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17.2.15 | 1の糸の耐用命数 |
(日記記入が随分間があいてしまいました。実は、右手親指にトラブルが発生し、しばらく弾けませんでした。この数日、本格的に再開しました。)
では、本日の話題。 1の糸の耐用命数 新品の糸を使用開始したのが昨年の9月5日であるので、5ヶ月!が経過。この糸は高級品であるとは聞いていたが、たしかに長持ちした。しかし2月16日、ケースを開けると中で断線していた。 断線までの間に糸は徐々に磨耗していっており、それに応じて音も変化して(悪くなって)いるのであるが、連続的な変化なのでそのことをはっきりと知ることはできなかった。 断線後、切れた部分を結び合わせ、結び目を天神部分の中に来るようにして張り替えて弾いて見ると、明らかに音が良くなっている。1の糸に特有のうなりが付いているのである。こんな良い音であったのかと、糸の効果について認識を新たにした。そういえば、師匠などは、演奏会に際しては常に新しい糸を使われるようで、演奏後の糸は生徒の練習用として分けてくれる。つまり、それほど違う、ということである。そのことが今回、良く分かった。 これからは、あるべき音が分かった訳であるので、糸の張替え時期が分かるということだ。今回のように切れるまでの5ヶ月というのは、全然ダメであって、その以前にダメになる時期が来るということである。 勿体無いから一応切れるまで使用するつもりであるが、見極めはつけられるようにしなければならない。 1の糸には独特のうなりがつく。今回分かった事は、このうなりの素は少なくも糸それ自体にあることは確かである。
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(練習曲;津軽音頭) |
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16.11.21 |
さわり |
(今日は、自宅の稽古中に発見したことについてなのですが、多分上手く説明できないと思います。
そのうち、きれいにまとめたいと思っています。) 「さわり」というのは、第1弦に対して施してある工夫で、弦にかろうじて触れるように作られた突起物のことをいいます。かろうじて触れる程度になっていますので、弦がビリつく訳です。つまり、第1弦の高調波がでます。(いわばホーミーですね。モンゴルの歌唱における発声法。)
さわりは、調整することが出来ます。 この調整で、さわり部分の弦への接近具合を変化させることが出来ますので、これに応じてビリつき具合が変化して、ビミョーかつ複雑な音色になるわけです。
ただし、あまりにもさわりをつけすぎると、高調波が耳にうるさくなります。 適当な按配がそこにあるわけですが、その按配の程度が、この辺かなぁというのが今日の自習中に解ったような気がするのです。
上の説明は、さわりを調整して第1弦を弾いたときのことを念頭において説明していますが、第2弦、第3弦を弾いた時にも、さわりの調整具合で第1弦の共振が起こってビリつき音がでます。
このビリつき音に2種類あります。 第1は、第1弦が鳴っているとき(振動しているとき)に第2、第3の弦を引くと第1弦の振動が増幅される現象。
第2は、第1弦が鳴っていないときに、第2弦を鳴らしたときに音が発生する現象。ツーンという音です。実は、この音が出るように調整するのが大変難しい。音程が正確にとれていてかつさわりと第1弦の隙間が適度である事の2つが同時に満足されねばならないからです。
今日の一応の結論は、さわりのベストは「↑一番最後に書いた状態に三味線をセットすること」のように思われました。 三味線のことを良くご存知でない方には、チンプンカンプンだったと思います。
よくご存知の方、いかがでしょうか。 こんど、先生に聞いてみなくては。 |
(練習曲;津軽音頭) |
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16.11.20 | 前奏と太鼓 |
民謡の曲の成り立ちとしては、前奏+太鼓+唄+間奏+唄+間奏・・・、となっているようです。
前奏というのは、お分かり頂けると思いますが、今日はこの2番目に来る「太鼓」のことです。 「太鼓」というのは、太鼓自体を指すのではなく、曲のある部分に対する便宜的な呼称のことです。
「太鼓」と呼称される部分も「前奏(あるいは間奏)」に含まれるのですが、「前奏」の中でも太鼓の演奏が加わった部分のことを「太鼓」と呼称しているようです。
