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☆ひとりごと

17.4.14

中国の反日デモと欧米の反応
 中国の反日デモは、国全体の騒乱状態へと変化しつつあるのではなかろうか。
 農村部でも大きいデモが起こっているようだし、死者も出ているようだ。
 そもそも中国は国内に植民地があるようなものだ。沿岸部に住む1億程度の支配層・裕福層がその他10億以上の被支配層・貧困層を搾取しているという構図だ。 この大多数の被搾取階層は大航海時代の植民地の場合と異なり、インターネットなどにより自分の立場に関する若干の情報を有しており、不満階層ともなっている。その鬱積した怒りがいわばマグマになっている。そして、時にそれが炎になったり煙になったりガスになったりいろいろな形で地上に噴出するのだ。今回は、反日デモという形で噴出した。注意を要するのは、マグマが大きくなっており、政府による制御が効きにくくなってきているという点だ。中国は本当に崩壊分裂するかもしれない。

 今回に限らず反日デモは政府共産党側にとっても都合が良いものだ。ガス抜きになるからだ。ただし、今回、政府共産党は少し行き過ぎたと思っているだろう。海外のメディアが割りとまっとうに中国を非難し始めたからだ。
「割とまっとうに」と書いたのは次の理由による。
 たとえば、ウォールストリートジャーナルとかいう米紙は「日本は過去についてもっとすべきことはあった」としながら「中国自身の歴史の歪曲の度合いは日本よりもはるかに大きい」と指摘した。(産経14日朝刊。以下同じ)
 しかし、前段部分はちょっと待ってもらいたい。アメリカからそんな風に言われたくないぞ。過去についてもっとすべきことがあったのはアメリカではないか?先住民族インデアンを大量に殺戮したのはだれか。メキシコ、スペインから領土を簒奪(さんだつ)したのはだれか。ハワイを無理に併合したのはだれか。先の大戦の前後において己の価値と利益のためによその国に手を突っ込んでめちゃくちゃにしたのは誰か。そして今もイラクまで行って、ある意味似たような行為に及んでいるのはだれか。ついでに、もうひとつ言ってやろう。国際法に違反して、原爆投下、無差別都市爆撃によって無辜(むこ)の人たちを大量に虐殺し、今なお謝罪がないのは一体全体どこのだれか。
 少し感情的な言い方かもしれない。また、一方的な見方だと言われるかもしれない。そう、実は大なり小なりお互い様なのだ。それを、理解し、もう少しもののわかった記事を書いてもらいたいものだ。すくなくともあんたには言われたくない。
 イギリスはもっとひどい。
 12日のフィナンシアルタイムズは「日本が過去を正直に認め、無条件に謝罪すべきだ」という。(ただし、そのあと「日本が歴史歪曲をしていると中国が言うのは偽善だ」と続けてはいる。)しかし、問題は前段の日本を切って捨てるセリフだ。
 ならば借問する。
 イギリスは、アヘン戦争時中国に対してなにをしていたか、インドに対して何をしたか。世界中に植民地をつくりそこで何をしていたか。フィナンシアルタイムズは、まず国内に向けてそのせりふを吐くべきだ。笑止千万である。

 しかし、怖いのはこのような嘘も百回言えば本当になってしまうということだ。
 日本サイドも、真実を百回以上言うべきであろう。
 欧米に比べて、驚くほど真摯なわが国の歴史をそのまま語り続ければよいのだ。
 
 頼りにならないが、頼りにせざるを得ない外務省、その他関連議員諸侯、お願いしますよ。
 (そういえば昨日のテレビで反日デモに関して細田官房長がおっしゃっていた。
  「友好関係の維持を基軸にして・・(話をしていく)」と。
  でも、ここは怒るところではないですか。
  それに「日中友好」が目的になっていますよ!!ちがうでしょ、長官。)
 
追記
 テレビを見ていたら、佐々木アジア太平洋局長があわただしく移動をしている様子が写っていた。周りをカメラやマイクが追いかける。そして、それを振り切るようにしてエレベータに乗り込む局長。
 なんだこれは。
 中国に負けないように大いにしゃべらないといけないのに。
 断固中国には謝罪を要求します。歴史歪曲をしているのは中国です。靖国参拝は国内問題だし、そもそもA級戦犯なんか存在しないのです。ガス油田試掘は整斉とやります。等々、等々当たり前の言うべきことは山ほどある。 
 内外に向けてしゃべり続けるのがあなたの仕事の筈ですよ。
 エレベーターに逃げ込んでほっとしたあなたの顔を国民はしっかり見ましたから。情けない、まったく。

