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☆ひとりごと

17.7.21

小泉さんより早めの靖国参拝

 帝国海軍OBと海上自衛隊OBで構成される水交会というのがあります。
 この会では毎月1回、月例参拝会というのを実施しておりまして、靖国神社、千鳥が渕墓苑及び市ヶ谷の防衛庁にあります自衛隊殉職者慰霊碑を参拝しておします。本日、それに参加し、参拝してまいりました。海軍兵学校第65期本村哲郎元海将を筆頭に総勢45名の有志でありました。
 
 靖国神社
 参集殿に集合。当日の参加者の紹介、実施要領の説明。宮司のお話がありました。宮司のお話では、今年のこの時期を昨年と比較すると参拝者は非常に増えているそうです。これは、支那朝鮮の反日運動のお陰といってよいのではないでしょうか。まさに「中国よ『反日』をありがとう」です。日本も、北朝鮮の拉致問題が表面化するころから、徐々にではありますが、やっと普通の国家意識を持つようになってきたように思います。結構なことといえば結構なことですが、苛烈な国際社会を生き延びるにはまだまだ十分ではありません。
 参集殿での説明などが終わったあと、靖国神社本殿にて参拝。スーツの背中に汗がじわっとくる暑さでしたが胸中は涼風。
 参拝後、本殿を下がり参集殿に戻る廊下でお神酒を頂ましたが、それぞれが本殿を振り返り、英霊に杯をささげながら飲み干しました。英霊の喜ぶ姿が見えたような気が致しました。

 千鳥が渕墓苑
 初めて参りました。靖国神社から意外と近いところでした。また、都内でありながら池(千鳥が渕)と茂った木々に囲まれ、静かな環境が確保されております。
 ここは、靖国と違い無名戦士のお骨が納められている墓地です。靖国が魂(こん)であるに対してこちらは魄(はく)です。
 各人、白菊一茎を献花。

 自衛隊殉職者慰霊碑
 防衛庁が市ヶ谷に移転した際に造られました。施設の周囲に植えられた木々もまだまだ若く、あと10年もすれば、千鳥が渕のような雰囲気になるのでしょうか。
 殉職といえば、数年前の航空自衛隊入間基地。基地へ帰投中の戦闘機にトラブルが発生し、パイロットは住宅地を避けて不時着させようと必死の操縦をしました。結局、住宅地を避けることは出来ましたがパイロットは脱出の機を失し地上に機体もろとも激突。
 そのとき、新聞をはじめとするマスコミは次のような報道をしました。
 「高圧線を切って都内を停電させ、パイロットは死亡した」
 ほぼ確実に、マスコミも国民も殉職という単語は全く思いつかなかったと思われます。
 情けなく、無念なことでありました。

☆ひとりごと

17.7.11

戦争責任

 あるテレビ番組。(TVタックル)

 民主党の某代議士とジャーナリストの高野某が、太平洋戦争において国民に大きな被害を与えた責任をとるべき日本の責任者は誰であるか?と声高に問う。
 彼らの期待するその答えは当時の総理大臣らであり、いわゆるA級戦犯である。したがって靖国参拝相成らぬ、ということなのだろう。ひょっとすると、天皇陛下という言葉も頭をよぎっているのかもしれない。

 これに対し、西尾幹二氏らの答えは、ドイツなどと異なり日本には責任者とそうでない者の間に明確な線を引くことは出来ない。皆に責任があるという主旨の発言。ところが、これを援護すべき山本一太議員(自民)などまでもが、軍による強い指導があったなどと茶々を入れる。つまり、軍が悪くて国民がそれに引っ張られていったのであり、国民は被害者だという理論である。まさに東京裁判史観そのままである。そして、現在中国が日本非難の際に述べる理屈と同じである。靖国問題などで日中がギクシャクするのは、国家・政府(小泉)が悪いのであって、日本人民はじぇんじぇん悪くないですよぉ。という、あれ。

 西尾幹二氏は、ほぼ孤立無援状態となった。
 私は、西尾氏に全面的に賛同する。
 私は、「敗戦」という事実に関して、あの戦争の運営(特に戦闘)に失敗したとことについて、その直接の責任は当時の指導層に(戦闘に関してはほぼ軍に)あることは明白であると思う。しかし、間接的ではあっても、それをまかせた、あるいはそういう環境作りの一翼を担った国民にも相応の責任が当然あると思う。開戦に至るまでの間に、好戦的な言動をとった国民も多かったはずだ。新聞もずいぶん煽っている。
 つまり、濃淡はあれど、上から下まで責任があった。それなのに、自分だけはあたかも清廉潔白だというようなこの某代議士、高野某の態度は納得できない。繰り返しになるが、東京裁判史観、中国の対日戦略に完全にやられている。

 国家運営の不手際は、今も昔も発生している。
 それは、そのときの指導層だけがお粗末だからではなく、それを戴いている国民もお粗末だからなのだということであって、このことも今も昔も変わらないのだ。

 ついでに書き足すと、東条大将以下1000人以上の方々が、戦犯という汚名を甘受したまま、刑死され、その責任をとられている。そういう方々の苦悩、苦痛に思いを致さず、責任者を出せと言いがかりをつけるチンピラヤクザのような面々・・・醜い。
 もう、日本人ではない。
 

☆ひとりごと

17.7.3

まるで第2回東京裁判

 7月3日(日)サンデープロジェクト。
 「東条英機の孫語る祖父実像と一族の戦後60年」というテーマで東条首相の孫娘に当たる東条由布子さんが出演された。
 司会者の田原総一郎と1対1で向かい合って座り、質疑などが開始される。
 田原総一郎の意地悪で引っ掛けるような問いかけ。
 毅然と答える東条さん。
 さらには時々、外野席のコメンテーターからも質問が発せられる。
 それでもなんらひるむことなく孤軍で応答する東条さん。
 応援者はなく、まるであの東京裁判の被告席に、再度座らせられたようなシーンである。
 東京裁判では日本を背負って戦った東条元首相。運命のいたずらか、そのお孫さんが再び、東京裁判史観に染まった者どもと戦う。
 元首相もそうであったが、由布子さんも堂々たる対応である。それは、なんら恥ずべきところのない至誠の心が根本にあるからであると思う。戦後60年を考え続けてきた人と、中途半端な知識しかなく、かつまた真心を持っていない人とでは勝負にならない。
 この場面を見ながら、拉致被害者家族会の横田早紀江さんを思い出した。方や60年、方や24年、そのことをずっと考え続けたお2人が日本を語るとき、その辺の陣笠やちゃらちゃらのコメンテーターなど足元にも及ばない。