つまり、伴奏つきの民謡を聞くと、概ね次のような流れになります。 1 三味線奏者による前奏が始まる。 2 前奏の途中に太鼓が加わる(この部分を「太鼓」と呼称)。
3 三味線奏者により前奏が終わりますよという合図がだされる。 (これは、通常、弦3本を同時に鳴らす(ジャン、ジャン)のと「はいっ」とか「よーっ」という発声で示されます。)
4 そして、歌い手による唄が始まる。 確認していませんが、どうもこれは、お約束のようです。 さて、今日は津軽音頭の4回目の稽古でした。
3回目までの分は、概ね良好。 今日から、本格的に唄に入っていきました。 先生は歌いながら奏法を教えられるのですが、もちろん、唄のメロディと伴奏のメロディは完全一致ではありません。津軽三味線では「えーふりこき」の精神もあいまって、伴奏にもかなりの主張があります。従って、両方を同時にやるには相当の技量がない不可能です。バイリンガルですね。
とりあえずは、三味線奏法を確立して、次のステップとして、このバイリンガルを目指そうと思っています。 |
(練習曲;津軽音頭) |
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16.11.10 | 思い込みが強い |
津軽音頭の3回目の稽古です。 前回2回分の復習は完璧であった、はず、なのですが、一箇所間違って覚えでおりました。
そのために、その部分でつっかかり、前になかなか進めませんでした。 どうも、私、生来思い込みが強いところがあって、勝手な判断をしてしまう傾向があります。妻との待ち合わせの場合など、身内に対する気の緩みもあって、当初は上手く落ち合うことができませんでした。大抵の場合、私が勝手な場所を思い込んでいたことによります。
三味線については、これまでも間違って(自分勝手なメロディで)覚えた事が何回かあります。 少しなめている事と増長があるのかもしれません。
反省、反省。 今夜は私の稽古が終わった後、ほかのお弟子さんお二人の稽古振りを後ろで聞かせて頂きました。 二人とも民謡を習っておられます。声量が少し足らないのかなぁ。腹式の発声法になっていないのかなぁ。・・という感じでした。
節回しはなかなかのものでした。それでも、先生はダメをおしておられまして、デモされるのですが、ううむ、確かに先生の唄は心琴に触れます。失礼ながら声についてはあまりよろしいとは思えないのですが・・。
お一人は、三味線の稽古も引き続きされました。しかし、撥の打ち方が不適当のような気がしました。こすっておられるように見えました。指使いはかなりのものなんですがねぇ。
っと、増長、注意。 |
(練習曲;津軽音頭)
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16.10.30 |
つぼ(3) |
三下がりの調弦は、マイナーです。
どことなく、哀愁を帯びた曲調になります。 前回にも触れましたが、これで「歌う」と、もう気持ちが良いですよ。なんか上手くなったような気がします。
前回、技術的には特に難しい所はなさそうだと言いましたが、結構左の指使いに難しいところがあります。マイナーですので、どうも半音下げた音が使われていることによるものと思われます。JAZZでいえばブルーノートでしょうか。そのために、通常は左指は人差し指と薬指しか使わないところを中指が登場します。初めての経験。
では、今日の本題。つぼ。 三の糸での「ちりら」(3連符)がでてきますが、音(ちの音)のとり方が微妙です。今日、私、疑問がありましたので、聞いて見ました。
先生がおっしゃるには「ポジションは3のつぼですが、その気持ち下を弾いて下さい。この音、チンチンチン」と。 またまたでました。微妙なずらし。
これは、いったいなんなのでしょうか。前に私は、音程(音の間隔)は西洋音楽も邦楽も同じだ、と書きましたが、どうもそうでもないようです。
今後、この点に気をつけながら稽古していきたいと思います。 いつか、自分なりに解決させます。 |
(練習曲;津軽音頭) |
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16.10.21 | 津軽音頭 |
本日から新曲。津軽音頭。 調子は三下がり。マイナー(短調)です。
技術的には特に難しい所はなさそうですが、先生のデモを聞くとリズムのとり方が難しそうです。つまり、完全に一定のリズムで弾いているのではなく緩急があるようです。
いわゆる「歌う」ということなのでしょうか。 先生のデモも気持ちよさそうでありました。 私も、半眼で気持ちよく・・・、と行きたいものです。 |
(練習曲;津軽音頭) |
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16.10.7 |