 

☆ひとりごと

17.4.11

天皇陛下は国家元首である
 出勤の途中、東京駅で信任状奉呈式に向かう儀装馬車列に出くわしました。信任状奉呈式とは、新着任の大使が自国の元首による信任状を陛下に奉呈するという儀式です。

 東京駅中央口。
 皇居方面から移動してきた約十騎の騎馬警官と華麗な儀装馬車3両が東京駅玄関に差し掛かるところでした。儀装馬車はいかにも骨董品然としておりましたが、装飾など大変豪華で、はっとするような美しさがありました。
 周囲には、制服・私服の警官が数十名。なんとなく物々しい雰囲気の中を、メインの馬車が玄関に横付けし、他の2両の馬車はやや離れたところに待機。そして、騎馬警官は車道上を玄関に向かって一列応対で整列。
 レンガ造りの東京駅頭、後方は丸の内の新築ビル街、それをバックに騎馬警官と儀装馬車。そこには実に不思議なシーンが展開されておりました。
 私は、急ぐ出勤ではないので、見物を決め込むことにしました。そばに立っている人たちの話を漏れ聞くと、カンボジアの大使が皇居に向かわれるということのようでした。
 数分後、東京駅玄関から東南アジア風の服装をした方々が出てこられ、儀装馬車に分乗。
 護衛役の騎馬警官が馬車の前後に付き、ゆるやかに移動を開始。ひづめの音があたりに高らかに響き渡ります。数十メートル進んだところで、車列はややスピードをあげ、早足に。そして、更に高らかに響くひづめの音と馬車の音。車列は御幸通りを皇居に向け、高層ビル街のなかを消えていく・・・。
 いやぁ、朝から大変良いものを見せてもらいました。

 さて、それを見て感じた「天皇陛下は国家元首である」について。
 現憲法では、「天皇は象徴である」とされております。
 象徴であることさえもけしからんという人が居る世情ですから、私は、象徴であられて良いと考えておりました。そしてまた今、憲法改正の動きがある中、自民党の改正案でも象徴ということで考えられているようです。なんとなく腰の引けた感じがありますが、第1章に記述するということでもあり、まぁ良いかと考えておりました。
 そういうなか、今朝の東京駅頭、信任状奉呈式儀装馬車列です。
 かしこまった雰囲気で馬車に乗り込む新任大使。皇居では、緊張のうちに信任状を陛下に奉呈するのでしょう。そして、陛下からのお言葉を頂いて、彼は国家の代理人(全権大使)としての責任の重大さを改めて心に噛み締めるのでしょう。
 先方の国家元首は、大使を通じてわが国の国家元首である天皇陛下に対して国家間の手続きをしているわけです。
 これは、象徴という方が行う行為ではありません。象徴は英語で言うとシンボルです。陛下に対しても先方の国家元首に対しても失礼極まりない話ではありませんか。
 自民党の憲法改正作業部会では、実体として元首であるという認識はあるのですが、その上で象徴という言葉を使おうとしています。そこには、なにかに対する明らかな遠慮がある。
 その「なにか」とは、はっきり言ってサヨク勢力と中韓両国です。なんの遠慮もいらない対象です。ところが、これらに対する遠慮がいわば本能のようになっているようで、まことに残念なことです。
 恐れながら陛下のお気持ちを拝察するならば、ご自身は元首であるとのご認識を持たれてさまざまな国事行為を行っておられるが、ご自身に対する呼称については国民の総意に従おうということだと思います。
 では国民の総意はどこにあるか。
 私は、「国家元首」であると思います。
 私が今朝、感じたようなことを国民に説明すれば国民は納得する。国民の皇室に対する気持ちは、テレビニュースなどで見られる、例えば被災地などに出向かれた両陛下に対する被災者などの状況を見ればよく分かります。自分たちの父母、祖父母を見るような、あのまなざしの中にそれが良く出ております。
 国民には、説明をすれば敬愛する陛下にはそれにふさわしい称号であって頂きたいと思うはずです。
 一方、国会議員の総意は、といえば、やや不純な別のところにあるようです。
 憲法改正論議が盛り上がりをみせるせっかくのこの機会、国会議員には国民の真の総意を上手にくくみ出し、うまく誘導する努力を払ってもらいたいものです。

