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20.1.20

橋をかける/美智子/すえもりブックス

 この本は皇后陛下が1998年9月21日、インドで開かれていた国際児童図書評議会(Iiternational Broad on Books for Young People;IBBY)での本会議において行なわれた基調講演(ビデオによる)を収録したものです。

 基調講演は英語で行なわれておりまして、この本には日本語版と英語版が併載されています。その英語版には、著者を表すのに、Her Majesty Empress Michiko of japan となっておりまして、このEmpressという単語が、私にはとても輝いて見えました。というのは、Emperor and Empress(皇帝、女帝)と呼ばれるのは世界にこのお二人しかおられないからです。かの大英帝国の元首も、格としては下になるQeen(女王)でしかありません。そういう、誇るべき方が、世界の子供たちに本を与えようという運動母体の会議で基調講演をされたわけです。

 このときのビデオはテレビでも放映されましたが、ゆったりとしてきれいな発音でのお話しぶりは、大変素晴らしいもので、その雰囲気だけでも感動を呼ぶものでした。そのビデオを見て以来、この本を読んでみようと思っておりまして、今回その機会がめぐってきたという訳です。

 この本では、ご自身の幼少時における本とのかかわりをお述べになりながら、子供の時代における本の大切さと、それを促進しようとしている国際児童図書評議会への応援の気持ちをお示しになたものであると私は理解しました。

 表題にされた「橋をかける(Building Bridge)」ということについて、本文の中で次のように書かれておられます。

<引用始>
 生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能をはたさなかったり、時として橋をかける意思を失った時、人は孤立し、平和を失います。この橋は外に向かうだけではなく、内にも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います。
<引用終>

 この橋にはいろいろなものがあるでしょうが、そのうち、最も大きな存在が本である、ということをおっしゃっています。
 このあと、皇后様は幼い頃の本との関わりについて、かってのご自身の子供心が「悲しみ」という側面で大きくゆすぶられる様を細やかな言葉使いで語っておられます。次いで、その反面の心の動きについて、こう述べておられます。

<引用始>
 たしかに、世の中にさまざまな心の悲しみのあることは、時に私の心を重くし、暗く沈ませました。しかし子供は不思議なバランスのとり方をするもので、こうして、少しづつ、本の中で世の中の悲しみにふれていったと同じ頃、私は同じく本の中に、大きな喜びを見出していったいたのです。この喜びは、心がいきいきと躍動し、生きていることの感謝が湧き上がってくるような、快い感覚とでも表現したらよいでしょうか。
<引用終>

 自分自身がどうであったか、あまり覚えていませんが、これに似たかすかな思い出があるにはあります。そして、そういえば最近、既に成人した我が子が己の幼い頃の思い出を私に語ることがあったのですが、あの小さい頃にそんな心の動きがあったのか、と驚くような話が出てきました。確かに、子供だからと言って軽く見てはいけません。子供は子供なりに、というよりむしろ子供だからこそ大人よりも一生懸命に悩み、考えているということではないでしょうか。ショックを与えるようなものは避けるべきでしょうが、喜怒哀楽などバランスよく味あわせることが大事と思います。(最近は、何もかも快適にさせ過ぎています。だから短絡的なのっぺらぼうの子供達、青年達が増えている。)

 そして、結言に近いところでこう述べておられます。
<始>
 自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供たちの存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったと言うことを控えるべきかもしれません。
 しかしどのような生にも悲しみはあり、一人ひとりの子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。本の中で人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本の中で、過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます。悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われるとともに、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。
 そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかねばならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。
(中略)
子供達が、自分の中に、しっかりとした根を持つために
子供達が、喜びと想像の強い翼を持つために
子供達が、痛みを伴う愛を知るために
<終>

 この本はもともと子供達のために、こうあって欲しいということが主題となっているのですが、先程も書いたように、心の動きは子供も大人も同じなのですから、陛下がおっしゃっていることは全く大人にも当てはまることなのだと思います。
 この優しい語りかけの中に、本というものの位置づけを実に明瞭に言い表しておられると思いました。
 私は、これからも幅広く本を読んでいこうと思います。


20.1.9

再現南京戦/東中野修道/草思社
 昭和12年の南京攻略戦の過程でいわゆる南京大虐殺という事件が我が陸軍の手によって引き起こされ、30万人の南京在住の中国市民が虐殺されたということが言われております。全くの事実無根、国民党中央宣伝部の手になる作り話です。
 
 戦争ですから、巻き込まれたりあるいは極く一部の不心得な兵隊による乱暴狼藉があったとは思います。しかし、それはいうところの大虐殺というものではなく、(語弊があるかもしれませんが)通常あり得る範囲のものでしかありませんでした。このことは、今やほとんど証明されていると考えられますが、このことを我が陸軍の将兵が実にこまめにしたためた戦闘詳報、陣中日記などを基にして南京戦というものがいかなる戦いであったかを、いわば再構成したのがこの本です。(海上自衛隊が演習後にやっているリコンストラクション作業(略称リコン)と同じです。リコンでは、敵味方のログや合戦図を持ち寄って戦闘の状況を机上に再現し、採用された戦術や指揮官の判断の適否の評価や、各種のデータの統計などが行われます。)

 著者は、18年の永きにわたって南京戦を専門に研究されている東中野修道氏で、大虐殺といわれるようなことは無かったということを、これまでとは別の視点で証明してくれている訳です。

