
林寧彦氏の存在はネットで知っておりまして、一回だけメールをやりとりしたことがあります。
今回、同氏の次の3冊を一気読み致しました。
1週末陶芸のすすめ/晶文社
2週末陶芸家になろう/双葉社
3陶芸家Hのできるまで/バジリコ株式会社
内容は、ふとした弾みで陶芸に足を踏み入れ、旺盛な探究心・向上心の故に自宅マンションのベランダで電動ろくろを運用し始めるという、第1段階の話。博多への転勤を契機に、単身赴任先のマンションに電機窯を据付け、有田の窯元で勉強しながら腕を磨く5年間についての第2段階。そして、単身赴任を終わって、千葉の自宅の近傍に専用の陶芸作業場を開くという第3段階。と、なっています。
3冊の本を読んだ後、ホームページを開くと、第4段階として、陶芸作業場を改造して教室を運営しようとされているようですね。どんどん進化されているようです。
当初の陶芸との運命的な出会いが無ければここまで来ないわけですが、それだけではなく、その前にそういうことが達成できる能力を既に秘めておられて、そこに陶芸との運命的な出会いがあったということのように思います。多分、元の職業でも相当のところまで上り詰めて行くことがおできになるのでしょうが、今のような陶芸家としての地位には到達されなかったのではないかと思います。勿論、ここでいう地位というのは単に名声的なものだけではなく、ご自身の充実感を含めてのことです。
私が、これらの本を読んで感銘を受けましたのは、次のようなことごとです。
1 熱意について
ものごとが成就できるかどうかは、いつにかかって、それに費やされるエネルギー量の多寡であろうと思います。そして、そのエネルギーを供給し続けるのが、熱意という意思の力です。それは、多分に生まれつき持っている性格的な部分によるとことが大きいのですが、著者はそれに非常に恵まれていたようです。なんでも自分で、やっていかないと気がすまないし、だからこそ、とことん突き詰めていこうとするわけです。ろくろの技量向上には千個の湯飲みを作ることが必要だと教えられれば、実際にそうしようとするし、教室の先生に釉薬を掛けて貰って、焼いて貰うというのは本物ではない、と言われればそれらを自分でやろうとするし、挙句には釉薬の自作にも手を染める。普通は、なかなかこういうところまで行きません。適当なところで妥協をしてしましまいます。
著者がそうでないのは、やはり旺盛な熱意が胸のそこで燃え盛っているからでしょう。それらが、探究心や向上心に直結していますから、エネルギーは枯れることがないわけです。
2 審美眼について
もともと画才を持っておられるようです。同時に花鳥風月を愛でる感受性の強さを持っておられるようです。
窯元の先生宅へ通う途中、草花のスケッチを楽しみながら歩いていく模様が描かれておりましたが、そういうセンスをうらやましく思いました。
スケッチをするためには、まず、そこに「美」を認識するということが必要です。そしてそれをしっかりと見詰めながら、画用紙に書き表していくという行為がそれに続き、その過程で、「美」というものが頭の中に確立していくのでしょう。こうして、いわば観察者の頭の中に「美」の基準が出来上がるわけでして、次は、それを陶芸の世界にどう反映させるかということになります。
肝心なことは、この「美」の基準なるものがないと、陶芸の作業を進ませようがない、ということなのです。お皿を作って、いきなりそこに絵を描こうとしても、目標値に相当するものがないと、絵の描きようがないわけなのですね。
そういう感受性を大切にされているように思いましたし、私自身に欠けている点だと思いましたね。
3 美術と工芸の融合について
著者は画才がおありです。その衝動と新たに目覚めた陶芸を融合させることに、ある日目覚められたということのようです。そのため、大型の皿を挽き、そこに絵を盛り込むということを中心にした創作活動をされています。
その模様を読んで私が強く感じましたのは、私の創作活動に対する反省でありました。
著者のような作品を作っていこうとすると、どうしても時間(手間)がかかってしまいます。成形にしろ、加飾にしろ、釉掛けにしろ、頭の中に確立した最終的な作品のイメージを常に念頭において、丁寧な作業をしなければなりません。ところが、私などは、出来るだけ沢山色々なものを作りたいというのが念頭にあるものですから、どうしても作業が雑になってしまいます。食器屋のオヤジみたいなもので、芸術の域には程遠い状況になっています。(食器屋のオヤジさんには失礼)
言い訳をすれば、土日という限られた時間内で、作品の多彩さを許容する陶芸を存分に楽しみたい、という第1次的欲求が強いから、ということではないかと思います。
それはそれで、一つの価値感なのですが、その一方、著者のようないわば頂上を目指すことに価値を置くことも大いに気になることであります。
私も、絵には興味がありますので、著者のような行き方をまねて見たいものです。
美術と工芸の融合、更に贅沢な趣味の世界ですね。それを考えると少しぞくぞくするのですが、続くかどうか‥。
4 チャレンジの大切さについて
今回、これが一番感銘を受けた点です。
著者は、(割と気軽に)展覧会に出品をされています。勿論、それなりの力量があると自他共に認められる部分があるからでしょうが、チャレンジするという気風について大いに刺激を受けました。
そして、単にチャレンジをするというのではなく、自分をそこに追い込んで緊張を強いながら力量の更なる向上を果たして行くのだという、その考え方が素晴らしいと思います。
えてして、そのような場面では、色々な思惑からしり込みをしてします。例えば、1年延ばして充分に力をつけてから応募しよう、等々の考えになってしまいがちです。しかし、それでは、結局は永遠の先延ばしになってしまって、いわば停滞の状態が続くだけなのですね。著者の考えは、期限を設けて自分を追い込むことで、エネルギーが効率的に集中され大きな効果が生まれる、ということなのです。
私は、このくだりを読み進みながら、はずかしながらこの歳になって初めて、このことを感得いたしました。
5 目標の設定について
仕事の仕方、あるいは人生の送り方等々に通じることです。
著者は、博多に5年間の単身赴任をしますが、この期間の過ごし方について、まず目標値にあたる「自分はどのような姿になっているべきか。」ということを考えます。そして、そこからこちらに向かって逆算的に工程を考え、諸準備をし、実施に移していく。そういうことがしっかりと出来る人であるようです。作品の作り方にも、そのことが現れているようにも思えます。
先のことは、ぼんやりとなんとなくでしか考えておらず、行き当たりばったり的なやり方で生きている私にとって大きな反省を求める事項でした。
要するに、より具体的な目標をしかっりをイメージし、期限をつけてチャレンジするといおうことなのでしょうか。
大変、ためになる本でした。
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