豚も木に登る |
本日、「三下がり」一応完成。
今日は、自分で弾きながら先生の手が良く見えた。 まずまず、かなぁ。 一通り稽古を終わって、先生から「一応よいでしょう。次は、新しい曲を始めましょう。」のご宣託。
やったー、という気持ちをぐっと押さえて三味線を置き、「有り難うございました」とお辞儀を決めて退出。 私の直前に稽古を終わられたおばさんが私の稽古を聞いていたらしく、先生宅の玄関を出るときに一緒になり、
ひとこと、 「聞き惚れましたよ」、と。 いや、恥ずかしながらこの歳になっても誉められると嬉しいものです。
木に登れと言われたら、ヒマラヤ杉でもアラスカ杉でも登っていたかもしれません。 ただ、ここで東郷元帥の連合艦隊解散の辞をグッと心に刻まねばなりますまい。
「・・・・勝って兜の緒を締めよ」、と。 でも、今晩の晩酌は旨かった。固いこと抜き。単純なんですね。 |
(練習曲;三下がり) |
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16.9.17 |
平常心 |
稽古は、まず師匠の前にテーブルを挟んで正座して向き合い、「お願いします」と頭を下げることから始まります。
毎回、ある程度のフレーズを教えてもらい、次の稽古までにそれを家で練習して完璧なものにしておきます。そして、次の稽古のときに先生の前でそのおさらいをして、若干の指導が行われ、可であれば次のステップに進む、・・・・というものです。
そんなに長くないフレーズですから、その分は一週間もやれば大体弾けるようになっています。従って、次の練習日にはそれを先生の前でそのとおりに弾けばよいのですが、かなりの緊張をしたり、うまく弾こうという色気が強かったりで、練習よりもうまく弾けません。
平常心でないのです。言葉を変えればプレッシャーです。先生に聞くと、大体そんなものだそうです。 私もかっての商売柄、平常心をもって事にあたることの心がけをしていたつもりですが、三味線の稽古ではどうもそういかないのです。何回やっても直りません。
結局、その場への慣れが十分でないのでしょうか。 それと、本日、ある短いフレーズの弾き方がその場で変更されました(と言っても音が一つ加えられただけ)。「ここは、こう(チリチン)、弾いてください」という訳です。
センセーそんなー。 一応弾けるように練習してきたのにそれが(わずか一音でも)変更されると、その部分が気になってしまって他の部分がガタガタになっってしましました。冷静に考えるとなんという事はないのですが、なにしろ平常心でないので、大変なことになります。
こういうときは、大変な劣等感にさいなまれます。 本当にわずかな長さのフレーズであり落ち着いてやればまったくなんという事も無いメロディであること。先生の前でおたおたしている自分の姿。
かって、曲がりなりにも常に冷静を求められる業界で仕事をしていたことを思うと屈辱的な気持ちになるわけです。 稽古の帰り道、車の中で自分に対して「チクショウ」です。
結局、個人練習が十分でなかったという事なのでしょう。 多少の障害があっても容易に乗り超えられるほどの練習量、オリンピック金メダリストたちが必死の思いで積み重ねたような練習量が必要なのです。
よーし、やわらちゃんに、負けないぞー。 |
(練習曲;三下がり) |
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16.9.4 | ちりら(プリング) |
ギターでいえばプリング(pulling)というようです。 左指で押さえている弦を上方へ引っ張るようにして弾く技法です。
同列に「ちりたら」などの技法もありまして、これらをまとめて「はじき」とも言います。(ちりたらは4音、ちりらは3音)またこの「ちりら」を連続する(ちりら、ちりら、ちりら・・)ことを「かき回し」といいます。ことばとしては、直截的でかつ味がありますね。
少し詳しく言うと、三味線の3番目の糸(一番高い音のでる糸)を、 ・一回撥で弾き・・・「ち」 ・左手薬指と人差し指で同時に弦を押さえ、薬指をプリング(弾き)・・・「り」
・直ちに残った人差し指をプリング(弾き)・・・「ら」 これを連続させるとちりらちりらちりら・・・と「かき回しと」いうことになります。
もちろん実際はなかなか難しいです。 特に薬指の動きが弱くなるため、「り」の音がよく鳴りません。(先生の今日の指摘)
弦を押さえる先生の左手薬指の形を見ると、弦に対してほぼ直角に突き立っているという感じです。あのくらい力を入れてグッと抑えないと綺麗な音は出ないということでしょう。