 これを読みますと、本当に我軍は、卑怯千万かつ無統制なシナ軍に対して、苦労しながら整斉とまた正々堂々と戦っているということが良く分かります。

 少なからぬ被害が双方に出て、また、我軍にいわゆる大虐殺の汚名が着せられることになった根本の原因は南京防衛部隊総指揮官である唐生智の、戦闘開始直後の城外逃亡にありました。彼は、部隊に対して「適宜城外に逃げよ」という指示を残して部隊を置き去りにしたことから、シナ将兵は大混乱に陥りました。城外への逃亡を図るもの、城内の民間人のための安全地域に軍服を脱いで潜入するもの、降伏するもの、その一方で我軍と交戦するもの、降伏した思えば再び交戦するもの‥とにかく混乱のきわみであったわけです。

 しかし、それでも我軍は実に立派な戦いぶりを示したと思います。戦闘詳報を書きながら、陣中日記を纏めながら、です。これらの膨大な記録によって再構成された南京戦の状況から、大虐殺という事象を見出すことはできません。

この本の中から、関心を持った箇所を抜書きします。
<引用開始>
(南京戦に参加した岡本元陸軍中尉が著された私家版「南京大虐殺の虚構と実態」の中での記述;)「戦場は殺さなければ殺される、緊張し切った殺戮の場なのである。会するや否や、敵に先んじ、一秒でも早く相手を倒さなければ、自分がやられる。(31p)」
 また山本七平氏も「私の中の日本軍」(下巻)の中でこう述べている。「何しろ戦場とは『殺されること』が当然の世界という、今生活している人には想像に絶する世界なのである(20p)」
 戦場には日本軍だけでなく敵軍がいる。戦場の兵士は「殺す」のではなく「殺される」のだという世界、それは平和な世界の私たちからみれば「想像を絶する世界」であった。
<引用終>
 歴史を見る場合の鉄則ですが、その当時の情勢の中で考える必要がある、という典型であると思います。今の、実に平和で安全な場所に身を置き、人道主義とか人権とかを無条件に主張することを当然とする感覚で、いわば後出しジャンケンのようにして、当時のことを単純にあれこれ言ってはならないというわけです。

 捕虜の処刑は行われておりました。今の感覚で言えば、無抵抗の捕虜を殺すなんて‥、という感覚ですが、そうではありません。上記のような状況が戦場の常態なのです。したがって、ハーグ戦争法規第8条(処罰)「総(すべ)て不従順の行為あるときは、俘虜に対し必要なる厳重手段を施すことを得」という条項が適用可能であれば、それはもちろん不当ではありません。また、次のような解釈もされています。
<引用始>
 国際法を持ち出せば、信夫(しのぶ)淳平『戦時国際法提要』は「捕虜にして後送中に抵抗する場合には之を射殺することを得(う)」(上巻422p)と明言している。つまり捕虜を前線から後方に護送中、捕虜が抵抗した場合、軍隊は捕虜を射殺することができた。
<引用終>
 
 その他、これに関連してシナ兵は本来捕虜にもなり得ず従って保護の対象にもなりえない、など興味深い記述があるのですが、ここではとりあえず省略します。

 

20.1.5

なぜ中国人、韓国人に媚びるのか/井沢元彦/小学館

 要は、日本人が東京裁判史観に侵されていてそこから脱却できずにおり、中国・韓国にたいする贖罪意識を強く持たされたまままでいるから、ということです。
 また、不幸なことに、そういう外的な力が連合軍による占領期間に強く働いたということにあわせて、日本人の優しさというかお人好しさというような生来的・内面的なものがあって、この状態を継続させるもうひとつの力となって作用していると言えます。

 有史以来ほんの数回だけ大きな国難に遭遇しましたが、そんなものは西洋世界あるいは中華世界におけるものと比べるとまことに些細なことであったと言って良いでしょう。つまり、ほとんど平和に、お互いの信頼関係を保って暮らしてこれたのがわが日本でした。考えてみると、日本人全員が親戚のようなものですからその紐帯は大変に強く、日本中が心を許しあって過ごしてきたといっても良いほどではないでしょうか。

 だから、シナ人朝鮮人に接する時にも、同文同種などと極めて安易な理解をして、彼らも自分たちと同じように優しくお人好しだと思ってしまっているのです。
 ところがどっこい、彼らは同じ顔つきをしてはいるが、全く異なった思考回路を持った異民族なのです。彼らは、嘘をつくのが当たり前、歴史の改ざんなど朝飯まえの人たちなのに、とにかく謝っておいて一旦丸く収め、話し合いを進めるうちにはシナ人朝鮮人も分かってくれる、などと私たち日本人は考えてきた訳です。
 
 しかし、もうそろそろ、そうじゃないということが分からなければなりません。
 小沢一郎などが「生活が1番」などという甘言を弄して日本人をますますダメにしようとしていますがそんなものに乗ってはいけない。生活は大事ですが、1番ではないのです。
 まず、この日本丸という運命共同体をしっかりさせなければ、元も子もありません。
 小沢一郎の言葉をはじめ、これに類した目くらましが世の中にゴマンと渦巻いていますが、一旦立ち止まって物事を冷静にしっかりと見極めることが大切です。

 

19.12.20

甘粕大尉/角田房子/中公文庫
 古本屋でふと目にとまった本です。題名と著者の名前に惹かれました。(表紙の写真(完成直後の満州国政府庁舎)にも惹かれました。)

 読み終わって、著者の調査力と構成力に脱帽の感を抱きました。

 著者は、ウイキペディアによりますと、
 「大正3年(1914)東京生まれ。福岡女学院専攻科卒業後、ソルボンヌ大学へ留学。第二次世界大戦勃発により帰国し、戦後に夫の転勤に伴って再度渡仏。1960年代より執筆活動を開始。精力的な取材と綿密な検証に基づくノンフィクション文学を数多く手掛ける。日本人のあるべき姿を追い求め、歴史への問いかけを続けている。(作品は)平和な時代に生きる日本人に、日本人としてのアイデンティティーを強く意識させるものとなっている。」
 となっております。(全くそのとおりです。)