 

☆ひとりごと

17.6.25

拉致被害者家族会救う会座り込み

 24日から3日間、小泉首相に経済制裁発動を求めるために、家族会が座り込みを行なっている。
 本日土曜日。有言実行、応援に行ってきた。暑い中、家族会と救う会の皆さん、西村真吾議員も来ておられた。一般の方々約300人か。
 場所は総理官邸横の議員会館前であるが、良く見ると、国会議事堂の裏手にあたる。まるで、国会が背を向けているような感じに見える。
 横に居たおばさんがたが、悲憤慷慨、小泉首相をこき下ろしていた。普通のおばさんである。
 その小泉さんは、昨日、「6カ国協議の状況も見ながら・・。日本だけで実施しても・・」」などと、極めて消極的。やりたくないので理由を探してくっつけているという感じである。
 わが国は、他の国と事情が大いに異なる。主権が侵害され、横田めぐみさんをはじめとする無辜の国民がさらわれているのだ。個別に経済制裁をする理由は十分に在る。
 また、実際に効果のほどは不明であるといわれているが、それは、経済の面だけからの見方である。私は、経済制裁には精神的なものが見逃せないと思う。北朝鮮に対する大きな精神的圧力になるのである。朝鮮はびびるはずだ。
 加えて、日本国内向けの効果も大きいと思う。当たり前のことが当たり前に行なわれない日本にただよう閉塞感が幾分なりとも取り払われる。そして、国民は情勢の重さを実感する。
 内外に向けての効果は大きいと思う。そして、これは小泉さんの決心一つで可能なのだ。
 横早紀江さんの悲鳴にも似た声が聞こえる。
 「小泉首相、もっと怒ってください・・」

地村さんのお父さん。立派です。

☆ひとりごと

17.6.18

やっぱり偏向、NHK

 NHKスペシャル「沖縄よみがえる戦場・地上戦に巻き込まれた住民達」を見た。
 戦後60年の夏が近づいており、この手の番組が増えてくるのであろう。
 ドキュメント番組として、事実を調査し映像化するのはまさにメディアの仕事である。ただし、そこには公平さがなければならない。これは、報道が守らなければならない最低限の事項である。
 この番組では、この点が守られておらず、NHKの相変わらずの偏向があったと私は思う。

 沖縄戦は先の大戦において唯一国民を巻き込んだ戦闘になった極めて不幸なケースであった。したがって一般の住民がさまざまな形で被害を受けた。
 そして、この番組では、その極端な例として、日本陸軍が住民を虐殺したという事例が31件あったと述べる。
 その一例として、アメリカ軍にメリケン粉などをもらっていたするある村の住民に対して、これを「スパイ」であるとして「その部隊の隊長が、処刑?の命令を出した」という。(「」は戦後、その部隊の所属の兵隊の手記による。)
 この番組に出演した女性の話によると、(この命令を受けて、)軍が住民のうち女子供を海岸に集めて、手榴弾で殺したという。たまたま、この女性と、そばにいた当時4歳の子供は助かった、という。
 そんなことがあったと思いたくないが、なかったとは言うつもりはない。
 しかし、この番組では、通常は同国人を殺すなどということをするはずがない我が陸軍が、なぜそのようなことをしたかの考察が全くないのである。またご先祖さまに対する愛情ある眼差しが全くないのである。私は、これらが問題であるといいたいのだ。
 せっかく手記があるのであるから、もう少し読み込んだ分析があってよいはずである。「スパイ」と「処刑する」と言うような文字のみが紹介されただけで、陸軍側にあったはずの苦悩などが全く切り捨てられている。これはまさに偏向ではないか。
 語弊があるかもしれないが、そもそも軍隊は国を守るのが目的であって、住民そのものを守ることを目的にするのではない。もちろん住民は国に含まれるのであから守られなければならないのであるが、比較すれば優先度が落ちる場合があるのだ。
 戦場である。
 そうありたくないが、冷徹な究極の選択が求められる場合だってある。
 急いで言わねばならないが私はなんでもかんでも陸軍を弁護しようとするのではない。両者の話を公平に聞き、公平に放送すべきである、といっているのだ。
 確かに沖縄住民の方々にとっては大変不幸なことであった。
 しかし、日本国内にも、同じような不幸を味わった人はたくさんいる。当時は、それが残念ながら常態であったし、軍人も一般国民も悪条件の下、皆が歯を食いしばって等しく戦っていたのだ。
 そして、軍人達も私達の親類縁者につならる方々であるし、敬うべき祖先なのだということを忘れて貰っては困る。


 NHKは、「軍人=悪」との単純な観念から抜けきっていない。
 国家を貶め、国益を損なう所業である。

☆ひとりごと

17.6.16

暁、東雲、曙、朝

 最近、固い内容が続いていますので、今日は少しやわらかい話を。
 12チャンネルで「テレビチャンピオン」というのをやっています。いつもは大食い選手権とか、はっきりいって品が良いとはいえない内容をやっておりますが、今夜の放送は良かった、と思いました。
 タイトルは「なでしこ女子中高生”美しい日本語王”」というもので、美しい日本語をいかにたくさん知っているかを競うものでした。

 日本語といっても、大和言葉です。
 こうして見ていると、本当に多彩な表現がたくさんあるのですねぇ。
 そしてこの子達(中高生)も大変知識豊富です。こういう子もいるのですねぇ。
 もっと、こういう子供が増えて良いし、こういう言葉が普段に日本中に満ちていることが必要と思います。言霊(ことだま)の国、私達の日本。
 私達は大変な財産を持っていながら、それを死蔵しているのです。
 もったいない。
 
 今日のような番組が、メディアの一つの任務だと思います。
 若貴兄弟の話などはそこそこにして、もっとまじめに国家のことを少しは考えた番組つくりをすべきです。メディアは国民に対する教育機関とも言えるのですから。

 さて、この番組の最後の出題。へーっ!?でした。

 問題「東の空にわずかにあかりがさす頃、をなんというか?」
 A子さんが「曙(あけぼの)」と即答しましたが、×。
 B子さんが、すかさず「東雲(しののめ)です」と。

