陛下はこの秋に次の三首の御製を詠まれている。
 風さむき 霜夜の月を 見てぞ思ふ かへらぬ人の いかにあるかと
(以下略)
<引用終わり>

 もうひとつの興味ある記事。
 両陛下は我が海上自衛隊自衛艦隊を観閲されておりました。
 場所は、北海道御巡幸の途次の津軽海峡です。(356p)
<引用開始>
 (昭和29年)八月七日、両陛下のお召船「洞爺丸」(4300トン)は赤地に菊花を織り込んだ天皇旗をマストに高くひるがへし、午後二時、青森港を御出帆。三隻の海上保安庁の巡視船が前後、左右をお護りし一路北海道へ向かわれた。函館港まで四時間半を要する。
 海上は風速十メートルで、マストの真新しい天皇旗が早くも端のほうから裂け始めるほどであった。津軽海峡の真ん中あたりで、空から6機のヘリコプター、海上には吉田海将指揮の自衛艦隊二十四隻が御迎えした。両陛下は一時間近くデッキに立たれ、各艦毎に「君が代」のラッパを奏し、観艦式の如く乗員全てを両舷に整列させて登舷礼を行なふのに御答礼遊ばされた。
<引用終わり>

 

 

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