 本当に真摯な態度で、重みのある、読み応えのある作品を書かれていると思います。この方の著作の際のスタンスは、曽野綾子さんの「ある神話の背景−沖縄・渡嘉敷島の集団自決−」の場合と全く同じです。余計な推定は加えず、あくまで客観的な事実を積み上げて行くという態度です。安心して読み進めます。

 さて、甘粕大尉のこと。
 読後に感じた人物像は、「白州次郎」です。二人に共通しているのはまず「異能の人である」ということ。その上に、国家に尽くし国家に殉じようとする「精神性の高さ」があると思います。著者は、あとがきの中でこう書きます。(上に書いた著者のスタンスに関する部分も含めて、少し長いですが引用します。)

<引用>
 大杉ら三人の殺害事件(*下注)の真相を突き止めようと私はできるだけの努力をした。その結果、今日甘粕を語る資格を持つ人たちの間で確信されている「甘粕の意思による殺人ではなかった」という説を裏付ける傍証、心証は数え切れないほど集まった。だが、確証と呼ぶべきものはついに得られなかった。
私はこの一篇の中にフィクションをはさむことは許されないと考えているので、そこまでで筆を止めた。

 私が甘粕伝を書いた目的は、大杉事件の謎解きではない。"忠君愛国"を日本人の至上の目標として教え込まれた時代の。真っ正直な日本人の典型と思われる甘粕正彦の奇跡を追いたかったのだ。"忠君愛国"を、うむを言わせずたたきこまれたのは軍人だけではなく、日本人全部が、これに従順であるにせよ、反撥するにせよ、この堅い土台の上でさまざまな反応を示してきた。

 その中で、甘粕は迷わず生きた男である。私は、その生き方が最も正しいと信じられていた時代の中で、甘粕をとらえていた。今日、彼の生き方は否定するほか無い。しかし今日の目で、愚かだの、哀れだの、間違っていたといったのでは、実態は所在不明になってしまう。甘粕はあくまで、彼が自決した昭和20年8月までの人間である。時代もまた同様で、それらの条件は動かせない。

 甘粕は"天皇と一体である国家に身命をを捧げる"という目標に目を据えた。そして、その遂行のためには無計算に過重な義務を自分に課し、緊張の中に身を置くことで、初めて生きがいを感じ、体(たい)が決まった。これは彼が生きた時代の日本人の、いわば模範的な型であったろう。甘粕ほど自分を酷使した人間を、私は他に知らない。彼の自己酷使と、彼の時代、思考、行為などが結びつくと、一種の悪魔的な姿になる。しかし洗いぬいたあとに残るストイシズムは、彼と私との唯一の心のふれあいといえるのかもしれない。
<引用終>

(*注)関東大震災直後、無政府主義者大杉栄、その妻伊藤野枝及び7歳になる伊藤の甥、橘宗一が東京憲兵隊麹町憲兵分隊で殺害された事件。甘粕大尉がその犯人とされている。

 含蓄のある、本当に共感を覚える喜寿yつです。これ以上付け加えることはありません。
 大変良い本でした。もう一度読んでも良いと思います。

 左の写真は満州時代の甘粕です。どんな顔をしているのか大変興味があったのでネット上で探しました。もう少しきつい顔立ちをしているのかと思っていましたら、比較的普通のおじさん風でした。

 

19.12.15

驕れる白人と闘うための日本近代史/松原久子/文芸春秋

 この本は、もともと松原久子という方がドイツ語で書かれたものでして、それが日本向けに邦訳されました。松原さんは、外国で貶められ続ける日本を掩護(えんご)するために、敢然として白人社会に向けて著された訳です。
 
 そのテーマは、題名どおり「驕れる白人」に対して正しい歴史を舌鋒鋭く教え諭すもので、裏返せば、日本人に対して正しい歴史を再認識させ自信を持たせようとするものです。

 世界の歴史は16世紀頃以降に全世界が相互に関連を持ち始めたといって良いと思いますが、そこに流れ続けたテーマは「白人による」世界侵略であったと言えます。このことをしっかり押さえてから歴史を観ないと、わが国の幕末・明治以来の歴史も正しく認識することはできません。
 
 前に高山正之氏の「世界は腹黒い」という本を読みましたが、伝えんとされているメッセージは全く同じです。白人がいかに悪辣な人たちであるか、そしてその対象的に日本人がいかにお人好しで優しい人たちであるか、ということが良く分かります。そして今や、その心優しい日本人を一番の下位に位置づけて、シナ朝鮮までもが威丈高(いだけだか)になって日本を舐めきっている訳です。

 私たちは、人に接する場合の「モード」を相手に応じて切り替えなければなりません。たとえばトラブった際の「謝罪」に関しても、国内向けにはすぐに「国内モード」にチャンネルを切り替えて、間髪をいれずに謝罪するのが適当です。日本人同士ですから、そうすることでトラブルの修復がうまく行きます。ところが、国外向けにはそんな気持ちは全く通じません。更につけこまれるだけです。従って「国外モード」に切り替えて強硬な態度で臨まなければなりません。
 このことは良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかではなく、そういう現実なのです。そこをなかなか認識できずに「国内モード」をそのまま「国外モード」に適用し続けているのが、悲しいかな今の日本の姿なのです。

 我々庶民は、国内で(江戸時代のように)ほんわかと暮らすのが希望である訳でして、総理をはじめ国家のリーダーシップをとるべき上層の方々においては、「国外モード」のチャンネルにしっかりと切り替えて、その任務を全うして頂きたいと思いますね。

 それにしても、この本なかなか読み応えのある本でした。
 中学〜高校の歴史教育の副読本とすべきです。

 なお、今日は「威丈高」の正しい読み方を覚えました。「いじょうだか」とばっかり思っておりまして、パソコンがなかなか変換しないのでおかしいと思っていたら「いだけだか」でした。歴史の前に国語の勉強が必要なようです。反省。