 皆さん知ってました?
 すごいですねぇ。
 ちなみに、
 ・暁(あかつき)=夜明け前の暗いときを指します。
 ・東雲(しののめ)=東の空にわずかにあかりがさす頃。
 ・曙(あけぼの) =夜がほのぼのと明けようとするときです。
 ・朝(あした)  =夜が完全に明けたとき。

 こんな繊細な言葉を使っている国は他にないのではないでしょうか。
 たしか、色についてもたくさんの呼称があったと思います。

 日本は、やっぱりすごい。

 

☆ひとりごと

17.6.12

「田中均」対「黒鉄ひろし」(外交官と漫画家、漫画家の勝ち)

 日曜日は、報道番組が目白押しで、最近は特に盛り上がっています。
 サンデープロジェクトに「田中均」外務審議官、スクランブルという番組に漫画家「黒鉄ひろし」、その両者の発言は好対照でしたね。
 かたや外務省の大官僚でその道の専門家と言われる人、こなた漫画家。
 しかし、外交上の判断力は漫画家の方が勝っていました。

 この外務審議官が司会者に「横田めぐみさんの偽の骨が送られてきたことについて、どう思ったか」と問われて、いわく。
 「理解できない、というのが正直な感想でした」と。
 その道の専門家で責任者が、こんな簡単なことを理解できないと思った、ということなのです。
 普通の感覚では、やっぱりそうか、やっぱりそんな国であったのだなぁ、だと感ずると思うのですが、この方は違う。
 「理解できない」ということは、将軍様がそんな手を使うはずがないという思いがあるからでしょう。だから「解らん」という訳です。
 この方は、2つの点で外交官失格です。
 1 心根は、敵である金豚将軍のシンパである。
 2 選択肢を1つしか持っていない。(つまり、金豚将軍寄りの答えを一つしか持っていない。さまざまなケースを当然考えておくべきでしょう。)
 そして、番組の最後の総括で、どうすべきかという問いかけに対して「北朝鮮に良く考えてもらわなければならない(主旨)」という、唖然とする答え。
 「断固○○する」とか「外交の理念は・・」とかの言葉は全くなく、あの北朝鮮さまに御期待申し上げる、というのです。
 弱弱しい病気のような声と顔つきがすべてをものがたっている、と思いました。

 一方の黒鉄ひろし。番組にはコメンテータとしての出演でした。そして、次の発言。
 「靖国問題も含め現下の諸問題は、『経済』をとるか『美しい日本人』をとるかの問題に尽きる。」
 (後者をとるべしとの言葉があれば満点でしたが、認識としては全く正しい。また「美しい日本人」という言葉がきらりと光っていました。)
 どうです、皆さん。この差。

  田中キンよ、見習いなさい。

☆ひとりごと

17.6.8

靖国参拝をめぐって4(深謀遠慮の支那を知れ)

 ここ数回、靖国問題について書いている。
 世論調査の結果が、次のような状況になっており、危機感を覚えるからだ。

 朝日新聞(5月28,29日)
 ・首相の靖国参拝を止めたほうが良い;49%
 ・続けたほうが良い;39%
 共同通信社(5月27,28日)
 ・今年は見送るべきだ;57・7%(昨年12月調査より16・9ポイント増)
 ・今年も参拝すべきだ;34・3%(同16・7ポイント減)

 つまり、支那の宣伝工作が行き届いて来て、中止という方向に世論が動き始め、それを見て取ったゲスの議員どもが声を上げ始め、それがさらに国民を動揺させるという悪循環が出来つつあるのではないだろうか。まこと、公的権力を持つ者(議員、マスコミ)の発言の重みを感ぜずにはいられない。

 問題は、所要時間10分位の靖国参拝ではない。真の問題は、このことの背後に連なっている支那の深謀である。もし靖国参拝をしなければ、支那の腹の底に抱かれたこの黒々とした深謀プランの第1段階に屈することになるのだ。ここでいったん屈すれば、当然次の要求が出てくる。靖国が最終目的ではないのだから当たり前のことだ。
 例えれば高齢者をターゲットにしたサギ団の仕打ちと同じなのである。最初は甘い口ぶりで、接近してくる。いったん情けをかけてしまったらもう最後。被害者を己の父母にイメージがだぶらせることなどなく、情け容赦もなく金品をすべて巻き上げてしまう。支那はそのように見なければならない。私達は、この高齢の被害者のごとくあまりにもナイーブすぎるのだ。
 
 われわれ民草はまだしも、選良たる議員はそうでであってはならないはずだ。ところが、現実は、その選良たちはこの支那の深謀を見抜くことが出来ず、表面の靖国問題に完全にとらわれてしまっている。国際政治の分からない大甘ちゃんなのだ。(そういえば、中小企業の労働組合長然として首相就任演説をした旧社会党村山元首相は、全くそのレベルであった。危機管理の意識もなにもなかった。本当にご不幸であった。)
 
 では、支那の国家目的とはなにか。
 それは、アジアにおける、また将来の世界における覇権なのだ。
 このためには、不況とはいえまだまだ力のある日本、少しづつではあるが普通の国になろうとしている日本、アメリカと組んで支那の前に立とうとする日本が邪魔なのである。
 だから、ここは靖国問題で決定的な挫折をさせねばならないと決意しているはずだ。(これに加えて、支那は苦しい国内問題も考慮しなければならない。したがって、必死の度合いが増している。)
 つまり、今はまさに剣が峰なのである。

 幸い、変人小泉純一郎首相は、少なくとも参拝することは心に決めていらっしゃる。(参拝を8月13日に後倒れした時のように)周囲のへタレ議員の口車にうっかり乗らぬよう、ここは、もうなんでも良いから変人ぶりを発揮し続けてもらいたい。ただし、姑息なマネはして欲しくない。堂々たる正面突破をこいねがいます。
 あと約2ヶ月。堂々正面突破したら、歴史に残りますぞ。
 がんばれ、総理。

☆ひとりごと

17.6.7

NHKの偏向放送

 この数日、日本は靖国参拝問題でゆれている。
 そんな中、今夜のNHKのテレビニュースは酷かった。
 
 江の傭兵(河野洋平を私は今後こう呼ぶ)が元首相5人の異見を首相に伝えたということを流し、江の傭兵の言い分(「慎重にも慎重であるべき・・」などとしたり顔でほざく)を伝える。
 次に、財界を代表させて、名前は忘れたが、まさに金儲けしか念頭にないような悪徳商人の卑しい顔をした男のこれまた異見(よく考えてもらいたい云々)を流す。
 挙句の果てには、呉儀副首相のドタキャンは中国政府が小泉首相に良く分からせるために勇気をもってやったことである、などと伝える中国の雑誌記事を、なんとそのまま紹介する。(※下に参考追記)
 一方、小泉首相を応援する識者(も居るのにそ)のコメントは一切伝えず、小泉首相ひとりの発言だけを流す。孤立無援の大悪人であるという描き方である。
 バランスもなにもない公共放送にあるまじき報道である。いやいや、これでは日本放送協会ではなく、まるで中共放送協会である。これ以後CHKと名前を変更したほうが良い。内容が偏向しているから名前も変更だ。
 