☆ひとりごと

17.3.20

少子化問題の根本

 報道2001という番組がある。いつもは「そうだそうだ」などといいながら見ているのだが、今日はいつもと異なり、違うんじゃない?という感想を持ちました。
 今日のテーマは少子化をどう食い止めるかであったのですが、そこで論議されたのは、お母さんが子どもを生んだら経済的なメリットを与えるとか、両親が働きやすい職場環境を作るとかこれもまたメリットを与えるというものでした。いわばエサですね。(エサで子作りをさせようという発想も問題だ。)
 このような具体的なことこそ大事だということかもしれませんが、私は、対症療法にすぎないと思います。もっと、大事な議論を忘れちゃいませんか、と思うのです。
 そしてビックリするような議論が展開されました。
 婚外子を認めるべきだというのです。
 これを推すためにスエーデンの例が引かれました。その表に曰く「スエーデンは58%が婚外子であるのに対して日本は1.9%に過ぎない!?、と。まるで日本は遅れているという言う振り。おまけに、これに番組の出演者の全員が賛同をしている。あの、塩爺も物分りのよい顔をしてうなづいているのです。
 もっと大事なことを横に置いて、トンデモないことに価値をおいているわけです。
 
 私は、次の観点が忘れられているのではないかと思います。すなわち、
 今少子化が進んでいるのは、憲法に謳われている「個人の尊重」がその淵源となっている。
 日本中で、なによりも個人が大切という価値が、最大無比のものとされている。それも個人の今が大事ということで、いわば目先の欲と得が物事を判断する基準となっています。
 確かに、今の世の中、子どもを作り育てるのは大変なことです。様々な障害が在るように思えます。しかし、一方で、ひとりひとりが求めている基準が高すぎはしないかとも思うのです。「個人の尊重」が絶対的なものであるために、おのずとその基準が高くなっているわけです。それが、日本国中に蔓延している点に着目しなければなりません。子どもを生むときに、周囲から、好き好んでそんなことをするなんてバカな・・という目で見られるという現状が一部にある。(「子育てが大変だ」という奥さんに「自業自得だ」という答えがあった、というお話があります)これを直さなければなりません。
 幸い憲法改正の機運が盛り上がってきました。そのなかで、「国民の義務」という概念が打ち出されております。「権利」が強調されすぎた現状の反省として、大変結構なことだと思います。しかし、まだまだ、この報道2001に見るようになにか倒錯した状況があるわけです。
 メディアは一種の教育機関であります。今日の番組を見て落胆・悲嘆したのは、私だけぇ?

 

☆ひとりごと
17.3.8 妙案・靖国問題

 今日は、ひとりごと、というよりひとこと。
 昨夜のテレビタックル(テレビ朝日)は、中国問題で盛り上がっていた。
 そして、首相の靖国参拝を中国が非難することについて、中国の非道と首相のふがいなさがあれこれ取りざたされた後、大竹まことが発言。
 「8月15日に行くんじゃなくて・・・」(一瞬場が緊張する)
 「毎日参拝に行けばいいじゃん」(爆笑、となるほどという雰囲気)

 私も笑ってしまったが、妙案だと思った。
 実行上はいろいろとあるかもしれないが頻繁に行ってもおかしくはない。
 しかし、この方法で現状を打破するいうのは、とき既に遅く、首相が行うには姑息過ぎる。
 ただ、しょっちゅう参拝をしていてもおかしくはないんだという、すこし新鮮な感じを覚えた。靖国神社は本来そういう特別な場所なのだ。

 

☆ひとりごと
17.3.6 戒厳令

 本日の産経新聞の第1面の見出し。(多分他の新聞はこれと違うだろうな。)
 「緊急事態宣言 首相に権限、自民党新憲法草案」
 
 さすが、産経は大事な所を書いている。自衛軍がどうかとか、天皇がどうかとか言わないで、ずばり今の憲法に全く抜けている緊急事態についての規定をトップに持って来ている。
 