 

19.11.19

女子の本懐/小池百合子/文春新書

 話題の本ということで、同僚が貸してくれましたので、ざっと読んでみました。
 ざっと読んだ、といいますのは、最初から本腰を入れて読む気がしていなかったからです。といいますのは、彼女が口にし、またタイトルにもしている「女子の本懐」という言葉がどうもしっくりこなかったからです。こじつけはあってよいのですが、ほどがあると思います。こういう言葉使いがされているのは、女性代表であるという気負いがあるからという見方があるかもしれませんが、そうだとしたらちょっと幼児っぽいですよね。
 「男子の本懐」という言葉は意味を持っていますが、言葉を単に「女子」に言い換えても、国語として意味を持たないと思います。

 この本の記述にも何回か出てきますが、小池さんは関係者(国会)の中では、「また小池が‥」という風に思われているようです。やるべき仕事の核心の部分からは離れたところでのパフォーマンスで評価を取ろうというスタンスが強いからのように思えます。つまり、受け狙いが多いということだろうと思います。

 さて、本の内容は、55日間の防衛大臣日記というもので、話題の守屋元次官との関係についても触れられていますが、なにかアリバイ作りのような気もします。また、あれをやったこれをやったという政治家の自己主張記録のようにも思えます。

 そして一番最後のところで、私はガックリきました。こう書いてあるのです。
<引用開始>
 私とすれば、国家の安全保障には、かねてより提唱している「大義と共感」に加え、「信頼」が求められると考えている。
 ここは、「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」という孫子の兵法を胸に、国力の方程式作りが急がれる。そのことこそが政治の責任である。防衛省には今こそ、真の政策官庁を目指すことを期待したい。
 「百戦」を起こさないために。
<引用終り>

 ここでいう「百戦」の本来の意味合いは、もちろん「例え百戦しても」という意味ですから、「百戦」を起こすことは想定されていません。だから「百戦」という言葉を、起こすという言葉の目的語に持ってくるのはおかしいと思います。(私は平和主義者よと、言いながら逃げているようにも聞こえて、私は嫌ですね。)
 従って、もし孫子の言葉を受けたいのであれば、
『「百戦ならぬ一戦」をも起こさぬために。』
とでも書くところではないでしょうか。

 でも、私は、戦闘集団を指揮する防衛大臣としては本来次のように書くべきではないかと思います。
『「百戦」を勝ち抜くために。』
 ‥ですよね。

 つまり、「女子の本懐」という本の表紙に掲げられた言葉も変だし、一番最後の行の言葉使いも変な訳でして、この方もまた防衛大臣には不適の方だったなぁ、と思いました。
 そしてまた、戦闘集団の長はやはり最低限男性でなくてはならないのではないかなぁ、と思った次第でした。


19.8.19

アメリカの新国家戦略が日本を襲う/日高義樹/徳間書店
知人に薦められて読みました。
 数箇所、非常に参考になるところがありましたが、総じて琴線に触れることが少ない本でした。

 論旨は次のようなことであると理解しました。
「冷戦が終わり、世界情勢は大きく変わった。このことを象徴するのが9.11であり、具体的にはテロの攻勢である。このため、アメリカは自国(本土)防衛に高い優先度を置くようになった。日本に関してこのことを見ると、冷戦の期間中日本は東側陣営に対する防波堤としての位置づけであったのが、その意義が失なわれ、米国にとって必ずしも重要な国ではなくなった。従って、日米安保条約の存在の意味も失われつつある。ところが、日本政府はそのことをまったく理解していない。政府はこの情勢をしっかりと認識し、しかるべく政治の仕組みを変えるべきである。」

 著者が力説する、世界情勢特にアメリカの考え方の変化及びそれに応じた日本の対応の鈍さについては、そのとおりと思います。しかし、最終章に述べられている、「ではどうするのか」という対案がどうもピリッとしていません。
 
 私事ですが、現役の頃、課題答申と称してたびたび論文を作成させられましたが、私の書いた論文に対してある上司が非常に適切な評価をしてくれました。「お前のは、結論が無い。これじゃ起承転結ではなくて、起承転転だ。」

 著者も失礼ながら、最後の提言の部分が極端に弱く、同じ評価になりそうです。自分のことを棚に上げて言うのはなんですが、「我かく思う、故にかくあるべし」というのがないということです。著者は、テレビ番組などにも良く出ておられ、米国・米軍内に大変強力な情報網をもっておられますが、それらを元にその得られた情報を咀嚼して、だからこうだ、というところにまでまとめきれてないのではないでしょうか。
200ページにも及ぶ米国情報を元にして導き出されたものが、
「日本の政治は変わらなければならず、そのためには、
政党は(アメリカのように)地元に密着していなければならない。
他の仕事で成功した人が政治家になる政治環境を作らねば成らない。(金儲けが目的にした政治家の排除)
(議員は、)選挙民の代表に過ぎないことを認識しなければならない。(今は国会を特別、特殊な場所としており変。)」
ということなのですが、これは‥???