 NHKの電波が家の中を飛び回っているかと思うとそれだけでも汚らわしい。受信料不払いどころか、迷惑料をこっちが払ってもらいたいくらいだ。
 本当に腹が立つ。

(※追記)
6月8日産経新聞では、この経緯を小さい囲み記事で紹介している。

 中国の週刊誌「時代人物週報」は、キャンセルは中国指導部による組織的決定であると指摘した。会談中止の実際の理由は、靖国参拝に関する小泉首相の国会答弁にあると強調した上で「日本への警告が目的だ。外交上のイメージが一時損なわれる危険性も覚悟呉したうえで、勇気を出して日本に『ノー』を突きつけた」と解説した。

 だそうです。

☆ひとりごと

17.6.5

靖国参拝をめぐって3

 本日6月5日テレビ番組「報道2000」で、東条英機大将のお孫さん東条由布子さんが出演されて靖国問題で討論。他の出演者は、高村外務大臣、西部邁管直人、靖国神社前宮司、。

 各人に対する私の評価。
■高村外務大臣
 中途半端。旗幟鮮明でない発言。所信を明らかにすべきと思う。
 「分祀出来ないというのはまさにそのとおりだが、A級戦犯が祀られていなければ良いなぁ、というのが正直な気持ちだ。」などという発言がその例。
■西部すすむ
 まっとうな発言と思うが、うまく伝わらないもどかしさ。スタンスは鮮明。
 「国益のために妥協せよというのは政治の姑息だ。」
■管直人
 最低。「(気持ちとしては祀るべきだが)国家としては、国際条約であるサンフランシスコ講和条約11条にあるとおり東京裁判の結果を受け入れたのだから、それをひっくり返す訳に行かない」などと云う。サ条約の存在を奇貨とし、知ってか知らずか、これ幸いに悪乗りをしている状態だ。
 サ条約11条は、裁判の判決条項を受けいれ(ざるを得ななかっ)たということであり、裁判そのもの(日本犯罪者論)を受け入れたわけではないのだ。管直人の発言はこれをあいまいにして、人を欺く行為である。よしんば、後者の精神で条約が締結されたとしても、われわれはそのようには解釈しない、と言うべきである。
 さらに彼は云う。
 「(東条首相らは)戦争責任(=政治責任)をきちんととっていない」と。
 死をもって責任を取った人に対して、そこまで言うのか。管氏も含めて、今の政治家で責任をきちんととっていると自信を持っていえる人が一体何人いるのか?
 従容(しょうよう)として不名誉な刑死を受け入れた人に対する言葉ではない。
 非日本人である、非人間であると私には見える。

 ついでに(本番組には参加されていないが、)
■中曽根康弘について
 東条由布子さんのコメントに唖然とする需要事項。
 「(東条さんは)イギリスのファイナンシャルタイムスのインタビューを受けたが、その記者が云うには、中曽根氏がインタビューに答えて、『東条家も分祀になびいている』と云ったそうだ。しかし、私はそのような発言は一切していない。云うはずがない。」とのこと。
 中曽根康弘も、ことこの件に関しては見下げ果てた人だ。できない分祀をなんとかしたい、という態度である。6月4日の新聞記事はこれを裏付ける。
 ついにここまで来たか、という感慨。

 番組の主なところは以上である。以下、全般の所見など。
 この番組の中で、
 「国益を考えればここはいったん参拝を中止したが良い」
 などと、分かった風な発言があった。いろんなところでもそういう云われ方をしている。しかし、そこでいう国益とは一体何なのか。支那朝鮮と仲良くして、目先の利益を得ようとしているだけではないか。
 真の国益とは、国家の核心である永遠の精神性を守り通すことではないか?
 その上で、対等な立場での交流を図るということではないか?
 現世利益の浅薄な考えが、大勲位中曽根康弘の脳裏をよぎっている。

 もうひとつ、
 管直人ら左巻きの政治家に共通するのは、「真心のなさ」である。
 「気持ちは良く分かるが、法理的には・・」などという発言にそれがよく現れている。
 気持ちが分かったら、それを押し通すためにどうするか、が政治家の仕事ではないか。法に縛られる必要はない。(法を護るのは司法、法を改めるのが国会議員の仕事!)ましてや、いわゆる戦犯と呼ばれる方々は法理に反して断罪された訳であり、そのような裁判に唯々諾々とする必要はない。国際社会はそういうものなのだ。管直人らはまさに悪徳弁護士である。

 さいごに、
 東条由布子さんは、今、南方で散華された方々の遺骨収集をされているそうだ。 その理由は、(そうはおっしゃらなかったが)開戦当事の総理大臣の孫であるから、であろう。つまり、(本来は必要のない)公的な責任を感じておられるからである。民間の私人がこうなのである。厳然とした公的な立場の現職総理大臣が靖国参拝をしなくてどうするのだ、と感じたのは私だけだろうか。

 
 