こうなると、(陶芸におけるろくろ作業もそうですが)三味線も良い音を追求していくと力仕事である、あるいは力のあるほうが有利(大は小をかねる)であるという気がします。こういうジャンルへの女性の進出が少ないのもこういうところに理由があるのかもしれません。
今、世の中に男女共同参画法を梃子にして、ジェンダーフリーなどというばかげた運動がありますが、差というのは厳然としてあるのです。それを認めたうえでお互いの特性を尊重してその特性がより生かせるようにする、あるいは補い合っていくという精神を高める方向に努力を傾注すべきと思います。某田島○子さんのように、同じにすべきだとかひねた被害者意識はやめたいものです。
ちょっと、飛躍しました。 |
(練習曲;三下がり)
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16.8.28 |
三味線の撥とゴルフのクラブ |
撥の使い方は、ゴルフのクラブの使い方と似ております。直接弦を弾いたり、直接ボールを手に持って投げたりするのではなくて、それぞれに撥・クラブという道具を介する点が、その第一です。
それから、持つ際の指の力の配分ですが、原則として小指側に力を多くいれるという点です(撥の場合は、薬指でグッと掴みます)。そして、スナップを適度に効かせる訳です。
最近、持ち方を色々と変えながら練習しているのですが、撥を押さえる親指を少し立てると撥先のコントロールが割りと楽な事を発見しました。ただし、これは教わった正しいやり方ではありません。でもこれだと、早いメロディにも対応できます。
そこで、早速(得々として)先生に聞いてみました。 答えは、 「解りますが、ダメです。第1に音が悪くなる。第2に更に高度なテクニックに対応できなくなります。言われたとおりに練習してくださいね。」
とのことでした。 ゴルフで言えば、いわゆる「手打ち」とか「こねる」などに近いのかもしれません。なんとなくクラブの先っぽをコントロールできるような気がしますが、あれはダメですよね。身体ごと動かして行かないとヘッドがきちんと当たりません。
三味線も、きちんとしたスイングで撥を振って糸に当てていくという気持ちが必要のようです。 めざせバーディ。 |
(練習曲;三下がり) |
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16.8.27 |
つ ぼ(2) |
曲の練習は引き続き三下がりです。
高音部のつぼがぴたりと決まりません。一般的に言っても高音部の音程のとり方は難しいものです。(素人の三味線の合奏を聞くとそのことが良く解ります。)
しかし、所定の音は棹の上のある一箇所でなければならないはずなのです。そのつぼをぴたりと押さえられるかどうかは訓練によるのですが、稽古に際して常に音程を意識する(正しいメロディを意識する)のが大切のように思われます。西洋音楽の場合のように絶対的な音の高さというのが定義されていないから、ことさらだと思われます。
しかし、不思議に思いますのは、音の高さが絶対的・相対的の差はあるものの、音程については和洋同じだということです。つまり、ド・レ・ミ・・・の音と音との関係は同じなのです。したがって(細かい技法は別として)三下がりをピアノで弾くことはできますし、ショパンの子犬のワルツを三味線の音階で弾くことはできます。
なにか不思議な感じがするのですが、皆さんはいかがですか。 ルーツは一緒なのでしょうか。 |
(練習曲;三下がり) |
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16.8.7 | つ
ぼ |
三味線にはご存知のように、ギターのようなフレットがありません。洋楽器で言うと、バイオリン類と同じです。
一方、出すべき音は決まっていますから、押さえるべき場所も音階(ドレミ・・)に応じて当然決まってきます。その場所を「つぼ」といいまして数字で表します。例えば3のつぼ、4のつぼ・・という言い方です。棹には、3,4,6・・と代表的なところに簡単なマーキングをしています(写真)。
通常、稽古の際は、「3の糸の8のつぼ」という風にして音の高さが示されます。 ところが今日は、「3の糸の18のつぼの少し下」という指示が来ました。
私、「え〜っ?」 直後の先生の解説では、「つぼはあくまで目安であって、音で覚えなさい。これこれ(チン、チン。音を出しながら)、この音。解った?」
初めて聞きました。 でも、これまで、私もなんとなく疑問を持っていました。というのは、胴と弦の間に挟む駒(写真)の位置もいわば適当なのです。「胴の端っこから、大体手の指を3本並べた幅のところに挟んでください。」という風なのです。こうなると、駒の位置でつぼの位置も変わってきますから、つぼの位置を棹にマークすることはできませんよね。