 やはり、著者の真骨頂は情報マンであるということのようです。長年の米国生活(30年!)をもとに、米国から発せられるさまざまなシグナルを情報(インフォメーションないしはインテリジェンス)に昇華して日本に向けて提供するということに著者の存在意義が見出せるように思えます。それから先は評論家や政治家などの仕事だということでしょうか。

 そしてまさにそのとおり、この著作にはアメリカがどう考えているのかということについて非常に有益な情報が含まれています。

 たとえば、「実は米国は日本を重要視してはいない。」という情報。その裏づけとしての小池防衛相や安倍首相の訪米時の処遇。
 たとえば、「日本は、世界を動かすトランスフォーメーションというものを理解すらしていない。極楽トンボ状態である。」という情報。その裏づけとしての政府首脳の発言。
等々、等々。

 この本を読んで、なるほどと思ったことを次に記します。
日本に対する見方が変わりつつあるということについて。
 「アメリカが日本を守ってきたのは、冷戦という状況の中でアメリカの国益にかなっていたからである。だがいまや冷戦は終わり、世界が急速に変わってきている。日米安保条約のもとに一方的に日本を守ることが、国益にかなうかどうかアメリカは考えていることろである。(90p)」
 そして、日本はそのことに気がつかず、自立しないままいつまでもアメリカの庇護の下に安穏としておれると思い込んでしまっている、という説明が続きます。確かに、国家も国民も自立の精神乏しいように見えます。これでは、たとえ立派んことを言っても、無視されたり馬鹿にされたりするだけです。表面的にはそれなりの処遇をうけていますが、いざとなれば突き放されてしまうのではないでしょうか。アメリカからのみならず、世界中から、日本は自立していない子供のような国だと思われています。自分の子供だったら手を差し伸べるのでしょうが、弱肉強食の世界では、文字通り弱いものが食べられてしまうのです。
 では、その自立のためにどうするかということになりますがその鍵は憲法である、と私は思います。憲法は日本国というものを示し、国家国民の行動の根本的な規範になっているものです。実は、その憲法が「自立するな」と言っているわけですから、これを変えねばならないわけです。
 付け加えると、安保条約は憲法との対で成り立っているものですから、アメリカとの安保条約が無くなる、あるいは変更されれば当然憲法が変わらなければならないと思います。

トランスフォーメーションについて。
 「アメリカ軍が想定している戦争や戦闘も大きく変わりつつある。(中略)アメリカ軍はこれまでのような「古典的な戦争」を止めたいと考えている。(中略)こうした大きな変化の中で、在日米軍もまた急速に変わりつつあり、今後も変わり続けることは間違いない。アメリカ軍の「トランスフォーメーション」とは、アメリカ軍が無限に変わっていくことを意味している。アメリカ軍のトランスフォーメーションに終わりはない。際限なく代わり続けるため、アメリカ軍の変化の行き着く先は誰にも分からないというのが本当のところである。(41p)」
 「日本の久間防衛相はアメリカに対して、アメリカのアジア極東戦略、さらには必要とされるアメリカの兵力などを早く決めて欲しいと申し入れている。アメリカ軍の戦略が決まらなければ、日本の対応策が決まらないと苦情を言っているようだが、アメリカ軍の兵器体系の進歩が続いている限り、アメリカは固定的戦略を決めることはできない。(40p)」
 つまり、トランスフォーメーションとはA→Bに「変わること」をいうのではなく、A→B→C‥‥と「変わっていくこと」を言うのだ、ということなのです。昨今のITの爆発的進展というのが大きなキーになっていることは確かなのですが、この状況を、単に物事が大きく変革するという捉え方をしたのではなく、これ以降も大きく変革し続けるという捉え方をするようになったのだ、ということであろうと思います。この理解の仕方の差は大きいように思います。

19.7.30

原爆を投下するまで日本を降伏させるな/鳥居民/草思社
 今回の参院選、佐藤正久氏がめでたく当選したのは良いのですが、自民党の惨敗という結果が出ました。この結果を受けて、野党やマスコミの安倍おろしの声が鳴り止みません。選挙のタイミングで噴き出した年金問題、閣僚の失言、政治と金の話、‥どれ一つとっても直接には現安倍首相の責任ではないのに、安倍首相を退陣させようという動きには疑問を感じます。首相としての責任はもちろんありますが、辞めさせるほどではありません。そんなことをいうのなら、民主党だって同じ(か場合によってはもっと大きな)過ちを犯しているじゃないか、と思います。今回の動きから言えることは、民主党や大部分のメディアは己の利益しか考えていないということです。公党とか天下の公器などというカンバンを下ろすべきです。

 安倍さんは、これまでにない正統派の宰相として、てきぱきと懸案の法案の整備を進めてきました。今回の選挙では戦後レジームからの脱却を図るのかどうか、我が日本を「美しい国」に戻すのかどうか、などの大論争を期待したのですが、野党が年金問題といういわば禁じ手を使い出したために、極めて格調低い選挙に引きずり下ろされてしまいました。(産経新聞には「『恥』の選挙だ」、とありました。)
 民主党としては、してやったりの思いでしょうが、これで国政は停滞し、再び「失われた10年」ということになるのではないでしょうか。気の重いことです。

 さて、今回の選挙で安倍さんの足を引っ張ったものの一つに久間前防衛省大臣の、「米国の広島長崎への原爆投下は『しようがない』失言」というのがありました。ほんとに『しようがない』ことだったのか、標記の著書の題名に引かれて読んでみました。

 最初、私はこの『しようがない』発言も、例によってマスコミがその部分だけをつまみ食いして騒いだのだと、思っていましたが、発言の全体を読み直してみますと、確かに「原爆が落とされた長崎は、‥しようがない」という文脈になっています。これでは、久間さん完全にアウトです。

 アウトの理由として、次の3つくらいが上げられると思います。
1長崎の被災者の心情を逆なでする発言を公的に行なったこと(の脇の甘さ)
2戦闘部隊の長である国防大臣が、このような諦観に満ちた考えを持っていること(から分かった国防相という職務への不適合さ)
3歴史の認識及び国際政治への認識が低いこと(から分かった国会議員としての不適合さ)