☆ひとりごと

17.6.4

靖国参拝をめぐって2

 6月3日産経新聞
 河野洋平(江の傭兵)衆議院議長は1日、5人の首相経験者を招き、小泉首相の靖参拝取り止めを提起した。「昨今の日中、日韓関係の急速な悪化は看過できない。大きな原因の一つに、首相の靖国参拝がある。」と述べたそうだ。
 衆議院議長の身でありながら、この国賊的発言。
 いやいや、河野洋平は既に国賊であった。すなわち、官房長官時代に「従軍慰安婦の強制連行」を認める発言をし、これが、世界中で援用、悪用され、計り知れない負の遺産となっている。5年前には、北朝鮮へ「私の責任で」と断りを入れた上で巨額のコメ支援をしているが、結果は周知のとおりなんの進展もなく、ただただ北朝鮮の日本に対する侮りを強め、自信を深めさせただけであった。
 呼びつけられ、集まった5人の元首相達からは「首相として参拝するべきでない」「日本にも問題があるが、中国にも問題がある」といった意見が出たという。
 アホだ。
 首相が参拝しなくてどうするのか。
 先の大戦では、いわば総理大臣が、国家国民の代表として将兵に召集をかけて戦場に送り出した。ならば、総理大臣が国家国民を代表して、鎮魂に行くのが筋ではないか。
 また、「日本にも問題がある・・」の論は、物分りの良さを強調する言い方であるが、そもそも日本には瑕疵はない(百歩譲っても瑕疵は少ない)のだから、そんなことを言う必要はない。また国際社会でこんな言い方をすれば、単に物笑いの種になるだけである。 ちなみに、この物笑いの種になるべき人達とは、海部俊樹、宮沢喜一、村山富一、橋本龍太郎、森喜朗の各氏。呼びつける方も呼びつける方だが、のこのこと出かけていって恥をさらす方もさらす方だ。ただ、森氏がこのメンバーにいることから見ると、要は小泉憎し、ということなのだろうか。ああ、了見の狭いこと狭いこと。
 なお、中曽根康弘氏も呼ばれたがさすがに行かなかったようだ。


 6月4日産経新聞では、次のような記事。
 中曽根元首相:「前から(A級戦犯を)分祀していればこんな問題ないならない。靖国神社の神主を説得する必要がある。」
 中曽根康弘の発言とは思えない。中国に弱みをつかまれているのではないか?
 
 一方、外国元首。
 来日中のインドネシアのユドヨノ大統領「国を護るために戦った兵士ののために(首相が)おまいりすることは当然だ」
 この発言が、歴代首相、現首相からあっていいはずだ。
 ああ、恥・・・。

 

☆ひとりごと

17.5.31

靖国参拝をめぐって1

 小泉首相は、就任時の記者会見だったと思いますが、次の2点を述べられました。私はたまたまテレビを見ており、すごい首相が出てきたと感銘を受けたものでした。
 1 靖国神社にいかなる批判があろうとも8月15日に必ず参拝する。
 2 国のために働いている自衛官に敬意を払うべき。
 第1点の注目の靖国参拝は13日に前倒れし、徐々に腰が引け出してきておりますし、第2点は特に顕著なアクションはないようです。

 さて、第1点の靖国参拝に関することです。
 今、日中関係が、靖国参拝をめぐって中国の手に乗せられてギクシャクさせられております。(以下は、5.31付産経新聞)

■中国の手に乗せられている人たち
・自民党中川氏;A級戦犯の分祀に強い期待感を表明している。
(⇒分祀は出来ないことが明らか(後出)なのに、なにを未練たらしく・・)

・公明党神崎代表;「内政干渉と切り捨てるだけでは解決にならない。首相もみんなの声に耳を傾けて欲しい」
(⇒内政干渉を受け入れた上での解決とはいかなるものなのか?それは解決といえない。)

・自民党武部幹事長;「分祀という意見は常にあるが、宗教法人である靖国神社に対して、国や政治が関与すべきではなく、できないところに難しさがある」
(⇒分祀はできないのだが、(中国対応策として)その意見は常にあるので何とかしたい、とおっしゃっている。)

・公明党冬柴幹事長;(会食事直接に)「信念だからといって(先方が)嫌がることをやるのはやめたほうがいい」
(⇒国家の代表者の信念よりも中国の意向を大事にすべきだ、と言っている。)

■中国の手に乗せられていない人たち
・靖国神社;「神道の信仰上このような分祀はありえない」「仮にすべてのご遺族が分祀に賛成されるようなことがあるとしても、それによって分祀することはない」

・東条由布子(東条元首相の孫)「これは個人の問題ではなく国家の問題だ。分祀を了承することは、(日本が百%悪かったとする)東京裁判史観を認めることになる」「中国の内政干渉に屈して英霊にそむくのは国益に反する。A級戦犯の話がついたら、中国は次はB・C級戦犯について言ってくる」

 
 関係議員は、何とか今のこのギクシャクを収めようとのみ考えていますね。日中友好が手段ではなく目的なのですね。中国にこびるだけで、前後の見境いが全くありません。
 それに対して、非政府側は筋をしっかり通しています。
 言葉を足す必要がありません。全くそのとおりです。

 横田早紀江さんといい、この東条由布子さんといい、すばらしい。
 爪の垢をおしいただいて煎じて飲んでもらう必要があります。

 さて、小泉さん、今年はどうするのでしょうか。
 正攻法は取らず、奇手を検討されているのでしょうか。

☆ひとりごと

17.5.26

嘘つきは物覚えがいい

 あるメルマガ(宮崎正弘の国際ニュース・早読み)の記事に次のような一文がありました。
 
 「嘘つきは物覚えがいい」というユダヤの格言は、「真実を語れば、何を話したか覚える必要はない」のであり、だから「嘘をついているとき、脳は一生懸命に回転している」(米国テンプル大学の研究報告)ことになる。最新医学は脳の断層写真撮影に成功し、「嘘をつくときは七カ所、本当のことを話しているときは四カ所が活性化している」事実が判明した。 (引用終わり)

 ここで言う「嘘つき」とは、例えていえば中国・韓国・北朝鮮です。(そのことは「親日派の弁明2」「歴史を捏造する韓国」という本に詳述されています。)
 彼らは嘘を嘘で塗り固めている訳ですから、その作られたロジックを頭の中に入れておかなければなりません。そして、それを論破されることを恐れて、その虚構のロジックを基にして、大声で喋り続けるわけです。特に中国人は、よく喋りますねぇ。その内容たるや、国家主席から小役人まで全く同じです。皆さん物覚えが抜群です。それは天性のものなのか、必死の努力をしているからなのか。両方かもしれません。

 一方、我が国。
 国際社会の中で、常に健気(けなげ)に正直に行動してきました。
 その始まりは、ペリーが開国を強いて、結ばさせた不平等条約。これを手順を踏んで改めることでした。そして、その後のあらゆる歴史上の大場面で、真摯に振舞って来たのです。したがって、われわれはその真実をそのまま語ればよいのです。物忘れがひどいのは嘘つきになる必要がないからといえるのかもしれません。
 国内ではそれでよいのですが、国際社会のなかではそれは通用しません。あまりにも「うぶでお人よし」で、これに謙虚さを美徳とする気風が、足を引っ張りました。おまけに、そこを見抜いた中国がぐんぐん押してくる訳です。