それと、弦を押さえる指の太さがありますから、棹にマークされているつぼの位置と押さえた指のどの部分(中央?端?)を合わせればよいのだろうか、という疑問。
その疑問が、本日氷解しました。 つまり、つぼの位置(写真のマーキング位置)は、目安であって、要はその曲のその音を出すのだ、ということです。考えてみれば、もともと三味線の棹にマークは付いていません。修行で鍛えた感覚でさっと押さえるわけですね。
いや、今日はびっくりしましたが、腑に落ちました。 ところで、バイオリンなどの場合はどうなんでしょうか。最終的には同じだと思うのですが、どなたか、教えてください。 |
(練習曲;三下がり) |
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16.7.30 | えーふりこき |
青森地方のことばです。 意味は「ええかっこしぃ」です。見栄をはる、ということでしょうか。
津軽三味線の精神?のひとつです。他の人が弾けないようなテクを競うわけです。 演奏を聞かれた方はお分かりになると思いますが、津軽三味線ではさまざまなテクニックを駆使して演奏をします。撥で胴をバンバン鳴らして(三味線は胴の部分は太鼓です)、聴衆をびっくりさせたり、チリチリチリチリ・・という高音を小さい音で出して、聴衆に耳をそばだてさせたり、バチのダウンストロークとアップストロークで音を出すのはもちろん左手の指を使って音を出して複雑なメロディを奏でたりします。
いま習っている三下がりでは、弦の上で押さえた指をスライドさせる技法が多用されています。前に書いたポルタメントです。ドとミぐらいの間をスライドさせるのはもちろんドとソぐらいの間をピューッとやります。ちょっとかっこいい。
「えーふりこき」の先人の気持ちが伝わってきます。 ただし、先生いわく 「指をあまり強く押さえると、火傷するから、注意してネ。水ぶくれができちゃうから。」
稽古が終わって指を見ると、確かに危ない状態になってました。 「えーふりこき」はいつの世も大変だ。 |
(練習曲;三下がり) |
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16.7.23 | 拍子のカウント |
前半は、先回のおさらい+α 津軽三味線では、一つの音を一定の回数、引き続けるという手法がよくあるのですが、すんなりと体得できないことが多いように思われます。
この曲でもそれがあって、その数えかたは、「いちにさんっ、いちにさんしっ」というのですが、この曲は3拍子なので「・・・さんしっ」の「し」が、どうもしっくり行かないのです。
民謡では、唄ったり踊ったりするわけですから、1小節の中の音符が無くなったり増えるということはありません。楽譜に落として要研究です。
ただ、いわゆる8小節、16小節、というような西洋音楽で行われる一定の切り方には固執は無く、融通無碍になっているようです。唄の気分で決まってくるのでしょうか。それとも、比較的長いスパンの取り扱いというのが苦手なのでしょうか。
とりあえず、「いちにさんっ、いちにさんしっ」という覚え方にはそれなりの良い所があるのでしょう。今は修行の身、ついて行きます。 後半、「ちりたら」の入った部分を練習。(「ちりたら」については別の箇所で書きます)
「ちりたら」が入ったフレーズを先生が展示。最初は、どのような指使いになっているのか、全く解らず。ゆっくり弾いて頂き、解説してもらって、解った!が、すぐに真似できません。ゆっくりと自分の技量に合わせて弾けばよいのに、解ったとたんに気が焦ってうまくいきません。
「ちりたら」のテクは、多くの曲で使用されています。津軽三味線では、人が「歩く」と同じようなモノですのでしっかり練習する必要があります。 |
(練習曲;三下がり) |
☆三味(しゃみ)日記 |
16.7.6 | ポルタメント |
本日から、新曲「三下がり」 三下がりという言葉は、三の糸(3本の糸のうち一番高音の糸)を正調よりも完全2度(?)下げて調律することに由来する。調弦の呼称が、曲名になっている訳です。
音をスライドさせる技法(ポルタメント)が多用されており、この曲は、前からやってみたいと思っていた曲です。4度〜5度位をピューッという感じで一気にスライドさせる箇所もあります(本日はそこまで行かない)。
出だしは、低音から始まります。なんか思わせぶりな入り方です。ビブラートも良く効かして弾くのが良いようですが、当方はいい加減なビブラートなので、これでよいのかどうか。先生は、あまり指摘をされないが、どうなんでしょうか?