 1と2は措きまして、私が問題視したいのは3です。
 久間さんは、中身が軽い発言が多かったのですが、その一方で、ハードカバーの本を読んでおられる姿をテレビや新聞の写真などで見ることがありましたので、そこいらのミーハー議員よりも数段上であるとは思っていたのですが、残念ながら上の3項のような部分があるように思います。言い換えれば、「心優しい日本人、お人よしの日本人、自虐的な日本人‥」という、我々にもありがちな心情を久間さんもしっかりと持っておられるということなのです。それが、この原爆発言にも出ているように私は思いました。

 久間さんは「発言」のなかで、次のように言っています。
「‥米国は、ソ連が参戦してほしくなかった。日本の戦争に勝つのは分かった。日本がしぶといとソ連が出てくる可能性がある。ソ連が参戦したら、ドイツを占領してベルリンで割ったみたいになりかねないというようなことから、(米国は)日本が負けると分かっていながら敢えて原子爆弾を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことによって、本当だったら日本もただちに降参するだろうと、そうしたらソ連の参戦を止めることが出来るというふうにやったんだが、8月9日に長崎に原子爆弾が落とされ、9日にソ連が満州国に侵略を始める。幸いに北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道はソ連に取られてしまう。」

 つまり、久間さんは次のように認識しています。
1米国は、ソ連に参戦してほしくなかった。
2(というのは)ソ連が参戦したら、ベルリン分割のようになってしまう。だから、米国はそうならないように敢えて原子爆弾を広島と長崎に落とした。原爆を落とせば日本はただちに降参し、ソ連の参戦を止めることが出来ると考えていたからだ。

 これらを一言で言えば、次のように言えると思います。
「アメリカのお陰で、被害が少なく済んだ(だから原爆投下も『しようがない』)」
私にはこのように聞こえます。

 この捉え方は、原爆投下に関する次のような、私たち日本人の一般的な捉え方に通底しています。
「ポッダム宣言(米・英・中による降伏勧告)を、最初黙殺したために、戦争の早期終結を望む米国は原爆を投下した。これは軍部、政府、天皇の責任だ!。また、原爆投下お陰で、無益の戦死者(米兵100万人?!)も出さずに済んだ。」
 、という捉え方です。
 これまさに、日本=悪玉、アメリカ=善玉とする「東京裁判史観」に他なりません。

 さて、例によって前置きが長くなりましたが、この本の著者である鳥居民氏は、
「これらの認識は正しくない」
と、冷静な筆致で熱弁をふるっています。

 その趣旨は、まさにこの著作のタイトルどおりでありまして、「アメリカは、原爆の威力を実証するために手持ちの2発の原爆を日本の2つの都市に投下し終えるまで日本を降伏させなかった。」のだ、ということです。

 つまり、こういうことです。
 原爆を投下したのは、日本がなかなか降伏しなかったからとか、ソ連を参戦させないためとか、無益の戦死者をこれ以上出さないためとか、そういうことでは一切無く、ただただ「原爆の威力を実証するため」であったのです。 
 それは、当時アメリカ(トルーマン)が次のような状況下にあったからです。
 ・国内政治的には、秘密のうちに開発していた原爆の開発費が膨大なものになっており、原爆が所要の効果を発揮し得るということを議会(国民)に示さなければならなかった
 ・国際政治的には、急速に勢力を増し米国に対して覇を唱えようとするソ連を押さえ込むために、絶大な力(原爆)を誇示する必要があっると判断していた
 ここには国内・国際政治の力学だけが働いておりました。
 
 このように、アメリカはどうしても原爆を日本に落とさなければならなかったのですが、原爆が実運用状態になるのは、8月1日ごろという見積もりでした。この頃というのは、硫黄島も沖縄も既に落ち、日本本土への米軍上陸が目前の問題として日米両国で予想される状況の頃でした。そういう状況ですから、原爆を何が何でも落としたいアメリカにとっては、その前に日本が降伏してしまうことを大変恐れた訳です。だから、なんとか日本の早期降伏を防ぎたかったのです。
 また、日本が早期に降伏してしまうかもしれないもう一つの要素として、ソ連の参戦というのがありました。ソ連と日本は日ソ中立条約を結んでおり、その条約はまだ有効でしたから、表面上はソ連は参戦することはできません。しかし、道義や信義という言葉を持たないソ連は、領土的野心と日露戦争の復讐心に燃えており、相当に早い時期から日本が降伏する前に中立条約を無視して参戦することを決めており、着々としてその兵力を極東に移しつつありました。アメリカは、ソ連が参戦することは織り込み済みであり問題は「いつ参戦するのか」ということであったのです。ひどいもんです。

 このように、アメリカにとっては、日本が早期に降伏しないように(つまり原爆を落とし損なわないように)すること、なおかつソ連が参戦する前に原爆を投下すること(そのためにソ連の参戦予定日を知ること)が大変重要な事項になりました。この辺りのことが本書ではリアルに描かれております。

 アメリカは、次のようなスケジュールをこなしていきます。
■7月16日; 原爆実験成功(1発目;プルトニウム型)
■7月17日; ポツダム会談。ここで米国大統領トルーマンは、スターリンから「対日参戦は8月15日前後」と聞き出します。(トルーマンは歓喜します。原爆投下の準備を確実に行い、ソ連参戦の15日より前に原爆を投下すればよいということがはっきりしたからです。これでソ連にグーと言わせることができる、ということです。)
■7月24日; トルーマン、原爆投下命令書を作成。(日本がポッダム宣言を黙殺したからなどというのは関係なく、この時点で投下の決心と投下計画が作られているのです。)
■7月26日; 「ポツダム宣言」(日本への降伏条件提示)発表。