 最近、物覚えのよい嘘つきが、わめき散らしています。ですから、ここは真実をビシッと言ってやらねばなりません。
 この点、先日の厚生省森岡政務官の発言は見事でした。絶対にひるむことなく、真実を語り続けてもらいたいと思います。
 

☆ひとりごと

17.5.25

対中外交の無残 ピンチはチャンスのはずなのに

  (あちこちで同様の記事が書かれているが、私もひとこと)
 24日、来日中の呉副首相(別名「シナ婆」というらしい)が申し込んでいた小泉首相との会談を非礼にもドタキャンした問題が火をつけた格好で、日中関係が一気に悪化した。中国は、この期とほぞを決めて、仕掛けてきているのではないだろうか。いつものことだが、少しいつもと違ってなりふり構わなぬところがある。
 中国は、どんどん押してくるのに対して日本は押されっぱなしである。
 中国は先般の反日デモの謝罪も補償もしないままで、これを明らかにうやむやにしようとしている。
 武部・冬柴両幹事長は、中国詣での最中であるが、言われっぱなし。武部幹事長などは「少しは評価してもらいたい」などと哀れみを乞うているばかりでなく、「国民の間には、(中国は)内政干渉だと言う声がある」などと、まるで他人事のような言い方で無責任発言をしている。おまけに、それを撤回させられており、もう、目を覆うばかりである。

 そして、中国の孔泉報道官が自国のことは棚に挙げて日本非難を堂々と繰り返すのに対して、我が細田官房長官にはまったく迫力がない。2人の発言シーンだけ比べれば、日本が悪いように見えるほどだ。そして、今日(25日)の夜のニュースによると、記者会見で「非生産的なので、もうこの件はコメントしない」などと逃げを打ち出した。
 「負け」である。それも「完敗」。
 
 今回の一連の事象のの中で、中国が執拗に取り上げているのは、「靖国」である。
 前にも書いたが、わが国にはまったく非がない。事実無根の言いがかりである。
 靖国は、わが国における感謝と鎮魂の場であり、完全な国内問題。したがって中国による明らかな内政干渉である。日中間の諸条約にうたわれている「相互内政不干渉」の文言に完全に反する。
 そもそも、国難に殉じられた方々にお参りするのはどこの国でもやっていることであり、日本だけが中止を強要されるいわれはこれっぽっちもない。
 戦犯云々もまったくの的外れ。東京裁判は裁判の名を借りただけの茶番劇であり、裁判ではないのだからこれに拘束される必要はない、とキッパリと言えばよいのだ。
 日本では、その後丁寧にも、4000万人の署名を受け、法律を改正し、戦犯ではなく公務死とした。そして、当時の手続きに基づいて靖国に合祀したのだ。
 他国にとやかく言われる筋合いは全くない。特に、軍事費を毎年2桁増やしつづけ、武器を輸出し、チベットに侵略している中国には言う資格など全くない。
 本当に政府はしっかりしてもらいたい。
 「ピンチはチャンス」は誰かの言葉だが、このような機会に上のようなことを負けずに言い続ければ、世界も関心を持ち、その正しい姿を知ることになるはずだ。「もうコメントしない」などといわずに、孔泉などに負けずに、声高に主張すべきだ。
 それに中国は日本にそっぽ向かれると困るのだから、突き放せばよい。

 先日、石原都知事は沖の鳥島に上陸し日本領土であることを大いにアピールしたが、今、芯のある外交をしているのは都知事だけではないだろうか。
 そのほかは、皆ヘタレだ。

☆ひとりごと

17.5.20

「立花隆」研究

  私の認識間違いがあるかもしれないが、立花隆は、かって文芸春秋に連載した「田中角栄研究」をもって、田中元総理に悪の権化というレッテルを貼り付け、彼を政界から葬り去った。(アメリカの策謀もあったらしい。)
 私の疑問。
 果たして、田中総理は言われるような大悪人であったのか。
 そもそも、権謀術策渦巻く国際社会を乗り切るために、国家運営の舵を握っている総理大臣(政治家)を、単純に正邪で評価して良いのだろうか。総理大臣には、清く正しい人を充てるべきなのだろうか。
 そうではあるまい。
 孔子は、「正義」という概念の上位の価値として「直きこと」という概念を掲げて見せた(論語子路十三)。正義よりも人間としての情が大切だと言う。つまり、正義が絶対ではないのだというのである。
 しかし、立花隆は薄っぺらな正義意識に走ってしまったのではないか。多少荒っぽいところはあったかもしれないが田中角栄のパワーを評価し切れなかったのではないだろうか。(アメリカの策謀があったと取りざたされているということは、アメリカにとって不都合(=日本に好都合)という見方もできるのではなかろうか。)

 改めてこういう思いを強めたのは、立花隆が書いた次の記事を読んだからである。(この記事は、憂国の同志○門さんからのご紹介による)
 http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050422_seijisekinin/
(立花隆の「メディアソシオ-ポリティクス」第11回「中国の反日デモを挑発した小泉首相の政治責任を問う」〜7回シリーズ)
 
 ざっと読んでみて、立花隆がこれほどレベルの低い人とは思わなかった。一般に知の巨人というようなイメージを持たれているが、心根は左巻き系統であるようだ。
 やや、極端な言い方かもしれないが、
1 日本人という意識が決定的に薄い。
2 中国の反日デモは首相の靖国参拝に責任があるという倒錯。
3 中国韓国に対するとりあえずの譲歩で物事が解決するという単純な判断力。
4 事の中身を吟味せずして行なう、ドイツ礼賛/ドイツ見習え論。舶来上等主義?
(ナチスの残虐行為(=犯罪)と日本の戦争(正当な政治行為)を同列に扱う無知、不見識。)
5 南京虐殺に対する弁護的言辞。原爆投下、大空襲・・などの我が無辜の市民に対する大虐殺を単なる数字としてしか扱わない冷酷、不見識。
6 天皇陛下に対する敬意を払えない非常識。

 ・・・・

 記事は全部で7編あるのだが、あまりの酷さに途中で読むのを止めてしまった。
 このような人間が言論界においてある種の影響力を行使しているかと思うと暗澹たる気持ちになる。
 毒を振り撒いていますね、・・・極端な言い方かもしれませんが。

 

☆ひとりごと

17.5.19

天皇陛下は国家元首である(2)