 緊急事態とはなにか。
 予め書き物として規定できない、いわば想定外でかつ緊急を要する事態である。
 同宣言は、これにどう対応するかということであり、本来の言葉で言えば「戒厳令」である。
 この新聞を見た左側の方々から猛反対が来ることが予想される。
 戦前への復帰であるとか独裁制へ進む恐れがあるとか民主主義に反するだとか、酢だの蒟蒻だのと言い募るのだろう。しかし、想定外の緊急事態であるから、衆知を求める時間はないし、船頭が多くては山にのし上げてしまう。すなわち、こういう場合というのは、腹をくくるしかない場合なのだ。あれこれの批判はあろうが、国民がマシだと選んだ時の総理に全てを任すしかない。緊急事態に酢だの蒟蒻だのといっていたら皆で共倒れになる。それよりも、時の総理に任せるほがリスクが小さい。危機管理の考え方である。これを、民主主義の手順を踏んで予め決めておくのだ。
 絶対主義・原理主義の旧社会党系の議員の声が聞こえてくるが、自民党は、しっかり説明をしていかねばならない。

 危機管理の最重要事項、戒厳令。
 憲法問題も大きな節目に差し掛かってきたぞ。

 

☆ひとりごと
17.3.4 すたる職業倫理

 先日、テレビニュースを眺めていたらとんでもない情景を見てしまった。

 その1;容疑者に追いかけられて逃げる警察官
 容疑者は覚せい剤の使用が推定される若い男。車で自損事故をを起こし車の中に閉じ込められ、わけの解らぬ言動。目はすわっており、薬物使用の疑いの濃いと判断される状況。
 やってきた警察が男を車から引き出すと、男が暴れて警察を追い回す。逃げる警官。テレビカメラマンを追い抜いて更に逃げる警官。
 なんだこれは?? ピストルはなんのためにあるんだー??
 そして、置き去りにしたパトカーを乗り逃げされようとしたところでやっとのことでそれを阻止。テレビは、へっぴり腰の警察を写す。
 なんだ、これは????

 その2;違法行為のホームレスに手を貸す国交省
 荒川河川敷に一人のホームレスが住み着きウサギ(穴ウサギ?)を飼う。ウサギは繁殖し70羽?に。そして、穴を掘りまくる。
 そこで、国交省の出番。
 なんと、ウサギが増えないようにオスとメスを住み分けさせる柵と金網を張るのだという。ユンボを使いちょっとした土木工事を、税金を使ってやっているのだ。穴が増えると堤防が崩れるかもしれないとのご判断だそうである。
 テレビは、このホームレスの言い分を伝える。
 「俺は、反対だ」?!?!
 国交省のいい年をした担当官が言う。
 「○○さん、そういってもねぇ・・」?!?!
 とアメリカ人のように肩をすくめる?!?!
 なんだこれは???毅然とやれんのかー??
 違法の一人のホームレスの立場を守って、付近の住民の命をないがしろにする。それを国がやっている!!!
 なんだこれは???

 そして、関連して最近の変なこと2編。
 その1;堤義明逮捕
 相当の財産を作った堤一族。
 次は、いかにその財産を守るか、の醜い生き方。
 自分達の幸せだけを願って・・・。
 企業というのは、特に大企業になれば公のためにあることにより比重を移していかねばならないはずだ。公の幸せを通じて私(会社/社員/株主)の幸せを得る。(会社の社是などでは「社会への貢献を通じて利益を得る」という主旨のものがそれである。)これが基本であるはずだし、こうしなければ上手く行かない。
 これを踏まえていない商売は失敗する。良い見本である。
 そういえば、最近堤義明氏が傘下の店舗で細かい指導をしている映像が流れている。店員は、平伏低頭。どこかで見たことがあると思ったら、北の将軍様と同じではないか。
 こりゃ、だめだ。

 その2;ホリエモン
 この人も、自己中だけの人のようだ。
 「社会への貢献を通じて・・」の発想がない。
 なにがなんでも短絡的・直接的に目の前にぶら下がったモノを我が物にしたい・・・。それだけのように見える。少なくともそのように見られている。この時点で、企業のリーダーとしては失格ではなかろうか。
 これもだめだ。