今日は、最初の一節を例の口伝により教授を得て終わり。 はやく次を習いたいという気持ち。 |
(練習曲;三下がり) |
☆三味(しゃみ)日記 |
16.6.19 | 教育は時間だ |
通常、三味線の教育では曲を少しづつ分解していわば口伝をしていきます。 この曲については、曲自体が比較的易しいのと、発表会が近かったので、楽譜を見ながら自習せよ、というやりかたでした。
私も楽譜さえあれば一発でOKと思っていましたが、だめでした。楽譜を見ながら、なんとか弾けるのですが、なかなか暗譜できません。普通、演奏では譜面は見ませんのでこれではダメです。また、芸術性の面で、楽譜を見ながらでは多分、かなり劣るでしょう。
結局は、最初から少しづつ分解して覚えました。やはり「時間」が必要でした。 三味線では、このように細切れに口伝で教えていきます。時間はかかりますが、これが必要のようです。楽譜は、あくまで補用です。
三味線は、いわば単純な訓練ですが、思考力が必要な教育であっても、同じことが言えるのではないでしょうか。やはり、頭の中でじっくり醸成させるような時間が必要のように思います。
私の、前の職場は海○自○隊でした。仕事の内容が比較的特殊ですから、部内にもいくつかの教育機関が設けられております。 かって(今もそうですが)、仕事が増えて人は増えないといった状況の時に、教育期間を減らし、その分、早く現場に人を送れ、という声が高まったことがあります。そして、実際そうなるケースがありましたが、私は、今でもやや疑問です。教育の成果というのはなかなか計れません。良かったのかなぁ、という思いです。
このような時はむしろ「現場をもっと効率的にし、教育はもっと時間をかけて」であるべきでしょう。私の自○隊での最後の配置は統○幕○学校教育課長というものでしたが、時間が必要というのはそこでも実感しました。
教育は、国家百年の大計といいます。じっと我慢をして、教育に時間を費やすべきです。 三味線の暗譜から話がすこし飛びましたが、やはり「教育は時間だ」です。 |
(練習曲;生保内(おぼない)節) |
☆三味(しゃみ)日記 |
| 恨み節なのか洒落なのか |
生保内節(おぼないぶし)を習い始めました。秋田県生保内地方の民謡です。ユッタリした曲想。なかなか良いです。
歌詞は、 ♪吹けや 生保内東風(おぼねだし) 七日も八日も 吹けば 宝風 稲実る♪ 意味は、(日本民謡集(現代教養文庫)によれば、)
「生保内地方は四方を山に囲まれていて、東風が強く吹く。・・夏の七、八月に吹くこともある。春の東風は雪解けの時期を早め、秋には霜を防ぐことになるので、稲にとっては宝風となる。」
とあり、東風(だし)は良いものとされています。 しかし、師匠は、実は逆のことを唄っている、とおっしゃる。 実際には凶作であるのだが、それを豊作であるかのように唄っている、と言われるのです。
私も八戸に数年住んでいましたが、夏に「やませ」と称する海からの風(東風)が北よりの太平洋高気圧から吹き出す場合があり、夏でも寒いと感じるほどの寒さになります。そして、この傾向が続くと、冷夏。すなわち稲は不作となります。だから、生保内東風が七日も八日も吹けば、宝風どころではない。農家にとっては最悪である。と、いうことになります。
では、なぜ反対を唄うのでしょうか。 圧政に対する恨み?洒落で笑い飛ばした? よく解りません。意外と余裕があったのでしょうか。必ずしも暗黒の江戸時代ではなかったのです。そういえば、黒船が浦賀沖に来航したとき、相当な見物人がでました。その中には今の新潟県あたりから来た農家の人が居たという話を何かで読みました。 |
(練習曲;生保内(おぼない)節) |
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