 今回は、憲法に明記すべしということについて。
 正論6月号に拓殖大学前総長の小田村四郎氏による「日本を蝕む『憲法三原則』」との寄稿があり、その中に、「元首」について述べられた箇所があった(140p)。
 我が意を得たり、でした。

(以下引用)
 現在、天皇が元首であらせられることは国際社会で定着している(御外遊の際には21発の礼砲をお受けになる)が、憲法学界では異論が少なくない。(中略)
 「元首」とは「外に向かって国家を代表する資格を持つ国家機関。何人が元首であるかは各国法でさだめるべき問題で、通常は君主や大統領がこれに当たる」(有斐閣「新法律学辞典」)
 国際法上も一国を代表する人格である「元首」は特定されていなければならない。然るに憲法調査会や改憲各試案で「天皇元首」の明記に反対論が少なくないと言われるが、不可解極まる。国論の混乱を終結させるためにも、実定憲法上「元首」規定を置くことは不可欠であろう。
(引用終わり)

 そして、18日産経社説「自民党改憲草案」に次の記述。
 「世界の多くの国々が天応を事実上の「元首」として扱い、対応している。「対外的な代表性」の有無が国家元首の判断基準とされているが、既にこれは決着している。天皇の法的地位をあいまいにしたまま、政治的に利用する余地を残すのは疑問である」

 そうだそうだ、と思っていたら、19日の産経朝刊に「『元首明記』見送る方向」だと!!
 記事を読むと、
 「天皇」小委の委員長を務めた宮沢喜一元首相が「天皇陛下が外国使節の接受などで元首として機能されているのはだれでも知っているが、元首と呼ぶのは統治権の議論もあり現実的に意味がない」として見送る方向にしたようだ。
 「現実的に意味がない」という意味が良く分からないが「・・の議論もあり」という意味は良く分かる。要は、ごたごたするから止めようということである。ごたごたする相手は、いわずと知れた迷惑な隣人の中韓の2ヶ国である。宮沢元総理は、本来その必要はないと知った上であの教科書検定にかかわる近隣諸国条項を作ったお方である。この2ヶ国だけの顔色をうかがい「だれでも知っている」大事なことを決めないというのである。ほとほとあきれ果てる。
 憲法は英語で「constitution」という。その意味は「体質、国柄」である。つまり、国民の気持ち、わが国の国柄を素直に表現することこそが憲法改正の本旨であるのに、なんということか。そこのところからかの人の頭は捻じ曲がっている。
 ああ、もうなにも言いたくない。

17.5.7

自民党幹事長のレベル

 5月7日新聞記事によれば、自民党の武部幹事長、公明党の冬柴幹事長が6日、ノムヒョン大統領と会談したが、ノムヒョン大統領は小泉首相のおわびと反省の表明に対してこれを評価(!)し、つぎはそれを「行動と実践で見せてほしい」と指摘したそうだ。
 いったん膝を屈すれば、次々とこのようにエスカレートしてくるというひとつの見本である。
 そう、目的は靖国神社に参拝させないことではない。韓国の国益の増進の手段としての靖国問題なのだ。これがたまたま日本に効果的であることから、韓国はそれを上手に使っている。
 では、日本はどう対抗したら良いか。
 あくまで、毅然と突っぱねれば良い。完全に国内問題であるからだ。ここをきちんとしてこなかったから、このようにずるずるとつけ込まれているのだ。
 どこかできちんとけじめをつけないと、際限なくエスカレートしてくるのは見えている。

 ノムヒョン大統領の「指摘」を受けて、武部幹事長の「よいしょ」が入る。
 曰く「これからの若い世代に、戦争、植民地政策、侵略などがいかに間違った道であったかを伝えていく」と。
 とりあえずの日韓友好ができれば良い、の感覚なのだ。とんでもない発言である。
 第1に、戦争は間違いではない。政治の延長である。
 第2に、日本は欧米流の植民地政策を採っていない。むしろ非常にましな政策を採った。
 第3に、侵略などしてはいない。どの部分を指して侵略というのだろうか。
 また、根本的に問題だと思うのは、過去の歴史を現在の価値基準で判断していること、自国の歴史に(先人の歴史)に対する愛情が見られないこと、日本を護るべき政治家としてのセンスが零であること・・などなど。

 武部幹事長は、農水大臣の時牛肉を食べるパフォーマンスをしたり、国会議員の飲みニケーションをアピールしたり、郵政民営化の紙芝居を作ったり、なにか大事なところが抜けているように見える。(私の間違いであれば、そう思われないようにな言動をとって頂きたいもの。)
 この際、HPを見たが、選挙区である北海道(というローカル)を意識したコメントがTOPに掲げてある。国外に向けた言動をとって欲しくない方です。
 
 最後に付け加えますが、以上は個人攻撃ではありません。
 このようなセンスをもった方がわれらの代表になっているという現実の確認です。
 ここのところをしっかり見つめる必要があるということです。

☆ひとりごと

17.5.4

JR西日本が大脱線している

 当初、わが身を高みに置いてJRを一方的に叩き、不確定な情報を元に騒ぎまくるマスコミに対して不快を感じていたが、それに余りある醜悪さをJRが示し始めた。
 JRも相当に悪い。
 
@大事故が発生しているのに、同乗していた運転士2人がそれぞれの判断で、救助をすることなく現場を離れている。
 どういう感覚をしているのかまったく理解できない。職業倫理以前の問題である。
 一人のことであれば、当人の特異性であるとも考えられるが、二人が同じ行動をとっているのだ。会社による教育(の不徹底さ)が絡んではしないか。
A当該運転士からの第1報を受けた当直がしかるべき機能を果たしていない。
 当直は、上司への報告など所定の初動をとるべきであるのだが、それがまったくなされていない。空振りでも良いからやるべきことをやるというのが危機管理であるのだが、おそらく緊張感・危機感の欠如があって、それが機能していないのであろう。これはズバリ管理職の怠慢である。
B事故の発生を知っていながら(テレビ等で見ているはず)、ボーリング大会(午後1時に集合している)。
 大事故であることは彼らのようなプロでなくとも画面を見れば分かる。車体の中に救助を求める人たちが居るという強い認識を持てない恐るべき鈍感さ、そして何かをしようとしない冷酷さ。言いようがない。
C(その他)あの労働組合というのは一体なんだろう。
 いわば身内の不始末であるのに、それを平然と攻撃するあの態度。戦後はびこった利己主義の延長線上にあるのだろうか。それともお家の一大事という大局の見えない単なるバカか?