 このポッダム宣言についても、降伏を引き伸ばす仕掛けが施されておりました。それは、天皇の処遇についてわざと明言を避け、日本側の判断を遅らせるというものでした。「天皇は安泰」とするとすれば、日本はすぐに降伏してしまうかもしれないという読みであったのです。また最後通牒であるにもかかわらず、公式の外交文書の体裁をとりませんでした。これも、判断を遅らせるためでありました。つまり、原爆を投下するまで絶対に日本を降伏させてはならないということであった訳です。

 そして、
■8月6日; 広島に原爆投下(ウラニウム型爆弾・リトルボーイ)
■8月8日; ソ連対日参戦、満州に侵攻を開始する。(原爆投下によって日本がただちに降伏すれば領土の取り分が無くなる、と考えたソ連は、予定を早めて大急ぎで侵略してきたのでした。まさに火事場泥棒です。)
■8月9日; 長崎に原爆投下(プルトニウム型爆弾・ファットマン)
■8月10日; 日本政府、もやはこれまで。「天皇の地位を保障する」という条件ならば、ポツダム宣言を受諾すると伝達。
■8月12日; アメリカから「回答」(天皇の地位保障を暗黙のうちに了承)
■8月14日; ご聖断を得て、日本政府、ポツダム宣言受諾。
■8月15日;いわゆる終戦

 以上は、雑駁なまとめですが、久間発言の『しようがない』というくくり方で済ませる内容ではないことは感じていただけたのではないかと思います。戦争の早期終結を望んだからではなく、またソ連の参戦を防ぐためではなく、突き詰めればただただ原爆を落とすことが目的であったのです。それによってアメリカは世界に向けて力を誇示し、覇権を手中にしようとしたのでした。いわば、そのアメリカの野望のために、20万に近い無辜の人たちが一瞬に焼き殺されたのです。このような冷厳、冷徹な国際社会について我々はもっと深く認識すべきです。韓国も中国も北朝鮮も、そればかりではなくあらゆる国がこの延長線上で我々に接しているのです。

 まもなく、8月6日・9日、そして15日がやってきます。この日は、慰霊、鎮魂だけではなく、また世界平和などという甘ったるい言葉に酔うのではなく、国際社会の腹黒さを確認する日にすべきだと思います。
 今回の選挙で視聴率だけのために年金問題を煽ったメディアが、再び視聴率だけのために、戦前戦中を悪として描いた番組を放送するのでしょう。

 本書で述べられていることは、極端であり謀略史観に過ぎないという声もあるかしれません。でも私は、本書が真実にもっとも近いのではないかと思いますね。本書では緻密な論考がなされております。ご興味のある方は、どうぞ本文をあたってください。

 著者の最後の指摘が興味深いです(263p)。
 「終戦の何十年あとになって、アメリカの歴史研究者が思いに沈むことはないとしても、日本の歴史研究者は長いため息をつくことがあるにちがいない。昭和16年9月、10月、11月と昭和20年5月、6月、7月の奇怪な相似を見比べてのことだ。
 どのような嘆息なのか。
 1941年9月、10月、11月、アメリカの指導者が是が非でも日本を戦いに追い込もうとした3ヶ月、そして1945年5月、6月、7月、これまたアメリカの指導者が絶対に日本を戦い続けさせようとした3ヶ月、2人のアメリカ人の指導者が望んだこと、やったことが恐ろしいほどに似通っていると考えながら、昭和16年と昭和20年の政府と軍の首脳たちが望んだこと、やったことをを思い比べての嘆息となる。」

 もうひとつ、興味深い記述を。
 トルーマンはルーズベルトの死(1945年4月15日)を受けて副大統領から急遽大統領になるのですが、大統領就任まで原子爆弾のことを知りませんでした。それほど、秘密が守られていたということです。トルーマンが、原爆について詳細な説明を受けたのは、4月25日、原爆の開発、製造の最高責任者であるレスリー・グローブスからでした。次は、そのくだり(263p)です。
<引用始> 
 45分間の説明を受け、「1発で1都市を全部吹き飛ばすことができる爆弾が4ヶ月以内に完成する」こと、満足に機能することは間違いなく、予備的な実験を必要としないウラニウム爆弾は8月1日前後に投下の用意ができること、実験を必要とするプルトニウム爆弾は7月4日前後にニューメキシコ州の砂漠で実験を行なうこと、この2種類の2発の爆弾を日本に投下する準備を進めようとしていること、こうしたことをトルーマンは知った。
 そして、この2発の新爆弾を日本の都市投下実験することは、しごく当然だと信じているグローブスの持論をも、トルーマンは聞くことになったのである。
<引用終>
 
 鳥居氏は根拠を示していませんが、日本への投下は「投下実験」であるという言葉が使用されております。何らかの史料に『実験』という単語が使用されているからだろうと思われます。技術者からみれば、ニューメキシコが第1回実験、長崎、広島が、それぞれ第2回第3回の実用実験なのです。
 国際法に反する市民の大量虐殺を、実験しようとするこの神経は「戦争の狂気」という言葉で薄められるものではなく、単に「狂気」といわねばならないと思います。ヒトラーのアウシュビッツと同じです。

 ああ、世界は腹黒い。

 

19.5.20

ウルトラ・ダラー/手嶋龍一/新潮社

 雑誌「正論」であったと思いますが、著者の手嶋氏と元外交官の佐藤優氏との対談が掲載されておりました。そのなかで、この本についての話題になりまして、佐藤氏からはこの本の内容の信憑性について、内容はほぼ真実であろうという主旨のコメントがありました。手嶋氏は、暗に肯定する対応をしておりました。その対談からちょっとした知的興奮を覚えたのですが、お二人は、相互の手の内を極めて深いところまで知り合っており、その上でそれを上手にオブラートでくるみながら対談が繰り広げているのです。 具体的な例証はもちろん述べられているわけではありませんが、そういうことが良く伝わってくる内容でした。