 公よりも私が大事だ。個人は絶対的に尊重されるべきだ、という考えが上の4つに通底している。
 職業倫理をどうこうというレベルのことではない状況といえるかもしれない。
 戦後教育の成果がここに見事に結実。
 憲法と教育基本法の早期改正が必要。

☆ひとりごと
17.2.16 させていただきます(2)

 電車のドアを車掌が閉める際、「ドア閉めさせていただきます」などと腑抜けたアナウンスをする鉄道会社があると前に書きました。(実はS武鉄道ですが、今おおもめに揉めています。)
 その項の最後の所に、山手線の車掌のなかに、毅然と「ドアを閉めます」とおっしゃる立派な女性車掌が居られることを書きました。
 今朝、その方の電車に乗り合わせました。
 「ドアを閉めます」
 いいですねぇ。
 私は東京駅で降りるのですが、すぐに後方の車輌に向かい、そのお方のご尊顔を拝しに参りました。
 女優の○○(名前を思い出さない)に似て知的な美人でしたよ。

 追記;
 2月18日(土曜日)、羽田-品川間「北総鉄道」の車輌に乗りました。
 新しい発見。
 ドアの開閉になにも言わないのです。(土曜日の午前でしたので乗り降りする乗客が少なかったからかもしれません。)
 でも、極めて静かに物事が推移し、とても快適でした。
 本当はこれで良いのではないでしょうか。
 そろそろドアが閉まるぞという頃合は分かるし、閉まり始める予告(の動き)はあるわけですから、それを感じ取るぐらいのことをやれば良いのです。皆が自己責任で動けば、大変静かな環境ができるはずです。
 皆さんそう思いませんか。街がうるさ過ぎる。

 さて、
 前回、ドアを閉める際のアナウンス要領には3つあると書きましたが、新たに、今回C項を追加します。
@ ドアを閉めます。
A ドアが閉まります。
B ドアを閉めさせていただきます。
C ・・・(なんにも言わない)。

 

☆ひとりごと

17.2.1

ダチョウの平和と私の母指

 うそか本当か、ダチョウは危険が迫ると頭だけ隠してうずくまるそうです。
 頭かくして尻隠さずの状態になる訳です。
 つまり危険を見たくないということで嫌いな事から目をそらす悪い例えとして用いられる話です。

 昨年12月に、右手母指(親指)の爪の裏側にできものが出来ました。悪性かもしれないというので、検査(生体検査)をすることになりました。つまり、患部を切り取ってそれを検査する訳です。患部を切り取るには、爪を切り取らなければならない・・。
 で、某日、病院の手術台に寝かされまして、手術開始。
 親指の付け根に麻酔注射。指の根元をゴムできつく縛って、メスで・・・。
 そこまで見ていましたが、そこから先は見ることが出来ませんでした。私も自衛官の端くれでしたから、血が流れる所を見ておく必要があると、思っていました。(ある先輩は、列車の飛び込み自殺の現場をしっかり見に行ったそうです。りっぱな方でした。)
 しかし、見れませんでしたね、私は。
 途中、はさみで(爪を)チョキチョキと切る音などがして、約30分。
 「はい、終わりました」の声で指を見ると包帯でグルグル巻きの状態。
 すこし、残念なような情けないような気持ちでありました。

 そこで、西尾幹二氏の著書からの書き抜きを以下に記します。

 「防衛は生命力の問題である。どんな場合にもつねに極端な最悪を想定して、そこから理論を組み立てるのが安全保障の真諦(しんたい)である。生命力の弱い人間にはそれができない。いつでも楽天的に、問題を良い方向に解釈して、先送りして、危機を見ない人がいるが、それは弱い人間の常である。恐ろしいもの、悲劇的なものを、見つづける力は強い人間以外にはできない」

 次に切る時は、しっかり見ようかな。
  

☆ひとりごと

17.1.×

ミサイル防衛とROE

 ROEはRule of engagementの略である。
 訳語として「交戦規定」という言葉が充てられ、巷間、「発砲の条件」というニュアンスで伝えられている。当たってはいるが、一面的な捉え方だ。
 ROEは総理大臣と前線の兵士を繋ぐ通信手段であり部隊のアクションの程度についてやり取りされる。このように状況によって刻々変化するダイナミックなものとの捉え方が適当である。
 今、ミサイル防衛について発射の最終権限者である総理と現場部隊とのタイムラグをいかに短縮すべきかということが言われ始めているが、ここにはROEを作るしかないはずであるというのがこの項の主旨。
 