 以上のほか、漫然とした営利優先の会社運営、過密なダイヤ、それを暗に要求する旅客(我々)の存在・・・根が深くかつ広範な問題がある。
 23歳の運転士の責任は厳然として存在するが、企業の問題、社会の問題等々、この際に徹底的に洗い出し、改善を図る必要があると思う。
 この点こそマスコミの出番だぞ。

 

☆ひとりごと

17.4.28

JR叩きの前にやることが・・・

 4月25日JR福知山線で脱線事故が発生し、死亡者100人を越す大惨事となった。
 例によってマスコミ特にテレビ報道は、よってたかってJR叩きに励んでいる。たしかにJR西日本はおかしいところがあるようだ。例えば、
 ・23歳のこの運転士の適格性に疑いがあるのに、それを断固排除できなかった会社側。(数十メートルのオーバーランは基本が出来ていないということであり、運転士不適である。着陸のできないパイロットと同じだ。)
 ・日勤教育といわれる見せしめ的教育
 ・記者会見に見られる、会社側の初動態勢の不十分性
 ・トップが示す方針の第1が「稼げ」という、価値感の転倒
などなど。
 しかし、それにもましてテレビのJR叩きは醜い。
 自分達を高みにおいて、水に落ちてもがいている犬を棒で叩いているに等しい。その水の中には、巻き込まれた無辜(むこ)の人たちもいる、というのにだ。

怒る被害者家族を写すテレビのある画面。
家族「状況がまったく分からない。JRはもっとしっかりしてもらいたい・・」
番組「そうだ、そうだ。一体JRはどうなっているのでしょうか・・」

 しかし、私は言いたい「メディア(特にテレビ)こそ、どうなっているのでしょうか。」と。
1 被害者の必要とする、例えば安否情報を収集しテレビの速報性を活かして逐次放送できないのか。情報がほしい人に情報を配布するのが、メディアの基本的使命ではないのか。自分の本来の仕事のことがすっぽりと抜けている。
2 例えまずくとも一生懸命対応しているJRをさらに混乱させるのではなく、人員救出を後押しするような報道姿勢は取れないのか。発生直後から、憶測を基にした事故原因の究明に血道をあげてどうするのか。
3 JRを一方的に叩くばかりで、JRの言い分が伝えられていないし、JR側に立ったコメントがまったく無い。七転八倒するJRへの思いやりがもう少しあっても良いのではないか。放送の持つべき公平性に著しく欠けている。

 マスコミは、学校が学生に対する教育機関であると同様、社会における教育機関でなければならない。
 この事故に限れば、JR西日本には問題があるようだが、その自覚と冷静に欠け、自分を高みに置いたコメントを垂れ流すテレビに疑問と憤りを感じる。

 

☆ひとりごと

17.4.22

首相の言葉の重み

 4月22日、インドネシアでアジア・アフリカ首脳会議が行われている。
 中国・韓国における反日デモによって日本公館が襲撃されるという背景を受け、首相としては断固たる謝罪と賠償の要求を胸中にして対応しなけらばならない会議である。他方、日中の指導者の直接の接点が行われていないという近年の異常な状態を打開しようとしてする害務省の思惑が渦巻いているという状況も、底流として存在している。
 さてそこで、関心の的は、首相の発言。
 果たして断固たる気概を示すのか、またしても中国にひざまづくのか。
 答えは、後者でああった。
 各国首脳を前に次のような恥ずべき内容の演説が行われた。
 「わが国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻む・・・」 (「村山談話」と同じ表現)
 演説全体から見ればこの部分は主要なところではなく、全体としては良い演説であったという論評も一部にはあるが、私はそうではないと思う。これまでも、小泉首相はあの悪しき前例である村山談話を踏襲したコメントをしておられる。(平成13年の靖国神社前倒し参拝後の談話、その二日後の全国戦没者追悼式での発言、など)いわば確信犯でいらっしゃる。
 しかし、今回は国外に向けての発言である。
 この演説は2つの点で非常に問題である。
1 史実と異なるし、偏りがある
  わが国は、いわゆる欧米のような植民地政策を採っておらず侵略もしていない。中韓両国の損害と苦痛はあったろうがそれは当時の情勢の中で、ある意味必然の結果であるし、損害と苦痛はわが国とて同じであった。こういった、基礎的な歴史的事実を踏まえておられないし、歴史の見方も偏っている。さらに言えば、われらの先人に対する愛情に満ちた眼差しがまったく感じられない。
2 首相としての立場を考えておられない
  一国の首相の発言として、零点である。
 では、どうあるべきか。
 見本がある。
 1991年、真珠湾50周年記念行事がパールハーバーで行われた。これに列席したブッシュ(父)大統領に対して記者から「原爆使用をどう思うかの」の質問がされた。
 大統領は、ただ一言。“I’m not sorry”と。
 これがあるべき答えである。個人的には、意見はあろう。ひょっとしたら、個人的には心を痛めているかもしれない。
 しかし、もしsorryと応えたら、 原爆投下を命じたトルーマン大統領を始め、日本と戦った何万という米将兵の苦闘、それを支えた家族、一般国民の努力・・、これら全ての否定となり、国家の過去と未来に禍根を残すことになるのだ。
 したがって、過去と未来の間にある「現在」において、国家を預かる大統領は(仮にそうだと思っていても)そうでないと世界に向けて発言しなければならないのだ。
 残念ながらわれわれの小泉首相には、目先の日中友好しかなく、過去・現在・未来を意識した国家観が希薄であり、これを貫く歴史観が歪んでいるといわねばならない。
 実に暗澹たる気持ちになる。
 しかし、単に首相を攻めてばかりもおれない。小泉首相を選んだわれわれが深く自省しなければならないことでもあるのだ。

(追記)
 4月30日産経新聞に次の記事があった。投稿者は筑波大名誉教授竹本忠雄氏。人種差別の観念を基盤として、白人によって行われた植民地政策は苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を極めた。日本が行った朝鮮、台湾に対する政策は、これと全く異なるのだ。第3国がそう明言してくれている。

 「1昨年パリで出た『植民地主義の黒書』全800nでも、日本への言及は僅かに20nにすぎず、それも日本の「植民地」は相手国に共存共栄の効果をもたらした点から西欧型とは別個の意味を持っていると明言しているのである。アフリカの黒人奴隷拉致だけでも1千万から1千5百万人。」

 

(↓の項目に続く)