 さて、それを踏まえてこの本を読んだのですが、小説として見ても大変面白いし少し手直しすればドキュメンタリーとしても耐え得るものであると思いました。

 内容は、ウルトラダラーと呼ばれる偽札製造、kh-55という核搭載可能な長射程巡航ミサイルの密輸という2つの軸に絡む北朝鮮の闇の動きを、BBC(イギリス放送)の社員(英国諜報局員でもある)が追って行く、というものです。これに、数名のハイソサエティの女性を絡ませて、あたかも007の雰囲気を読者に楽しませながらの展開となっております。しかし、その展開の裏づけはしっかりととられているようでして、読者はどこまでが真実なのか判然せず、著者に翻弄されるという仕掛けになっているわけです。
 
 例えば、外務省アジア太平洋局長として登場する瀧澤勲なる人物は明らかに元外務次官の田中均氏を指しております。局長時代に、小泉・金の会談を「北朝鮮の側に立って」お膳立てしたのがこの人物です。この本の中では、ある相手から数回「K.T」と呼ばれたことに対して、「自分の名前は、勲(いさお)だから、『I.T』だ」と怒る場面があります。これは、「瀧澤勲とは田中均のことなのですよ」ということを著者が強く示唆するとともに田中氏を軽蔑しからかっているように、私には思えました。
 さらには、彼が局長であったときの北朝鮮側のコンタクトポストである「ミスターX」なる人物の謎解きもされております。田中氏の過去の闇の経歴に触れていく部分です。この辺りになるとまさに我々にとってグレーの領域なのですが、実のところはかなり真実に近いように思えます。

 著者の手嶋が掲げる大きなテーマは「情報(インテリジェンス)」なのですが、次のように表現がありました。
 主人公が情報に関する師と仰いでいる教授の言葉、
「あの河原の石ころを見たまえ。いくつ拾い集めたところで石ころは石ころにすぎん。だが、心眼を備えたインテリジェンス・オフィサーがひがな一日眺めていると、やがて石ころは異なる表情をみせ始める。そう、そのいくつかに特別の意味が宿っていることに気づく。そうした石だけをつなぎ合わせてみれば、アルファベットのXにも読み取れ、サンスクリット語の王にも読み取れ、漢字の大の字にも見えてくる。知性によって調琢しぬいた情報。それこそ、われわれがインテリジェンスと呼ぶものの本質だ。」(※)
 すなわち情報とは「知性によって調琢(=宝石などを、加工研磨すること)しぬ」かれたものである、といっているのです。
 キーワードは「知性」。
 ひらたく言えば、眼鏡が曇っていたり濁っていればものごとの本質は見えてこない、ということでしょうか。広範で正確な知識、柔軟かつ合理的な思考、健全な判断‥、(ついでに堅固で歪の無い国家観・歴史観‥、)というものをベースにして物事を見、考えなければばならないということでしょうか。

 これらは、全て「言葉」の豊富さ(語彙の広さと深さ)に直接関連しておりますが、この本を読んで感じたもう一つのことは、そのことでした。へーっというような表現や単語が随所に散りばめられているのです。小説としても、あるいは国語教育の副読本としても大いに使えるのではないでしょうか。
 
 この本は、ドキュメンタリーとしても価値があると述べましたが、著者は、「いやいや、これは小説です」とわざわざ最後の部分で煙幕を張ってくれています。最後の結末が、安手のハードボイルド調にされているのです。多分、これは著者のおふざけなのだろうと、そう思いました。

なかなか、読みでのある、濃い内容の本でした。



(※)このあとに次のような記述が続きます。
 「雑多な情報のなかからインテリジェンスを選り分けて、国家の舵を握るものに提示してみせる―これこそが情報士官の責務だ。活きのいいインテリジェンスを受け取った本国の情報分析官は、他のさまざまな情報とつき合わせて、事態の全体像を精緻に描き出し、政治指導部に供する。こうしてインテリジェンスは初めて国際政治の有力な武器足りえるのである。」

 ここでのポイントは、インテリジェンスとは、意思決定などの何らかの行動に結びつくようなレベルにまで高められていないと意味が無い、ということです。それ以外のものは、「ゴミ」です。

 

19.5.5

栗林忠道硫黄島からの手紙/文芸春秋/

 栗林中将は昭和19年(1944)6月8日に硫黄島に赴任し、翌昭和20年3月26日に戦死されるまでの約10ヶ月間、1万9千人の将兵とともに極めて劣悪な環境の中でその任務を全うされました。
 この間、本土との書簡のやりとりは航空便によって行なわれておりました(もちろん、米軍の攻勢が強まるとそれは不可能になります。)が、本書は栗林中将と留守宅との間でやりとりされた書簡を一冊の本にしたものです。
 
 栗林中将は、米軍から見ても猛将として大変な評価をされている軍人であるのですが、これらの手紙に書き表された家族への細やかな愛情からは、一見全くの別人のようにな思いを抱かせます。
 ここに載せられた数十通のほとんどの手紙に繰り返し繰り返し書かれているのは、東京に空襲が行なわれるようになった場合の対応要領や早期の疎開を促す説得などなのですが、家族の安全を第一に思う気持ちが本当に良く分かります。また、子だもたちから来た手紙に散見される誤字などの指導をこまめにやっておられます。米軍の猛爆の下にあっても、思うのは家族のことなのです。

 いわば公と私をりっぱに並存させておられるということなのですが、当たり前のようですがなかなかできないことだと思います。一般的に、男達は仕事にかまけて(逃げ込んで)家庭の煩わしさから遠ざかろうとする傾向があると思うのですが、中将は全くそうではなかったのですね。(私などは猛省です)
 この本を読んで、職業人として、家庭人としてその両立を見事に果たした尊敬すべき男の姿を見ました。(再び猛省)

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