 「戦争は政治の延長である」という言葉があるとおり、戦争はその開始から終了まで政治のコントロールの下で運営され続けなければならない。そのためには、なんらかの通信手段が必要となるが、その手段の一つがROEである。
 そのROEとはいかなるものか。
 ROEの実体はリストであるが、冒頭記したように通信手段とみなした方がわかりやすいだろう。
 そのリストには、武力の使用に関し、その条件と程度が記してある。
 例えば、「リスト1;Aという状況なので、aという対応までしか行なってはいけない。」という表現になっている。(その性格上、手綱を引く表現となっている点に注意。状況によっては何もしなくて良いが、決して指示以上の対応をしてはならないのだ。)
 そして、このリストは予めあらゆる状況を想定して作られる訳なので、多量のリストが政治側と部隊側に保有されるということになる。

 その使い方は、例えば、今リスト1の指示を貰っている部隊が、状況の変化が認められた場合、政治側に対して「状況が(リスト2に書いてある)Bになったので、bという対応をしたい」という要求を出すことになる。これを受けて、政治側は他の情勢も総合的に勘案して、それに対する許可をするかどうか検討をする。可であれば、「リスト2の適用」を令するし、不可であれば「リスト1を続行」と令するのである。もちろん、政治側がほかの情勢を勘案して、いきなり「リスト○を適用せよ」と令する場合だってある。
 このように、ROEリストをあたかも通信手段のようにして政治側と部隊側が意思疎通を行なうわけである。

 さて、本題。
 BMD(Ballistic missile defense;ミサイル防衛)を実施する際に、敵ミサイルの発射を探知し我に対する攻撃であると判断された場合を想定しよう。
 現状では、部隊側はその事実を段階を経て内閣総理大臣に報告する。報告を受けた総理大臣は、防衛庁長官の助言を受け自衛権の発動を決心し行動命令(防衛出動)を発令する。陸海空自衛隊幕僚長または統合幕僚会議議長は部隊に対して指示を行ない、それを受けた部隊指揮官がミサイル発射のボタンを押す。という段階を踏むことになる。ミサイルが大陸(半島)から到着するのは、約10分であるから、とうてい間に合わないだろう。かといって、シビリアンコントロールの観点から現場に任せてしまうわけには行かぬ、どうしよう。と、なっているようだ。
 しかし、冒頭に記したROEというものがある。
 ROEは、政治側が「予め条件を明示して対応の範囲を定める(権限の委譲を行う)」のであり、ここにシビリアンコントロールが機能している状況である。したがってこの意味で問題はない。
 政府が知りえた情勢を総合的に分析・判断して、今は兆候が無いから「リスト1を適用する」、敵国はミサイルに燃料注入を開始し、宣戦布告ともとれるメッセージを発しているので、「リスト3を適用する」・・・とダイナミックに蓋然性の高い情勢判断をして、対応の仕方を変えていけばよいのだ。
 ただ、恐らく、歯止めがなくなるという漠然とした不安感、他国を狙ったものに対する対応をとってしまって結果的にそれが集団的自衛権に該当してしまうのではないかという、これまた不安・・・があるようだ。
 しかし、よく考えてもらえばROEこそ(過剰反応を防ぐという意味で)りっぱな歯止めであるし、飛来するミサイルが他国を攻撃する意図を持ったものであったとしても、時の判断が自衛権の発動ということであれば、なんら問題はない。よしんば、米国を狙ったものであったとしても、そしらぬ顔で打ち落とせばよいのだ(良い訓練にもなる)。(本旨から離れるがそのくらいの図太さが日本には必要だ。)
 
 今行われて議論は、極端に言うとシビリアンが前線に出て自分の目で見て判断しないとミサイルは撃たせない、というに等しい。当然、それはありえない。小田原評定の時間は無い訳だから、あらかじめ評定を済ませて段取りを決めておきましょうということなのである。社長が販売員のお辞儀の仕方をいちいち指示することはない。そのためにマニュアルがあるのだ。(この意味、マニュアルは立派な通信手段である。)
 
 権限の委譲を堅確な法制のもとに行える態勢の構築が急務である。

 

(↓の項目に続く)